メガロポリス・トキオ

         S・M・渋谷







 今、一番楽しみにしているのが、七月二日のサンプラザだ。チンピラのガキどもに三千八百円も支払ったのだ。その分は目一杯楽しんでこようと思う。しかしこの頃の外タレコンサート、特にサンプラの評判が気に懸かって仕方ない。別に立ち上がって踊るんだとは考えちゃないが、椅子にピッタリくっついた儘でダンスミュージックを聞き入らなくちゃならないというのも変な話だ。ついつい、「全く今の日本は……」と嘆きの一つも、ロック雑誌片手に抱いて、政治情況を口にしてみる。今朝、偉い政治家が一人死んだから、少しは変るのかなあと。オレもあっちもメットモナイモノだとグチが続く。
 十五日にはワルツが楽しみだ、八日の大阪に行ったので鶴見橋まで立ち寄ったけど、関西のストリップも悲しい情況だなあ、と。しかしまあ今日日は街を歩けばステキな音楽がやたらと聞かれるし、気分のいいものだ。会社の机には愛しのニナ・ハーゲンちゃんの写真と、デビッド・シルビアンくんの二枚の写真が入っているのだ。とてもHAPPYですな。で、気になる映画の有様はというと、それはもうつまらないもので、時代からなんでこんなに遅れてしまったものやら。ロックとちがって世代交替の一サイクルが長すぎるのだろうかしら。映画25年、プロレス15年、ロックは5年。鈴木志郎康という人も、個人と映画の関係に強烈なインパクトを持って表われた人だけど、一時代を画して下った人だからと、冷淡に消されて了う程、映画情況は新陳代謝が正常に活発でないのだ。映画も好きな人も作る人も、みんないい奴ばかりで淀んでいるな。
 何となく、ロック(この言葉も死んじゃったな)と映画を右見て左見てすると、今さらリュミエールじやあるまいと思ったりするのだ。ポレックスもボリューもどうでもいいことだ。暗闇も時間も、思い入れもどうでもいいことだ。映画にペタペタ納豆をくっつけて糸を引かすこともあるまい。気前のよさとか、懐の広さなんてこともあるだろうて。
 で、だんだん映画のことが頭に久し振りに拡がってくる。快いものだ。鈴木志郎康だ。まっ先に、ああ何だか知らんけど撮るのに大袈裟な人だと、ふっと浮かぶ。ざあとらしいのと、ずぶといのと、カインチガイと、まあよくやるわ、と、ええ根性しとるわ、と、尊大なやっちゃ、と、動脈硬化だ、更年期障害だな、と、思うのだ。「今私はユーウツです」というセリフをヘイチャラに入れるぐらい、詩人だなあ。一途でなくちゃでけんなあ。と、で好きか嫌いなのかと考え込むと、たまらなく好きなんだよね。ざあとらしい脚本作りの加減が。これ程、うすっぺらい映画を精一杯正面きって作ってくれる作家は少ない。CHEEPで、安っぽくて。キッチュな感覚までにはまだまだ遠いけど、「15日間」をサラリと見ちやうと、まるでスカに浸って身をゆるわせているみたいだ。「ほ日間」はステキなのだ。で済ましておこう。もう頭がついていかないから映画のことはナシだ。でも、個人映画もHAPPYになってきた。今が一番いい時期だ。いつか再び時代に追いつくかもしれない。アメリカに行けたら、今の高千穂のファイトを見たい。ヨーロッパに行ったら目一杯ミュージックだ。東京には、気軽に見せてくれるだけの、器の大きい、余裕のある個人映画状況が生まれるかもしれないのだ。なにはともあれ、東京は、今はやりだ。はやリとはとってもいいものだ。

 



 

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