鈴木志郎康◎インタビュー
映画なんてそういうもんだよね。









高校時代は映画に溺れてた

 僕が憶えている最初の映画は『奴隷船』という、今で言う一種のポルノ映画なんだけど、それが最初の強烈な印象だね。それが戦前かな?五・六才の頃の印象かもしれない。戦後、小学校四.五年から、錦糸町の楽天地へ見に行って、その頃の映画では『嫁入り豪華船』という喜劇、それから『ターキーの狸御殿』というレビュー映画なんていうのを憶えている。その後中学校頃までは、親戚のうちがレストランやってて、そこに向島の「たちばな館」という映画館のポスターが貼っであって、そのビラ下をもらって、たちばな館にはよく行った。ただで入れるんだ。そこは七本立てなんだよね。劇映画三本に短編やって3ニュースやるから。朝入ったっきり夜まで帰らないで、ずーっと見てる。あの映画館の印象は強いね。なぜか。休み時間が長くて十五分くらいある。きっと映写機を冷しているんだろうね、カーボンの映写機だから。その間に山口淑子『エイライシャン』を歌う。そこで見た映画で記憶に残っているのは、黒沢明の『静かなる決闘』。全然わからなかったけど、重苦しい逃げ出したいような悪夢の感じ。子供には悪夢なんだろうね、きっと。それからあと、エンタツアチャコの映画とか、長谷川一夫の『雪之丞変化』とか、エノケンの喜劇とか、喜劇が多いなぁ、下町だから。名画は全然やらないのね。でもおもしろかったし、印象に残っている。その頃は、焼け跡にやぐらを組んで布を貼って夜上映する街頭映画もあって、何回か見に行った。多分、GHQの文化政策なんじゃないの?あとから『灰とダイヤモンド』見た時、そういう風にニュース映画を上映する場面があって共感したんですよ、丁度同じだったなと思って。
 それからだんだん中学上級になり、内容に興味を持つようになってきて、黒沢の『虎の尾を踏む男達』とか『姿三四郎』とか、木下恵介の『破れ太鼓』を始めとして、色々見たんです。高校の初め頃は、木下恵介のファンだったの。今の様なんではなく、社会派リアリズムというか、叙情性に富んだ一種のリアリズム映画なんですよ。その頃映画がものすごく好きにをって、映画監督になりたいと思ってたことがあるんですよ。脚本の勉強をしなきゃと思って高田高悟の本を買ったりした。
 高校時代、友人に浅草ロキシーの呼ぴ込みの人を知ってる人がいて、ロキシーという映画館はタダで入れてもらえた。一日おきに行ってたから年に二〇〇本は見たことになる。もうまったく溺れてた。この頃が一番見てたね。一番記憶に残つているのは、モイラー・シヤーラー主績の『赤い靴』。あれはすごく感動したなぁ。あと漫画映画でも『バッタ君街へ行く』があつてね。虫の世界の話になつてるんだけど、バッタ君というのは、結局、ボスと闘う民主主義の指導者になるんだよね。交通博物館でもCIE、アメリカ教育局の映画を無科でやっていた。とにかく映面が好きになってきたから、映面といえばなんでも見に行った。そこでは文化映画をやるの。アメリカの家庭生活のなんか。焼け跡に住んでる僕から見れば夢のような生活ですよ。あと『少年の町』というフラナガン神父の作った映画があったんですよ。アメリカの孤児院の話なんだけど、学生委員長を選ぶのも、ちゃんと選挙で行われるわけ。頂度その頃、僕らは民主致育をどんどんやられていた。上の世代だと戦争中は軍国主義で、それが戦後民主教育に変わり、その変動が頭にきてなにも信用できないというようになったりしたけど、僕らは子供だつたから素直に民主主義は良いものだと思った。そういうのにすごく感動してね。アメリカなんだよね、みんな。
 その頃は東宝の『若大将』もののはしりぐらいかな。その前に性典ものが一番はやったね。僕ら思春期だったから。あまり名画は憶えてないな。でも小津安二郎の映画は良く見たね。そういうのはいわゆる名画として受け止めるわけ。溝口健二の『近松物語』なんか三味線の音楽使ってて、新しい映画表現に思えて感激した。やっぱり若いから感動的をのが良かったんだろうね。

ヌーヴェル・ヴァーグも良く見たね

 僕は高枝を出てから大学に入るまでに三年遊んでるんだけど、高校の二年ぐらいから文学づいているんで、映画からはちょっと離れた。文学同人維誌が一学年で三つ出てるような高校だったから、雰囲気としてそういうものがあったんじゃない。その三年間はほとんど本ばっかり読んでた。ただ、7ランス映画は見ていた。ルネ・クレールの『夜ごとの美女』とか、マルセル・カルネの『天丼桟敷の人々』とか好きになった。『天丼桟敷の人々』は相当によくできている映画だよ。これは戦時中、占領下のパリで作られた一種の抵抗映画なんだよね。抵抗精神をそのまま謳い上げるんじゃなく、芸術的な作業を通して表わすということに、僕らは若いから感動したね。大学に入ってからすぐに学生連動が始まってたり、色々現実的な動きがあって、映画もフランス・ヌーフェル・ヴァーグ。刺激を受けたのはポーランド映画ね。『灰とダイヤモンド』、カワレロウィッチの『影』『夜行列童』もすごく良かった。ロマン・ポランスキーの『二人の男とタンス』とか誰か忘れたけど『ドム』というのを国立近代美術館で見たんだけど、最も刺激を受けた。一種のシュールレァリズム映画なんだ。内面を描くというか、その頃シールレアリスムに興味を持っていたからね。あと、ブニュエルの『忘れられた人々』。ヌーヴェル・ヴァーグは、今ゴダールばかり言われているけど、最初は『気狂いピエロ』よりクロ−ド・シャブロールの『いとこ同志』の方が衝撃的だった。それからトリュフォーの映画。その頃のヌーヴェル・ヴァーグというのは幅が広いんですよ。フランス語ができるから”カイエ・ド・シネマ”を買って、ヌーヴェル・ヴァーグの連中の作品をチェックして良く見に行きましたね。

広島で八ミリを始めた

 大学を出て偶然NHKに入った。フィルムカメラマンとして、ニュースとドキュメンタリーを撮っていた。一日平均五百7イート回していたから、十ケ月も助手やれば一本立ちになる。若いいディレクターと二人で出かけて行って好き放題やってくるわけだよ。大学出てるから生意気で、ヌ−ヴェル・ヴァーグ風な映像を撮ったり、手持ちで歩いて撮ったりした。そういう風にやっていたんだけど、片や劇映画畑の連中は三脚をつけて撮るのが当り前と思っているわけですよ。そこへ僕らが手持ちをやるから「なんだおまえ、生意気じゃないか!ろくに出来もしないくせに」となるんだよね。今考えるとおかしいけどね。「手持ちでやったっていいじゃないですか」と毎日のようにケンカしてた。僕らは前歴がないからその点自由なんだよね。今は、少しぐらいブレたってあまり問題じゃないと考えるようになってきたけど、当時は押さえようと一生懸命だったから、結局ぶつかって、好きなことをやってた連中はみんな飛ぱされる。で、飛ばされたわけですよ、広島に。
 六三年に広島に飛ばされて、目常生活も判で押したようなものになってくる。おもしろくなくて、何かしなきゃいられなくて、いろんをことをやってた。八ミリを始めたのもこの頃なんですよね。
 NHKでカメラマンとしてやってる間、常に映画を作りたいという気持ちが心の底にあるのに、素材は常に与えられているものだがら、そこら辺でうまくいかない。自分でやりたいと思っているものは、わりあいキチンと持っているからね。広島に飛ばされて余計に自分の映画を持ちたいという気持ちが強まって、表現でも抑圧されているものをストレートに吐き出していくという方向になる。プアプアの詩も、そういう気持ちで着いていたんだよね。八ミリは、ヌーヴェル・ヴァーグの影響で作っているんだけど、劇映画じゃなくて、結局自分の周りにある素材をうまく使って虚構的な空間を作り上るという感じだった。八ミリはみんなそうやって作っている。『やべみつのり』、『宣言』とか、『EKOシリーズ』といって、前のカミさんの名前がエコさんというんだけど、彼女を使ってナっと撮った。随分作ったね。忘れちゃったけど。
 そういう感じで作ってたんだけど、八ミリの場合、僕が始めた頃にはまだダブル8しかなくて、モノクロで撮っていると映像がどうしようもないくらい悪い。一方で一六ミリやっているから雲泥の差でね、八ミリでは不満足でだんだん進まなくなって、やめてしまった。
 六七年に東京に帰って来た。六八年に前に東京で一緒にやっていた春木一端という人が札幌から帰ってきた。その頃は世の中が七十年に向かってすごく動いている。僕らは僕らなりに、自分達の一番過激なものをどこまで出せるか映画批評でやってみようと考えた。それが『眼光戦線』で、一年間で十三号まで出した。それで色々な映画の批評をしているうちに、映画の観客としての大衆というものを虚構するようになってきた。十三号は完全な虚構になっちゃった。
 その後『中央公論』(本物の『中央公論』の通りの厚さだが、そのほとんどが悪い質のチリ紙で、真中に十ぺ−ジ程文字が刷ってある)を作ったのかな。七十年には、『朝目新聞』(まったくデタラメなTV番組表や、配事が、ちゃんと活版で印刷されている)を作ってたから、プライベートに七十年闘争をやってたことになる。
 七二年に、造形大へ行って映像の話をすることになって、そのゼミで映画を作らせていた。僕としては、学生が手持ちのものでどこまでやれるかやらせてみたかった。そうやってるうちに刺激を受けて、自分の方でも撮り始りた。再開した時の作品が『胸をめぐった』なんですよ。その後しばらく間があって、シネ・コダックとめぐり合って、ああこれで出来るなと思った。その三期目が『日没の印象』に始まる日記映面になるわけです。ジョナス・メカスの『リトアニアヘの旅の追憶』を見て刺激されて、日記映画というように、自分の身の周りのものを撮って作れぱうまくいくなと感じ始めたわけです。

極私的というのは・・・

 「極私的」というのは、丁度八ミリや詩と同じ頃、考え始めた。「私」というものの中に、世界が全部流れ込んで来ているのだろうし、細かいけどそこを徹底的にみていけば世界の構造が見えてくるんじゃないか、という感じで使っているんだけどね、あれは。
 その時、すでに実感していたんだけど、僕らの生活というのは強制的につなぎ止められている。広く世界を見たいなんて思っていて、自分がそこへ行くと身の周りだけ。みんな細い官の中を歩いているような感じになってくるしね。世の中全体が共通な目的があって、その中で役割分担しているという感じじゃなければ、どうしても一人でコッコツやるようになってしまう。従って自分というごく狭い範囲の中に、常に限定されてしまう。その中でものを見ていくしかないんじやないかな、という感じがしてきたわけです。
 もう一つ、プライバシーを守るとか言うけど、そういう所でお互いに身を守って、何も見えなくしてしまうんじぐなくて、みんな開いて見せてしさえば、色々なζとが明らかになっていくんじぐないかと思う。
 ものの考え方や、外側でみんながやってる運動のやり方はテーマ主義的なんだよね。六十年代、七十年代の芸術運動にしても、みんなそういう感じで捉えていたでしょう。あるいは表現活動っていうのを。情況論だけから自分達の行動を割り出してくるつていう、政治的な表現活動が強かった。だから自分の外側にテーマがあって、それに合わせていく。そういうのじゃなくて、もっと自分に促した内発的な表現の仕方の方が良いんじゃないかと思って、アンチ的に「極私」という言葉を使っている。「私的」というとちよっと違うから。
 その頃は哲学書を読んでいるから、色々あるんですよね。「極私」という言葉を使ってるのは「私」を私現象って捉えて、それを記述していくんだって。日常生活にしても、それを捉えていく。分析的な捉え方というのは文章だとできるけど、映像だとできない。でもあえてそれをやろうかな、という感じはある。
 『十五日間』にしても、あれはカメラの非情性の前に自分を晒して、頭の中の動さとか感情の動きとか、そういうのを晒して見ちゃおうという意識が、作るという僕が、あの中には出ていないけど居るわけですよ。それを忘れて画面だけ見てりゃ、イイキなもんだって、「主観の酔っぱらい」とか「密室の映画」と、そうなっちゃうんですよ。けれどそうではなくて、自分を実験材科にしちゃうっていう意識は、ある意味で開かれていると、僕はそう思う。

一体感というのは必要だよね

 『十五日間』で、終りの方は半分講演してるみたいな感じになっちゃつて、谷川俊太邸さんなんか、逆から編集してけばいいって言うけど、そうは行かないよね。最初は慣れないから、ああいう緊張した関係で、それがある種の無意識の空間を作ってるわけだけど、後半は意識的な空間だもんね。作る意識の方が強くなってさたんじゃをいかな。
 本当は映画って距離をとっちゃいけないんだよね。距難がなくなるように、すべての人が無意識の空間の中で透け合っちゃうような関係を作らなきゃいけないわけでしょ。
 ドキュメンタリーの場合は、使命感とか感情に一体的にのめり込んで行つて初めて、凄い映像になる。それを実現させるのは大変だよね。しかも人に見せていいか、わからない。無意識的に一体感となった状態の時には。その点土本さんなんかは、本当にドキュメンタリストだね。結局自分は反発して救われるけど、息者さんは救われない。それをどうしたらいいか、受けとめて考えているよね。多くのドキュメンタリストなんかは、全然そんなこと関係なしに、イタダキって感じで終ってね。それは一種の裏切りでもあるし。むずかしい所だよ。一体感は持ってなきゃいけないし、同時に離れてなきゃいけないわけでしょ、一本の映画にする為には。引き裂かれるんじゃない、映画って。その引き裂かれ方が、やっぱりある種の映画のおもしろさになるんじやないかな。
 金井勝さんの『グッドバイ』見てると、引き裂かれ方が凄いでしょ。やっぱり彼としては気に入らないとか恥かしいとか、あるだろうね、ああいう引き裂かれ方は。『王国』なんか、後半は引き難している部分が感じられるでしょ。一体感と引き離すことが一緒になってるっていうのは、日本映画じゃ珍らしいね。みんな職人的に作るから。だから一体感というか、条件反射的に役者とかスタッフを巻さ込んでる何か力を持ってた頃の映画は凄いけど、それが欠落してきて、白けた状態て作られてる映画はもうダメだね。
  鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』を見ると良くわかるよ。あれは一体感で作っているからね。相当凄い映画ですよ。芸術品としては、一体感がなきゃいけないんだと思うね、僕は。

表現の地平線について

 これから、他人も撮りたいね。なんか目分を撮っちゃったから免罪符ができたみたいで。そういう意味で、古市弥生さんの『魚の家』は凄かったね。先を越されたなーと思ったね。ああいう風にやりたいなと思ってた。あれは凄いね、いいフィルムだよ。ある意味では、文学の世界を越えているんだよね。小説家がモタモタ書いてることを、あの女の子が喋ってることと映像だけで、乗り越えちゃってる。あの子が凄いね。包み隠さず言うから。あれは友達関係の中だから、ああ言ってるんでね、彼女が有名人になって、アイドルになったら、もう言わないものね。その辺が僕のわりあいと考えてる所で、それが何故がというのは、明確には言えないけ。
 今の、表現の地平線なんだよね。地平線がある。というより表現の水面っていうものが決められてるわけですよ。その水面をどうやったら突き抜けられるかっていうのが、問題なんだよね。今、僕らが表現していこうとして行く時に。で、水面ていうのは在るんだけど見えない。下から見ると空が見えるんですよ。ずっと行ってるつもりなんだけど、水面はそこに在って、出られないって感じなんですよ。そういう水面を突き抜ける時にどうしたらいいかって、こんな風にみんなが個別に生きることに追い込まれている所で、自分というものを突破する時に、自分で十五日間撮るようなやり方というか仕方をしないと、これは一つのやり方なんだけど、ダメなんじゃないかって気がするんだよね。
 そういう水面っていうのはスタイルなんだよね。あるいはファッション。それから技術の面もあるしね。一番多いのはファッションとスタイルだね、今は。というのは、マスコミュニケーションの世界であるとね、スタイルやファッションが表現として目覚めさせちゃうわけじゃない。だから水面に浮くことはでさるのよ。多くの場合は水面に浮くこともできないでいるけども。今のような具合に、個人個入に追い込まれている時には、水面から飛び出さないと何も出てこをいんじゃないかって気がするんだよね。
 良くわかんないけど、表現というのは本当のことなんだよ、やっぱり。本当の事を見たいし、見たいんだけど、本当の事って行かないで、なんか止まってしき。事実が本当かっていうと、そうでもないし。ある時代では、本当はキスしてるのだからって、キスの場面を撮ったという事実だけで、その時代では本当の事を言った事になるじゃない。そういうのがあるわけよ。例えば、手持ちやるのもいけなかつた時、いけないっていう事は、出てもみんな見ないようにするし、見ても欠陥だと思うわけよ。で、キチンと三脚をつけて撮るのが良いんだって事になる。でもそれは水面に浮けたってことでしかないわけよ。そこの所で、手持ちでバリバリッとやっちゃう事は、水面より出る事だと思うわけ。でも水面を維持しようと思ってる人は、押し込むわけだよ。そういう事の問題として、僕は自分を撮るわけですよ。だから他人を撮るとなるとむずかしいよね。他人のどこを撮るかってこよだから。『魚の家』なんか、プライバシーになるわけですよ。関係ないと思うけど、プライバシーは言わない事になってるわけでしょ。その人の運命を決めちゃうんでしょうね、きっと。げと、生活の視野の中でそういうとらわれ方をしなくなれば、いいんじゃないかと思9んだけど。あそこでは彼女は本当の事を言ってるなって思うし、彼女自身の生きている感じが伝わってくるわけだから、そういう事なんじゃないかしらね。

カメラと僕の関係

 良くわからないね、ヵメラと僕の調係っていうの。その辺はむずかしい。作品とカメラが一対一対応してしまうのは、多分機械に対するフェティッシュがあるでしょ。フェティッシュだけじゃないっていうのは、それを使って何か作らないと気が済まないって事だよね。だからどっちが先かと言えば、作ろうと思う方が先なんだ。オリコンを欲しいと思ったのは同時で撮ることが問題になってきてる。自分の日常を音と一緒に撮っていこうという感じはあったわけですよ。もう一つは他人も撮りたいと思って。意外に映画の場合にはモノに力があるんだよね。劇映画畑の人が、カメラにしめ縄を飾っておがむっていうでしょ。完全にフェティッシュの行き着く所だけど、そういうのは人間の中に案外あるんだよね。わりあいと、そういうモノにあずかる力には素直でありたいという感じがある。例えば、あのオリコンを買う時の話なんて、ちょっと聞いてらんないくらいおもしろいよ。まず国分寺の大森製作所にあると聞いて、遠い所見に行って買ったら、ファインダーのついでないフタがついてる改造型だったんですよ。普通オリコンって、ブラインドカメラなんだ。スポーツファインダーがフタについてて、フレームしか決められない。ピントは測って合わせる。そういうカメラなんですよ。ところが行ってみたら、改造型なんで、ファインダーが出ているレンズじゃないと付けられない。そういうレンズを、セイキ製作所に行つて捜してもらつて買つた。アンジェニーのファインダー付きレンズなんだけど、マウントが特別で、金具が付くわけよ。それもレンズによってみんな違うんだよね。それでレンズと合うやつを捜してきて、大森さんの所に持ってったら、今度はカメラの方が合わなくて、大森さんにファイングーの所を変えてもらった。そういう事は熱心にやるんだ。モノにあずかると、ドンドンそうなって行く。で、そんな風に苦労してやっと手に入れて、テレビでも撮ろうと思って三脚にくつけて置いたら、三脚が倒れちゃって、マウントが欠けた。ワァーッて泣き出しちゃうみたいな感じだったけど、ボンドでくっつけたら、くっついた。
 マイプリッジもそうなんだ。写真全集を見てると凄いんだよね、あれは。一生分解写真を撮ってたんだね、あの人。身障者も沢山撮ってるんだけど、その中でデブのおばさんがころんで起き上がる写真があるんだ。おなかが膝までたれてて、奇形だよね。それ見てて僕はアラーッと思ったね、どうしてこういう事になっちゃつたのかなって。あれカメラがやらせたんですよ。マィブリッジに。写真ってそういうもんじゃないかと思う。機械っていうのがあると、人間は流されていくのね。
 だから映面というのも、いろんな事を人間にやらせるんだって、人間が映画の中で何かをやるんじぐなくて。それがおもしろいんじぐないかな。コマ撮りだつて、映画のフィルムの一コマの事を考えた時に出て来たものでしょ。で、コマ撮りをやってみれば、動かない物が動いたり凄い事になる。それは映画がやらせてるって考えた方が良いね。黒沢に何十億と使わせるのも映画なんだよね。映画じゃなきゃ、何十億使うのなんて大変だよ。映画だからできるんであってさ。
 映画っていうものに素直にぶつかって行けば、いろんな事をやらせてくれる。今まで思ってもみなかったような事をやらせるに違いないと思うわけよ。だからそのやらされ方が、どういう風にあるかっていうのが、僕は非常におもしろいと思う。映画がやらせてくれる事を、素直になんでもできればやりたいなって思うね。映画なんて、そういうものなんだよね。

 



 

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