イメージフォーラム付属映像研究所第22期卒業制作展作品評

かわなかのぶひろ


このページは執筆者の好意で掲載してます。

 かわなかのぶひろさんはイメージフォーラム付属映像研究所の先生。卒展が始まると直ぐにプログラムを見始めて、100本すべての作品を見て、この「全作品評」を卒業式で生徒たちに手渡すために、毎夜執筆した。溢れるばかりの愛情の籠もった文章。作品を見て無くても、イメージフォーラム付属映像研究所の生徒がどういう作品を作っているかが分かるばかりでなく、読んでいて、暖かい気持ちにさせられるところが素晴らしい。(志郎康)

Aプログラム

★鈴木全大「夏虫」8@/50分
冒頭、冬だというのに陽炎が立っている坂道の向こうを、狙いすましたように船が通過 する望遠ショットから、中盤のプールの夕映えまで、この作者の撮影には、映像の独特 の呼吸が感じられる。ロング・ショットとクローズアップの緊張感溢れる繋がり。その 映像の力もさることながら、作者の選曲のセンスも映像を鮮やかにひきたてている。け れどもどうしたわけか、作品の中盤以降になるとだらだらとした長いカットの繰り返し が多用されるようになり、前半の緊張感を払拭してしまう。音楽もしかり。なぜなのだ ろう。撮影時の実感にひきずられてしまったのでは?後半、再編集を期待したい。

★木本智津子「大陽は涙がきらい」改題「春待ち」8@/1O分
タイトルを変更したらテーマが明確になってきましたね。花のUPからオーバーラップ して目を閉じている顔のUPにつながる呼吸はなかなかです。髪にふれる指や、髪に花 をつける映像の流れもクローズアップが鮮やかにきまっています。バス・タブのお湯に 沈むショットは、見る側に緊張をうながすくらい長く回したかったね。あの長さだと段 取りショットになってしまいます。うなじから背筋を捉えたショットにはドキリとさせ られましれこういうなんでもないショットが、置かれる場所によって意外な効果を発 揮するのが映像です。萎れた花を持って河へ行ったら、河に流してやりたかったね。

★藤間淑恵「つもりちがい」8@/8分
「少ないっもりで多いのは無駄」にはじまり「強いつもりで弱いのは意思」とか、「薄 いつもりで厚いのは物欲」など、お手製の格言を映像化するこの試みは、スーパーやデ パートなど、なかなか撮影しにくい場所でキチンと捉えられているところが成功してま す。さまざまな文字を切り抜いて字幕にしたアイディアもチャーミングですね。トイレ から出てきて体重を計測するあたりのリアリティは、実際にそうするのかも知れません が、この種のクソリアリズム(失礼!)はどうも苦手です。また主婦感覚とでもいうので しょうかなんだかつましい格言ばかりなので、見る側は身につまされてしまいます。

★小竹真由美「SO BLUE」8@/13分
昨夏、18才まですごした新潟の実家へ帰った作者は、間もなく建て替える実家の屋根に フトンを持ち出し昼寝をしたり、築40年の我が家をいとおむように撮影する。今冬、ひ さびさの大雪に見舞われた実家で、父にカメラを向けたり、家族のポートレートを撮っ たり、お風呂で午後のラジオ体操を愉しんだり、じつにくつろいだ映画づくりを見せて くれる。夏はUPで花や虫を、冬はロングで雪掻きを、というシーズンによる描き分け がいい。しかも新築を機に実家に戻ってくるよう母に勧められるが、私にも捨てられな い生活が東京であるのです、と恋人との暮らしをちらっと描くところ、じつにいい。

★藤内伸行「ひこうせん」8@/9分
まるで記憶の中をヴュアーを覗いているときのように、路地や、家や、街の断片がつぎ つぎと去来する…。カットとカットのつなぎに光線ビキやスヌケを意識的に挿入する手 法は、どうやら若い世代のお気に入りらしい。テレビの砂嵐と並んで頻繁に用いるよう だが、文字で書くと「カットとカットがスパークする」というイメージかも知れないけ れど、スクリーンに映し出されたそれは単なる光線にすぎない。むしろそれまでのイメ ージの流れを断ち切ってしまう。そこのところの計算がこの作品、いささか裏目に出て しまったようだ。再撮影によるスローダウンの効果もピントに影響するので要注意。


Bプログラム

★出口ミカ「JUNK TRIP」8@/15分
トムとジェリーのアニメーションを見ていた少女時代、オムツを替えられているトムの 姿がたまらなくエロチックに感じられて、アブない性への興味を持った作者の、これは ヰタ・セクスアリスである。とても素直で、しかし大胆な告白が問わず語りに語られる バックに流れる映像が、外国で撮ったヌードショウであるところがいささか勿体ない。 この作品のテーマからすると、トップ・シーンで描かれたオフィスでの生活や、毎日の 食事、通勤プロセスなど淡々とした日常生活を捉えた方がより効果的ではなかろうか。 きっちりと自己を分析し、把握できている作者だけに、もう一度手を入れて欲しい。

★一村征吾「Going Zero」8@/15分
縄跳びをする女性と、なにやら絶えず戯れている二人の男性が、廃虚や高層ビルや材木 置き場といった場所を背景に飛び回る…。なかなかもって魅力的なロケーションなのだ が、作品としてのコンセプトを考えると二人の帽子男は邪魔ではなかろうか。Iプログ ラムの「反復横跳び」の少女のように、縄跳びをする女性がさまざまな場所に出没する という、単純な構図に再編集したら如何だろう。縄跳びの女性は役割が決まっているけ ど、ふたりの男性はなにもやることがないので所在無い。ニエンテ・ディ・パルチコラ ーレなどと居直る前に、このコンセプトでやってみたらすっきりすると思うんだが。

★阿部紗織「ヒトツノハジマリ」8@/10分
妊娠後期の女性と、なぜか延々と戦い続ける男性二人が互いにカット・バックで描かれ る。妊婦の圧倒的存在感はともかくとして、二人の男はなぜ殴り合うのだろうか。映画 的ダイナミズムを狙ったのだとしたら、その戦いはあまりにも学芸会的であるし、しょ せんシロウトに映画のような擬闘を要求するのは無理な相談ですよね。やるとしたらコ マのスピードを落とし、カットを細かく割らなければ…。それよりも、妊婦デス。いま にもはち切れそうな腹部のUPからカメラが↑して、顔を捉えるショットが印象的だっ たけれど、顔から↓してすでに出産を終えた平らな腹を捉える時間表現が欲しいね。

★越川真代「あいだにあるもの」8@/10分
彼と彼女が互いに相手を撮影し合う。いわばゲームのようなコンセプトでスタートする ところは良いけれど、最後まで互いの関係が変わらないというところが(現実はそうな のかも知れないけれど)不満でした。周囲の風景が変化するように、撮り合っているう ちに互いの関係にも変化が生じるというフィクションを持ち込んで欲しかったね。オト コはしだいに別の女性にカメラを向けてゆく。オンナはそのオトコの後ろ姿を執拗に撮 り続ける。その逆でもいい。ともかく関係が展開して、人間社会の縮図めいた構図にな ってくると、8氓ニいう特殊なメディアに普遍性をもたらすことができるのでは…。

★森純子「M」8@/35分
行方不明になったMという親友を、友人たちの証言や、彼女が残した足跡を辿りながら 探してゆく作者…。そのプロセスを作品化しているのだが、探している親友というのが じっは作者自身だったという設定。雪の北海道の美しい風景を背景に展開するこの贋ド キュメンタリーは、しかし、そもそもの設定に無理があったのではないかな。あるいは 自分自身をフィクション化して、どこにでもいる、誰にでもなれる誰か、という存在に してしまったほうが良かったのかも。ドキュメンタリーとフィクションの狭間を衝く狙 いは、とてもシャープなのですから。あとは自分をどこまで露出できるかが勝負です。


Cプログラム

★水上世理子「Private Moment」8@/30分改め40分
量の上でじかにアイロンをかける「アパートの女」、海岸で見知らぬ青年に話しかける 「食べる女」、プラットホームで着替える「JRの男」、編集者ヒ渡す原稿を必死に推敲 する「レストランの男」などなど、どこにでもあるようなシチュエーションを据えっぱ なしのワン・ショットで捉えたこの作品は、いわば人間図鑑というつくりである。とこ ろが、後半になると、これらはあらかじめ時間を設定されて演じられたものであること が明らかになってくる。つまり演技と実像がくるりと反転するという仕掛けだ。面白い 構成である。しかし、照明不足が惜しまれる。ビデオで撮ったほうが良かったろう。

★森隆之「ダウン・ライン」8@/20分
絵文字を書いたカードが冒頭に出てくる。この作品はそこに意味が付与されているよう なのだが、UPで描かれないので判らない。したがって作品の内容もさっぱり意味不明 のまま。まあ、主人公も「あの不思議な出来事はなんだったんだろう。判らない」と呟 いているので、駅のホームでいきなり逃げ出すカップルがいても、公園でヨガに熱中す る男がいても、飲み屋で宴会が繰り広げられようと、地下道をだらだらと歩き続けるシ ョットが二重写しになっていようと文句はいえない。作者もきっとじっに削りやすいこ とが映像になると判り難くなるとアタマを抱えているにちがいない。ワシは悩まん。

★須田直樹「こころの記憶」8@/12分
コンクリートの上に倒れている男の手元にビー玉がころがってくる。俯瞰で捉えられた このトップ・シーン、そして同じく引き目で捉えられたラスト・シーンが素晴らしい。 こんないいセンスを持っているのに、この作品ではなぜか全編にわたってネガ像が頻出 する。主人公の少年時代とおぼしいイメージもネガなら、作品の中で主要なイメージと して繰り返し使われている雑木林もネガ。記憶ということになるとネガ像のほうがそれ らしく見えるということなのだろうか?アタマの中で考えるイメージなら不自然では ないが、スクリーンに映し出されたネガ像はなんだか不気味さが先に立つんですね。

★工藤里沙「真空会」ビデオ/15分
美しい瞳のクローズアップからスタートするこの作品は、随所に魅力的なショットがち りばめられている。けれど、肝心の「真空会」という言葉がなんのことなのかさっぱり 判らない。作者の中にある不定型の空気圏ということなのだが、それがどう作用するの か、その仕組みが画面の中で描かれていない。浜辺に花の種子を蒔き、育った花を食べ る少女たちも、言葉が本からこぼれ落ちるという卓抜なアイディアにしても、作品の虚 構性にリアリティを与えるようには作用しないところが残念。隔靴掻痒の物語りながら 主人公の少女たちの生きいきとした姿が救いでした。次回は素直でいきましょうね。

★森田城士「トンネル」8@/10分
ものごころついてからずっとくぐり続けたトンネル。このトンネルをくぐらなければ外 の世界と接触できない地理的条件の町に住んでいる作者の、トンネルにまつわる記億の 物語。画面は絶えずトンネルに向かって歩く作者の主観ショットで占められている。野 球部の少年たちがくぐるトンネル。晴れた日のトンネル。雨の日のトンネル。雪の日の トンネル。作者はまるで定点観測のように同じトンネルを撮り続ける。結婚前に子供が 出来てしまった母が堕胎した話。その母も作者が22才のときに肝臓癌で亡くなった話。 もっともらしい虚構ではあるが、話だけではどうも…。映像も連動して欲しかった。


Dプログラム

★山田晋平「BLUESFILM1」8@/15分
高圧線の下で歌う女と、毎日さまりきった経路で外出する女。アパートに鍵をかけ、階 段で男と擦れ違い、住宅街を歩いて、公園でブルースを歌う女を横目で眺めながら、交 差点を渡り、アーケードを歩き、駅の改札口を通り抜ける…。同じシーンを三回繰り返 す冒頭の呼吸はなかなかです。とりわけ信号待ちをしている女性のフル・ショットから 顔にポン寄りして、フル・ショットに戻す編集。公園で歌う女性を回り込みながらキリ 返す呼吸や、アーケードから駅へのスローモーション描写など素敵です。間に挿入され る赤い手袋も印象的。が、しかしPart2からの展開が弱く勿体ない。再構成したら?

★仲山知彦「Brat Style」ビデオ/20分
フェンスの下からカメラが突き出され、ついで主人公が8氓構える最初のショットが とても印象的です。ちょっとオシャレなバイク・ショップと、そこに集まる人々を捉え ようという作者の意図は伝わるのですが、まんべんなく描こうとしたために、なんだか 中途半端な作品になってしまった感じ。バイク・ショップの魅力的な主人に密着して、 主人公の撮る理由を掘り下げたらいかがでしょう。まあ、その前に花材萬月の「重金属 青年団」ぐらいは読んでもらわにゃあ〜。かんじんのバイクが魅力的に撮影されていな いので、華麗なワイピング・テクニックも上滑りになってしまってる。とても残念。

★秋山大介「藍色」8@/20分
まるで息まいて歩くような二人の男を正面から交互に捉えたキリ返しが、後の展開を期 待させるが、ローソクづくりの話になってしまう。紙コップに日付をいれ、蝋を注いで 冷蔵庫で冷却する。冷蔵庫にギッシリと並んだ紙コップのイメージや、剥がされた紙コ ップの残骸はそれなりに映像的ではあるけれど、ローソクを制作するプロセスや出来上 がったローソクも、もう少しディテイルにこだわって描いていただきたかった。それに しても冒頭の二人はなんだったんでしょうね。見る側にそこのところを詳しく伝えて欲 しかった。ナレーションもなんだか意味不明。作者だけが知っているラフ・レター?

★佐藤貴子「おたく訪間」8@/1O分
紋章オタクのお宅訪間なのだが、いかんせん撮影技術が追いつけないので、折角の奇妙 な題材が段取りだけになってしまったようです。露出の計測ぐらいはマスターしましょ うね。それとはうらはらに、テレビを見ている主人公のうしろで女性が化粧し続ける奇 妙なショットや、寝ている主人公の枕元を猫が優雅に通り過ぎるショットなどは印象的 でした。テレビの周囲を紋章で飾ったアイデアもなかなか。墓地の紋章を短く繋いだシ ョットなども、その努力は認めたいけど、編集がアバウトなのでつなぎのテープが目立 つばかり。ここは6コマずつ撮影時にコマ撮りして、繋ぎ目なしでいきたかったね。

★岡本康志「Sa1B」8@/12分
木立を仰角で捉えたダイナミックなドップ・シーンに続いて、いきなり馬人間がシルエ ットで現れるあたり、観客の不意を衝いてくれます。けれどもそれ以降は、風景のスケ ッチが続くので、最初のインパクトは次第にしぼんでしまいます。父親らしい人物がカ メラに語りかけるシーンは、きっと作者にとっては意味あるのでしょうが、見る側には なんのことやらわかりません。捨てられたおちょこ傘が水に浮いている美しいショット も、それだけでは前後のつながりが読めないでしょう。センターラインを走ってくる馬 人間や、回転木馬に乗る馬人間といった馬鹿馬鹿しさをもっともっと描いて欲しい。

★沢辺由記子「ある愛について」ビデオ/12分
死体になることを夢想する主人公。ベッドで、テーブルで、野原で…。あらゆる場所で 死体になっている主人公のポートレートにナレーションがかぶさるというアプローチは いい。“水玉の玉子焼きを食べて死ぬ”などという発想は並のものではない。けれども 死体という設定の映像が、目を閉じているだけの写真に見えてしまうので、ナレーショ ンとなんとも噛み合わない。ベッドに横たわるヌードの死体が、まるで青酸カリを服ん だ死体のようにピンクに染まっているところはドキッ。後に出てくるシンクの汚れみた いにメイクしてあったら、ナレーションも幻想のリアリティを獲得できたでしょう。


Eプログラム

★大滝晶子「scented」ビデオ/15分
ケトルのUP。タイトル。冷蔵庫の扉が開き主人公の顔(冷蔵庫の中からのショット) セロリを齧り、パックのミルクを呑む。ビーッとケトルの笛が鳴った拍子にパックを落 とす主人公。こぼれたミルクをタオルで拭いて外出する。暗い室内に階段を下りる足音 が遠ざかる。的確なUPでたんたんと描かれる主人公の日常。そこにインサートされる 女性の映像が、かってこの部屋にいた女性のものであることが明らかになってくる。彼 女がっけていた香水のかおり(これがタイトルの意味)を追憶しつつも、そこに浸りこ まないクールな設定がいい。挿入されるの女性の映像はちょっと淡白すぎないか?。

★川崎修「リアルの中のウキウキ、ドキドキ、ムカムカ」8@/15分
交差点に立っ長濡祥を羽織った全裸の男。ドウダ、マイッタカ!という作者の声が聞 こえてくるようなドップ・シーン。自分を的にして撮る気負いが画面からビシビシ伝わ ってくる。ところが以降のシーンはなぜか人気(ニンキではありませんヒトケです)の ない雑木林の中を徘徊するショットになってしまうので、裂帛の気合も萎んでしまう。 大江健三郎の初期の小説に「性的人間」という作品があるけれど、イメージの上での犯 罪ということに少し突っ込んで欲しかった。一期生に全裸で原宿の街をストリーキング して逮捕された女性がいたけれどあれも気負いがイメージに昇華していなかったな。

★中井真理実「追想」8@/11分
海。うねり、盛り上がり、砕ける波。俯瞰のスローモーションで捉えられたトップ・シ ョットの海が息を呑むほど素晴らしい。そこにぐらぐらと揺れる階段の断片や、抽象的 な絵画のクローズアップや蝶などが挿入されるのだが、作者はどうも編集台の上で作品 をでっち上げようとしているみたい。あるカットと別のカットをっなぐにはテープとス プライサーがあればつながるけれど、それだけでは映像の時間は紡げません。さまざま な素材を切り刻んでつないでゆくよりも、それを撮ったときの作者の時間を大切にして ください。折角の素晴らしい波がこれではかわいそう。もう一年つきあいませんか。

★佐々木東「フレーム」8@/5分
卒業制作を手がけるにあたって、撮るべきテーマが泛んでこなくて悩んでいる作者のジ レンマが痛いほど伝わってくる。映写機が空転したり、卒制のエントリーフォームや入 所時の集合写真、廊下でへたりこむ作者の姿などが断片的に綴られるのだが、画面はな んとも息づいてこない。いっそのことテーマをめぐって悩む作者をそのままテーマにし てしまえば良かったのではないでしょうか。頭の中でスパークするイメージのさまざま な断片を、これでどうか、これならどうか、と重ねていけば…。ここに捉えられた映像 の破片に、さらに頭のスパークを加えて、もう一度編集してみたらいかがでしょう。

★川尻麦「モザイク’98」8@/20分
耳にピアスの穴をあける。印象的なトップ・シーンから、精神に破綻をきたした(らし い)弟に面会にいくドキュメンタルな映像に展開する。これは実際のことなのですか? ぼくは感化院で育ったので、「ホームのミツコ先生」や「七つのときに私をもらってく れたフジコさん」というナレーションに過剰に反応してしまう。もしtrue storyならば ナレーションとスチールをもう少し計画的に配分して、姉と弟の人生をきっちり描いて 欲しかった。もしfictionならば、ピアスの穴あけに類するイメージ・ショットと弟の 破綻した精神状態をダブル・イメージで描きたかった。再編集に挑戦しましょうね。

★山本敦「リビング・ルーム」8@/8分
かつて自宅にステイしていたベトナム系アメリカ人のユンくんから一枚の葉書が届く。 ゴールデンゲートブリッジが映っているその絵はがきにはユンくんのプリクラが貼って ある。作者は、家族の消息をユンくんに伝えるために映像の手紙を手がける。UPで捉 えられた絵はがきと、いつかユンくんに逢いにいくために英語を勉強している母親の姿 がとても印象的だが、小さく無難にまとめてしまったという感じ。ここは親からアメリ カヘいく電車賃を捻出して、母親と一緒にユンくんに逢いにいくところまで描いて欲し かった。あるいはユンくんと映像書簡を交わしたら?。無難では印象に残りません。

★樋渡麻実子「コクリコの花の咲く丘」8@/10分
昭和58年2月5日私は産まれた。4135グラムの巨大児だった。というマエフリでスター トするので、作者の自伝なのかと思ったら、さにあらず。キャンパスに停むセーラー服 の少女マミちゃんがツトムくんを呼び止め、抱き合ったとたんにコマ撮りで街をゴロゴ ロ転がって部屋の中に転がり込む。見る側の意表を働くその呼吸が絶妙。さらに、部屋 でタワムレているうちに、チカ、チカ、と裸で抱き合う二人の姿がフラッシュされ、さ てはエッチ、と思わせておいて、相手はいつのまにか母親にすりかわっているという展 開…。お見事デス。そこからさらに意外な展開が…。ナレーションの声色に一考を。



閑話休題。さて、ここまで書いてきて、作品全体を通していささか気になったこ とがある。そのひとつはサウンドである。今期の特徴かも知れないが、なぜかノ イズ・サウンドが多い。これは時代の流行なのか。しかし、ノイズ・ミュージッ クとして聴くならともかく、映像のサウンドとしてつけられている場合、折角の 映像の呼吸を遮断してしまう効果しか生まない。とりわけ金属的なノイズがつけ られた作品は、それだけで見る側の神経を疲労させる。 また、カット尻の光線ビキや、スヌケのフィルムおよびサンド・ノイズを加え る傾向も多く見かけられた。これもキツイ。スクリーンに描き出されるナマの光 線は、頭の中でイメージするような衝撃をもたらしはしない。単なるフィルム・ トラブルか、あるいは空白として、これまでのイメージをシラケさせる効果しか 生まない。そのことをコンセプトに据えた作品ではない限り、使わない方が得策 ではなかろうか。 いっぽう作品を手がけるにあたって、肉眼で見たまんまの映像を捉えているも のが多く見かけられた。つまり作者が興味をもった被写体をまんまの視線で捉え てしまっているところ。人間の目は、じつに素早いスピードで被写体を切替えて いる。興味をもったものには、ズームで寄って見ているのだ。それをカメラでそ のまんま捉えても、決して肉眼で見たようには描けない。カメラの眼で捉えなけ ればならないのだ。ひとつひとつの被写体にぐっと寄って捉えた映像には、作者 のまなざしや意図が感じられる。ところがロングで捉えたまんまの映像からは、 単なる風景や関係の説明以上のものを感じることはできない。映像で描くという ことを念頭において撮影していただきたい。 まんま、といえば、作者の実感をそのまま描いたものも少なくない。その実感 をカメラの目で描かなければ、見る側にうまく伝わらない。作者だけが知ってい るという物語になってしまうのだ。実感を客観視する視点が必要だろう。



Fプログラム

★手嶋渉「inside」8@/8分
注目!なんとも凄まじい手作業による作品が出現。この作品、全編にわたってフィルム が縦に切断されている。8ミリフィルムの映像部分の中央が2ミリぐらいカットされてスヌ ケになっているのである。真ん中が空白のフィルムは、当然そのままでは映写機にかか らない。だから全編デープで補強してある。何本デープを使ったのだろう。補強したテ ープの間の気泡すら、ここでは期せずしてイメージとなっている。しかも、クローズア ップで捉えた眼球の映像だけがイレギュラー・カットなのだ。どのくらい制作時間をか けたのだろう。奥山先生顔負け。実験映画の王道を行く作品。大橋美香よ恥を知れ。

★蒲谷幸子「コマ・コロール・ア・ゴー・ゴー」8@/10分
アフリカ系のリズムに乗って、さまざまなモール状の色彩が踊りだす。あるいは女性の ポートレートのアタマの蓋がパコッと開いたり、色彩の渦巻きがグルグルまわったり、 とりどりの色彩がセンター・ワイピングによってつぎつぎと変換され、そのスピードが しだいに加速されたり、これまた時間と根気が必要とされる仕事に挑んでいる。だが、 この作品、そ.うして時間をかけた効果よりも、どうやら花弁をアップでコマ撮りした比 較的容易なパートのほうにイメージのインパクトがあるようだ。なんとも皮肉な結果だ が、映像づくりというものはえてしてそういうものである。いい経験をしましたね。

★山田健五「情景」8@/7分
少年時代の記憶を訪ねるセンチメンタル・ジャーニー。いつも歩く山道で、ふと少年時 代の記憶がよみがえり、カメラを持ってかつて住んでいた町へ出かける作者。親に叱ら れて、普段は行かない神社まで足をのばして、その床下にロボットを埋めたという記憶 を頼りに神社の裏手を掘ってみるが、そこにはなにもない。このシーン、意識的にそう したのだろうか?ボロボロのロボットが出てきて欲しかった。それとは別に、小学時 代の親友とおぼしき青年が登場するシーンの、なにやら恥ずかしそうにカメラに笑いか ける表情と、ふたりでグラウンドを均すところがハートっぽくてとっても素敵でしたよ。

★横山真由「abuseO1:plum」ビデオ/20分
女医が手術に臨むようなコスチュームで、メスとピンセットを慎重に操ってプラムの皮 を一枚一枚剥離するというオープニングの映像にすっかりつりこまれてしまう。ロート レアモンいうところの、ミシンと蜆輻傘が解剖台の上で出会うようなミスマッチ感覚が 効果的。後半のパーティ・シーンは、豚の頭というシンボルが、いささか引き目のショ ットで、しかも長回しを基調としているので、もうひとつピンとこない。やはりクロー ズアップの描写力ですな。生の豚頭を解体するショットをインサートしたところは成功 しているけれど、目玉をほじくるシーンと連動して、パーティ会場の豚の目玉もぽろり と落ちたら凄かったのに。まあ、今度はそのあたりを計算して再挑戦してください。

★山崎博英「き一ぷ・れふと」8@/10分
デパートの屋上でゴンサレスはダイアナと出会う。どこがゴンサレスで誰がダイアナな んじゃい!人民帽を被ってチープなお笑いを狙っているようだが、イメージフォーラ ムをなめるなよ。高尚ぶるつもりはないが、仲間しか笑えない学園祭レヴェルのお笑い はヤメテクレ。たけしの番組で、史上最低のお笑いフィルムなるものを探してワシのと ころへ電話を寄越して怒鳴られたプロデューサーがいたけれど、お笑いをやるんなら真剣 に、ゴージャスに、命懸けでやってくれ。どうせ見る気はないだろうが、せめてバスタ ー・キートンぐらいは研究してから、届かないまでも志だけは高くかかげて欲しい。

★佐藤淳子「蔟の世界」8@/10分
タイトルから暴走族のドキュメンタリーを想像していたらさにあらず。蚕が繭を紡ぐ四 角い蜂巣状の枠を蔟(まぶし)というそうだ。この作品、さりとて蚕のドキュメントと いうわけではない。草原を踏む裸足の足からカメラ↑すると、蚕のように口から糸を吐 き出す女性にぐるぐる巻きにされてしまう人間が、巧妙なアニメーションで描かれる。 街を歩く人々も蚕の糸でぐるぐる巻きになって、蔟なかに収められてしまうというスチ ール・アニメーションなのである。作者はトップ・シーンで、蚕の生態をまるでドキュ メンタリーのように描いているので、後の飛躍がじつに効果的。ユニークな作品だ。

★吉田直由「虹と匙ひとつ」8@/20分
祖父の死。8气Jメラ探し。豆腐屋でのアルバイト。その主人の死。真冬の海で出会っ た空手の撮影一。この魅力的なタイトルの作品には、日記形式で、以上の出来事がぎ っしり詰め込まれている。日記なら日記で、それなりの時間序列があるのだが、ここで はそれに変わって7とか14とか21といったランダムなナンバーがシーンごとに付されて いるので混乱する。富岡八幡宮でのテキヤとのやりとりや、とりわけ豆腐屋でのアルバ イトのくだりは、きっちり三脚を据えて撮っているので力強いけれど、逆に空手のシー ンでは便乗的に撮影しているのがみえみえで興趣が削がれる。少し題材を絞ろうね。


Gプログラム

★横山妙子「お茶にしましょ」8@/8分
タイトルというのは作品の顔である。その顔が蜜柑に書いであるという工夫が嬉しい。 福島県いわき市横山ホクト宛に葉書が書かれる。まもなく逢いにいくという文面。晴れ た日に赤い傘をさしてホクトに逢いにいく作者。全身を喜びでうち震わせながら迎えた のは、なんとヒトならぬ実家の飼い犬だった。つまり実家に帰省した作者は、この作品 を単なる帰省スケッチにしないためにさまざまな工夫を凝らしている。実家の庭に炬燵 を持ち出して、ホクトも含めた家族団簗の図を収めたり、息を吹きかけて曇らせた硝子 を指で拭きながら、ホクトの姿を捉えたり。そういう作者の創案がとても好ましい。

★直井潤「はからずも」8@/8分
人がこの世になにかの足跡を残すことを初めて身近に感じたという作者。エベレストに 登頂したのかと思いきや、母が家を建てだというのである。だからどうした、といいた い。が、作者にとっては大事件(である筈ないが映画のためにそう思い込もうとしてい る)らしい。そこのところがいささか苦しい。家を見に行く車の中での撮影に工夫を凝 らしたり、母が通った(と思われる)小学校の校庭の少女たちを生きいきと捉える素晴 らしいショット、雪を溶かしてコーヒーをいれる素敵なイメージを持っているのに、作 者はそれらを客観的に捉えて取捨選択していない。再編集で整理整頓しまうようね。

★田中宣宏「ビデオ・デイズ」ビデオ/32分
オンナはポラロイドを撮り、オトコはビデオを撮る。そういう関係を捉えているのかと 思ったら、どうやらオトコは恒常的キオクソウシツ症で、家に帰ることも出来ないから 胸から迷子札をぶら下げている(らしい)。なかなかの力作なのだがそこのところの基 本説明を怠っているので、最後まで判然としない。オトコの部屋の壁一面にスチールが 貼っであるというアイディアは面白いが、その内容が作品と噛み合わないのも問題であ る。忘れてしまう日々の細部を克明に捉えて、壁一杯に張りめぐらしたら凄いイメージ になっただろう。それをUPでゆっくりとPANする…。是非とも実現して欲しい。

★酒井康史「セカンド・アイ・ムーブメント・シアター」ビデオ/5分
箪笥の引き出しがつぎつぎと開かれる。プロのドロボーのように下から上へ手際よく。 なにも入っていない箪笥。いったん閉じて、今度は上から開くいて行くとあら不思議! 引き出しには鏡と鳥が、別の引き出しには花とミドリガメが、モルモットが、あるいは 8气Jメラとフィルムが入っている。8气Jメラにフィルムを装填して撮りはじめる作 者一。なにげない日常の中に仕組まれたこの不思議な世界は、対象を箪笥に限定した ことによって鮮やかな効果をあげている。たしか泥と水が入っている引き出しもあった ようだが、撮影の準備は大変だったでしょうね。その苦労は充分報われていますよ。

★増本愛「風のまにまに」8@/12分
「この街で暮らし始めてもうすぐ一年が経ちます」というナレーションとともに、窓辺 で靴下をはいて外出する作者。公園の枯れ葉の上に寝そべる作者の横にタイトル。ひと りで作品を手がけるときに、最も撮る根拠となるのは自分についてである。自分と自分 の周囲にカメラを向けることが、自分の創造のいちばんの根拠となるでしょう。作品は そういう視点で、素直に自分の周囲を捉えている。友人たちの表情や、季節の変化を気 負いなく、街いもなく捉えたこのフィルムはまるで作者の心の鼓動を伝えるようです。 創造の世界はここがスタート・ライン。これからが苦しくも愉しいはじまりですよ。

★大橋美香「ヌード・デッサン」8@/3分
ああ、講師をやっていて徒労感を覚えるのはこういう作品に出会ったときだ。世の中に はウマイ作品は山ほどある。へ夕な作品もまた掃いて捨てるほどある。仕事としてつき あうのなら上手い作品ばかりに出会っていたい。けれども人としてそう割りきれない。 失敗していようと下手であろうと、人が夢中になって創造したものに対しては、悪態を 吐きながらもどこかに愛しさを感じてしまう。しかし、あなたの作品は愛せません。イ ラスト部分はピンボケで、あとはフィルムを単に傷つけただけ。ピンボケだけなら撮り 直せば良い。それもしないでさらに無気力なフィルムを付け足す。性根がいやしい。

★田中洋平「ノース・ポールを探して」8@/20分
かつてはハプニングとかイベントといい今はパフォーマンスと呼ばれる芸術のジャンル に隣接する表現といおうか。汚れた床の一部分だけを磨く行為や、河の水をバケツに汲 んで、別の河に運ぶ行為は、映像表現としてよりもアクション・アートの領域に近いだ ろう。いっぽうメタリックな管に反射する身体の一部や、ステップを上る女性の足元を 繰り返し捉えた映像は、まごうかたなき映像表現としての呼吸を感じさせてくれる。間 に挿入される車タイトル「地表1@の世界」とか「限りない緩慢」が、これらのイメー ジにふくらみを与えている。次回は、身体表現と映像表現を溶け合わせることかな。


Hプログラム

★吉良竜太「狂琴」8@/7分 口琴を演奏する男の口許UPからスタートし、ダブル・エクスポジュアやオーバーラッ プを効果的に加えながら、限定された被写体を豊穣に描いてゆく手腕はなかなかのもの です。とりわけ展開部で、バルブ撮影した室内のグラスやストーブから、一転して夜の 街へと広がってゆくあたりの呼吸はお見事!月がジグザグに落ちてゆくショットや、 自動販売機を左右に振りながらバルブ撮影したショット、あるいはズームしながらバル ブ撮影することによって光の帯を描き出すところなどは、かなりの根気を必要とする撮 影にもかかわらずキチンとやりきっている。もうひとつ意外な要素が加われば満点。

★竹田かおり「とびら」8@/10分
ボタンで描いたタイトルがなんともチャーミング。マスクメロンに扉がついて、中から マーブルチョコレートがぞろぞろと出てくる愉しいアニメーション。かと思ったら、実 写で男性の部屋へ入ってゆくという意外な展開を見せてくれる。この展開は、アニメー ションの幅を広げる意味で、とてもいいアイディア。だけどこのシーン、イメージのふ くらみがいくぷん不足気味。男性の顔をUPで凝っと捉える力があるのだから、部屋の 様々なものを動かすとか、ココロのイリグチを探しまくるとかして欲しかった。それが 描けていると、後段の扉の向こうに扉があるというアニメが生きてくるんだがなあ…

★神谷守光「古い田舎家」8@/4分
片手でカメラを持ち、空いているもういっぽうの手で日常の動作をする。コンセプトは じっにしっかりしているのだが、カーテンを開け、ベランダに毛布を干すという日常の 動作が、あまりにも日常そのものなので映像としてのインパクトにいささか欠ける。こ こはまんまではなく日常を創造して欲しかった。展開部は、畳をドローインクして壁に つぎつぎと貼るという斬新な発想なのだが、これまたまんまで撮影しているので効果的 とはいえない。画面でそれらしく見えるように撮影するためには、現実の手続きをその ままでは無理。片手にこだわらない。壁一面に畳の目を移植することのほうを優先。

★吉松夏来「逢魔が時」8@/20分
路地を紅いボールが弾み、スリップ・ドレスの女性が裸足で毬つきをする、という魅力 的なスタートと・ひとつの部屋で男性と女性が絶えず擦れ違うという迷宮めいた構造は 興味深いのだが、いやはや、まあ、なんともとっちらかった作品になってしまいました ね。おぬし足フェテなのか、というシーンがあるかとおもうと、古い8ミリの引用があっ たり、岩穴に住む尺八男がなぜか意味ありげに登場したり、ジャワの影絵はあるわ、針 金男は登場するわ、ひとつひとつのイメージは印象的なのだが、あまりにもテンコ感り すぎてさっぱり判らない。撮影したものを全部つながないで捨てることも学ぶべし。

★安池幸子「しゃべること選ぶもの」8@/3分
赤い手書きのタイトルがじつにチャーミング。スチールで構成された日記に、日記を読 むモノローグがだんだんとした調子で重なる。方法へのアプローチはこれでよろし。け れどもスチールが、まるで日記の挿絵のように扱われているところが不満。あえて動か ないスチールを使うなら、そこに動きのイリュージョンを描き出して欲しかった。ジャ ングルジムを俯瞰で捉えたショットから、人物の顔にぐっと寄るあの力強さ。こういう 呼吸が全編に漲っていたら、ドキドキするような作品になったでしょう。クリス・マル ケルに『ラ・ジュテ』という全編スチールで構成された傑作があるから、ぜひ見て。

★宮本尚晃「nishiogi voice」8@/6分
作者は足フェテなのだろうか?足、足、足のイメージが連なっているこの作品、一見 そう見えるけれど、それにしては徹底していないし、描かれる足も魅力的ではない。そ こがこの作品の致命傷。コンクリートの舗道と柔らかい足がひたりひたりと触れ合う様 をUPで描くといいのになあ、と思いながら見ていたけれど、作者はどうやら網タイツ のようなストッキングにこだわっているみたい。足の影を捉えたショットも、衣装の影 までフレームに入ってしまうので緊張感がくずれる。そういえばファースト・ショット のスチールがフレームから顔がキレていた。きっと顔を撮りたくなかったのだろう。

★稲永佳子「雨を止めてはいけません」8@/15分
三才のチーちゃんは飴、もとい、雨が好き、というナレーションではじまるこの作品、 (たぶん)三才の幼児が雨の日に傘をさして街を歩くという設定のようだが、いささか ムリがある。作者が撮っているのがみえみえなのだ。チーちゃんはじっさいに雨が好き なのでしょう。けれどもそれをそのまま撮影したとしてもチーちゃんという幼児の不思 議な感覚にはなりません。水たまりに映った風景や、スベリ台の下の水たまり、雨がつ くりだす波紋や、増水した川などをたんたんとフィックスで捉え、そこにナレーション を流したら?「どうしてチーちやんは雨が好きなんでしょう」などと解説しないで。

★能瀬大介「日日日常」16@/16分
時給950円のバイト料5時間ぶんで161本の値段というモノローグとはうらはらに、 なんでもない日常の細部を撮影するという、きわめてコンセプチュアルなアプローチ。 16ミリだからといって特別な被写体を設定せず、映画になりにくい日常の中で、椅子に踏 まれた輪ゴムの捩れや、天井の蜘蛛の糸といった細部を発見する作者のまなざし。痛い ほど伝わってくる。その贅沢な時間は、やがて室内のありとあらゆる場所に一円玉を敷 き詰めるダダイスティックな行為(!)へと展開してゆく。銀ラメのように敷き詰めた一 円玉が通過する光をヴィシュアライズする驚き。この作品まさに根気の勝負ですね。


Iプログラム

★扇田未知彦「夜の軋み」8@/15分
闇の中シグナルの赤が音もなく明滅する。と、そこに事件や事故を報道するラジオの二 一スが流れる。福岡ではホテル従業員が殺され、東京では母と娘が無理心中を企て…。 UPでキッチリ捉えられた男性の顔にたんたんと日々のニュースが流れるこの効果がな んとも素晴らしい。この効果、じつは講評時になにげなく思いついて作者に勧めたこと だけれど、こうして実際に画面に流れると、予想をはるかに上回る衝撃をもたらしてく れる。成功したね。もちろんかわなかの思いつきが成功をもたらしたのではない。この 作品のひとつひとつのカットが、じつにしっかりと丁寧に撮られていたからなのだ。

★松村道夫「WARP」8@/4分
部屋である。女が椅子に座っている。奥では、男二人が、くんずほぐれつとっ組あいの 喧嘩をしている。その画面を黒いワイピング・マスクが間断なく流れる。一瞬画面を塞 いで流れるシャッターのようなその効果がなんともいい。と女性が立ち上がる。外に出 ていき街を歩く。その動作が突然コマ撮りになったりしながら、彼女は道でスパナを拾 って部屋に戻る。相変わらずとっ組あいをしている男にスパナを渡す。仕掛けは単純だ が、同じ動作を繰り返すうちに手渡す武器が、ビール瓶、中華包丁とエスカレートして ゆくあたりの展開がじつに愉快。この方法は作者の専売特許。次の作品を期待する。

★大町綾子「反復横跳ぴ」8@/3分
体育館に少女が立つ。「はじめ!」の掛け声で反復横跳びを開始する少女。その単純な 動作が、いきなり思いがけない展開を見せる。体育館←→公園←→体育館←→ゲームセ ンター←→体育館←→都庁、といった調子でさまざまな場所へぴょんぴょんワープして ゆく。靖国神社参拝や、トイレ・タイムや、お茶の間に現れてオセンベを失敬したりと いうアソビもさることながら、国会議事堂の正面にワープしたり、神宮球場のピッチャ ース・マウンドに現れたりする変幻自在ぶりがなんとも可笑しい。作者は、ここに辿り 着くまでにさまざまな紆余曲折を経験したが、その苦労大いに報われた。パチパチ。

★杉浦克美「たゆたゆ」8@/10分
おだやかな陽光。ゆらゆらとたゆたう金魚。揺れるカーテン。類づえをっく女…。クロ ーズアップを中心にしっかり捉えられたなにげないこの光景は、見る側の心を妙に懐か しく揺り動かします。ありふれた日常もこうしてカメラの目を経由するとじつに豊穣な 時間に変わってゆくんですね。作者はファインダーを覗きながらそんな発見をしている ように感じられます。まるで月のような太陽のショットから後半にかけての構成が、い くぶん未分化であるように感じました。前半のゆったりしたリズムから次第にナムポを あげて、たたみかけるように編集すれば、金魚の死からのゆらぎも際立つでしょう。

★田中邦明「なまら」8@/10分
夏の海から冬の札幌まで、日記のように撮り進めた素材を、まあ、なんとかここまで編 集したその努力には敬意を表します。しかし、これは失敗です。なぜならば作者がなぜ このように編集するほかなかったのかというところが、見る側にまったく伝わらないか らです。本人を知る人にとっては痛いほど伝わる思いも、スクリーンを通じて見る第三 者には本人が思うほどには伝わりませ々。なぜそこのところをナレーションで語らなか ったのですか?ひとつひとつのカットはとてもいいところがあるのに、最後のツメを 放棄してしまったこれは、作者の責任です。他人の目になってもう一度見て下さい。

★時岡直子「ワレオモウユエニワレアリ」8@/5分
水道の蛇口からコップの中に水がポタリポタリと滴るトップ・シーンの力強いUP。そ れに続く女性の顔のUP。あるいは後半、鏡を使って合成した女性の横顔や、モダンな グラフィック・ポスターを思わせる巨大な女性の顔(あれはポスターなのですかそれと も合成なのですか?)の下にたたずむ女性のフル・ショットなど、この作品には随所に 映像ならではの鮮やかな効果が点在する。けれどもそうした効果的なショットを繋ぐイ メージがいささか散漫に感じられる。ひとつひとつのシーンは印象的なのにトータルな 印象となるとなんともくっきりしない。もう一度素材を洗って再編集しましょうね。

★狩野志歩「スティール」8@/20分
「STILL」新英和によると、スチール写真のほかに、静かな;しんとした,音のし ない,黙った。となっているが、この作品はそのふたつの意味と雰囲気を描こうともが いている。動きのないものに動きを与えるのが映画なのだが、そこをあえてスチール構 成にしたところが狙い。しかし、その狙いはどうやら失敗したようだ。動きの異なる素 材をオーバーラップすれば動きのイリュージョンを生み出すことができるのだが、ここ での素材は同じ動きの積み重ねなのだ。アトリエのシーンにかすかに流れる遠いざわめ きは狙い通りなんだけど…。まあ、この失敗は重要だからしょげないでっぎに挑も。


Jプログラム

★小泉さかえ「SHADOWATER」8@/7分
ナイフとフォークで、皿の中の水を刻み続ける男。まるで過ぎ去った時間をいとおしむ ように…。無人のガーデン・レストラン。一瞬、皿の水面に、去りゆく女性の面影が泛ぶ。明と暗をくっきり対照的に描いた撮影が抜群です。誰にでもある物語を、限定され たイメージで表現しようとした試みは成功でしょう。映像の流れも編集の的確さによっ てたゆみなくながれています。たった一年でよくぞここまで成長してくれました。さて 次のステップは、このいささか陳腐なお話をどう乗り越えるか、というあたりがテーマ になるでしょうね。高村薫が凡庸な旧作「わが手に拳銃を」を「李歐」にしたように。

★西尾晶「欲しいもの」8@/12分
全編「タリナイ」「たりない」と呟いているけれど、いったいなにが足りないんでしょ う?ASA-200とR−25が混在することによって生じる色調の混乱に対する配慮が足りなか ったのでしょうか。登場する男性と女性が、作品の中で、いったいどういう関係性をも っているのか、観客への説明が足らなかったのでしょうか。はたまた作者だけが知って いるモノガタリを観客に伝える字幕の数がたらなかったのでしょうか。ワッカリマッセ 〜ン。壁に張られた主人公の写真をビリビリと引き裂いたとき「痛」と入る字幕がとて も印象的でした。文字と映像のこの関係をもう少しつきつめて構成したら如何かな。

★木下清人「編みかけの時間」8@/16分
結婚してパラオに移住し、三人の子供を産むが夫に癌で先立たれ、終戦後は帰国して美 容師をしながら子供を育てた邊しいお母さん。この作品はその孫にあたる作者が当人か ら聞き撮りしたものである。編み物をしながら愉しそうに語るおばあちゃんの苦労話。 戦前の日本人なら誰もが経験したであろう苦難の道のりを笑いながら語る表情がとても いい。間にインサートされる若き日のスチールもとてもいい。とりわけ作者の素直なア プローチが印象的。ただ話を聞くだけでは作品になりかねると考えて、様々な色彩を挿 入するのだが、ボケているところはイタダケマセン。突然終わるのもやや不満デス。

★田川幸子「0メートル地帯」8@/18分
ぼんやりと紙風船と戯れている女性が、夢の河原で宝石箱を拾う。箱の中には薬瓶が入 っている。なんの薬なのかは判らないが、一粒呑んでみる。毒薬かも知れないし、睡眠 薬や、もしも強力な下剤だったらどうする?んなもの呑むか!この作品、かんじん かなめのイントロダクションに説得力がないので、丁寧に撮っているけれどきわめてイ ージーに感じてしまう。映画なんだから現実原則をあてはめないで、と思われるだろう が、映画だからこそ現実よりももっと現実っぽい設定が必要なのです。薬を呑んでから の夢のイメージもつっこみ不足。角を突き合わせている山羊さんだけが可愛がった。

★金氏化「オーバー・ラップ」ビデオ/10分
無人マンションに住みつく二人の男。どうやらこのふたり、さして面識はないようだ。 電気は来ているが水は止まっている。おまけにバス・ルームには、この部屋の住人らし き女性の死体がころがっている。じつにミステリアスなシチュエーションだが、作者は これをありきたりのドラマに仕立てず、場面を繰り返すことによって細部の重層化を試 みている。パチパチ。室内のテレビが、現実とフィクションを担絆する役割を負ってい るようだが、そこのところの構造がいまいちうまく伝わらず残念。すでにわれわれの社 会ではテレビの映像がもうひとつの現実であるから、そのあたりを軸にしてみたら?

★三浦威「WATER−FIELD」改題「花降る夜」8@/30分
嫌で飛び出した故郷に二年ぶりに帰った作者は、母の農作業や自身の記憶を撮影するう ちに、しだいに愛着を覚えるようになる…。講評時は全体にカットが長く、じつにだら だらとしていたけれど、いくつかのシーンをそっくり間引いたり、カットの長さを調整 することによって、見違えるほどキビキビとした作品になっていた。この作品、もとも と作者は、単に故郷をスケッチするだけでなく、水路に躯を、橋のようにわたしかけた り、雪片を口で受けるパフォーマンスを仕掛けていた。だらだらバージョンではそれが 埋没していたというわけ。愛着あるカットでも涙をのんで捨てた度胸の勝利ですな。

★関口耕一郎「マルケシタ・ピリオリ・「アウレリアーノ大佐」」8@/1O分
テレビを見ていた子供が母に叱られ、家を出て、線路に寝そべる。もしや自殺(?!)と思 いきや、怪鳥“ピリオン”がやってきて友達になる。ピリオンは、じつはかって処刑された軍人の子供が飼っていた鳥だった…。いくぶんメルヘンチックなお話だが、星よ童 よの世界とはいささか異なるメルヘンだ。作者はこれを切紙アニメで描いているところ がいい。その丁寧な仕事ぶりもさることながら、B&Wのくっきりした階調で描かれた 単純な絵柄が思いがけず見る側のイマジネーションをふくらましてくれる。ブラボー! 影絵の世界は人間のどこか根源的なものにつながるんですね。全編の完成が待遠し。

★上野光宏「digita1−8」8@/5分
映像素材をパソコンにとりこんで編集する若い世代がこのところめっきり増えてきたけ けれど、この作品の作者は、単に編集のために便宜利用するのではなく、パソコンの機 能じたいを作品の創造と組み合わせている。一見古い8氓フパッケージが、目を凝らす と、そう見せかけたパロディになっていたり、デジグラムというスキャナーをデッチあ げて、ヴューワーをそのままスキャンするというさもありそうなフェイクを仕掛けてい る。自分の少年時代の(と思われる)8汢f像を加工してdigita1−8などとうそぶいた り、あまつさえ講師の顔までパロディ材料にして遊んでしまう。音声だけは一考を。




 ああ、疲れた。なんでこんなことを好きこのんでやっているのだろう。一度見 ただけでこういう講評を書かれるということは、つくる側にとってはかなりの苦 痛にちがいない。
そう、自分もつくる側の人間だから、仕上げた作品はどんな失敗作でも愛着が ある。まあ、愛着のあまり失敗してしまったというケースが多いけれど、それを 突っ込まれることはあまり気持ちのいいことではない。けれども、だからといっ て誰からもなにも言われないというのもつくりがいがない。ぼくの場合は、若い ときから誰からも、なにも言われないで育ってきた。褒められることはあっても 貶されたことは一度たりともなかった。先生もいなかったし、師匠も持たなかっ たのだ。そのことがたいへんな回り道になるとは、当時はまったく気付かなかっ た。
 やがてグループを結成し、自分と異なる意見に接するようになってから、批評 の大切さが判るようになってきた。反対意見を出されるとカチンとくるけれど、 自分ひとりでは決してできない発想がそこにあるということを否定するわけには いかないのだ。この経験がその後どんなに役立ったか計り知れない。



Kプログラム

★栗原芳樹「Seizure」ビデオ/25分
夜の街、帰宅途中の女性がトンネルにさしかかる。ミステリアスな音楽が高まり見る側 を不安な予感に誘い込む。トンネルの中には男が立っている。男の手の中のライターが シュッシュッと炎を上げる。なにげないそぶりで男の横をすりぬける女性。と、男がラ イターを落とす。ビクッと振り向く女性…。エレベーターとかトンネルという場所はな ぜか人間の想像力を刺激する。そこのところを巧みに衝いた発想がお見事。立ち続ける 顔の見えない男と、逃げる女(俯瞰で撮影されたトラベリング・ショットが効果的)の 対象もいい。トンネルの長さを特撮で延長し迷宮化したらさらに効果的だったろう。

★勝嶋啓太「精霊の囁き」8@/6分
歩行者天国に素っ裸で座っているたいへんな精霊(!)がいたものだ。この精霊、駅のホ ームや電車の中、商店街や住宅街など、あらゆる場所に出没する。まったくもってアブ ナイ精霊だ。摩訶般若波羅蜜多心経が呪文のように轟き、UPで捉えられた目や仏像の 顔がインサートされる。アップ・バージョンの照明がいくぶんくどいのと、仏像の顔の インサートがいささか常識的。全裸バージョンの足をひっぱってしまうところがザンネ ン。前作の瞬間芸的すっとぼけた味もなかなかだったけれど、この作品はさらにアブナ イ世界に突入している。よくぞまあ、こんなアブナイ撮影をやりきったものですね。

★岡部正「Don't tuch」ビデオ/3分
画面一杯に現れた手が、ひくひくと痙撃してドローイングの線になる。線描きの手がく にゃくにゃ動いて、小さな沢山の手になる。アニメで描かれた小さな手がわらわらと集 合して、大きな手をかたちづくる。実写からアニメに入る呼吸がとてもいい。小さな手 で大きな手を形成する展開と、それが影絵のキツネ型になるアイディアもひとまず成功 している。けれど、その繰り返しで終わってしまうのはちと勿体ない。こういうコンセ プトを発想したら、観客の予想をどこまで突破できるかという勝負に全力を注ぐべきデ ス。手旗信号に展開してもいいし、ちょっとエッチな指の動きをイタズラしても…。

★酒井信「i」ビデオ/10分
俯瞰で捉えたコーヒー・カップにシュガーとクリームが入る。渦巻くクリームにズーム アップすると、路地を歩く赤いコートの女性。その瞳の中に入り込むカメラ。瞳に映り こんだ風景…。切れ目なく流れるようななだらかさでカットが綴られるこのイメージは フィルムのオーバーラップでは描けないだろう。ビデオ信号をパソコンにとりこんで編 集するということがそれを可能にしている。粒子の粗れた画面と、赤がきわだつ色彩の コントロールも魅力的。ビデオのエフェクトもこの程度に抑えて使えば効果的なのだ。 鉄条網や焼却炉の煙突など、瞳のなかに映る風景の性的な暗示は無意識なんですか?

★藤井亜希子「僕はここにいない」8@/5分
赤いハードカバーを開くと中のぺ一ジは白紙。その白いぺ一ジにオーバーラップしてタ イトルが泛びあがる。じつに鮮やかなオープニング。だが素敵なのはここまで。本を読 んでいる男と、グラスの中に滴る水滴をカットバックして、怪訝な表情で振り向く男を 捉えているのだが、かんじんのグラスの水がピンボケなので見る側には、男の滑稽さし か感じられない。ここはキリッと合ったピントでスローモーション気味に落下する水滴 と、その水音を反響音で捉えたかったね。林の中を歩く男の撮影スピードが、24コマで 撮ったような動きになっていてところが、漠然とした不安感を表していたのだが…。

★勝畑恵美子「PRHYTHM」ビデオ/10分
かつてニューヨークの近代美術館で最新のビデオ作品を大量にスクリーニングしたこと がある。そこでは見る作品見る作品すべてが最新のエフェクターによるエフェクト効果 を盛り込んでいるので、なぜストレートに描けないんだ!と怒鳴ってやりたくなった。 じっさい怒鳴ったおかげでエフェクト作品は取り下げられ、素晴らしい作品に出会えた のだが…。この作品は最新ではないけれど、よりチーフなNegaエフェクトと色彩の変換 を使っている。初心者にはめずらかな効果かも知れないけれど、こんなアソビは時間の ムダです。瞳でもいい唇でもいい脚でもいい、ストレートに描いてほしいものデス。

★会田鉄兵「マラが立つと思える気分」8@/20分
マラー→フランスの革命家。マラー→アメリカの遺伝学者とはまったく関係ない。梵語 でmara陰茎をさす隠語一。ということは判ったけれど、作品のほうはどうも良く判ら ない。北方謙三ふうに「眠りなき夜」というタイトルならば、夜から朝にかけてのまん じりともしない時間の雰囲気が描けていると納得もできるが、高島屋のネオンで魔羅が 立つか?!まあ思春期にはなにを見ても性的なものに結びついてしまう一時期がぼくに もかつてはあったので作者の実感を否定はできない。でもドポジデこうなるの。上へ上 へと痙攣するようにリピートしながら上昇するリズムは素晴らしいのに。題名変更。

★栗林忍「レッツ・ゴー!!イチゴ・ガール」8@/15分(完成は倍以上?)
「仮面ライダー」イチゴ・バージョンとでもいおうか。イチゴ・キャップの被りものか らコスチューム、白いブーツにいたるまでキチンと自作しているその努力には敬意を表 します。KENZ0のジャケットを血だらけにしたお父さんも、なんだかわからんがブラン ドもののドレスを台無しにしたお母さんの親馬鹿的な協力を引き出した熱意にも、ただ ただ敬服いたします。作品もコマ撮りを効果的に取り入れて、キチンと撮っているし、 寺内タケシのテケテケ・サウンドもイケてます。でもね、しのぶちゃん、こういうこと って高校生のときに卒業して欲しかったよね。この努力と熱意を芸術創造にそそご。
★木村文昭「原子心母」8@/10分
彼女といつものようにだらだらとSEXしていたら腰が目に入り、そこから母との確執 へと話が展開してゆくイントロダクションがとてもいい。説得力がある。しかもこの作 品で作者は、実の母をひっぱりだして、ピッチャーとバッターの戦いを描いたり、儀式 用の衣装をつけて、海岸での奇妙な儀式に挑んでいる。顔を赤く塗り、魚網の中に息子 を入れて海から引き上げる母の姿。少年時代を捉えた8氓腰の上に映写させる母の愛 情。これまた親馬鹿なのだが、作者はその愛情に作品でキチンと応えている。この作品 は作者のいわば通過儀礼といえなくもない。次回は母役の俳優を雇って展開しよう。


Lプログラム

★大野健「腸内寄席」8@/25分
物語の主人公の人生は涙なくして語れない。父は台風の日に雨戸を閉めようとして二階 から落ちて死亡。家は没落アパート暮らし。母は(中略)女手ひとつで主人公を育てる が過労のあまり行き倒れ。なんとか生き延びた本人も今は癌に冒され寝たきりの生活。 そんな主人公の腹の上で、別れた妻が夜な夜な双眼鏡で顔を覗く。誕生日に水子のため のケーキをつくる。それでもめげず、吐き気のこない抗ガン剤はないものか、などと瓢 々としている主人公。退屈をもてあまし、自分の腹の中で寄席を開くことを思いつく。 (後略)式貴士のグロテスクSFを彷彿させるテンコ盛りのバラエティショーでした。

★高多香織「夢の途中」8@/6分
この春、大学四年生になる作者が、友人たちに将来の夢について語ってもらう。南の島 で自給自足の生活をしたい、とか、とりあえずCM制作、とか、ちょっと変わったところでは「外人の子供を産んで幸せになります」なんてのもあったけど、まあ、結果は撮 る前から予想できたんじゃないかな。ただ夢を聞くだけでつっこみができない作者にも 問題はあるけれど、大学生に説くより、中高生に説いたほうが、いくぶんなりとも穿っ た答えが聞けたかも知れない。作者のほうも「みんな夢に向かって努力しているのに私 はなにもないので焦ってしまいました」などとノーテンキに結んでる。ま、いいか。

★島田義弘「ある女の子に特有の出来事」8@/10分
主人公は女性。外国に旅立った彼を見送る空港のフィンガーデッキからスタートするこ の作品の物語は紹介しない。ありふれすぎてくしゃみが出そう。ところがこの作品、全 編8氓フ再撮影でイメージを造形しているんです。しかもこれが16氓ニ見紛がうばかり のクオリティなんですね。ヴュアーやスクリーンを単に再撮影しただけではこうはいか ないだろう。彼がいない街を彷徨する主人公の姿をコマ延ばしのスローダウンで捉えた り、歩道橋の上から見た車の行列が、行きつ戻りつリピートしたり、じつに感じを出し ているんです。再撮影のプランを持っている人は、是非この作者にゴマスリなさい。

★加藤丈幸「壊れた機械あるいは独身者の眠り」8@/3分
電球が明滅する。仰角のカメラが木漏れ陽をトラベリングする。こういうショットをい ったい何本見ただろう。どうも今年は木漏れ陽の当たり年みたい。閑話休題。ピロン♪ と断続的に入る音が面白い。あとは映画のスチールや絵画や撮影風景や、なんだか良く 判らないものや、コマ撮りで歩いてくる男や、顔のUPやらが断続的にめまぐるしく流 れる。かなりたんねんに編集しているのだが、その効果のほどは一これまた編集台の 上で映像を細かく刻んだ作品を何本見たことか。これをやると編集した実感はもてるけ ど一おおむねゴマカシなんですね。だから弁解するよりキチンと撮りましょう。

★須藤梨枝子「河原で叫ぶ」8@/30分
「河原には叫ぶひとがいた」というナレーションとともに、同時録音のカメラが河原で 説教浄瑠璃のトレーニングをしている中年の男に密着する。かって中世から近世にかけ て発達し、大道芸、門付芸として流行した説教節を、ひとり河原で語る孤独な伝承者。 その人間性に興味をもった作者は、さまざまな問いかけをするが、はかばかしい応えは 返ってこない。そこで彼を農道に連れ出して、見知らぬ農夫と噛み合わせたり、それで も作品としてのインパクトに欠けるとばかり、いきなり自分が説教節を語りはじめる。 撫然とする男の前で安寿と厨子王を語る駅前のシーンは圧巻。よくぞやりましたね。


Mプログラム

★反岡靖智「肉」8@/25分
暗い画面に光るナイフ。腕に「肉」という文字を刻む。といってもこのタイトルほとん どの観客が何のことやら判然としなかっただろう。作者は実際に腕を斬ってタイトルを つくっているのだ。作者のそんな気負いは作品の内容にも反映していて、作者だけがの みこんでいるシーンがあまりにも多い。素晴らしいショットはたくさんあるけれど、そ れが観客に届かない。とりわけ主人公の女性の輝くばかりの笑顔と、ベッドでのエロテ ィックな表情は、ひとりの人間のなかにふたつの顔があることを鮮やかに視覚化する。 自分も理解していないナレーションなど入れないで、彼女の表情をもっともっと…。

★渡辺徳子「発光体」8@/6分
色あざやかな錦恋、もとい錦鯉。そこにタイトルがWって、土手の道を歩く女。「何か を求めて歩いているのか…」というナレーションが重なり、UPで男。川面の光。今期 は木漏れ陽に次いで、川面の光が当たり年。いったい何本あっただろう。しかもこの作 品はタイトルが発光体なので光のオン・パレード。「発光体になってやる」なんて決意 表明もあるけれど、男と女の関係がどうなっているのか気になって、早く錦恋にならな いものかと案じてしまう。水面と高層ビルをダブル・エクスポジュアで捉えた美しいシ ョットも、髪をかきあげる女の美しいUPも収まるべきところに収まらない。残念。

★水田志保「夢の河をゆく」8@/15分
「おなじクラスのスギヤマが交通事故で死んだ」という冒頭、そのスギヤマが主人公の 後ろに立って「タカハシくん」と呼びかける。「死んだんじゃないの?」と聞くと「わ かんない」と答えるスギヤマ。死んだかどうかビルから飛び下りて試してみたら、とい われると「やってみる」と、あっさり飛び下りる。まるで掛け合い漫才のような調子だ が、飛び下りるときシーツのような白い布をひらひらと翻して落下するイメージが印象 的。話よりもこういうイメージで全編埋めつくしたら良かったのに。それにしてもこの 撮影、露出の計測がデタラメですね。映画はあらすじではなく画面で語らなければ。

★似内千晶「にじ」8@/20分
幼なじみの親友を訪ねて、彼女たちの夢をインタビューする作品。こういうアプローチ の作品は、被写体とのスタンスの撮り方が難しい。あまり離れすぎてもいけないし、さ りとて近すぎると全体が梱めなくなってしまう。作者はどうやら後者の罠に嵌まってし まったようだ。女優になる夢を持っているナカムラタカコのボイス.・トレーニングをし っかりしたカメラ・ワークで捉えているのだが、友達すぎて踏み込みが甘い。まだ夢が 見つからない楽天家のイケナガヒロミとは、高校のときに埋めたタイム・カプセルを掘 り出すが、作者たちが懐かしがるだけでその内容が見る側に伝わらない。惜しいね。

★坂本麻里絵「陽にさらされて」8@/15分
作者はレズビアンのカップルを被写体に選んでいる。途中まで撮影して被写体がオリて しまったために完成しなかった素材をイントロダクションとして、さまざまなカップル を、ある時はストレートに、ある時は演出して描いている。とりわけ演出パートの美学 は素晴らしい。力作である。けれどもここでも被写体とのスタンスのとりかたがはっき りしない。作者のアプローチが明確ではないせいもあって、珍しいカップルという域を 出ない。きょうび性差など特別のものではないのだから、モノのようにアプローチしな いで、もっと人間として深く組みあって欲しい。トゥナイト2じゃないんだから…。


Nプログラム

★片岡昌樹「三途の川で逢いましょう」8@/1O分
冒頭、マンガのオノマトペがどどどうと重なり、読経が流れる。柾の中に横たわってい る主人公。それがタプル・エクスポジュアとなって立ち上がり、死んだ自分を自分が見 下ろす。三途の川の渡し守のユーモラスなやりとりや「お客様は仏様です」という張り 紙が笑いを呼ぶ。とりわけ空から蜘蛛の糸が下りてきて、それにすがりっくと、頭上か らワラワラとソーメンが落ちてくるなどという駄酒落がたまらなく可笑しい。ザブトン 三枚。悪のりのあげく♪三途の川で逢いましょう〜などと主題歌まで歌ってしまう徹底 ぶりに敬服。作者のトボケた味わいは天性のものでしょう。この調子で次作も期待。

★染谷琢「空の欲望」改題「BBB」8@/15分
葉っぱからズームを引いて、階段、猫、防潮堤、午後の陽を浴びて光る道、とサイレン トで映し出される冒頭のショットがとてもいい。ところがそれ以降はほとんど繰り返し になってしまう。石塀→コンクリート塀→竹塀→石垣と前進主観で捉えられたさまざま な塀を、連続的に、もっとたくさん繋げたら作者の視点が明確になったのでは?コマ撮 りの人の流れも、なんだかちょっと入れてみました程度の分量なので、作者の視点を見 る側に伝えるようには機能していない。ウォールペインティングの壁なども、こういう 文脈の中ではそこだけが浮いてしまう。電柱の下の妙なサインはなんなのでしょう。

★鈴木陽子「雪ん子」改題「私木」8@/1O分
蜜柑の木の下を歩く足。落ちて腐った蜜柑を踏んづけて木のまわりをぐるぐる回る冒頭 のショットでドキリとさせられる。講評時には、肉眼で見たまんまの映像が落ち着きな く並んでいるだけだったが、タイトルを変更したとたんに作者のテーマがクリアになっ てきたようです。祖母が作者の名を被せた蜜柑の木は、甘い実をたくさんつけたが、映 像を始めて一年たった自分には、まだ実がみのらない。せめて腐った実でもつけたいと 語り、蜜柑の枝に腐った実を突き刺す作者の思いは、講評時とは見違えるような映像に なっている。自分にひきつけたところが成功です。ここから再スタートしましょう。

★コイケナオコ「サンシャイン・シティーj8@/10分
ヘッドに横たわった女性が電気の紐を引っ張ると、まるでゴムのようにずるずると伸び るトップ・シーンがなんとも奇妙。夢の中の電車でウサギ人間(?)と出会ったり、草 原でふたりの女が水鉄砲ごっこをするよりも、このなんでもないショットのインパクト のほうが印象的。力技でイメージを盛り込むことよりも、日常の動作をちょっとズラす 呼吸一服を着たままでお風呂に入っている女性や、その横で、黙々とシャワーを浴び ているふたりの女性一一一の奇妙感なども、冒頭の“電気ズルズル効果”につながるので はないでしょうか。そう考えるとこの作品まだまだふくらむ要素が充分ありますね。

★浅羽昌二「Point of View(ver.1.0)」ビデオ/5分
クマのドローイングが実体化するイントロダクションと、そのクマの置物が家をでて、 街をめぐり歩くという展開が面白い。と、書いてもこの作品を見ていない人にとっては 何のことかさっぱりわからないだろう。この作品ではクマの置物とカメラの関係がフィ ックスされていて、画面の上ではまるでクマが宙を漂っているように撮影されている。 また、このクマのボディがメタリック・ゴールドなので、周囲の風景がボディに映り込 む仕掛けになっているのだ。視覚的な効果を計算した作品なのである。もっとも単に街 を一周するだけでなく、その行き先まで工夫したら、さらに効果的だったでしょう。

★飯田美保「愛と映画」8@/30分
この作品、ひとつひとつのカットはじつにキチンと撮られている。三脚を据えて捉えら れたそれらのカットは、とても明解なのだが、トータルな印象となると、見終わっても もうひとつ明解ではない。古い幼稚園、もしくはアトリエのような建物がある。その内 部を懐かしそうに見ている男がいる。どうやら作者の記憶の場所、というわけではない らしい。と突然赤いコートの女性が現れ、男に追われる。股間から血を流す。かと思う と男のひとりエッチが描かれる。前後の脈絡がさっぱり判らないのはきっとこれらのシ ーンに対する作者の思いが強いのだろう。端正な撮影が逆目にでてしまったようだ。


Oプログラム

★松谷和泉「F1owers of Co1our」8@/7分
冒頭、花のUPがたたみかけるように描かれる。次いで水面に絵の具の色彩を泳がした カットがつぎつぎと重なる。色彩がゆっくりと漂うその動きが、編集によって緩急のリ ズムを刻むといいけれど、いずれも同じテンションで繋がっているので、見ることが次 第に苦痛になってくる。色彩の動きを連続するように繋いだパートや、リズミカルに変 化する様子を強調したパートなど、作者の意図を伝えるような編集が欲しかった。途中 に挿入される青空がとてもいい発色なので、ここから人工的な色彩と自然の色彩のカッ トバックになっても良かったのではなかろうか。それにしても要素が少なすぎるね。

★コタキマナブ「ピピンポップ」8@/3分
チャチャチャというリズムに乗ってジャンプする人々がコマ撮りで描かれる。あるシー ンでは牧場で、あるシーンでは池に浮かんだ筏の上で。あるいは五人の人間が同時にジ ャンプしたり、河原で海老のように丸まって跳びっづける人物のうしろにも海老跳び人 聞が通過したり、跳びながらくるりと回転するバージョンや、横一列から縦一列に変化 するなど、単純なコンセプトを飽きさせない工夫も凝らされている。よくぞここまでや ってくれました。ジャンプした瞬間に1コマずつシャッターを押してゆくその手続きを 考えると大変な時間がかかっている。根気も才能。出演者もオツカレサマでした。

★松尾博美「冬ノ光」8@/10分
タイトルに光が射し込む。カラフルなトタン塀にくっきりと映る作者の影。小石に射し 込む鈍い光、駅の慌ただしいホームの光、商店街の光、屋根の光…。作者はさまざまな 場所で冬の光をコレクションする。住宅街の四つ角で立ち話をしながらお辞儀をくりか えしている三人の人物を、凝っと見つめ続けるショットなど、この作者は独特の視点を もっている。今回の作品はどうやらタイトルに律儀になりすぎてしまったようである。 モノに射し込む光ばかりではなく、工場労働者の日向ぼっこや、立ち話に興じるオバサ ンなどを捉えたように、その視点をもっと正面きって押しだしても良かったのでは。

★川鍋具子「sub-dominant」ビデオ/5分
タイトルの意味は、音楽用語で終わりを感じさせる和音の由。月、揺れる電球、レース 編み状の模様、割れる玉子といったイメージに色彩がのってさまざまにエフェクトされ る。手の中に林の木々がエフェクトされたり、様々な模様をフラッシングしたり、いろ いろと工夫はされているのだが、そうした視覚効果をきわだたせるにはちと材料が足り ないのではなかろうか。この作者にはエフェクトの操作よりも、第二作品で髪が生える プロセスを描こうと悪戦苦闘したような、被写体をストレートに捉えた作品を手がけて 欲しかった。まあ、自主留年というテもあるから、自他ともに納得するまでガンバ。

★大畠明子「私の体をあげる」8@/20分
敬愛する芸術家に捧げられた作品。芸術家の役に立つなら自分の躯を捧げたいけど、そ れで死にたくはないから映像を手がけたという動機がいじらしい。医師の研究のために 自分の躯を献体する主人公の物語だが、素材段階のチャチな感じがすっかり払拭されて いました。小道具や壁の飾りこみをキチンとした成果でしょう。講師の指摘をちゃんと フィードバックする素直さが好きっ、ハート。物語はそもそもの動機からこうなったのでいた しかたないけれど、何度も撮り直したこの経験は映像づくりにとって貴重なものをもた らした筈です。この経験を無にしないために、卒業してからも作り続けて下さいね。

★諸藩亨「五感王」ビデオ/5分
トップ・シーンで「俺は五感を征した男」とのたまう。視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚 の五感をどう征したのか、トイレの便器に浮かんだ納豆を食べることや、鼻から毛がプ ーと吹き出すショットとどうつながりあうのか、そのあたりが不明なのでどうもひっか かる。トップの大言壮語さえなければ、ひとり二役を見事にやりとげたエフェクトや、 なぜか布を被って登場する「兄さん」なる人物の怪しげな味は捨てがたい。このトボケ た味で、視、聴、臭、味、触の五感をひとつひとつ制覇していくプロセスも見たいような 気がする。授業後に「すず吉」で企画を練った納豆風呂も実現して欲しいような…。

★金子雅和「土を掴む」8@/30分 ぎりぎりの照明でイメージをだび上がらせるこの作者の撮影技術は、もはや名人の域で す。的確なUPの力強さと、ゆったりとした動きのコントロールもじっに見事にきまっ ている。しかしそれらを支える物語の骨格がどうも弱い。山の中の、文明の残澤が点在 するような場所設定にしても、一種のパフォーマンスとして自然と肉体の対比が描かれ るのならば生きてくるけれど、錆びた缶を踏む靴や、腐食した鉄管などがアップで描か れる(それ自体の撮影は素晴らしいけれど…)と見る側はどうしてもその背景の物語を 求めてしまう。そこまで踏み込んで設定されていないところがどうにももどかしい。


Pプログラム

★杉野元「the launch」8@/20分
画面の右下にじつにスマートにタイトルが描かれる。しかしスマートなのはタイトルだ けで、中国大陸に侵略した日本軍の満州国建国や戦争にまっわるさまざまな出来事がス チールで綴られる。しかもそれらのイメージは、撮影後にフィルムにきたないペインテ ィングが施されているのでなんとも見にくい。作者はたぶん抗議の意味をそこに込めた と思われるが、もう少しスマートなやりかたはなかったものか。繰り返されるスチール もシーンを限定して使ったらゴテゴテした感じを払拭できたろう。やがて靖国神社の参 拝と天皇の玉音が英字で流れるのだが。そこにスチールを切り込んだらいかがかな。

★真鍋香里「でっち」8@/60分
市ヶ谷の堀で魚釣りをする老人に声をかけるところからこの作品はスタートする。「私 8泓9ヵ月。オジサン、アーチスト歴50年」というナレーションで、どんな人なのだ ろうという興味を惹きつけて、それからの60分間、ゆるぎない構成で老人の人生を見せ きってしまう。この作品のきわだったところは、長期間にわたる被写体への密着もさる ことながら、作者がこれを単なる人生吐露にしないために試みたさまざまなアプローチ にある。とりわけカメラ前に立つ可能性の薄い老人の妻を終に捉えるところや、自分自 身の立脚点を批評的に把握し、自らもカメラ前に立つところなどは拍手を送りたい。




 ふうっ、これにてようやく全上映作品へのコメントを書き終えたわけだが、じつ は40字7行というこのフォーマットを目分で自分に課したために思いがけない時 間がかかってしまった。もちろんつくる側である皆さんは、その数十倍の時間を 費やしているの牟から一行で済ませたい作品があっても、逆に数十行書きたい作 品があっても、すべて平等に(?)フォーマットを優先させた。ともあれ一回見 ただけなので、見落としもあるだろう。コメントに文句をつけたい人、あるいは もっと聞きたい人、これから先は、卒業コンパで討論しましょう。

注:本文中に誤植がある場合はweb制作者のミスによるものです。尚文中「ハート」とあるところは、ハートマークが使われてる。