詩集「羽根の上を歩く」

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ディゾルブ週間

ディゾルブ週間






/電車中央に坐る男/食卓についたかたちをとり ナイフとフォークが宙を切る 食卓の車内持込みを改札口は許してくれなかった ナイフは米粒の詰まった潜水艦状ゴミ袋の腹を擦る さかんに口が動く唇のはしからこぼれた屑は足の間に立てた紙袋に溜まる いつか役に立つはずだと しかし饐えて 鼻つまみ 捨てるのに空いた手なし


/女はコインランドリー/がきらいだ 空の紙袋を洗濯機の蓋の上にのせておくのが
たまらない タイマーの刻音を味方にして黄ばんだ板壁に自分の残像を現像させるこ
と 行く末は浴衣に任せてとにかくシャワーを浴びること 板壁に解けかけた後頭部
が がつん


/電車に横たわって/アクリルの雌型に心の底から流れ込んでいた心算も破算 食い
物がレールの接ぎ目風に甲高く 消化管は十輌連結クーラーふさぐスポーツ紙 ふさ
ぎにもってこいの昨夕の負けゲーム 鼻の穴へ差し込む窒息用の紐は誰か向う端を引
受けて/片方の穴にも/突っ込んでおくれ


/待ち時間内/女は漂白剤に浸ってしまってから指の間の水かきを気にする 今はま
だ泳げる乾燥機の内窓に覗く切紙の顔の輸郭 髪に手をやるさっきから十八回目 濡
れて乾いて大事な水かきの虫食い穴はとめどなく拡がる


/残りのトマト/残暑烈しく赤い顔も崩れる 見切品の最上段で今夜が最後だといい
聞かされている たまらず山を崩し 痛んだ部分を切り取った白瓜の上に落ちる 見上げると裸電球に蛾の止まりやすい足場が いくつも数えられる 高架をゆく高原野菜列車の赤い尾灯


/連結器の方へ ごろり/出来ることのひとつ おでこをリノリウムの床に着け膝で
立つ すると眼球をいつものゲロの波が横切る 紙袋のみ凛として立ち 列車の傾斜
を知るものは どうやら違うところにいるらしい


/その時が来た/蓋を開いてわたしをいれ汚れ物とよじれて回転したら 脱水された
シャツのうちからよじれた一枚を選んで着てしまう すると どこへだって出ていけ
る 表通りを通り過ぎる歯の白い人のすてきなこと


/吸い込まれてブレーキ/坐りつけのスタイルを忘れ ドア口に垂れ下がると 車輸
の軸受箱やレールが視界を占める 円滑な走行を祝ってあらためて傾く どんどん吸
い込まれていく 地面を貫く池の蛙の声 そよぐ柳の枝ほど幻じみたものはない


/椅子の潰れるままに/未明のコインランドリーの椅子をぐしょ濡れが慕いつづける
 当たりちらされた螢光灯は封鎖の時期を窺う 死んだ蛾をためしに落す いいんだ
わ蓋から低地を俯瞰して たいていのものを見つけ出せるのはとっても


/降して下さいどうか/空中で錆つくブレーキの火花 胸の底に鉄のつきぬけが高ま
る 二度や三度ではない 執拗にアルコールの命綱を繰りだしてビンの口から這いだ
しにかかり危くコルク栓になりかけたことも それに較べれば防腐剤のよく利いた体
で 喘ぎの胃袋に蟄居しなければならないことなんか


/この味この値段/じつは坐るよりもとろけるほうがよいと溶剤を探し回っていた 
地下鉄にお籠りして身繕いしたあと 洗剤を携えて独立した人が一足先に見出してい
て 血も壷も独り占めにしたかと気が気ではない 駅前の八百屋の店先でカートンか
らトマトが取りだされている この先を予想することはない




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