詩集「ZZZ…世界の終りのあとで」

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世界の終り

世界の終り





ここでいいのでしょう?ね、あなた。
駅のホームに立っている。山脈の南側を辿る鉄道の、
勾配とカーブばかりのレールがそこだけ緩やかにな
った場所にプラットホーム一面だけの乗換駅があっ
た。ホームの上は草が伸びほうだい、レールの間へ
まで溢れていた。ドアのない入口とガラス窓がひと
つの待合室が、くろぐろと葉の濃い桜の木の下にあ
った。緑の中に消えるレールの先を見通そうとして
みる。蝉の絶え間ない鳴声がうるさく、まだ列車の
気配はなかった。足もとではホタルブクロの花を蜂
がゆさぶっている。茎を登ってきた蟻が驚いて引返
していく。《最終列車の運転見込依然不明》という
通達が、栗の木に銜えられた通信線をはしった。
ここで立往生? まいったな。ここ以外でなら、こ
んな事態も少しは受け入れてもいいのだが。なんと
か別の途を見つけなくては。
そう、ここから分岐して谷間の町へ直接下る軽便鉄
道があった筈だ。ずっと昔、この同じプラットホー
ムで小さな木造客車に乗り換えたことがあったじゃ
ないか? これほど草茫々ではなかったし、待合室
には夕日があたり、中には人の影もあったんじゃな
かったか。
軽便鉄道の発車時刻表が待合室の中に貼ってあった。
掠れて読みにくいが、一日に三本の列車のまんなか
の発車の時刻はあと二十分後。ついていたね。
蝉の声が耳鳴りと混ってしまう。いらいらしても仕
方ない。それにしてもバッグひとつ持たない旅とは
ね。
予定時刻はとうに過ぎていた。待合室を出て、ホー
ムの軽便側を見た。なんのことだ、レールの影もあ
りはしない。ホームと同じ高さに盛土され、その土
が切れたあたり、錆のういた細いレールが数メート
ルだけ残っていた。その先には、掘りだされた枕木
が積まれ、転轍機が転がっている。廃線だったのだ。
どうしたらいい? 脱出ルートどころじゃなくなっ
てしまった。
下方の盆地に先ほどまでとは違った風景が現れはじ
めた。あれほどまでに緑一色だったなかに、剥きだ
しの石灰岩の舌のような帯が広がってきていた。山
の襞が削られ均されて、光らない皿が放りだされた
ように見える。グレイの中に砕石運搬のダンプカー
が虫のように蠢いている。時々白っぽい土煙が立つ
のは発破を仕掛けたのか。
うごけないのだ。事態の進行が予想したより速かっ
たということ。
山頂近辺にもグレイの滲みができていた。蝉の声が
急に途絶える。ウラジロガシの樹叢が迫ってきたグ
レイの側へ倒れこみのみこまれていく。いまがとう
げだ。ここをなんとかやり過すのだ。
短いかすれた汽笛が聞えた。車輪の音もしてきた。
レールの間に模型のような細いゲージのレールが何
本も敷かれ、列車が接近してきていた。ローラース
ケートほどの大きさの先頭のディーゼル機関車はカ
プセルのような窓に薄日を反射している。その隣り
のレールをホッパー車の長い列をひいた旧式の蒸気
機関車が勾配を登ってくる。
ディーゼル機関車のコックピットがちょうど足の下
に近づいた。ここが駅と知ってか、速度が落ちる。
運転席にいるのは、透明なヘルメットを被った黄金
虫たちだった。ブレーキの音が響き、列車が停止す
ると、うしろの車輛から甲虫たちが降りてきた。
虫たちは鉤の前脚を使い、銀色のアンテナを振りな
がら山へ向って線路を延長していった。網の目にた
った分岐点では、あとから来て勝手に乗り入れよう
とする工事列車どうしが衝突事故を繰返した。転覆
した機関車の熱いオイルをあびた甲虫たちは、変色
して、青い体液を搾りだして裏返しになる。死骸は
砂利の上でたちまち腐りはじめる。後続の補給列車
が積む樹脂や蜜蝋もすでに腐っていた。ここへ到着
するまえに車輸に巻こまれ、ぺちゃんこに貼りつい
ていた幼虫たちも見えた。いつでもどこでも腐敗は
部分であり、動ける虫たちはその上を汚い脚で歩き
まわる。
側溝の底のレール上を特急列車が通過した。展望台
では女王蟻が振り落されまいと脚を踏んばっていた。
プラットホームのあちこちで陥没がはじまる。悲鳴
もなく。
こんなになってしまって。
こうならないうちにあれほど。
どうします?あなた。ここにいるしかないのでしょ
う?



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