詩集「ZZZ…世界の終りのあとで」

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渋滞

渋滞





閉じこめられたときにはどんな車だって同じ、と日
頃から言い張っていたのだが。
ヒーターを切ったり入れたりしてみた。十年前の車
には、他にたいしてなぐさめになるような装置はつ
いていない。ダッシュボードのヒーターの吹き出し
口で、夏の終り頃から干からびて転がっていたクマ
バチが、踊ったり死んでみせたりした。ラジオはど
こか近くの地方局の、立往生をつづけるドライバー
たちを励ますふりをしながら揶揄うDJの底の抜け
た声を流していた。
前の車の人かげが消えた。座席をベッドに仕立てて
二人とも寝てしまった。横風が車体を微かに揺すっ
ている。後部のバンパーには緑色の丸いクッション
のようなものがとりつき、伸ばした触手で屋根を探
っている。そのゆるやかな動作を眺めているうちに
眠くなった。こちらのシートは背をうしろに倒すこ
とさえできない。
バックシートでエビのように曲って横になるよりほ
かに仕方がない。ドアの下のあたりを擦る気配がは
じまった。来るなら、木の葉みたいに軽いものがい
い、と思った。順位で言えばトップは花びらか。三
角型や蛇行する点線はおねがいだからやって来ない
でくれ。ここに寄り添わないでくれ。
そう爽快でもない午睡が終り、運転席へ戻り、サイ
ドミラーに目をこらした。ドアの下部に貼りついて
緩慢に動いているものは、厚みがなく、全貌が確か
められない。姿勢を変え目の位置をずらして見極め
てやろうとしたが、うまくいかない。前の車は屋根
がそろそろラクダの瘤のように膨れ始めていた。
備える時だ、とラジオのDJが急にまじめな声をだ
していた。この渋滞は解消の見込みがたたないらし
い。雨霰降り注ぐいさかいが遠くで発生していると
いうそれだけでは、こちらの置かれている状況を解
き明かす手懸りにもならない。
バックミラーの中では後続の三台の大型トラックが
時折激しい身震いを見せていた。震えが起るたびに
ボディを飾りたてた銀色のモールや電球が剥げ落ち
ていく。フロントガラスには這い回る半透明のもの
がとりついていた。対向車線には車がなかった。向
う側で入口をこちらに向けているハンバーガーショ
ップは店を閉じてかなり経ったらしく、ピンクのシ
ャッターには錆が吹きだし、ネオンの看板は殆ど砕
け落ちていた。建物全体は褐色の地面と灰色の曇り
空のどちらの色彩に溶けこもうかとしながら、両方
に通じるほどにとにかく色褪せてみせたようだった。
隣接した駐車場はひび割れて、枯れたキクイモの株
と廃車体がところどころで陣取りをしていた。眺め
に飽きがくる。
助手席のポットをとって紙コップにコーヒーを注い
だ。閉じこめられてから初めてのコーヒー。このポ
ットとクーラーボックスのスナックとでこれまでに
切り抜けた渋滞は数え切れない。このストックを飲
み食いし終る頃には目的地へ到着するという寸法だ。
罐ビールも冷えている。なにも心配することはあり
はしない。のんびりと(と、シートにも言い聞かせ
て)坐りこんでいる。
夕暮れが近づいた。前方のワゴン車は視界を遮るほ
ど膨張してしまった。色彩を失った世界に赤色の警
戒灯が回転しながら射しこんでくる。眠りに誘われ、
抗いつづけているうちに、包装の破れ目から小骨を
とびださせた魚か鳥かの気分に憑かれた。それと、
目蓋のつっ張りによるいちにち二日は眠らなくたっ
てどうってことはないと言い張る強迫とが今夜の連
れだ。指だけは何十秒かおきにラジオの選局ボタン
を押している。
地轟きがすごかった。目をさまされ、結露した窓の
外に目をこらした。夜明け近くの反対側車線をトレ
ーラーが通過中だった。三階建のビルほどもある運
転席には船のブリッジのように窓が並び、煌々と灯
が入っていた。仰ぎ見るほど巨大なタイヤが連なっ
てやってくる。それらに搭載されて姿を現わしたの
は、城壁、管制塔、発射台、会議場のドームであり、
どれもが千切れかけた破片を黒い鱗のようにいちめ
んに逆立てていた。スクラップの山が絡みあったま
ま後に続いて引きずられていく。
ドアが乱暴に開いた。「前へ!」乗込んできた男が
わめく。前方のワゴン車は潰れた戦車のようにうず
くまったままだった。その脇をすり抜けて走りだす。
先へ先へ擱坐した戦車の隊列を追いこしていく。
朝の光で見る車の色は緑灰色に変色していた。しば
らくすると同じ色の硝煙と土埃が車内に侵入して、
隣りのシートも隠れてしまった。



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