辻征夫アルバム


 辻征夫さんは1939年東京浅草で生まれ向島で育つ。沢山の詩を書き、小説も書いた。2000年1月14日午後9時21分せき髄小脳変性症のため千葉県船橋市の病院で亡くなられた。その病のため、風邪で詰まったのどの痰を吐き出せなかったのが直接の死因という。60歳だった。詩集「河口眺望」「俳諧辻詩集」など詩集15冊。それらの詩集により芸術選奨文部大臣賞受賞などの多数の賞を受賞。小説「僕たちの(俎板のような)拳銃」など、エッセイ集「ロビンソン、この詩はなに?」などがある。

 何年前か忘れてしまったけど、「現代詩手帖」の記事のために、辻征夫の育った向島とわたし(鈴木志郎康)の育った亀戸を文学散歩した時に、わたしが撮影した。その日は、亀戸から東武電車で曳舟に行き、辻さんの実家近くの元「鳩も街」辺りを散歩し、弟さん家族が住んでいる辻さんの実家でひとときを過ごし、隅田川を渡って浅草に行き、昔の文学者がよく来たという飲み屋さんでお酒を飲んで別れたと記憶している。(追記。その「現代詩手帖」が1993年の11月号だったという小田康之さんの指摘で、この日が1993年10月2日(土曜日)だったことが、分かった。辻さんの実家ではビールを飲んだこと、浅草ではロイヤルという喫茶店でコーヒーを飲んだこと、そして飲み屋さんでお酒を飲んだのではなく、寿司屋さんでビールを飲んだとわたしの日録に書いてあった。写真の数字によると2日12時40分から13時46分までの記録ということになる。)


「詩の電子図書室」に辻征夫詩集「ボートを漕ぐおばさんの肖像」 があります。お読み下さい。


元「鳩の街」の娼家跡の辺りで

 その路地

辻さんが育った実家の前で

 実家

 実家の玄関に入る辻征夫さん
下駄

冬の雨下駄箱にある父の下駄
(うん 死んだ父の
下駄なんだよ
履き方に癖があって
へんな風にへるものだから
借りて歩くと頭にひびいた
先日みつけて
履いてみたらやっぱりひびいた
おこられてるみたいで
まいったね)



      「俳諧辻詩集」より

 居間で、小田康之さんと弟さん

 両親の写真の前で・その1

 両親の写真の前で・その2

 「あの二階の窓の部屋が僕の部屋だった」と

 隅田川に架かる桜橋の上で


「ボートを漕ぐおばさんの肖像」