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Image Forum Festival 2003『衰退いろいろ2002』上映


鈴木志郎康作品『衰退いろいろ2002』(38分)2003年制作






  外が気になる猫


  福井馨さんは、
  病気の母親を見舞って、故郷に帰ったという
  「嘘の話」を作った。


  清水大輔君の話は、
  物の間には、間(あいだ)という別の世界がある
  という「嘘」。


  新名なほみさんの話は、
  すり切れた「堪忍袋」。
  戦争がずたずたにしたという。


  六月、庭に蝸牛が現れた。


  八月は、
  「カラザ02」の稽古に明け暮れ。
  吉荒さん


  ああ、身体だ、と思う。


  庭の朝顔は満開。


  九月には、
  「カラザ02」の公演。
  佐成哲夫君の舞踏。


  「カラザ02」の公演。
  降りてくる布の筒。


  「カラザ02」の石原康臣君の舞踏。


  「カラザ02」の清原舞子さんの舞踏。


  十二月初旬の雪。


  「衰退」ということ。


  山本遊子さんをインタビューする。


  街中の空気を
  確かめたい、という。


  下校する小学生に
  開放感を感じる、という。


  山本遊子さんの話は、
  若い人が確かな生き方を考えている、
  というものだった。
  それが、これまで流れてきたものの
衰退の証言と思えた。


  わたしは何をやってきたのか。
  自分が衰退しているのを感じる。


  2月には、
  チューリップの花も枯れた。


『衰退いろいろ2002』の紹介


 この作品は2002年にわたしの身近で起こったことをminiDVカメラで撮影した映像を、ほぼ月日の流れに従って編集した。
 4月に多摩美の映像演劇学科のわたしの担当する授業で、上野毛キャンパスから多摩川まで、1年生全員で夜の散歩をして、何かを拾って来るようにいって、その拾ったものをネタに「嘘の話」を作って発表させた。その中の、聞いていて何か感じられる話を使わして貰った。いつか、クラス全員が出る映像作品を作ってみたいと思っているが、それはなかなか出来そうにない。
 7月、8月と共同研究の「カラザ02」の稽古があった。映像演劇学科の研究室の若手スタッフが中心になって、学外で公演をしようという試みだった。言葉でいろいろと考えて行って、最終的に身体と映像と音と照明を合わせて一つのパフォーマンスの実現を目指した。「カラザ02」は9月に三軒茶屋のシアタートラムで公演した。わたしは稽古から公演まで連日、その場に居合わせて、身体というものの意味合いを圧倒的に感じさせられたのだった。
 11月に多摩美の卒業生の山本遊子さんを訪ねてインタビューをした。彼女は4年前の『内面のお話』に出演していて、また出たいと言っていたのでインタビューをお願いした。いろいろなことを考えている人で、時代の趨勢に敏感なところがあるので、現在時点で彼女が立っているところを話して貰った。わたしが受け止めた彼女の話の要点は、言葉の意味合いをどう確かめていくかということだった。それは、わたしにとって一種の言葉の意味体系の衰退の証言だった。学生たちに「嘘の話」を作らせるのは、想像力を働かさせるためなのだが、彼女は「嘘」はいけないという。天気がいい日に「いい天気だね」という。そういう意味の地平を求めたい、ということだった。自分を前面に出さないで、ものを遣り取りするように、言葉を遣り取りしたいというのだ。自己を前に押し出そうとする意識が明らかに衰退している。
 そうか、言葉が衰退して身体が出てきたということか、思った。


■『衰退いろいろ2002』
 鈴木志郎康作品
 (Signs of decline 2002 ) 
 :miniDV color  38min.

■スタッフ・キャスト
 監督・編集・構成・ナレーション:鈴木志郎康
 撮影:鈴木志郎康 音楽:見木久ヲ
 出演:山本遊子、福井馨、新名なほみ、清水大輔、佐成哲夫、石原康臣、清原舞子、吉荒仁美






「イメージフォーラム・フェスティバル2003」での
鈴木志郎康作品『衰退いろいろ2002』の上映。


Fプログラム 東京・パークタワーホール    :5月2日(金)12時、5月5日(月)17時     横浜・横浜美術館レクチャーホール    :5月3日(土)15時30分     京都・関西ドイツ文化センター京都    :5月13日(火)16時30分

フェスティバルの詳しい内容は
IMAGE FORUM FESTIVAL 2003
でご覧下さい。


■参考
次の詩は「衰退」ということを自覚して2003年1月に書いて、「ミドナイトプレス」に発表したものです。
衰退の兆し
           
            
            
そうそう、
人に話そうとすると、
消えてしまうものがあるのです。
顔の近いところに見知らぬ顔。

冬の午後の日差しの中で、
代々木上原駅のホームに立つわたしという存在。
電車の発車と同時に消えてしまいました。
脳内に残る顔。

何処に行ってもストーリー。歩いている人の顔。
下北沢の「餃子・ラーメン」の汚れた看板。
その店は老夫婦がやってる店だった。肉野菜炒めとライス。
女子学生は怖いと言ってる、笑う顔。

ゲームを作る手つきのナルシズムが
学生たちの作品を支配している。今日も
昨日も六時間に10余りの作品の映像を見た。
数が多い。疲れたなあ。でも、元気が湧いてくる。

σ(n) - n = nを満たす数nという完全数(perfect number)というもの。
自分の素因数の和から自分を引いても自分が残る。
自分のやったことから自分を引いても変わらない自分。
俺って、常に有限集合の一つの元だ。

怠惰を乗り越えようと、
多数の表現の意欲に向き合っていると、
人の「境界」ということのあり方が曖昧になってくる。
この一ヶ月の間に三〇〇余りの作品を見た。

渋谷の平野屋でにしんそばを食べたら、
にしんの甘みに柚子の香が口の中にひろがった。
雨の中、交差点を走って渡った。
後に甘みが残る苦笑。

今日で一月も終わる。
朝食の時、咳き込んで、喉元が不安になった。
低い日差しが部屋の中に廻ってくる。
さて、発表会「Ochild」に出かけるか。


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