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鈴木志郎康作品『15日間』採録テキスト    






『15日間』採録テキスト


 鈴木志郎康作品『15日間』
16ミリカラー、磁気録音、93分
撮影・編集 鈴木志郎康
使用カメラ オリコシネボイス、ボリューR16B, ボレックスH16R

1  字幕<一九八〇年三月 鈴木志郎康作品>

2 字幕<これは一九七九年一一月一九日から一二月三日までの15日間 毎日撮影されたフィルムである>

3 タイトル<15日間> 色のついたカンバスに油絵具で書かれている。

4 <一九七九〜一九八〇> 同様に、油絵具で書かれている。

5 写真bb横たわっている原爆被爆者。

6 写真bb上向きに寝て、両手を上げている全身ケロイドの被爆者。

7 写真bbケロイドの背中。

8 グラビアbbフランシス・ベーコンの絵。

9 画集bbフランシス・ベーコンの画集。手が出てきて、次々に頁がめくられる。この写真から画集までの間、詩「わたくしの幽霊」が朗読されている。

10 字幕<11月19日>bbカンバスに青い絵具で書かれている。
 茶色のカーテンの前に、茶色のカーディガンを着て、台の上に斜め後向きに腰掛け、片手にストップ・ウォッチ、別の手にマイクを持つ鈴木志郎康。撮影中、時々振り返り、そのとき顔が見える。おびえているような、不安な表情(当人は、カメラがちゃんと廻っているかどうかが気になっていた)。
<ナレーション>今日は十一月十九日の夜だけれど、もう十二時過ぎて、そろそろ五時になろうとしているところ。今晩から毎日、自分自身を撮って、日記的に撮ってみようと思っているわけだけれども、昨日は十時半頃、思潮社の村上さんからの電話で起こされて、それから起きて、パンを食べて、十二時過ぎに村上さんが原稿取りに来て、本当は今日渡す原稿二五枚書かなきゃならないので、早く原稿にとりかかろうと思ったけれども、なかなか気持ちがのってこなくて、それでも昼間のあいだに、二枚半ぐらいようやく書いたわけで、そして、それから麻理が病院から帰ってきて、三時頃ラーメンを作って食べ、それから引きつづいて原稿を書きつづけ、と思ったけれども、なんか書けないうちに夕方になっちゃって、そのうちに七時頃、清水さんがもうひとつの原稿取りに来て、それを渡して、ぐずぐずしているうちに、なんか、夜、時間が経って、眠くなってちょっと仮眠したりして、それからこの、今晩からこのフィルムを撮るということになってるんで、それを用意したりして、それから原稿書きはじめて、今、ちょうど書きかけで、一六枚半まで書いて、二十五枚までにはあと何枚書かなきゃならないけれども、お腹がすいたので、ここまでで止めているという、そういうわけ。そういうわけなんです。

11 字幕<11月20日>bbカンバスに青く塗った上に紫色の文字で、前日の日付を書いた絵具を塗って、その上に別の色で当日の日付を書くことにした。
 同じ場所、同じ服装。姿勢も、斜め後向きで前日と同じ。終わりの方でちょっと振り返る。
<ナレーション>今日は十一月二十日、といっても十二時はとっくに過ぎて、今、六時。もう二十一日の夜が明けようとしている時です。昨日あれから結局、原稿書きつづけて、二十一枚まで、朝の七時までかかって書いたわけです。で、それから、今日は十二時ちょっと前に起きて、残りの原稿四枚を書いて、三時になって、『第三文明』の人に「スポーツ新聞を 読む」という原稿を渡し、それから草多を迎えに行って、帰ってきて、また『東京新聞』の原稿を書きつづけて、四時、五時過ぎに、『東京新聞』の安藤さんが来たので「偲ぶ・中野重治」についてのエッセイ四枚を渡したわけです、それからちょっと寝て、それで今度は今日渡すことになってる『読書新聞』の大衆小説時評、そのための小説を二つ、読み残したやつを読んで、で、まあ書いて、今七枚、あと、そうですね、二百字書けば終わるというところまで来たわけです。まあ、なんとまあ、毎日毎日、いまここんところ原稿書いてて、寝るのは毎日五時間くらいという、そういう状況がつづいているわけです。なんか、です調で語ったのが、変な感じがして、どういうふうにしゃべっていいのか、昨日はなんか日にちのタイトルを撮るの失敗したりして、ちょっと慌ててるっていう感じがするけれど、とにかく、これ一五日間続けてみようというふうに思っているのでやってるわけ。……。まだちょっとフィルムがあるのかしら。このオリコ、カウンターが壊れちゃってて、何フィート廻ってるか、ちょっと分からないっていうのが、困ったことなんだよね。そんで、今日はこれから、あとちょっと書いて寝て、ウーン、また明日、あさって渡すための原稿を十二枚くらい書かなきゃなんない。なんか、この撮影始めたらば、毎日毎日原稿を書きつづけるというような状態がつづいているということなんだけれども……。

12 字幕<11月21日>bb紫色の地にみどり色の文字。前日と同じ姿勢、ちらりと振り向いたり、時計を見たりする。
<ナレーション>今日は十一月二十一日。といっても、もう二十二日の朝の七時を過ぎてしまった。昨日も原稿が書き終わったのが七時過ぎで、十一時、十二時近く、起きて、『読書新聞』の榊原さんに原稿を渡した。で、しばらく経って、二時頃に和田幸子さんと金井勝さんが来た。で、和田さんのフィルムについて何か文章書いてくれって頼まれたので、それを、フィルムを取ってきてもらって見たわけ。「トンキドリbb大地の歌」から一番最近作った「イヨマンテの夜」まで見て、素晴らしいフィルムだったわけで。で、このフィルムについて今月一杯にまた原稿を書くって話をして、で、和田、和田さんのフィルムはすごく自分の感覚を押し進めていくっていうようなところがあって、それがまあ素晴らしいわけで、新しい作品の「イヨマンテの夜」のなかで、アルバイトで勤めてた会社の窓から電柱の上に巣喰ってる雀を撮ってるのがあって、その雀を撮ったのと、それから、手のアップとが多重映しになって出てくるとこなんかは、すごく面白かったフィルムなんだけれども、で、金井さんと和田幸子とちょっと話をして、で、夕方、<無限アカデミー>というところで詩の話をする約束があったので、そこへ出かけていったわけで、それは、あの、六時半から七時半までの、大体一時間話をしました。で、僕の前に天沢退二郎が宮沢賢治の話をしてたんで、天沢とはそこで久しぶりに会って、相変わらず忙しいっていうような話を彼はしていた。で、それから新宿に出て、ヨドバシカメラで昨日切れちゃった電球を買って、で、電球を買って、それからトンカツ食べて、で、なんかもう、すごく疲れが溜まっちゃって家帰ってきて。寝転がって十一時頃まで寝てて、で、十一時過ぎてから風呂に入って、風呂から出て、「アンタッチャブル」を、毎日見てるのを、恒例の「アンタッチャブル」を見て、で、夜食を食べて、それから原稿にとりかかって、これは『新しい女性』っていう、まあ、若い女性向けの雑誌で、これに「愛のかたち」というので三回連載することになって、その第二回目として、川上宗薫のことを書いたわけですけれども、で、それはまあ「粘膜中毒」っていう小説があって、その「粘膜中毒」っていう小説のなかで、なんかセックスと愛情というものが、こう、関係が非常に現代的に出てくるんじゃないかなって僕は考えたから、それ選んだわけなんだけれども、まあ、セックスを突き抜けて、精神的な愛情に至るっていうか、なんかそんなふうなのを十二枚まで書いたわけ。それが、あとちょっと、一枚半くらい書けば書き終わるわけだけれども、その書き上がるちょっと前に、もう、ちょっと疲れちゃったんで、今度はこの映画を撮ろうと思って今、はじめたわけなんだけれども、なんか、すごく急かされるような感じがしてくるのと、撮ってどうなのかちょっと見当がつかないっていう、なんかそんなところになってきて、ま、でも仕方がない、十五日間撮ることに決めちゃったわけだから、まあこれは撮りつづけようっていうふうに思っているところ ……。今日は五分間もしゃべってしまったけれども、この長さじゃなくてどうなのか、ちょっと分からないな ……。

13 字幕<11月22日 カメラのアンプが故障したと勘違いしてしまった>

14 16ミリ用50フィート・マガジン

15 垂直線をとるための洋式大工道具。

16 巻かれたハンダ。

17 メジャー。

18 双股ソケット。

19 開き扉用固定留め金。

20 コンクリート用アンカー。

21 鉤ネジ。

22 短い釘の山。

23 一本の短い釘。

24 鋲一個。

25 携帯用虫メガネ。

26 水平角度指示器。

27 掌のアップ・ショット。(シーン13〜27までサイレント)

28 字幕<11月23日>bbみどり色の上に黄色の字。前日と同じ向きだが、手にしているマイクが違う。
<ナレーション>もう充電できないんで、カメラが壊れちゃったかってことでもう、ちょっと、まあ、なんか、絶望的な気持ちになっていたんだけども、考えてみればこれは後ろ向いてしゃべってんだから、声と口が合わなくたって構わないわけで、それだったら、撮影して、現像してから、後からプロジェクターで音だけ録音すればいいやっていう、まあ、そういう気になって、今日はまあ始めてる訳です。昨日はほんと、十二、十一月二十二日、今日はもう十一月二十三日です。昨日はほんとについてなかったし、朝、八時ぐらいまでかかった原稿を、寝てるあいだに『新しい女性』の編集者が取りにきて、それを麻理が渡して、で、やれやれと思って、その次の原稿、つまり、その日の、二十二日……一杯に書かなきゃなんないのがあった。ま、『読売新聞』の現代詩時評ってのにとりかかろうと思って、いたわけですけれども、で、これがまた読んでみるとなかなかとりかかれなくて、結局、まあ、二十三日の日に取りにきてもらうようになってしまって、で……えーっと。あれ、昨日は午後何やってたっけ……とにかく夕方、あれ、昼間は何やって、どこに行ったんだっけ……二十一日はあの辺に行って、二十二日は……どこも行かなかった。帰ってきて、『新しい女……』どっか出かけたんだよね。僕が電話に出なかったんだから。で、帰ってきてみると、麻理から、あ、草多を迎えに行ったのかな。そして、あ、ちがった、昨日はどこにも行かなかった。で、午後はなんか、あんまり気持ちがはっきりしなくてブラブラしていて、それで夕方、草多を迎えに行って、ちょうどご飯を食べる頃になって、『新しい女性』の人から電話がかかってきて、書いた原稿が川上宗薫のセックスを扱った記事だったので、若い女の子向けの雑誌に合わないから書き直してくれって言われて、ああちきしょうめ、と思って、で、まあ、原稿にとりかかる。とりかかって、今度は、まあ、その原稿というのが、『読売新聞』の現代詩時評なんだけれども、それを書き終わって、夜中近くなって、さて今日の分を録音しようと思ったら、バッテリーがあがって大慌てになっちゃったわけです。その後、まあ仕方がないから、今日書くことになっている高梨豊の写真について、いろいろとまあ見たり考えたり、あるいはこの間インタビュー取ってきた録音聞いたりして、結局昨日は撮影できなかったわけですね。あ、まあ、すごくものが撮りたくなってきて、いろいろなものの写真を撮ったりしたんですけれども、それで今日は十一月二十三日で、今日は午後から国学院大学に行って、学園祭のひとつで行なわれた現代詩についての講座みたいなものをひとつやって、それからそのバッテリーについて、ウーン、秋葉原に行ったら、まあ、そのオリコのアンプに入ってるバッテリーがすごく特殊なバッテリーなんで、で、それが売ってなくて、昨日はだから原稿がダメになるし、アンプはダメになるしで、なんかついてないしで、結局撮らなかった。で、今日はまあ仕様がないから、どうせこれ後ろ向いて撮ればいいんだからっていうんで、カセットテープ買ってきてカセットに録ってるっていうとこなんです。これから、また今日は、『アサヒカメラ』の原稿を書かなきゃなんないんで、いまちょうど一時、一時近くなってるわけで、なんかもう疲れてきて、気分がのらなくて、さっきまでちょっとソファの上寝っ転がっていたわけです。

29 <11月24日>――黄色に赤い文字。
 黒い背広を着て後ろ向き、ライトは逆光気味に当てている。録音は別取り。声は一層沈んでいる。時々考えるような間がある。
<ナレーション>十一月二十四日。ゆうべは結局、高梨豊論が書ききれないで、朝の八時になって寝たわけです。そうすると、九時頃『三田評論』の編集者から電話で起こされて、座談会の日取り決めたいって言って、それからまたウトウトして、また電話が鳴ってたけど、もう今度は電話に出なかった。一時頃『アサヒカメラ』にできなかったという電話をして、で、若林さんの彫刻展が今日なんで、ぜひとも見たいと思ったから、出かけていって、夕方の四時頃から五時半頃まで見て、その彫刻が素晴らしかった。それから、六時からプチモンドで菅原克己さんの詩集の出版記念会に出たわけです。菅原さんの詩集の出版記念会っていうのは、まあ元『列島』の人たちが沢山来て……来るという気持ちもあって何か複雑だったんじゃないかっていう思いがあったわけです。で、九時ちょっと過ぎまであって、まあ、二次会に行って、二次会は聚楽というところで二十何人ぐらい集まって、やったんですけれども、会場が狭い、狭くてギュウギュウに妙に細長い部屋に押しこめられたんで、話は隣の人たちとやるっていうぐらいだったわけです。それから三次会で<エージ>に行って、そこで堀川さんと長谷川龍生さんと、それから八木さんとか、辻さんとか、あるいは阿部岩夫さんなんかと一緒に飲んだわけですけれども、堀川さんの言葉が、僕がちょうど隣に行ってしまったんで、話すことになって、堀川さんの言葉が、ものすごくきつい言葉をあの人はお酒飲むと言うんですけども、それが非常に胸にこたえて、今日はなんかこう、浮かない気分でいるわけです。というのは、堀川さんの言葉っていうのは、生き方そのものについて、ズバズバとこう直言してくるところがあって、まあ、生きてるっているのは、何かこう曖昧なところがあるわけですけれども、その曖昧さを許さないっていうとこが、あるのは、ものすごくきつい、言葉となって胸にひびいてくる。こんな生き方していていいんだろうかっていう、その気持ちがまた、今ずっと覆いかぶさってきて、いるわけです。今日は、オリコのアンプをちょっと直してみて、ヒューズがとんでいるのを入れ換えて、それからバッテリーの手筈も整って、ところがバイアスがどうしても上がらないんで、これはまたどっかバイアスの回路が壊れてんのかって気にもなって、そうすると、アンプが使えないことになると、何かちょっと、どうしようか。ま、アンプが分かる人が近くにいるかもしれないから、その人を訪ねて聞いてみようって気にはなってるんですけれども。ウーン……あ、でも毎日撮るということにしたから撮らないわけにいかないから、この撮影だけはやろうと、今、準備してとりかかったところです。

30 日本橋雅陶堂ギャラリーでの若林奮個展。

31 その作品群。

32 菅原克己さんの出版記念パーティー。菅原さん、草野心平氏、嵯峨信之氏、大岡信氏、岩田宏氏など。

33 <11月25日>――赤字に黒の日付。
 茶色のカーデガンで、最初は前日と同じ姿勢だが、途中から向き直り、横向きになる。左足を曲げ、その上に肱を置いてカメラの向こうを見て話すようになる。声も張りが出てくる。最後には正面を向く。
<ナレーション>今日は十一月二十五日。ゆうべ菅原さんのパーティーで会った堀川さんの言葉が気になって、今日は何となく気分がすぐれなかった。あの言葉っていうのは、自分が生きている、僕自身が生きている、そういう、その生き方について鋭く問いかけてるところがあるから、どうしても、その、こういう生き方をしていていいんだろうかっていう考えにとらわれて、気分がすぐれないということになってしまうわけなんですね。で、まあ、オリコのアンプが悪いっていうふうに思ってたのも、僕のコネクションの違いで、そのどうやら、今日は撮れるという、そういう状態で、でも、あの、堀川さんの言葉が胸にこたえるっていうのは、やっぱり、あの人が昨日言った「もうきみなんか、密室の文学になってしまった」っていうようなことを言われて、あ、密室の文学かっていうふうに思って、何かこう、運動とかそれから外へ出ていかれないということとか、あるいは他人とやっているような、そういうものとは縁遠いものになっちゃったっていう、そういうのでもないんです。何か現実の関わりあいが失われていくにちがいないって、そういう予言みたいなもので、ちょっとまあ、何か憂鬱な気分になっちゃう。映画撮るってったって、こんなふうに、こう部屋の中の一角にカメラを据えて、それでまあこうやって撮るということになってしまってるっていうか、これがまた密室の映画っていうか、そういうことにもなるわけで、何か、僕自身の生きてる範囲っていうか、生き方っていうか、それがもうギュッと狭められて、それから出ていかれないっていうか、なんかそういう予言めいたものとか、なんか自分が変わろうと思ってても、変わりきれないんじゃないかっていう、そういうことをズバリ言われちゃったみたいで、何となく憂鬱で、ちょっと浮かない気分で、その代わり、起きなかったから、昨日は早く寝たし、睡眠は充分にとれて、元気は元気で、したがって今日の夜は五〇フィート・マガジンのフィルムを詰める作業をやったりして、これからまた明日渡す原稿を十枚書かなきゃなんないんだけれども、気分は憂鬱だけれども、なんか、退屈してるとか、何もしたくないっていう感じじゃなくって、ああいう人と会うと何かすごく、ホントに人間にふれたなあって感じがするのは、まあ、不思議だって言えば不思議で、ああいう人間、堀川さんみたいな生き方してる人は、ほんとにどういう人なんだろうかしら、ああいう人をつかまえたいって感じはするわけで、何かフニャフニャに生きてないっていう、そういう気にさせられるわけだよなあ……映画を撮るって、こんな撮り方っていうのは、これはもうホントおかしな撮り方で、自分が映画ん中出るっていうか、映画は何かを撮るものなのに、自分がカメラの前にこう、誰も撮ってないカメラの前でこんなふうにしゃべったりするっていうのは破廉恥っていえば破廉恥な感じもするし、でも、なんか、これを追いつめていかないと外側に行かれないんじゃないかって気がして……してるんですよね。しようがない。もう、十五日間、撮りつづけると、途中でアンプの故障になって、なんかこう、ぎょっとしたけれども、それでもどうやらアンプは大丈夫なようなんで、このまま撮りつづけていかれると思う。

34 <11月26日>――赤黒の地に青で日付。
35 日付の後、自宅の外の壁から脇の道路。雨で、早朝なので、アンダーショット。濡れて光るコンクリート。サイレント。

36 正面に向いて台に腰かけている。頭から足までフルショット。膝の上に撮影するカメラの電源のコンセントがある。画面左に、日付を書いたカンバスが見える。
<ナレーション>今日は十一月二十六日。今日はいままで一週間撮影した分を現像所に出したわけですけれども、なんか今日は撮影するのがものすごくきつい。ま、結局、今朝八時頃まで原稿書いてて、寝て、十二時半に目覚ましで起きて『アサヒカメラ』にその「高梨豊論」を持ってったわけですけれども、そこで一応打ち合わせして、そのあと、前に『カメラ』の編集やってて今『アサヒグラフ』の編集やってる大崎紀夫さんにも会って、いろいろと写真家のことなんか話したわけですけれども、彼の話し方がまた、僕のことを批判した言葉がたくさん彼の口から聞かされた他わけで、で、そういう、なんかこう非常に批判的な言葉っていうのを聞くと、なんかものすごく、堀川さんの話もまあそうだったんだけれども、身にこたえるっていうか、そういうかたち、感じがするわけで、で、それから、オリコのアンプのバッテリーを注文しに新橋のユアサバッテリーへ行って、で、夕方から夜の十一時頃まで渋谷で、昔のNHKの仲間と麻雀をやってたわけです。ちょっと麻雀やらないと息が詰まっちゃうというようなところがあるから、彼らといつも麻雀をやるんですけれども、それはそれとして、こうやって撮影してるっていうのがほんとになにか、まあ、自分が画面に出ているということで、見る人が見たらば、いい気なもんだなって感じになるんじゃないかっていう、気がして、それがすごく、こう、今日は撮るのはいやだなあってな感じが、まあ、しているわけなんですよね。ほんとにこんな映画なんていうのは、多分おもしろくもおかしくもないわけだし、でも、そんなこと自分考えついて、撮影するって始めてしまったってことが、まあ、なんか、人は何て言うか分からないし、破廉恥っていえば破廉恥だし、ちょっとその辺が困った、感情として困っちゃったって感じがしてるんですよ……一応、十五日間撮りつづけるわけだから、撮ってしまえばなんとかなるんじゃないかというふうに思っているけれども、でも、このフィルムを、もしかしたら、自分で一回見て、近しい人に一回ぐらいは公開してもいいけれども、そのあとはなんかオクラにしてしまった方がいいんじゃないかっていうような、このあいだの「写さない夜」も、あのフィルムもちょっとそういう感じがするわけだし、なんか僕が死んじゃったあと見るためのフィルム、自分で撮ってるって感じがちょっとして、なんかちょっとほんとにこんなこと撮りつづけていいのかっていう感じがしてきているところです。今朝は雨が降ってたんで、雨が降ってる家の近くを撮ったりしたんですけれども、どうしても自分にカメラを向けるっていう、そのことがなんかこう、上映されたときのこと考えちゃっているところへ行って、そうなると、どういうふうに受けとめられるか、僕自身っていう人間が、どういうふうに受けとめられるのかってことで、僕の存在っていうのは僕にとってどんな意味があるかっていったら、僕自身が僕にとっての意味合いっていう、僕が画面を見る場合には、なにかあまり意味はないっていうか、その意味のなさみたいなのを、なんか、あからさまに示しているような感じで、なんかすごく嫌味ったらしい感じがしてきて、だから結局、僕が死んでしまったあとであれば、僕の知ってる人や、あるいは僕に好意を持っててくれた人なんかが……。

37 <11月27日>――青い地に黄色い文字。正面を向い胸までのショット。茶色のチェックのシャツを着ている。
<ナレーション>今日は十一月二十七日。火曜日です。今日は久しぶりに天気が晴れた。お昼から「モリ・トラオレ」という名のコート・ジボアールの黒人が作った映画を見に行った。この人は京都に住んでいて、コート・ジボアールから同じように来た黒人が日本で職が得られないで、生活に息詰まってじさつしてしまった、その実話にもとづいて作った映画を見たわけです。彼が主演して、そしてその差別、黒人差別、それから部落解放の人たちと結びついていく過程を描いた映画だったわけです。それが一時から東和の第二試写室であって、それは倉岡さんから電話があって、行ったわけですけれども、土本さんなんかもその映画の上映には力を貸しているわけで、それを見てから伊東屋で麻理に頼まれた針金を買って、で、夜は「東京クロム砂漠」映画会があって、それに僕はまあ終わったあと話をしたわけです。もちろんこの映画を撮ってるってことは、土本さんにも六価クロム禍を撮った人たちにも恥ずかしくて言えなかったわけで、そのあと、あ、そのあとじゃない、そこへ行く前に横浜シネマに寄って、昨日の、あ、おとといか、おととい出したフィルム、つまり、十一月二十五日まで撮ったフィルムを、現像に入れてあったのを取りに行って、で、帰ってきて、現像を見た訳です。現像って、フィルムのラッシュを見たわけですけれども、そのラッシュを見て僕はショックを受けたわけですね。自分の姿っていうのは、鏡で見てるけれども、しゃべってる自分の姿見るとまあ、なんていけすかない顔した奴だなっと思うのと、そのフィルムがあまり感情を与えないっていうのでガッカリしてしまったということなんです。なんかもう、頭この辺がくるくるってなったみたくなって、そのあと風呂に入って落ち着いて考えてみると、とにかくこの映画は完成させなきゃなんないし、十五日間やるって決めた以上、撮りつづけるってことにしたわけだから、やりつづけなきゃならないわけだけれども、まあ、この映画を公開するんだとしたらば、「実験映画」っていうふうにつけて見せなきゃ、ちょっと作品としては見せられないんじゃないかっていう感じがどうしてもして、それがなんか拭えない感じがずっとしてたわけなんですけれども、……とにかくこんなふうに自分を撮るということが、また自分を突きつけているっていう感じになるんじゃないかって思ったけれども、意外にそれが、なんか自分のやってることに陶酔してるような感じがあって、それがちょっといやな感じを与えるのが、僕としては気がすすまない感じがしたけれども、しかし、とにかく、撮りつづけていくことによって、自分の何かが出てくるんじゃないか、つまり何もしないで、こんなことやってるっていうのは、なんかこうちょっと、突きぬけられるんじゃないかって、そういう感じが若干したことはしたわけです……なんか、へんな、やっぱり、ちょっとこの姿勢はよくないのかもしれない。ま、やっぱりこのぐらいの姿勢で撮るのがいいのかもしれない。なんかこう、だんだんちぢこまって……。

38 自分を撮影しているカメラ、オリコシネボイス。

39 再び自分の姿。ライトはオーバー気味で、足まで入るショット。横に置いてあった別のカメラ、ボリューR16Bを手にして、正面つまりオリコに向かって構える。
<ナレーション>今は深夜の午前三時だ。カメラの後ろには誰もいない。みんなが眠って、深夜の、草木も眠る丑三つ時に、僕はカメラで撮ってるんだ(撮影しているカメラ、オリコに向かって別のカメラ、ボリューR16を構えて撮る。そのカメラ・ノイズ)。なんか、ゾクゾクしてくる感じがあるんです(また、カメラ・ノイズ)。

40 カメラ(オリコ・シネボイス)。露出がいろいろに変わり、明るくなったりくらくなったりする。
<ナレーション>なんだろうか。これは、なんだろうか、これは、なんていう気違いじみたことだろうか。

41 正面の自分。
<ナレーション>なんだろうか、これは。

42 ガラスの向こうに麻理の描いた少女の絵。

<Reel 1了>

<11月28日>――黄色い地にみどりの文字。
「11月28日」という声で入ってくる。狭い本棚の間に、黒い服で坐っている。カメラは仰角気味。話のテンポが早くなっている。
<ナレーション>二十八日。十一月二十八日。十一月二十八日。十一月二十八日。十一月二十八日。十一月二十八日(次第に声を落としてくりかえす)。
 今日は十一月二十八日。今日撮る背景を変えてみた。昨日、あのラッシュを見て、ちょっと、なんか、つかみどころがないっていうか、つまらないのか面白いのか、結局自分自身について、自分をそんなふうに思うことはできないということがわかって、それで、とにかく、撮影するっていうのはもう、カメラは必ずそこにあって、で、こちら側に私がいて、それで、画面の中ではもう完全に人に見せるんだという、そこへ、なんか、その関係はもう崩せないっていう、そのことがはっきりわかって、で、今日はもう背景を変えて、なんか変なところに入ってしまって、本と本との間にいる自分というものを、ま、撮ることにしてしまったわけです。今日は、お昼頃まで寝てて、お昼頃、『宝島』の松村さんが原稿取りに来て、で、原稿渡してそのあと、ちょうど昨日、狂気の沙汰か気違い沙汰だなんていうふうに撮ったあのとき、ボリューがどういうわけか、全然動かなくなっちゃったんで、それを持って出かけて銀座のサクラヤに行ってボリューの修理を出して、それからその足で銀座一丁目から日比谷のプレス・センターまで歩いて、で、そのプレス・センターで開かれている『アサヒカメラ』再刊三十周年パーティというのに出たわけです。というのは、『アサヒカメラ』に僕は来年、「新映像論」というのを連載するので、写真界というのはどういう構成になっているのか、見るいい機会だと思って、行ってみたわけです。ま、結局、どうってことはなくて、ただそこに、つまり、普通の雑誌の中には出てこないけれども、なんかすごくいろんな偉そうな人が、やっぱりいろいろウロウロしている世界なんだっていうことはわかったわけで、そのあと山田脩二さんとあってちょっと話をして、またあの、大崎紀夫記者と一緒に話して、彼の写真論を聞いて、それから、ま、彼の写真論にはすごく共感するところがあるし、なにかこっちがどっちつかずな気持ちでいたり、何となくフニャフニャ日和見的なところを彼はスパッと正してくるところがあるのは、それがいつも気持ちがいいと言えば気持ちがいいし、考えるよすがになるところも若干あるわけで、で、それから山田脩二さんとちょっとお茶飲んで、山田脩二さんと新宿まで地下鉄で出て、地下鉄から僕は国電に乗りかえて、東中野の文学学校に来たわけです。で、文学学校では詩のクラスを教えているから、そこで、文学学校では詩のクラスを教えているから、そこで、今日は来栖君と、それから佐藤君の詩をふたつ読んで、これを七時頃から九時近くまで二時間かけて、ふたつの詩を見当したりなんかした。そのあと本当はみんなといつも飲みに行くんですけれども、今日は僕はとにかく『新しい女性』の原稿十二枚をこの間の川上宗薫の、書いたのではダメだと言われて、これをボツにされたので、これから明日の朝まで書き直さなきゃならないということがあるわけなんです。で、まあ、今ちょうど十二時過ぎて、今テレビで「アンタッチャブル」やってて、これが見たいんだけれども、今日はその原稿書かなきゃなんないから、先に撮影を済ませちゃおうと思って、このところで撮影をしてるわけなんです。あの、このあと、ちょっと夜食をして、それから原稿にとりかかって、明日の、そう夜明けまでかかってしまうんじゃないかなっていいうふうに思います。今日は大雨で、テレビでやってたのによると、南極観光団が、飛行機が南極に墜落して、また、そのときの犠牲者の名前がテレビに、名前がズラーッ出てるのを見て、しかし南極に観光旅行に行くっていうのは、ちょっとやっぱりいきすぎじゃないかなって、そういう感じは若干するわけです。僕としては南極に行くんだったら、それは観光なんていうものじゃなくて、やっぱり何か研究するとか、あるいは南極の風景そのものに何か求めるのだったら、やっぱり何か命がけで行かなきゃいけないんじゃないかなっていう気がする……。

44 字幕<『宝島』の編集者は村松さん。いいまちがえている。>

45 <11月29日>――みどりの地に紫の字。
 壁の角の隅で。黒セーターに茶のカーディガン。ほとんど顔のアップショット。話し終わっても、カメラが廻っているので、カメラを正視していて、姿勢を変える。 <ナレーション>今日は十一月二十九日。起きたのは十時半頃だったんですけど、麻理がどっか出かけると言うので、いなくなるという、その声で起こされて、で、目を薄くあけて空見たらば、晴れてるんで、それじゃ、晴れてるその情景を撮ろうと思って、情景といっても部屋の中に、陽が射している、そういう感じを撮ろうと思って、起きてカメラの仕度をしたら、これが意外に、いざ撮ろうなったら曇ってしまって、撮れなくなってしまったわけです。で、まあ、そうこうしてるうちに、十二時過ぎて一時近くなったんで、電話で約束してあった『新しい女性』の志村さんが取りに来たわけです。で、原稿読んでもらって、帰ったあと、すぐ今度はイメージフォーラムの富山さんがきて、で、ここ二年間ばかしのフィルム・レンタル料を持ってきてくれたのが、これがまあなんと、ちょうど今撮影している現像代をどうしようかって考えてた時だったので、非常に助かったわけです。で、富山さんといろいろと話して、今度イメージフォーラムで映画の雑誌出すこととか、あるいはイメージフォーラムの運営のこととか、そういうこともいろいろと話して、人の噂話なんかも話して、で、富山さんが帰ったのがのが五時前後だったんですけども、それから僕は一時間半ぐらい寝て、それで夕食にしたんです。で、昨日小川プロから送ってもらったお米を、炊いて食べてみたわけですけれども、非常においしいお米だったですよね。で、そのあとテレビ見たりして、ちょっとしてから書斎で高野民雄の今度詩集が出るので、それをゲラで読んで、僕の文章をつけるってことになったわけですけれども、その詩集を読んで、まあ、僕が若かった頃、『凶区』に属していたときの、一緒にやっていた高野民雄の詩を読んで、なんか懐かしいという感じとともに、自分がなんかちょっと若い頃抱いていた、で、今、ちょっと忘れかけているような、そういう言葉の雰囲気が思い出されたという、まだ全部読んでないんですけれども、あとちょっと読むと、特に中の「砂漠にて」って詩、あの詩なんかは、非常にすぐれた詩だっていうふうに僕は思ったわけです。高野の、なんかこう、自分の内面に入っていくときの昂ぶり、そういうものがすごくよく出てる詩だ。で、とくに波が沖の方に引いていって、それが立ち上がって、壁になっているなんていう表現は、もう今の僕なんかちょっと考えられないような言葉で、やっぱりあれは六〇年代の二十歳から三十歳にかけていた人間の言葉のひとつとして非常に心に迫ってくるものがあったわけです……なんかこう、もうちょっと自分というものを、なんかはっきり出すっていう仕方はないもんかなと思って、今日は昼間、望遠レンズで、外の景色をちょっと撮ったんですけども、そういう、なんか望遠で、なんか狭い画角で積み重ねていく、そんなことぐらいしかできないのかなって感じがちょっとしたり……

46 字幕<『新しい女性』のシムラさんといっているのは上原さんの思いちがい。>

47 窓際の鏡の中、撮影している自分を撮る。赤いセーターを着ている。ズームイン。
<ナレーション>十一月二十九日。十一月二十九日……

48 同じ窓際の鏡のある、大きな部屋の一角。光が入って明るい。ラジオの音がバックに流れる。菅原洋一の歌。カメラ、パンして白い壁の前の三角のハシゴに来て止まる。そこへ、左からマイクを持って入って立って話しはじめる。
<ナレーション>今そこでカメラが廻ってるわけです。カタンコトンと音を立てて廻ってます。そのカメラの後ろには誰もいません。この静かな部屋の中で、今、カメラの音だけ聞こえてくるわけです。そのカメラの後ろには誰もいないけれども、じつはそのカメラの後ろは暗闇があって、で、その暗闇の中に、今このフィルムを見てる人たちがいるわけです。僕はここに立っています。しかし、その暗闇の中にフィルムを見る人が現れたときには、僕はここにいないわけです。この関係が、映画を作る一つの、何ていうか大きな、大きなっていうか本質的なことで、ま、それがつまり、そちらに坐っている人のために、こちらはすべて、ないものになっていくという、失われていくというか、消えてってしまうという、そのことが映画としてあるんじゃないか。で、今、僕が撮ってる映画っていうのは、じつはそちらの闇の中に坐っている人たちの方になくて、こっちの今、僕が生きて、ここにこう立ってる、ここにこうあるわけなんですよね。その変貌の仕方画、意味が変わっていくんだけども、それがどこまできたか、つまり、僕という人間は、ラッシュを見てもこの映画を見ても、撮影してるときでも、同じ人間なわけだけれども、このフィルムを挟んだ関係になると違ってきちゃうということで、で、撮ってる人間、あるいは見てる人間、それは、あの、同じ僕が撮って、同じ僕が見てるあいだは、フィルムは少しもこの現実を変貌させないわけで、このところが、自分自身を撮るということの不可思議さっていうか、普通ならなくなってしまわなきゃいけないものが、なくなんないっていうこと、普通なら現れてこなきゃいけないものが、いつになっても現れてこないという、そういうなんか、ものになってしまってるっていうことがあるんじゃないかと思います。とにかく、ここにあるものはなくなるわけで、そのなくなるものを、何かこう、撮ることによって、で、闇の中に現れる人たちに対して、夢のような、あるいは、何か、別の世界っていうか、虚構が成立する、そういうのが映画だってことが、ずっと撮ってきて、はっきりわかったと思うのです。

49 撮影中の自分の眼のアップからズーム・バックしてカメラまで、またさらにズーム・バックして鏡ごと全体(ラジオの音楽クラシックあり)。
麻理「上向かなくちゃだめ?」
志郎康「普通のままでいいよ、人形やってて」
志郎康「はい、こっち向いて」
麻理「ずっと?」
志郎康「うん……じゃあね、笑って」

51 花からズーム・バックに。イスの上で遊ぶ草多。

52 窓の向かいの屋根の上に見えている塔の尖端のアップ。

53 隣りの家の屋根の上に見えている松の枝。

54 校舎(中学校)

55 中学校の銀杏の木の上の方。

56 中学校の校舎で工事する人。

57 黄色くなった葉の向こうを電車が通り過ぎる。

58 切られた木の尖端。

59 枝。

60 屋根の上のスズメ三羽のアップ・ショット。

61 前の家の瓦と紅葉。

62 銀杏のアップ。

63 ガラスの外を這っているテントウ虫、アップで。

64 コンクリート用アンカー、フェイドイン、フェイドアウト。

65 ネジ三本立てて、フェイドイン、フェイドアウト。

66 はずされた扉の留め金。

67 水晶球、ズームイン。

68 テレビの画面、「アンタッチャブル」の冒頭数カット。

69 ポラロイド写真。訪ねてきた人たち。編集者、富山さん、和田さん、金井さん、田中君。

70 山田脩二さんのパーティ。篠山紀信氏、大辻清司氏、大崎紀夫氏、岡田隆彦氏。

71 山田脩二『日本村一九六九―七九』写真展。その写真。

72 窓の外の曇り空。

73 <11月30日>――紫地に赤い文字。茶色のカーディガンで正面を向いている上半身。落ち着いた話し方。
<ナレーション>今日は十一月三十日です。今日はじつによく撮影した。えっと、十時頃眼が覚めて、外を見ると晴れているので、今日こそ晴れた昼間の風景が撮れる、風景じゃなかった、部屋の中の様子が撮れるというので、今日は撮ったわけです。昨日まですごく追いつめられた気持ちでいたのが、なんとなく今日は、軽い気持ちになって、撮影ができて、部屋の中で、つまり、カメラの後ろに何もいないということと、そのカメラの後ろに闇が拡がっているっていう、そういう意識ができて、その関係が気分を柔らかくしたわけです。で、その撮影が終わった後、ちょっと麻理の顔をアップで撮って、仮眠して夕方から山田脩二さんの、ミノルタ・フォト・ギャラリーでやっている個展を見て、そのあとすぐ出版記念会、『日本村』という写真集の出版記念会に出て、で、そこで、いろいろとみんなの歩く姿を撮影したりして、そのあとパチンコやって、パチンコも今日はついてて、二百円で三百三十個、玉が出たわけです。で、帰ってきてから、テレビ、今日は久しぶりに原稿に、まあ、ひとつ書かなきゃなんないんですけれども、高野民雄の原稿を今日書かなきゃなんないんですけれども、それの他何もないので、テレビを見て、それからその後、今日買った『アサヒグラフ』を見たらば、そこに出てたベトナム難民の子どもの栄養失調の顔に、何かすごくギョッとして、電車の中でちょっと、いや、喫茶店でひろげてみて、あの悲しい気分になったことはないです。でも、その悲しい気分も、自分を追いつめられた悲しい気分じゃなくて、何かこう、行動を起こすという、そういう方へつながっていく、何かそういう気分だったわけで、で、帰ってきて、テレビ見終わった後、それを撮影したりして、今日の気分は非常にのってるというか、そういう気分でいるわけです。こういう気分が毎日つづいてるといいんですけれども、ただこれは、まあ、なんか開けてきたってことがちょっとあるってことがある……

74 字幕<『アサヒグラフ』のベトナム難民と言っているのはカンボジアの誤り。> 75 <12月1日>――赤い地に黄色い文字。紫色の裏地のジャンパーを着て、カメラボックスにまたがっている。
<ナレーション>今日は十二月一日。土曜日。曇り。ゆうべは五時近くまで高野民雄について書いていて、今朝は起きたのは十二時近くなっていて、麻理が体の調子が悪くて起きられないと言うので、パンをやいて草多と二人で食べて、それから、秋元に電話して、高野について書いた原稿を下北沢のデメテルで渡して、で、秋元といろいろ話をしていたわけなんですけれども、その中で、人間の自我のありようみたいなものについての話になったときに、結局、人間なんていうのは、あるのかないのか、わかんないようなものだけれども、というようなことを話してるときに、この日記映画を撮ってる話をしたわけだけれども、こうやって、ずっと話してきてもわかるように、結局、僕の生活っていうのは、原稿書いて人に会って渡すという、それのくりかえしみたいなところがあるわけなんで、で、人に会うっていうことが、そこで決まってしまってるっていう木がするわけですよね。で、その原稿を渡してしまえば、そこで話したことも、何か、話したいことっていうのは言葉が持ってる意味合いとして、その次につながっていかなきゃならないんだけれども、それがうまくいけば次の原稿っていうことになるけれども、そうでなければそこで切れてしまうわけで、ただ、だから、何か目的があって話すって、人に会って話すっていう時には、その目的を満足させる何かで終わってしまって、で、だからもっと彼と話したことでは、無目的に、あんまり目的持たないで、ただ人と会うということ、そこから何かこう生まれてくるんじゃないかって、そんな話をしたわけなんだけれども、で、まあ、そういう話になったんで、じゃあ今日は、今晩飲もうかってことで、一旦別れて家に帰ってくると、麻理の体の調子が案外、あの、悪いみたいで、で、仕方がないから、今日、ほんとは、あ、それで、すっかり忘れてたんだけれども、『宝島』の人とニューロックを聞きにいくことになってたのを、それも聞きにいけないという電話をして、それから秋元に会うのも結局やめにすることにして、で、出かけてって、小田急の地下でお惣菜を買って、それから約束していた四谷三丁目まで出てって、秋元を待ってですね、そこで、和田幸子とか、イメージフォーラムの人とも会ったりしたんですけれども、秋元と会って、今日はちょっと飲みに行かれないからって言って、返して、で、夕食をしたわけです。で、夕食を済ませたところに造形大で写真をやっていた田中君が遊びにきて、南アメリカを撮ってきた写真を今度は作品としてきちんとパネルに貼ったので見てくれと言うので、それを見て、いろいろと話をしたわけですよね。で、いろいろと話をすると、また、そこで彼なりに僕の言葉の中から組み立てて、次にやることを考えたりするわけで、で、僕も彼に話していく中で、何かこう、今日、今、撮っている映画のことで話すと、それはいつ上映するんですかということになって、上映することになるかっていうと、来年でしょうということになる、ま、そういうふうに動いていくわけなんじゃないかと思うわけなんですよね。で、ただそれが、その動かしていくのが、すごく決まった生活の中だと、原稿書いて渡す、何かそういうひとつの完結したものになってってしまう。日常生活ってのは、そういう完結したものでしばりこんでくるというところがあるわけで、そこを破ってくためには、何かこう次に通じていく、原稿を頼まれて書くというひとつの形じゃなくて、わけがわからないけれどもやるという、そういう次の行為に結びついていく言葉と、その言葉を行為に移すというそのことによって、日常生活というものは破けていくんじゃないか。で、その言葉というものはどこから出てくるか、そこがあるひとつの情動というか、キリッとしばられた日常の中で、自分が……。

76 <12月2日>――黄色い地に黒で文字。
 茶色のカーディガンを着て、正面を向いた上半身。画面右に少女を描いた絵。
<ナレーション>今日は、なぜか、悲しい気分です。カメラの後ろに拡がっている闇の中に坐っている人たちに向かって、何か芸当ができればいいんですけれども、ただこんなふうに坐っているところを見せたところで仕方がないということはわかっているわけです。ただ、十五日間、今日は十四日目ですけれども、撮ってきて、どういうことがわかってくるか、まあ結局、やり始める前とやり終える後とは同じだったのかもしれないけれども、でも何かちょっと、私としては、もうこれはやらないというか、そういうところには来たわけです。つまり、何かやらないと、あるいは何かやってることがなければ、人間てのは存在しないのかもしれないってことが、ここではっきりしてきたわけです。今日は十二時頃起きて、麻理の体の調子がまだ悪いので、ラーメンを自分で作って、草多にも食べさせて、それから和田さんが原稿を取りに来たんですけれども、ゆうべ書いた和田さんのげんこうも、これを撮影している心理に影響されてか、非常にきびしくなっていて、和田さん自身が、自我意識の現れとしての映画の作り方というのに対して、僕は非常にきびしく書いてしまったので、ちょっときびしすぎたかなと思ったけれども、でも、やっぱり何か自我意識だけを現すような映画じゃなくて、その映画の中に、何かこう共有できるものが展開していてほしいって思うわけです。で、そういうことから考えると、このフィルムも自分を撮るってこと、自分にこだわっていくということの、ある種の無意味さみたいなものを暴露するようなところがあるんじゃないかっていうふうにも思えるわけです。で、それで和田さんとちょっと話して、草多が今度はドラえもんの本がなくなった、なくなった言うんで、一緒に探したんだけれど、結局見つからなくって、で、それをもう見つからないからあきらめろって言っても、あきらめないわけですよね。仕方がないから本屋に行って買ってやると言ったので、一緒に出かけていって、夜の仕度もしなきゃならないから、その、夕食はおでんにしようということにして、おでんのタネを買いに行く時に、一緒にドラえもん百科を買ってやったわけです。どうしても、何か甘くなっちゃって、一緒に探すっていっても見つからないのをどこまでも探すってわけにもいかないし、そうかといって買ってやればそれですんじゃうってこともあるし、向こうも喜ぶから、その喜ぶ気持ちにこちらはすぐ引っかかって、草多には何か買ってやっちゃうってことがあるわけなんですよね。で、その後、おでんを食べて、それから、もうたまらなく眠くなってきたんで、三時間ぐらい寝て、その後お風呂に入って、夜食をすませて、ちょっといろんな撮影をして、で、それから、カバンなんかを撮ったんですけどね。それから、詩をひとつ書いたわけです。ま、その時は、こうやってカメラに向かって、自分と対面している、そういうこと、そのことの今の僕の、何か、どうしようもなくそんなことになっちゃってるところを、割合と思いを込めて、書きだしてみるというような詩をひとつ作って、それが終わって、現在、もう朝の六時過ぎたというところまで来てしまいました。この撮影が終わったら、何かちょっと、パンなんか食べて、それで寝ようと思ってるところです……高揚した気分から沈んだ気分にいって
……。

77 万年筆のペン先のアップ、フェイドイン、フェイドアウト。

78 カバンの留め金のアップ。オーバーラップに、さらにオーバーラップしてカバンのフルショットになり、フェイドイン、フェイドアウト。

79 <12月3日>――黄色の縁取りをした黒い文字。
手前に、テーブルの上にフィルムの箱が積み上げられ、右手にボレックス・カメラが三脚にすえてある。その後ろに、小さめにいつもの茶色のカーディガンを着て、本棚を背に坐っている。
<ナレーション>十二月三日。十二月三日。最後の陽。十二月三日です。十二月三日。今日がこのフィルムを撮影する最後の日になった。今日は六時半過ぎに詩をひとつ書いて、眠ったわけですが、麻理が調子が悪いので、九時前に起きて、草多を保育園に送っていかなきゃならないと思って、目覚ましをかけて起きたわけなんですけれども、眠くてしようがなかったので、麻理が友達の衆子さんを頼んで、一緒に保育園に連れていってくれるって言うんで、それにまかせて僕は眠ってしまった。で、十二時頃、思潮社の山本君から電話があって起こされ、それから、コーンラーメンを作って、麻理と二人で食べたわけです。で、三時近くなったと思うんですけれども、山本君が来て、詩を渡して、来年の二月号の原稿のことで相談をして、それから、それでもう四時を過ぎていたので、草多を保育園に迎えに行ったわけです。今日は、すごくいい天気だったわけで、われですけれども、昼間はあっという間に過ぎてしまって、で、草多を迎えに行くついでに、ギョウザとシュウマイを買ってきて、それから、流しを、汚れた茶わんなんかを洗って、で、ついでにずっと続けて夕食の仕度をしてしまって、六時ちょっと過ぎに夕食になったわけです。で、ご飯を食べ終わると何かよく働いたなって感じで、眠くなってしまって、寝てしまって、十時頃起きて、それから、テレビを「アンタッチャブル」を見て、それで、その後食事して、それからずっと考えて、このフィルムのラッシュを見たりですね、それから何かこのフィルムにどこか開けた風景を入れたいなという感じがしたので、去年の冬、角館へ行った時のフィルムを見たわけです。これは割合といいフィルムだったっんで、何か入れるかなって感じがして、でもこれは入れない方がいいんじゃないかなって、今思っているわけです。このフィルムを撮ってきて、自分がいろんな他人が気になるので、他人もまた自分に関心を抱いてりうだろうという、そういう考えが相当にあるので、こういうフィルムを撮ることになったんじゃないかなっていうふうに思うわけです。で、これは意外にしかしだけど、他人は自分が考えているほど、自分については関心をあまり抱いていないかもしれないのだし、何かひとつの関心の抱きようが、非常に抽象化して、つまり身近にあって、その人と何か話したり、一緒に遊んだり、そういう関心の持ち方じゃなくて、ひとつの表現の媒体を通しての関心の持ち方っていうか、そういうものになってる、その、こう引っくり返った反映としての僕の意識のありようが、このフィルムの成立を支えているんじゃないかっていう気がしたわけです。で、何かこう、時代っていうか、そういうものはそこに生きている人間の意識のありようで、で、こういうフィルムはじつはそういう意識の、一種転倒した個人というものの生きてる姿、それにこだわっていく、ま、言ってみれば、どうしようもないって言えば、どうしようもないのかもしれないけれども、そういうところの上に成り立っているということで、で、そういうところに成り立ってる芸術っていうのを、ほんとは否定していかなきゃいけないんじゃないかって気がしてきたわけですね。で、そういう個人のありようみたいなもの、つまり表現もありようのひとつとして、そういう関心の持ち方じゃない関心の持ち方、で、それはいったいどういうところにあるのか、それが今回のフィルムを撮ってきたところの、何か、結論と言えば結論になったような気がするんですけれども、でもこういう結論というもの自体が、一種あやしさがあってですね、カメラがぐるぐる廻って、カタカタカタって鳴ってくると、だんだんあわててものを言わなくちゃならなくなってくるんだけれども、そうじゃなくて、もうちょっと違う、何か考え……

80 フェイド・インして、夜明けの空、雲が光を受けて美しい。キース・ジャレットのピアノ曲が流れる。

81 塗り込められたキャンバス上に<了>。

(採録テキスト:渡辺洋)         




撮影・構成・編集:鈴木志郎康

登場する人たち:鈴木麻理、草多、菅原克己さん、若林奮さん、写真で金井勝さん、富山加津江さん、その他の人たち

DOCUMENT


 渡辺洋さんが『15日間』で「わたし」が喋っている言葉を採録して、エキスパンデッドブック版として公開いるので、ダウンロードして読むことが出来ます。

渡辺洋・「すみれ文庫」第2期第1回配本・鈴木志郎康『15日間』(映画『15日間』ハイブリッド・テキスト版)


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