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[ 鈴木志郎康映像個展 ]


鈴木志郎康作品『草の影を刈る』


(200分)1977年 16ミリフィルム モノクロ




『草の影を刈る』の紹介


 この作品は、ほぼ一年間の心境の変化を語る日記として展開する四部構成になっている。
第一部は、1976年11月28日より12月31日まで。
第二部は、1974年12月31日より1976年10月20日まで。
第三部は、1977年1月1日より2月25日まで。
第四部は、1977年3月20日より10月16日まで。

 このころ作者はNHKにフィルムカメラマンとして勤務するかたわら、様々な雑誌に発表する原稿執筆に追われ、原稿を早朝に起きて出勤する前に書いていた。第一部では、早朝起きて原稿を書くとき、窓の外に見える日の出に心動かされ、それを撮影するというところから始まり、「日記映画」を作ろうと考え、12月末まで撮影する。団地住まいの窓からの眺め、家族の姿、近所の商店街、新聞やテレビの画面など撮影。また、日常を撮影するのに、軽くて扱いやすい16ミリカメラの「ボリューR16」を買ったこと、テレビの画面などが時間の指標になるというなどが語られる。

 第二部では、そうした自分の生活を映像化するという視点から、1974年以降に撮り溜めてきたフィルムが「作品として生きたもの」になり、この映画の撮影が始まる前までが編集されている。生まれたばかりの息子の草多、正月に遊びに来た戸田さん一家、友人の矢部くん、富沢くん、職場の同僚の吉野さんの家に遊びに行ったこと、母親の葬式、子供の頃に遊んだ場所、詰め将棋の天才マキヤ堂主人黒川一郎氏、職場のリクリエーションで伊豆に旅行などなど。つまり、自分が個人として持っているイメージの集積の一部。

 第三部は、第一部の続きで、1977年の1月1日から2月の末まで。日記映画として撮り続けようと思いながら、生活の中に目新しさが無くなり、撮れなくなって、撮影の動機ということを考える。そして、自分の視野のイメージが生活の形態によって枠づけられていると気が付く。毎日出勤するとき歩く道を四度撮影してみて、同じところで立ち止まって撮影する自分にイメージが膠着していることを発見する。日常の視野が形成しているイメージとは何か、という問いを語り続ける。

 第四部では、膠着した日常意識を乗り越えるために生活を改めようと、退職する決意を固めるくだりが語られる。沈滞した気分が、歩行者天国を散歩したり、家族と動物園に行ったりする情景を背景に語られ、松山に転勤した親友の戸田さんを訪ねて気持ちを語ったりするうちに、新しい生活を始めようと考える。そして、夏も過ぎ秋になって、退職して物書きとしての生活を始めようと決意する。新しく家に引っ越すとなると、日常の視野を占めていた情景も過去のイメージになるというところで映画は終わる。実際、この映画以降の作品は、新しく移り住んだ家での日常の情景によって展開で制作されて行く。

 1977年制作。作者、42歳。


 夜明けの空

 執筆中の原稿

 窓辺にプリズムを置いて

 窓の外を見る草多



制作・撮影・構成・編集:鈴木志郎康
音楽制作:谷田部純
録音:石川早人
作曲・演奏:遠藤賢司

登場する人たち:鈴木麻理、草多、戸田桂太さん、紀子さん、都ちゃん、吉野さん、奥さん、高橋清さん、新沼さん、富沢天くん、彼の奥さん、彼の友人、石黒くん、真理ちゃん、黒川一郎さん、親戚人たち、大辻先生、道を行く人々

1977年版と1999年版との違い。
 1977年制作時は、撮影に「FUJI FILM NEOPAN R250 16mm」というモノクロリバーサルフィルムを使い、編集した後、ポジポジプリントに磁気コーティングして、そこに映写機で録音した。1999年にそのフィルムの傷みがひどいので、音声を原6ミリテープからシネテープにリレコして、これとリバーサル原版とでテレシネして、ビデオからダイレクトプリントした。従って、1977年版と1999年版とでは、音声の位置が若干異なる。1999年版の方が、シネテープで編集しているので絵と音声が合っている。
使用カメラ

Beaulieu R16

BOLEX R16


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