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[ 鈴木志郎康映像個展 ]


鈴木志郎康作品『時には眼を止めて』


(20分)1994年 16ミリフィルム カラー




『時には眼を止めて』の紹介


 白い薔薇の花と蘭の花。それぞれが女王のように美しい姿で咲いた。その形が美しさを語りかけてくる。つまり、花の形は言葉なのだ、という考えから始まって、植物の生理と人間の欲望について語る。夏から冬への庭に眺めの消長の沿って作品は展開する。制作1994年。作者、59歳。



 崩れそうな薔薇

 枯れて形を無くした薔薇

 月見草の花

 台風が来て豪雨

 庭に秋風が吹く

 蘭の花が落ちた茎から密がでる

 大雪の庭

 6月の白薔薇



撮影・構成・編集:鈴木志郎康
スタジオ録音:林 智明

使用カメラ

BOLEX R16

 BEALIEU R16

DOCUMENT
「時には眼を止めて」ナレーション



1{タイトル1:鈴木志郎康作品 1995}
2{タイトル2:時には眼を止めて}
3{タイトル3:撮影・構成 鈴木志郎康 録音協力 林智明}
4{白バラの花に手2カット}:花が咲いて崩れる寸前というところですね。これがいい、なかなか魅力あると思います。今日電車の中でこういうような感じの女の人と会ったんですけども、寝たいなと思ったけど、そうするわけにも行きませんからね。
5{枯れかけた白バラ、ロングショットからズーム}:花って、形だと思うんですね。その形が崩れていく、枯れるということですね。
6{枯れた花びらのアップ}:人が花に求めるのは、それぞれの花の形が、くっきりとしているときだと思うんですけども、僕はその形が崩れて何の花だかわかんないくらないになったところが魅力があると感じるんですよね。
7{蕾、齣撮り}:植物っていうのは、それぞれのその形に向かって、その形を際立たせて、枯れていくっていうんじゃないかと思うんですね。風に身を任せて、身を震わせて、成長して、きれいな形を持ったかと思うと、たちまち崩れていってしまう。花は黙っているけれど、もしかしたらその形が言葉なのかもしれませんね。だんだんと言葉を失っていく、形をなくしていくということですね。まあその形を作っていく時間が短いから、植物の時間というのはすごく密度が高いんじゃないかっていう気がします。
8{葉の水玉}:その密度高い時間が、植物の周りにきれいなものを生み出して行くんじゃないかっていうに思うんですけれども。
9{サンダルから月見草へパン}
10{月見草}:月見草のかれんな姿に惹かれて思わず撮影してしまった。
11{月見草のアップ}:どうしてもこの、花に気持ちが引き寄せられてしまうということがあるんですよね。
12{部屋の中、若葉に急激に接近}
13{テーブル上のレンズ}:夏の間中咲いていた花が、姿を消して、秋が始まると、葉っぱが花のように風に揺れて、それも気持ちを引きつけられる情景ですよね。
14{風に揺れる葉}:人間て、朝出かけて、ま夜帰ってくる時に、その間に自分が成長したとか年をとったとか感じる人は、まあ、居ないわけですけれども、
15{枯れた蔦}: 植物を見ていると、朝咲いていたのがもう夜枯れてしまっていたりするわけですから、また一日か二日で急にこの葉っぱが色づいてしまったりするわけですから、時間の質が人間とは違うんだっていうことが、あるわけですね。でまあ、時間っていうのは人間も植物も同じですから、そういう時間のあり方をいくらかでも感じると、うん、なんか元気づけられるというか、うん、そこから広がる時間の長さというか密度というか、そういうものが感じられるわけですよ。
16{屋根に激しく降る雨}:よく雨が降ったり、ま、去年ですと冷夏だったわけですけれども、異常気象だなんてよく言いますけども、でも、本当に異常気象なんてあるのかなという気がしますよね。
17{雨が吹き付ける家の外壁、道路}:まあ、だから人間的な尺度で云えば、ある統計の中から異常って言葉を出すんでしょうけど、でも、その時間の幅の取り方では、ほんとに異常なんてことがあるのかっていう気がだんだんしてくる。
18{庭の植物}:もしかしたら、今のふつうのなんか、生活の時間が異常なのかもしれないっていう、逆に考えることもできるんじゃないかと思うんですよね。
19{窓から外}:つまり、時間っていうのは、すごく問題なわけですね。
20{窓から外の屋根}:その時間をどうやって自分のものとして、うん、時間を自分のものにするなんってそんなことはできないのかもしれないけども、
21{窓外の雪}:でも、なんかそれを乗り越えたいという気持ち、まあ。生活している身の回りにそういうなんか時間を表すものを探し求めて、みるという、結構その気持ちが、時間を乗り越えさせてくれるという気にもなって、
22{雪に覆われた紫陽花に枝から窓の外の雪景色、さらに二回の窓から雪の積もった屋根、そしてフェイドアウト}:まあ、訳が分かんないといえば、分かんないんですけども、でも、いずれにしろ時間を乗り切っていくというが生きることなんですから、その時間の中で衰退していくものと勢いを得ていくものとがあるわけで、で、人間て常に自分を勢いのある方に身を置きたいって思うんですよね。でも、まあ、肉体がこう衰退していけば、実はそうじゃなくて、違う何かがきっと勢いのあるものとして、見つけられるんじゃないか、っていうか、なんかそういう気持ちがだんだんと、濃くなってくるっていえば、年をとってきたせいかって、また時のこと、云わないではいられないわけです。
23{日が射す部屋の中、植物の影、蘭の蕾、それを手で触る}:映画を作るっていうのは、その時間を関係に置き換えていくことだっていえるんじゃないかと思うんですね。映画を撮るっていえば、何か対象を探し求めて、それを撮影しなければならない。そうするとそこに関係が生まれてくる。まあ、頭の中に生まれてきたものを実現しようとするんであっても、現実に撮影するためには、それを表す対象物をそこに持ってこなければならないわけで、で、そこで関係が生まれてくる。そういう関係を作らなければ、映像はできないわけですから、つまり、そういう風にして、時間が関係に置き換えられていって、で、しかも映像というものの中に、まだその関係している相手との時間が取り込まれてくるわけですよね。
24{エジプトの女のドアの取っ手}:
25{空バックの蘭の蕾、齣撮り}:今年の蘭の花は、恐ろしいくらいに大きな蕾を付けて。
26{蘭の花アップ}:蘭の花って女性の性器のような感じがするんですね。で、思わず触ってみたくなる。
27{指で花心に触る}:関係するって、その基に欲望が働いているわけですよ。
28{蘭の花}:関係するっていうのは、欲望を実現することなんですよ。でも、今僕らの周りでは、その欲望を実現するその枠組みというのが、すごく曖昧なんですよね。
29{蘭の花アップ、花全体の齣撮り、枯れるまで}:だから、そこがつらいところじゃないかと思うの。その枠組みに権力構造とか、階級構造とかがぴったりとあれば、権力を持っていれば、欲望をどんどん実現できるわけだし、権力がなければ、欲望は全く実現できないという。で、それを平等にしてしまったために、関係をつける枠組みが曖昧になってしまった。そこに今、僕らの辛さがあるんじゃないかと思うんですよね。
30{枯れた蘭の花}:蘭の花って、ばらが二日か三日で枯れちゃうのに比べると、すごく長持ちして、一ヶ月は枯れないんですね。
31{ドアの取っ手の女性像を指で触る}:これはエジプトのドアの取っ手の模型だっていうことですけれども、なんかドアの取っ手にこんなのが付いてて、まあ、外へでていくのかそこへ入っていくのか分かんないけれど、こういう女の裸体を握って、開けるなんて、すごい想像力だなと思いますね。でも、それもやっぱり、王様という絶大な権力があり、その考えの中から生まれて来ている想像力じゃないかと思うんですよね。こういうのが、僕らは生み出すことができないんですよね。まあせいぜい、手のひらの中に入れて、触って、気分を紛らわせる。そんなところでしょう。
32{暗い書斎で本を見ている私、立ち上がり、全裸姿、急に崩れる}
33{窓の外の雲の移動}
34{枯れきった蘭の花クローズドアップ、茎の花が落ちた跡、枯れた花}:枯れた花の萼のところに蜜がたまって居るんですね。触るとべたべたするすごい濃密な蜜です。茎の花が落ちたその跡にも蜜がたまってくるんですよね。枯れるっていうことは、そこになにか花に送っていた蜜がどんどん堆積してくるっていう、うん、そこにすごいなんか濃密さがあるなと思って、ちょっとびっくりしました。
35{窓外の空、齣撮り、日が暮れる、フェイドアウト}:じゃ、また、さいなら。
36{エンドタイトル}



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