Illustration from "Calculated Beauty"
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- 1997年1月22日以来、変更歴は止まったままですが、「曲腰徒歩新聞」など、随時変更されています。
- 1997年1月22日。八木忠栄個人誌「いちばん寒い場所」を「八木忠栄の書棚」にアップロードする。
- 1997年1月20日。「冬の散歩」の記事を「曲腰徒歩新聞」の載せる。
- 1997年1月19日。八木忠栄詩集『にぎやかな街へ』を「詩の電子図書室」にアップロードする。
- 1997年1月16日。『スピーチ・バルーン』のマンガを戻す。
- 1997年1月10日。「部屋の中に冬の日差しが差し込み、ランの花が咲く」の記事を曲腰徒歩新聞に載せる。
- 1997年1月6日。辻征夫詩集『ボートを漕ぐおばさんの肖像』を全編、「辻征夫の書棚」としてアップロードする。
- 1997年1月4日。『スピーチ・バルーン』の装丁者和田誠氏からHP掲載の承諾を貰ったが、それぞれのマンガの著作権ということがあるのではないかという指摘を受け、いちいち承諾を取っていないので、一応イラストの掲載を取りやめ、その旨を清水哲男氏に知らせると、「あの詩集のマンガの絵は、引用という意味があるから、何とかしたい」というMailを貰う。『曲腰徒歩新聞』に新年になって、再び実家を訪れたこと、また家にあった古地図が話題になったことを記事にして載せる。
- 1997年1月1日。午前0時を廻ってところで、フロントページを「謹賀新年」の入った正月ページに変える。
- 1996年12月31日。亀戸の実家「鈴木セトモノ店」を訪れて、閉店したの知り、そのことの記事を『腰曲徒歩新聞』に載せる。また、早大文芸で卒論指導した三人の若い女性の詩誌『Intrigue』をアップロードする。
- 1996年12月20日。清水哲男詩集『スピーチ・バルーン』全編を「清水哲男の書棚」に納める。
- 1996年12月19日。このところ、「スピーチ・バルーン」のページを増やしつづけている。活字と絵を融合させたイメージのページ、『濱條智里詩集』リンクを付ける。
- 1996年12月16日。井上俊夫さんの『浪速の詩人工房』で元気に出会ったことを『曲腰徒歩新聞』に書き、リンクを付ける。
- 1996年12月16日。「詩の電子図書室」を開き、その第一弾として「清水哲男の書棚」に詩集『スピーチ・バルーン』を入れることにして、まず最初の「チャーリー・ブラウン」をアップロードした。
- 1996年12月13日。清水邦夫作演出『火のようにさみしい姉がいて'96』を紀伊国屋サザンシアターで見たことを『腰曲徒歩新聞』に載せる。
- 1996年12月7日。著者宮嵜忠臣氏から返事が来たので、そのことを『腰曲徒歩新聞』に載せる。
またロシア製16ミリ映画カメラ「KRASNOGORSK-3」を7万円で買ったことも載せる。
- 1996年12月2日。宮嵜忠臣著『UNIX98版FreeBsd入門キットCD-ROM付き』を172ページまで読んで止める、という記事を『腰曲徒歩新聞』に載せる。
- 1996年12月1日。公明新聞に掲載された粉川哲夫著『もしインターネットが世界を変えるとしたら』評をエッセイのサイトに、
また坂輪綾子さんの詩集『かんぺきな椅子』の読後感を『腰曲徒歩新聞』に載せる。
- 1996ねん11月30日。渡辺洋さんからExpandedBook版『15日間』が送られてきたので、そのことを『腰曲徒歩新聞』に載せて、配布のお知らせを付ける。
- 1996年11月26日。小池純代さんの手紙を『腰曲徒歩新聞』に載せる。その小池さんと渡辺洋さんのホームページにリンクを付ける。
- 1996年11月25日。『プロフェショナルBSD』読了の記事を『曲腰徒歩新聞』に載せる。
- 1996年11月15日。すずらんの実の記事を『曲腰徒歩新聞』に載せる。
アメリカの映像作家、Abraham Ravettさんのサイトにリンクをつける。
- 1996年11月12日。粉川哲夫<著『もしインターネットが世界を変えるとしたら』を読んで書評を書いたので、そのことを『曲腰徒歩新聞』に載せる。
木村夏樹さんのサイトにリンクを付ける。
- 1996年11月11日。ヒットカウンターが7000を越えた。7000人目のお客様であるkoike junyo さんから、「7000という数字はめでたいと思ったので記念のお手紙です。」というMailが届いた。
- 1996年11月9日。木村夏樹さんという人から、わたしの詩「自転車でひとまわりして来よう」の英語の訳がMailで送られてきたので、早速、そのページを作る。
- 1996年11月9日。楠かつのりさんの『夏の時間』を見た記事を『曲腰徒歩新聞』に載せる。
- 1996年11月4日。午前中に、ハードディスクを分解したことを『曲腰徒歩新聞』に載せ、夜、その詳しい記事と考察をエッセイとして新しいページを作る。
- 1996年10月31日。ハードディスクのクラッシュを『曲腰徒歩新聞』に載せる。
- 1996年10月30日。再構築したHTMLファイルをアップロードする。およそ1時間30分掛かる。リンクがうまく行ってないで、書き直しては送るということの繰り返しとなる。
- 1996年10月29日。今月の始めから取りかかっていたこのサイトのディレクトリの構造の再構築をようやく仕上げて、いよいよアップロードするところまで来た。
- 1996年10月27日。昨日、書肆山田で受け取った新しい詩集『石の風』の表紙を『曲腰徒歩新聞』に載せ、詩集についてのコメントを書く。
- 1996年10月18日。今年最後と思われる朝顔の花を撮影して、傍らに咲いていた菊の花の写真と一緒に『曲腰徒歩新聞』に載せる。
- 1996年10月16日。Edweard Muybridgeの連続写真を使って、GIFアニメを作り、『曲腰徒歩新聞』に載せる。
- 1996年10月14日。見知らぬクインズランドの学生KimninosさんからMailを貰い、その派手な「CYBER POETRY」にリンクをつける。
- 1996年10月11日。『曲腰徒歩新聞』に「16ミリ映画実習」の記事をのせる。
- 1996年10月10日。『曲腰徒歩新聞』に「野ぼたんがきれい」の記事をのせる。
- 1996年10月6日。『曲腰徒歩新聞』に「漢字Talk7.5.3をインストール」の記事を載せる。
- 1996年10月5日。昨夜、明治学院大学のRobert Seward教授が「My Way of Thinking」の英文を直してMailで送って下さったので、それに入れ替える。
- 1996年10月4日。23時36分に自分のホームーページを開いたら、ヒットカウントが6010になっていた。アクセス数が六千を越えたということは、少なく見ても五千人ぐらいの人が見たということになるのか。
- 1996年10月2日。『曲腰徒歩新聞』に「橋本文雄・上野昂志著『ええ音やないか 橋本文雄録音技師一代』」の記事。
- 1996年10月1日。坂本龍一氏がわたしのホームページにリンクをつけてくれたので、こちらからも坂本氏のサイトにリンクをつける。
- 1996年9月29日。『曲腰徒歩新聞』に『映像書簡』の記事。
- 1996年9月25日。『曲腰徒歩新聞』を整形する。「朝顔のタネの記事」を載せる。
- 1996年9月23日。『曲腰徒歩新聞』を創刊。
- 1996年8月28日。午後3時現在、カウント数が5014になった。
- 1996年8月22日。わたしの写真展のダイレクトメールを載せる。
- 1996年8月16日。トップの「自己紹介」を止めて、「このページ紹介」とする。「極点思考」を「ホームページの主とは何か」に入れ替える。「日経記事の影響」を「日経エッセイ」のページに移す。「略歴」をつけ加える。
- 1996年8月11日。退院してから書き綴った「急性A型肝炎罹病記」を昨日書き上げて、そのページを開く。急性肝炎の病状の変化とわたしの入院生活が他人様の参考になるかどうか。嫌み無く個人の生活を開いて見せるのは、結構むずかしいけど、そのチャンスかとも思ってのこと。
日替わり俳句が載っている清水哲男さんホームページの「増殖する俳句歳時記」にもリンクした。
- 1996年8月3日。急性A型肝炎で入院したために止まっていた更新を再開する。フロントページの写真とバックの色を換える。
- 1996年4月30日。アメリカの高野さんバーバラさんが、わたしの英作文を本物の英語に書き直して、E-mailで送ってくれた。やっぱり、辞書片手に単語をつなぎ合わせたものとはまるで違う。これで、ひと安心というところ。
- 1996年4月28日。昨日に引き続き、Film作品「歩いて」の紹介のページも英訳する。ついでに、バックの色を黒くする。
- 1996年4月27日。昨夜、アメリカの高野英二さんから、訪問者が増えたので、こちらにもリンクを付けてくれるというMailが来て、そこに"English is available."と書いてあったので、アメリカ人の訪問が増えるかも知れないと、慌てて、「極点思考」の英訳を試みて、アップロードする。また間違い英語で、恥をかくことになるか、という覚悟。
- 1996年4月23日。Studio BE( 高野夫妻のホームページ)にリンクを付ける。
- 1996年4月22日。桜の花はもう終わったので、フロントページの写真を替える。そして、日経新聞にエッセイを書いてから、一週間経ったので、そのことを「極点思考」に書いた。
- 1996年4月20日。「IMAGE FORUM FESTIVAL 1996」とわたしの新作映画『歩いて』のページを作った。サーバーの中に「aruite」というディレクトリーを作って、giffileとhtmlfileを格納した。映画の内容を、フィルムからビデオにして静止画で取り込み、シーンごとに言葉をつけて展開する。画像の脇に言葉をつけるのに、複数行を並べるのに一苦労だった。
- 1996年4月16日。アクセスカウンターの数が遂に2000を越えた。
- 1996年4月15日。日経のエッセイが読まれたらしく、アクセス数が一挙に1400代から1900を越えてしまった。1日のアクセス数としては、十数倍の増え方だ。読んだというMailが10通余り届いた。そのうちの2通が文字化けしていたり、違うコードで読めなかった。
- 1996年4月14日。「日本経済新聞」に、わたしのエッセイ「インターネットと詩人」が掲載された。それをHyperTextにして新しいページとして加えた。
- 1996年4月8日。「作品の目次」のページに手を加える。
- 1996年4月7日。表紙の写真を変えた。写真集『眉宇の半球』の表紙に使っている桜の花の写真にした。今日あたりが、絶好の花見日和だった。でも、この写真の多摩美の上野毛校舎の八重桜はまだ咲いていません。また、「作品の目次」と「リンク」を別のページに移した。
- 1996年4月6日。長尾さんのOLBCKのMacintosh版でMacPerlを使って、詩2編その英訳2編のhtmlファイルを作り掲載した。OLBCKのDOS版はDOSのプロンプトから打ち込まなくてはならないが、Mac版だとMacPerlのウインドウから出来るので、その分楽にできる。
- 1996年3月31日。更新ページを手直しして、「極点思考」の文章を換える。3月は忙しかったこと。「BOW」「MachTen」に手を付けたこと。「OLBCK」の簡単な説明と推薦。コンピュータについて理解ということ。
- 1996年3月29日。長尾高弘さんの作ったPERLによるHTMLファイル作成プログラム「OLBCK」を、長尾さんの忍耐強いMAILによる指導でようやく修得して、最近作を載せる。
- 1996年3月1日。訪問者カウント数が500を越えた。一月に500人の人が、わたしのホームページを見たわけだ。その中にはわたし自身も同じ人も含まれているとは思うが、それでも驚くべきことだ。率直に言って嬉しい。前田さんのページにあった「先輩が気に入っている私(前田さん)の知人の女性」の美しいページにリンクを付けた。
- 1996年2月27日。表紙の「Welcome」の綴り字の間違いにずっと気が付かなかった。何ということだ。表紙を変えるということで、わたしのホームページの名前を「Ring Link Rip」とすることにした。リンクに閉じこめられるインターネットの裂け目は何処にあるかと、呪文になるように口に乗せたいと思って考えた。図柄は九州の筒描染めの夜着に描かれた文様を借りました。思っても見なかった見知らぬラクビーファンの前田さんの日記にリンクをつけた。
- 1996年2月16日。詩の数を増やす。英訳のアンソロジーに入っていた初期の詩を4篇、同じ時期の詩を他に3篇加えて、全部で8篇にする。粉川哲夫さんのホームページ「Plymorphous Space」を見て、インターネットへの政府の権力介入に反対するその姿勢に共鳴して、粉川さんのページにリンクをつける。
- 1996年2月10日。「宙返り男」は、4MBでは大きすぎると言う意見に従い、ダウンロードは又別のファイルを工夫しようと考え直す。カウンターを付けたら結構見にくる人が多いのことがわかり、同じ画面では申し訳ない気がして、写真を増やす。口上も入れ替える。
- 1996年2月7日。長尾高弘さんの指摘でリンクの一部が変更歴に掛かってしまっているのを直す。そして又、長尾さんからダウンロードファイルの付け方を教わって、HyperCardスタック「宙返り男」ダウンロードできるようにしようとしたが、失敗。
- 1996年2月1日。Counter始動。
- 1996年1月29日。楠かつのりさんから、表紙の日本語が文字化けしていると指摘され、いろいろとコード変換をしているうちに、めちゃくちゃになっているのに気がつかなかったのを知る。直すついでに、文章を変える。
- 1996年1月20日。川本真知子さんから、英文で付けたサマリーが文字化けしていると指摘があり、コード変換をする。
- 1996年1月18日。ロンドンの川本真知子さんから、日本語が文字化けして詩が読めないと指摘され、詩を縦書き画像にして入れる。
- 1996年1月17日。長尾高弘さんから、写真をもっと軽くするように指摘され、convertして送って下さったfileに入れ替える。粉川哲夫さんから、タイトルは画像の方がいいと指摘され、画像で作る。
- 1996年1月16日。「入門書」を片手に、htmlfile を作り、Macintoshでcatnetのサーバーに送り、 「Shirouyasu's Homepage」を開設。
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96.10.13