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  粉川哲夫著『もしインターネットが
世界を変えるとしたら』評


(「公明新聞」1996年11月18日掲載)

  「ポリモーファスな(形が柔軟で多様な)メディア」としての
インターネットの提唱

   自宅のパソコンをインターネットに接続してから、パソコンとの関係がまるで変わってしまった。写真のアニメを作るというような簡単なプログラミングの道具だったものが、一挙に広漠とした広がりの中に置かれた送受信器に変わってしまったのだ。ホームページを開き、電子メールのやり取りが始まると、その広がりに、別の時間が流れ始めた。そこに巻き込まれ、考えないわけには行かなくなったのだ。  『もしインターネットが世界を変えるとしたら』は、インターネットに接続されたコンピュータを前にして、これまでに経験したことのない時間と空間の広がりの中に、それを知の領域として、乗り出そうとしている者にとって、一つの基点を与えてくる書物だ。粉川さんは、その広漠とした時間と空間の広がりを、多重なリンクによって生まれる「ポリモーファスな(形が柔軟で多様な)メディア」として、人間の総体的な活動の場にして行こうと提唱し、自ら実践している。この本には、その思考と実践の報告が集められている。  最初に、個人にとっては、「ポリモーファスなメディア」の場は、個人の自由な相互交通が織りなし増殖していく網であり、それは人間を身体からの解放へと向かって行くものだが、一方でそれに対して、その電子的な時空を制度的に固定したものに押さえ込もうとする国家などの組織という存在があり、そのせめぎ合いが「暗号処理」の問題として行われていることが語られている。暗号が個人と組織の社会的な闘いの場になっているというわけである。  次に、粉川さんは、インターネットという新しいメディアの社会的現実を、未来小説の形を取った珍しい「小説的な批評」によって、距離を置く仕方で、語り出して行く。これは今年のインターネット騒ぎにフィルターを掛けて、本質的な問題を抽出する装置になっているわけだ。そこで引き出されてきたのが、人間は電子的空間に直面して身体に帰るが、それは全く別の身体だということなのである。  後半には、粉川さん自身のパフォーマンス、VRシステム、インターネットのサイトの体験から、ウォーホルなどの芸術表現を論じることで、その電子個人主義時代の身体の有り様が考察されている。結論的には、「身体は、『内部』と『外部』との境界を失い、『外部』(細菌・ドラッグ・情報・電子的刺激……)を内部に取り込み、また『外部』へむかってかぎりなく融け出して行く」というのである。ポリモーファスなメディアでは、主体が唯一なものではなく、多元的なものになるというあたりに、スリリングな挑戦を読みとることが出来る。
粉川哲夫さんホームページ
Polymorphous Space



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