ドキュメンタリー映画『よいお年を』を見る。
宮崎政記監督作品『よいお年を』を、雨の降る中、駿河台のアテネフランセの講堂へ行って見た。監督の挨拶があってからの上映。埼玉県の坂戸市にある「元気な亀さん」という民間の福祉施設に預けられて生活している痴呆症の老人たちの姿が、一時間半に渡って描き出されるという作品だった。
この施設の特徴は、老人たちが脳性麻痺などの障害がある子も混じった幼児たちと一緒に生活していることだ。園長、副園長の滝本信吉・静子夫妻は脱サラの夫と元看護婦の夫婦。「昔は普通にあった、三世代同居の家族をここでやってみよう」と、お爺さんお婆さんと子どもを一緒に生活させることを考えたという。
擬似的に大家族を形成するということで、人間の関係を回復しようというわけで、「夢家族」と呼んでいるとのことだ。なるほど、他の施設で痛めつけられた老人が、ここに来てだんだんと心を開いていく様が捉えられていた。そういう老人の素顔が印象に残る。
ところで、この映画の中の老人たちを見ていて、目的意識を持っていないということに気がついた。世話をする人たちは、老人たちを目的としているわけだが、世話される老人たちは目的がない。別に求めているものがない。そういう人たちを見ていて、人間というのは、本当に、目的意識を持たなくれはいけないものなのだろうか、と思った。目的意識は社会が要請する。そうすると、目的意識を持たないものは、目的そのものになる、といわけですね。
16ミリ映画撮影の実習。
イメージフォーラム付属映像研究所の恒例の16ミリ映画撮影実習に講師として一緒にロケーションに行った。生徒たちは、16ミリ映画カメラを使うというので、緊張し、その気分を楽しむ。イメージフォーラム付属映像研究所は、おもに8ミリフィルムでの映像表現を教えている。一度映画フィルムで映像表現をしたら、もう止められなくなる。イマジネーションに訴える力は、はるかにビデオに勝るからだ。
当日は、ボレクッスとアリフレックスSTを使っての撮影。お互いに役者のなって、撮ったり撮られたり。フィルムの装填を間違えて、カメラの中でフィルムが絡まってしまって、さあ、大変、などなど。午前中から夕方まで掛かって、およそ3分のフィルムを2本撮り終えた。この中から、将来、どんな映像作家が生まれてくるか、楽しみ。
野ぼたんがきれい。
わたしのところの庭には、野ぼたんが二、三本、雑草のように茂って、秋から初冬にかけて紫の花を咲かせる。その鮮やかな紫が好きだ。はらはらと散った大きなはなびらには、どきりさせられる。もう何度、写真やフィルムに撮ったか知れない。その写真を手紙の返事に入れて何度か贈った。贈られた女の人のひとりから、いぶかしがる返事が返ってきたことがあった。ただきれいと思った気持ちも、直裁には伝わりにくい。
漢字Talk7.5.3をインストールする。
昨日、秋葉原に行って、MacOSの新しいヴァージョン「漢字Talk7.5バージョン7.5.3」を買ってきた。15,400円だった。店員に、「アップルにアップグレードを申し込めば、5000円ぐらい安くなりますよ。いいですか」と念を押されて、「いいよ」と言って買った。OSは既に何回もインストールしたことがあるといっても、やはり緊張する。無事完了。
さて、前のインターネットの設定を生かそうと、オープントランスポート書類を抜いて、TCP/IPを以前のMacTCPに入れ替え、FreePPPを入れて、再起動して接続を試みたらPPPopがpppを見つけられないというのだった。コントールパネルを開くと、何とMacTCPが消えている。そこで、も一度コピーしようとすると、同じ「見えないファイル」があるからと、コピーを拒否される。
いろいろやるのも面倒くさいと、オープントランスポート書類を元に戻して、付属の「Apple Internetスターターキット」をインストールし、改めて、「プロバイダ情報の定義」をし、接続には成功したものの、接続をすると、今度はNetscapeの設定も改めてしなければならかった。付属のNetscapeのヴァージョンが1.21[ja]なので、これはご遠慮願った。幸い、接続を切るとき「Goodby」という女性の声が聞こえるので気に入っているPPPopが使えるので、よかったと一安心。
このスターターキットで、FreePPPを別のところから持ってこなくて済むようになったのがいい。Windows95の接続設定より、ヘルプで確かめながら出来るというは、助かる。NNTPとか、SMTPとか、直ぐに忘れてしまうものだから。
橋本文雄・上野昂志著『ええ音やないか 橋本文雄録音技師一代』を読み終える。
先々月に書評を頼まれて、三週間前に読み始めて、中身の濃さに圧倒されて、646ページを読み終えるのに思った以上に時間が掛かってしまった。そして、読み終わった現在、今更のように映画というものに対して、また一つ目を開かされた。橋本さんはすごい人だ。映画の録音ということの「創造」を生き抜いてきた人だ。その生き抜いてきた時間を通して、この本には、現在の映画録音の到達地点での「録音理論」が語られている、と同時に評論家の上野昂志さんとの息がぴったりと合ったところでの「映画音楽家論」「俳優論」「映画監督論」が、具体的な映像と現場を語りながら、それぞれに思いやりを込めて、内部批評として展開している。
映画の好きな人なら、読んでいて、手に汗を握るような思いにさせられたり、そうなのかそうなのかと、次から次へと教えられて、最後には実に面白い「映画について映画」を見たような気になれる。つまり、この本を読むことによって、多くの人たちのアクションと心理と愛情とが盛り込まれた「映画そのもの」が手渡されることになるのだ。映画を学ぶものは是非読んで欲しい。なお、この本については「週間読書人」の10月18日号に書評を書いた。写真はカバー裏から、橋本文雄氏。
(リトル・モア刊4500円)