川本真知子の詩・・・ことばのしずくにこめられた二十歳のヌード感覚エッセイ この川本さんの「モモ」は、詩を知らんかった私に、ショックを与えた作品 だ。それまでは、教科書の詩や 歌詞くらいしか知らず、言葉の調子がよかっ たらオッケーという程度だった。ことばをつなぐことで、新しくイメージが生 まれる面白さに 気づいていなかった。 川本さんとは、鈴木志郎康先生の詩の授業で出会った。ただし、初めての出 会いは、本人と直接ではなく、「モモ」だった。先生が朗読してくださったの を聞いて、「川本さんって すごく大人やー。女の人って こんなにきれいな んやー。」と思ってたら、原稿を返してもらっている本物の川本さんも 目が おっきくて髪がきれいな美人だったので 勝手にうれしくなってしまった。 (まさか一緒に本つくれるなんて うれしくてしんじられないよ。) 当時は、長たらしくなく難しくもないのに大人っぽい「モモ」に 憧れるば かりだったが、改めて読んでみて これは、みずみずしさが溢れていて、二十 歳前後の まさにリアルな世界を描いていると、わかった。川本さんの詩は、 現実の生活がギュッと圧縮されて 一瞬の中に閉じ込められている感じがす る。それが読んだらはじけて、空想は広がっていく。たった -モモをかじる- それだけで、女の人の魅力を感じさせる。私は どんどんエッチな方へ深読 みしてしまう。んで、そーぞーしてしまう。自分にもあてはめてしまう(? )。”手首の青い筋””唇を押し付けてすすった””おぼろげに歯形””肉に おおわれたモモ”・・・もーすべての言葉が官能的に見えてくる。それなのに 見た目はモモを食べてるだけなんだよ!例えば 日常生活で、ふと こちら に目をむけたしぐさが すごく色っぽくて、もしかして気があるんじゃないか もしかしてそれを計算してやってるんじゃないか、と期待させ ひきつける ・・・そんなドキドキが川本さんの詩にはある。 三行ずつ連ねていく シンプルな形態をとっているのに、なぜ こんなにイ ンパクトがあってカッコイイ詩なんだろう。それは”私”の生活を ふっとす くってみせてくれるからだ。川本さんの手のひらの中に キラキラッと”私” の姿が映って 読む者は その一瞬に(新鮮なことばに)吸いよせられてしま う。これが 物語のように いくらか説明を必要とするものだと うまくいか なかっただろう。”私”から その時にじみでた言葉しか必要ない。読む者 は、”私”が当然 知っているはずのバックグラウンドを思い出す。うー簡単 に言うけど、こーゆーの書くのって 難しいよ。ヘタしたら 独りよがりにな って意味わからんくなるもん。それを川本さんはうまく”私”の世界へ誘導し てくれる。シンプルなかたちと”私”のことばで。 (恩地妃呂子)モモ 川本真知子 蛇口は洪水だ ステンレスの ドラムを打っている シンクのへりに顔を寄せ 冷蔵庫で目と目があった ずっしりとみずみずしいモモをかじった 手首の青い筋に 逃げようとする果汁を 唇を押し付けてすすった 赤ちゃんがにぎりしめた こぶしくらいの すじとおぼろげに歯型のついた 肉におおわれた モモになると どれほどにかじっても そこから先は 二度とあれほど あまくない だから 私は少し焦りながら 飴玉のように種までしゃぶる 明日シンクのへりに また ひからびた種がカランと転がるまで |