踏み迷う夜のあいま
奥野雅子
ドアの 閉まる音 閉ざされてしまう
私ひとりだけ それから 白い電気の光
ペン先の音 コツコツと机を叩く
それだけが唯一の ノックの音
ひとり 仕事場にとりのこされた夜 耳の奥にひびく
静寂に速まる音
重なるぐらい、速く、
雨音
夕方から降りだした雨が
とぎれ とぎれ に
窓をつたう
ひとり とりのこされていて 家にかえろうと
窓の 暗がりをみつめていると
帰り道がわからなくなってしまう
満ちている 濃紺の夜に
踏み迷って
帰り道がわからない
よどんだガラスに
うつっている自分のすがたが
ひとり
つぶやく
声には ならない
ため息が洩れる
私はどこへ行きたいのか
行こうとしているのか
降りしきる雨音
窓をつたって
その
速度にそってはやくなる
胸の奥の 動悸が 痛い
痛くなるのは
仕事を
片づけなければ いけなかった こと
食器を
洗わなければ いけなかった こと
みんなに
待ってほしいと 言えなかった こと
それだけのことが
なぜ 言えなかったのか
眼の奥にはいりこむ
窓ガラスは 原石のように 濃紺の色が 深くって
見凝めていると ガラスの深い 闇のなかから
何かが 現れてこないかと
現れて 私に手を
ふれないかと
眼をとじて
雨音が ひとりの部屋に
はいりこむ はらはらと
しのびこんで
私の頬に 手を ふれていく
音ならきこえる
体のなかの 私の動悸 音ならきこえる
雨のしずくが落ちていく
透明にふくらんで コンクリートの屋根をつたって
地面を 点々と 濡らしていく
緑色の ポプラの葉にも
おなじ 速度で 落ちていく
雨のしずくに 淋しい気持ちを とかしていけたら
ひとりでいても きっと 平気な人に なるから
冷たくひろい 窓のガラスを すべって落ちる
ふくらむ音に この胸の 動悸を とかして しまいたい
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