映画の中(改訂版)
奥野雅子
ここのところずっと
昼も夜も眠れないということが
つづいた
何日も
何週間も
何ヵ月も
眠れないなら眠れないで
それならずっと
起きていようと思ったけれど
起きていてもどうしても
夢をみてしまう
どんな夢だったかは覚えていない
ただ
眠っていても
起きていても
ふるえがとまらないから
こんな
時にはいつも
映画館に行く
小さくて・さびれた
誰もが黙ってうつむきがちに
入ってくるような
誰もがおなじ
夢をみているような
あの感覚に
浸っていると
安心して
眠れるかもしれないから
誰もが同じ夢をみているのなら
やわらかな椅子に深く
ふかく座って
この二人はどうしてこんなに辛そうなのか理解できない、
と思いながら、映画をみていた。
そのあとのストーリーは難しすぎて理解できなかった。
映画のBGMだけが耳にひびく。私の耳の、鼓膜の、深くふかく、
音楽にうながされたスクリーンとは別のストーリーが進展してしまう。
そのうちにそれが夢になって眠りこんだ。
進展してしまう、
映画のラストのスクリーン全体を覆いつくすクローズ・アップで、
映しだされた彼のめには涙が浮かんでいる。
なぜ泣いているのか私はスクリーンに向かって訊こうとした。
〈なぜなら、これは
不可解なラストだから〉
と、彼がいう。
〈これでいいんだ
ここはこの映画でいちばん
良くできているところだから〉
だけどますます哀しげな表情になり涙がとめどなく溢れてくる。
〈ダイヤがとめどなく溢れてくる〉
彼はただ私の手をにぎろうと腕を差しのばし、
涙が流れているのは
じぶんの頬だった
あごを伝って
ひざにこぼれ落ちる
そしてまだ夢がさめやらないように
彼の指先がふれた
私の手の甲が熱い
……………‥‥…‥‥‥…‥…‥
私の手が
だれかの手に握られている
小きざみに ふるえるその手
この人も眠れないのかもしれないと
そう思った
手をにぎってくる以上のことは
何もしてこなかったから
眠っていても 起きていても
夢をみてしまうから
これでいいんだ
ここは この映画で
いちばん良くできているところだから
瞼のうらには痛いような
ダイヤのひかり
映画の中のクローズ・アップの
名残りのように
いつまでも
ひかりつづけている
※作中、プイグ作「蜘蛛女のキス」を引用。
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