鈴木志郎康の新しい詩

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撮る人、つまり自分

撮る人、つまり自分

別れるという言葉に、まず、胃が固まったその人、
つまり自分。頭の中に鋭角が降り積もり、眠れなかった。
「あの人を失いたくない」その人、つまり自分。
見て触れる存在、匂いの実体、「あの人」の記憶。
あの人の身体のイメージが、寂しいこころの崖っぷちに、
何度も、現れては、その人、つまり自分を突き落とす。
刃物を持つと決めるのは、その人、つまり自分。
刃物を向けると決めるのは、その人、つまり自分。
その場に、ビデオカメラを持ち込もうと
思いついた、その人は、つまり撮ろうとする自分は、
未撮のテープが巻固めている時間と、
撮影された後の画像がほどいていく時間との、
その間の、息づくすき間に、身を震わせた。
硬直した感情を溶かすために、
自分の顔が写る刃先に舌を当ててみる、その人。
自分が味覚に置き換えられていると感じた、その人。
味覚は言葉をはねのける。
舌先の静かな体温。
「あなたとのことをビデオに撮って置きたいの」
そう言って笑った、その人、つまり自分。

「文学界」1997年12月号掲載
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