鈴木志郎康の新しい詩

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イギリス史

イギリス史


イギリスといえば、わたしには、
アラン・M・チューリング。
ハワード・ラインゴールドは
「潜水艦戦が回避されヨーロッパ大陸への上陸作戦が成功したのも、
主にチューリングの
解読した『エニグマ』(ドイツの秘密暗号機械)海軍版のおかげであった」(注1)
と書いているが、
そのことを、イギリスの小学生は知っているだろうか。
チューリング!
チューリング!
チューリング!
チューリング機械の考案者。
チューリング万能機械の考案者。
二四歳で『計算しうる数』を書いて、コンピュータの卵
想像のチューリング機械を実現した。

チューリング・マシンは
(1)限りなく大きな紙をもっている。
チューリング・マシンは
(2)有限個の記号を用いる。
チューリング・マシンは
(3)おのおのの瞬間に有限個のものを読みとる。
チューリング・マシンは
(4)記憶の状態が有限個あって、各瞬間にどれか一つの状態にある。
チューリング・マシンは
(5)現在みているものが何であり、記憶の状態が何であるかによって、
  次に何を消し何を書き加えるか、次にどこへ目を移すかが決まる。
  更に次の記憶の状態が何であるかも決まってしまう。
チューリング・マシンは
(6)途中で数学的発明をしない。

数学の論理に人間がごく自然にやってる四つ「命令」の手順を持ち込んだ天才、
チューリング!
○を×におきかえよ。
×を○におきかえよ。
右へ一区画進め。
左へ一区画進め。
命令を実行するオートマトン!
それからの世界の歴史は、オートマトンの大行進!
今や、世界中の数千万のコンピュータが瞬時も休まず、
四つの命令を実行している。わたしの脇でも、
わたしの、ながーいキー打ちの間隔を待ちわびて、
PowerMac8500/120がハードディスクをうとうと眠らせながら、
命令の実行を70ナノ秒(10億分の70秒)で繰り返している。
そして時折、わたしという人間の遅さにあきれて、
スクリーンに爆弾を出して人を脅かす。

チューリングに充分な予算を与えなかったイギリスは、
COLOSSUSからEDSACでコンピュータ年表から消える。
ハンガリー生まれのノイマンに充分な予算を与えたアメリカは、
ENIAC以後、コンピュータ年表を一人舞台にする。
わたしが二歳の一九三七年に、
チューリングとノイマンは、プリンストン大学で同じ空気を呼吸していた。
わたしには何だか分からないけれど、数学の
「完全性」と
「無矛盾性」と
「決定可能性」と
が、若い数学者たちの脳髄を湧かせていたらしい。
それが、砲弾の流血度(命中率)へと収斂して、
暗号解読と絡み合い、男根型の真空管を一八〇〇〇本も押っ立てて、
手動計算機のハンドルを握る優しい女の子たちの手を追い散らした。

「アラン(チューリング)は百人中九十九人に対して、
彼の無造作な態度と長い沈黙──
沈黙は、やがてかれの友人でさえ神経に障るような
かん高いどもり声をはりあげるような笑い声によって破られましたが、」
「彼は人と目を合わせず、
ぶあいそうで、無造作な感謝の言葉をいうと、
身体をよじるようにしてドアから出て行く
奇妙なくせを持っていました。」(注2)
「着るもの無頓着
チェスに熱中
ラジオの子供番組好き
サイクリング
長距離走に没頭
(時間を計るためによく腹に目覚まし時計巻いて走った)」(注1)
そのチューリングは
「一九五四年六月のある日、
ベッドに横たわり、
一口のかじりとったリンゴを青酸カリに浸して呑み下した。」
同性愛者だった彼は、
「逮捕され、
『著しいわいせつ行為』の罪に問われ、
屈辱的であり肉体を衰弱させるような女性ホルモンを投与に従う
という条件で執行猶予が宣告された。チューリングの戦時中の功績は、
彼の弁護でも言及できないほどまだ機密扱いされていた。」(注1)

リンゴをかじって眠りについたチューリング!
チューリングの「簡明」を
イギリス国家の「機密」が
眠らせた。その「超感覚言語」が
電子網の内をかけまわり、
わたしのデスクトップに静かな竜巻を起こした。
一九九四年の春から、わたしはコンピュータにのめり込んだ。
70ナノ秒で「命令」が実行される透明な空間の心地よさ!
error、errorと押し返された後に、
「命令」を実行させた達成感!
日々、わたしは命令し、実行させる。
○を×に置き換えよ。
×を○に置き換えよ。
右に一区画進め。
左に一区画進め。


(注1)ハワード・ラインゴールド著栗田昭平監訳青木貞美訳
パーソナルメディア刊『思考のための道具』より引用。
(注2)サラ・チューリング著渡辺茂・丹羽冨士男共訳講談社刊
『電算機の予言者 
アラン・チューリング伝』より引用。
その他、矢野健太郎編共立出版株式会社刊『数学小辞典』など
からの引用があり、それぞれ多少の語句の移動があります。

この詩は、「現代詩手帖」1997年11月号に川端隆之さんの連載「リミックス詩篇」で、次の川端さんの詩「イギリス史」のREMIXの詩として書かれ、掲載された。川端さんの詩とその英訳及びコメントを著者の了解のもとに掲載します。

イギリス史

            川端隆之
やがて
五百年以上もたつと
社会主義をとなえた
マルクスが
葬られることになる墓
その墓から
高く見あげられる
ヒースの丘のうえで
血がくろく
くさった私は
半死半生のまま
感染防止のため
完全な「死体」として
あつかわれ
他のペスト患者
死者といっしょに
温かい
火を放たれる
一三四九年の冬のタ暮れ
私はまだ死にきってはいない
生焼けのまま
火のついた身体で
朝方まで
丘をさまよって
それからやっと
息絶えることができる

1883年にマルクスを埋葬した
ロソドソのハイゲート墓地の南西にある
パーラメソト・ヒルでは、
1349年に黒死病、
ペストが流行したおり、
生きたまま焼かれた感染者の亡霊が、
650年後の
1999年になっても出没するという。
ペスト菌の媒介者だと誤解され、
ネズミとともに撲殺され、
焼かれてしまった多くの犬の亡霊も、
未だにうろうろ歩いているという
1999年。

愛する
英国のきみ
私のことを
おぼえておいてください
六世紀と
さらに少しの間の悪夢
楽しいことなんて
ひとつもなかったよ
疫病によわい
私の遺伝子は
ウィルスたちが淘汰するより
はやく
きみたちの手にかかり
不完全な「死体」のまま
ほろぽされてきたんだ
楽しいことなんて
ひとつもなかったよ
不完全な「英語」に
不完全な「マナー」に
不完全な「ローマン・カソリック」しか
身にっけていない
この私の劣性身体は
すでに
それだけで
半ぼくさっているのだよと
きみたちは
吐き棄てるように言う
愛する
英国のきみ
私のことを
おぼえておいてください
六世紀と
さらに少しの間の悪夢
大地の神も
空のエイリアンも
具体的なマルクス主義者も
空想的なテクノロジーも
私を救うことは
できなかった
何百年もの間
楽しいことなんて
本当に何ひとつなかったんだよ

猟犬だけが人のウソを見破ることができると、
ビルマ生まれの小説家サキが
暗い目でつぶやいたのは
1934年だった。
1349年では、
異教徒がペスト菌を散布Lたのだという
ガセが流布され、
猟犬はウソを見破るいとまもなく、
彼らユダヤ教徒とともに
頭蓋骨を
ボコッと陥没させられ、
火を放たれるぱかり。
650年後の
1999年になると、
「英語」のガセや
「英語」のデマカセや
「英語」のデマゴギーぱかりでなく
「英語」のウィルスまでもが、
地球にはりめぐらされた
電子網の内をかけまわり、
しかし
猟犬はすでに息絶えて650年。
楽しいことなんて
何ひとつなかった。
電子の海でただよう
私たち異人
不完全な「死体」たちよ、
さあ
あしき亡霊となり
忌まわしき未来にむかって
泳いでゆけ。


History of England

                                                   translated by 今渡久美

finally 
after more than five hundred years 
the grave-to-be 
of marx 
who spoke of socialism 
from that grave 
you can see up high 
to the hill of heaths 
there my blood black 
I am rotten 
and treated 
as a complete "dead body" 
half dead half alive 
to prevent infection 
with the other pest victims 
dead people 
warm fire 
is set 
one winter evening in thirteen forty-nine 
I am not dead yet 
still half raw 
my body on fire 
I wander about the hill 
until dawn 
only then may I finally 
rest in peace. 

Southwest of london's highgate cemetery 
where marx was buried in 1883 
at parliament hill, 
when in 1349 black death, 
pest came, 
the ghosts of those who were burned alive, 
even 650 years later 
in 1999 they are said to be seen. 
And the ghosts of many dogs that were burned, 
along with the rats, 
mistaken for the carrier of pest, 
are said to be still walking around 
it's 1999. 

my beloved 
england 
please 
remember me 
six centuries 
and some more nightmares 
there wasn't 
a single happy thing 
my gene 
weak to epidemics 
faster 
than viruses could dismiss it 
by your hands 
as an incomplete "dead body" 
I was being destroyed 
there wasn't 
a single happy thing 
I have only 
incomplete "english" 
incomplete "manners" 
incomplete "roman catholicism" 
just because of that 
you say 
disgustingly 
my recessive body is 
already 
half rotten 
my beloved 
england 
please 
remember me 
six centuries 
and some more nightmares 
even the god of this earth 
the extraterrestrials 
the realistic marxlsts 
the fantasized technologies 
could not have 
saved me 
for hundreds of years 
there really wasn't 
a single happy thing. 
 
Only hunting dogs can see through a lie, 
the burmese born writer saki 
whispered with dark eyes 
it was 1914. 
in 1349, 
a false rumor was spread 
that the pagans spread the pest, 
the hunting dogs given no time to see through the lie 
their skulls 
hit and caved in, 
could only be set on fire 
along with the jews. 
650 years later 
in 1999, 
the "english" rumors 
the "english" Iies 
not only the "english" demagogues 
but the "english" viruses also, 
run around inside the electronic net 
wired around this earth, 
 but 
it is already 650 years since the hunting dogs died. 
There wasn't 
a single happy thing. 
Floating in the electronic sea 
us aliens 
incomplete "dead bodies", 
go 
as evil ghosts 
to the doomed future 
just swim on.               




リミックス・ゲームのルール
@リミックスした詩篇の中に、せめて一詩句だけでも、川端の原詩を折り込む。つまり、原詩に触発された、全く別個の詩を書くのではない。
Aリミックスした詩篇のタイトルは、原詩のタイトルをそのまま使用する。
Bリミックスした詩篇の書式
行数は自由。
文字は縦組み、一行四十字以内。
文字の書体は明朝体の一種類だけ。
文字の大きさは一種類だけ(たとえぽ、小字や大字との混用はしない)。
ルビは使用しない。
特殊な記号は使用しない(たとえぼ、。♂エなどは使用しない)。
詩句を罫線で囲んだり、詩句に傍線や傍点を付けたりはしない。

コメント
川端
 ロソドンのハムステッド・ヒースで見た幻影をもとに書いた詩ですが、ハムステッドの幽霊が愚依したのか、できあがった作品は、イギリス社会を呪誼するような内容に自然となっていました。また、日本を出国する直前に読んだ、”英会話とパソコソ、そして英語によるイソターネットの活用ができない人問は淘汰、撲滅させられる”という極端な言説が、私の頭の中にあったようです。そういった言説への反感も作品に顕現しています。まあ、私は自分の詩を英訳してもらっており、実はこの訳詩をイソターネット上に流してもいるのですが、しかし、そういうマッチョなダーウィニズム的言説には加担したくないと思います。訳者の今渡久美さんは通訳の仕事もなさっているし、イソターネットも活用なさっている方なんですが、今渡さんはどのようにお考えになりますか、ご意見をお聞かせください。
今渡 もし現在の日本において、英会話ができること自体、英語でイソターネットをすること自体が「目的」になっているとするならば、本末転倒、倒錯です。そして、世界の標準たる正しい英語はアメリカの英語だけだと定義し、他国の英語を排斥しようとする一部の英会話学校の考え方は、ファシズムです。アメリカの英語そのものが、たとえぼブラックピーブルのラップを聞けぼ明らかなように、方言のレベルにとどまらず、既に統一性を失っています。また、私はアメリカで暮らしていたことがあるので、いわゆる一般的なアメリカ英語を身に付けていますが、そのアメリカ式の発音は同じ英語圏のイギリスにおいてさえ通じにくいケースがままあります。アメリカ英語は英語の一種類であり、イギリス英語も英語の一種類であり、そして華僑英語も立派な英語の一種類であり、日本人のカタカナ英語ももちろん立派な英語の一種類なのです。一般的な英語を身に付けることは「道具」として便利なのであり、種々の英語の間に強迫的な優劣、差別はありません。英語を含め、あらゆる言語は可 変性に富み、混血を受け入れてくれるフレキシプルな存在なのです。しかも、同じ一般的なアメリカ英語を発するにしても、各話者、各書き手、各翻訳老が発するその英語の言葉一つ一つには、その個人固有のパーソナルな文化・政治・経済等が付着しており、世界の標準たる唯一の純正な英語なんかありえないのです。したがって、この連載詩の英訳も純正な無色透明の変換ではなく、善かれ悪しかれ私今渡久美のパーソナルな文化・政治・経済、私の色が介入しており、翻訳もある種のリミックスにならざるをえないと思います。
川端 鈴木さん、私の詩と英訳を素材に料理をよろしくお願いします。そういえば、鈴木さんはご自分のホームページを持っていらっしゃいますよね。もしよけれぼ、鈴木さんのご意見もお聞かせください。
鈴木 川端さんが「イギリス史」と仕掛けてくれたので、頭の底にこびり付いていた「チューリング」が網に掛かってきました。思いがけずにコンピュータのことが詩に書けたので、楽しめました。今は、コンピュータのことが一番大きく頭を占めています。でも、コンピュータのことって、それなりに知識のある人とでないと、話が出来ません。これが相手に嫌われるところとなります。従って、黙ります。  でも、この詩の雑誌で、コンピュータ談義をしてみたいですね。わたしは最初、スタンドアローン、つまりネットされてないコンピュータを始めたのですが、二年目でインターネットに接続しました。インターネットに接続されたコンピュータと、そうでないコンピュータとはまるで違うものでした。最初買ったのがMacintoshだったので、「命令」と「実行」の面白さはハイパーカード・スタックの制作で満足させていましたが、もっとそれを自分の方に引きつけたくなって、PC-98を買い、アッセンブリ語を始めました。それで、詩句を置き換えて無限に詩行を進めていくプログラムなどを作ってみましたが、もっと柔軟にプログラムできる言語を学ぼうと思っている内に、インターネット熱が盛り上がってきて、接続して、ホームページを開設するところとなったのです。  ホームページを開設してみると、詩の雑誌の読者とは違う読者が現れました。また、ホームページは活字の世界ですが、ディスプレイ上で読む文字は、つまり文章は雑誌の紙上で読む活字とは印象が異なることに気が付きました。その違いについては、よく分かりませんが、読者の数も違います。現在、一日平均30人ぐらいの人が見に来ます。この人たちにそれ相応に日々応えていこうと思い、「曲腰徒歩新聞」というサイトを作り、週に一度位の更新で日記的なエッセイを書いています。勿論、詩も写真もその他のエッセイも載せていますが、やはり、「曲腰徒歩新聞」ですね。文を書く気持ちが続いて、創作意欲と発表意欲の両方が満足させられて、しかも、面白くなければ二度と見に来ないという厳しいところに立たされるので、一層楽しくなります。OSについても、MacやWindows95のほかにFreeBSDというPC-UNIXにも興味が出てきて、コンピュータへののめり込むは留まるところがありません。  先日、川端さんのサイトを見ました。ルミックスの詩は、川端さんの詩しか載っていませんでしたが、是非とも、わたしの詩も載せて下さい。コンピュータの詩だからぴったりだと思いますよ。
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