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東京、あっちこち・あとがき

 「東京、あっちこち」の各パーツは、一九八○年一月から一九八三年十二月にかけ、月刊「東京消防」誌に扉の詩として掲載された。合計四十八点。この時のさし絵も宮園洋氏のものであったが、本書でのイラストレーションとは別のものであった。一九九○年になって、それらの四十八点から三十六点を取りだし、「東京、あっちこち」のタイトルで再構成をした。各パーツの改稿も若干した。あっちこち、を漢字で記せぱ彼方此方であり、彼岸此岸ということでもある。(小長谷清実)

 共著者の小長谷清実さんとは、ぼくが思潮社という小さな出版社で、制作の仕事の修業時代からのつき合いである。堀川正美さんが肝煎といった感じで、小長谷さん(『希望の始まり』)と伊藤聚さん(『世界の終りのまえに』)の第一詩集を作ったときだった。たった一人の制作部員で、自費出版も担当していたぼくは、堀川さんの指示を現場に伝える役割りだった。それ以来ぼくは、堀川正美氏を出版制作の師とひそかに思い続けている。堀川さんの『枯れる瑠璃玉』や三木卓さんの『わがキディランド』などが出版された頃で、何故か『氾』の人たちの仕事が重なった時期でもあった。
 何年か後にフリーになり、百鬼界の屋号で自費出版も引受け始めた頃に、この三人との再会があった。彼らの第二詩集出版で、制作は堀川さん、装丁は前回と同じ電通の大野健一さんである。このときの二冊がH氏賞候補になり、小長谷さんの『小航海26』が受賞(一九七七年・第27回)、伊藤さんの『気球乗りの庭』は最終で落ちた。『小航海26』は印刷所が勝手に紙型をとっていたので、それだったら流通に乗せようと考えて、当時学芸書林を辞してれんが書房新社を始めていた鈴木君に声をかけたら、出版しますということになり、これ以後『小航海26』はれんが書房新社版として世に出ることになったのである。
 版元の鈴木君とは、思潮社時代の同僚であった桑原茂夫が学芸書林に移っていて、彼の紹介で出会った。そこの装丁をやり、れんが書房新社の装丁をもやらせて貰った。その後、小長谷さんの『玉ネギが走る』、『ナフタリンの臭う場所』、『スクラップ、集まれ』、伊藤さんの『目盛りある日』、大冊で『堀川正美詩集』、『三木卓詩集』、そして天野忠氏の『古い動物』、永瀬清子氏の『うぐいすの招き』、阿部岩夫氏の『青雨。我老林』などに関わってきた。
 ところで余談になるが、思潮社に入った桑原茂夫をぼくに紹介したのが八木忠栄である。彼とは、学生時代に同じ同人誌で知り合った仲で、当時、思潮社で『現代詩手帖』の編集長をしていたと思うが(桑原にかわっていたかもしれない)、今度、制作部をつくるから来ないかと声がかかり、ぼくは渋谷の広告代理店から本郷西片の小さな詩の出版社にかわったのである。その辺りから、ぼくは詩を書くことをやめて、他人様の書いた詩集を作る側にかわった。かつての思潮社労組三役の八木と桑原は何冊かの著作を持っているが、ぼくにはそれがない。
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 東京から岡山に移って十三年目になる。この間毎月、東京─岡山の往還が続いている。移った年に、小学校に入学したばかりの長男・貴至が、不幸な事故であっち(「あっち」に傍点あり:Web制作者注)に行ってしまった。ぼくたち家族にとっては修正のきかない大きな落丁である。当時、『東京消防』誌の扉に詩を連載していた吉増剛造さんが、レクイエムを書いてくれた。それに絵を付けていたぼくは、息子の写真を貼り込んで私的な追悼号にしてしまったことがあった。この吉増さんのあと、小長谷さんと組んで連載したときの詩が本書の詩篇である。二人の詩人との共同の仕事が終ったそれぞれの頃、一冊にまとめようという話があったのだが、ぼくのわがままな云い訳で時機を失して具体化しなかった経緯がある。
 今度、小長谷さんのその時の詩篇に東京の地名が入っているということだけで、共著をお願いした。ぼく自身はこの一人だけの四年間の連載で、東京をノスタルジックに見て歩きたいと思った。しかし、故郷である高円寺はすでに遠く離れて、「高円寺純情(「純情」に傍点あり:Web制作者注)商店街」(著者のねじめさんによれば、高円寺中学野球部の後輩ですとの由、蛇足ながら)や町並に、そんな情緒はすでにない。そこで歩く先々は、戦災を免れた土地に残る町並、建造物という次第になった。尋ねる先はまだまだあるのだが、ぼくの気力が減退し、中途半端なものになってしまった。単行本としてまとめるに当って、またしてもモタモタしていたところを、原画展をやるゾーと吹聴していたのを憶えていてくれた岡山の画廊「いちのつぼ」の矢吹祥子さんが、追い込むように会期を決めてしまったのである。年の瀬が近づく慌しい中を、歳男の馬力をかけてとり組まざるを得なくなった。
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 このような経過から、本書の出来具合についての責任の大半はぼくの方にあるのだが、はじめての本を持つという身勝手な願いを厭うことなく叶えてくれた共同著者・小長谷清実さんに、心からの感謝を申し上げたい。清実さん、ありがとうございました。
 本書の「詩」と「絵」を各々四年の長きに亙って連載の場を提供してくれた『東京消防』編集室の方々、新宿ゴールデン街「まえだ」の写真の模写を快諾された写真家・高梨豊さん、岡山の画廊「いちのつぼ」の矢吹祥子さん、本書の刊行に全面協力をしてくれた中野コロタイプの中野和之さん、そして気長につき合ってくれている学友・細川顕司と版元の鈴木君に感謝の意を表したい。
 最後に、あっち(「あっち」に傍点あり:Web制作者注)に行ってしまった二人の父・太田真一と宮園秀夫、そして長男・貴至に、親しかった人たちに、こっち(「こっち」に傍点あり:Web制作者注)から本書を献じたいと願っている。(宮園洋)




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