声
奥野雅子
(残念だね)と皆が言う
(あんなに奇麗な声だったのに)
(残念だったね)
私はただ何処からか
私の高いたかい声が降って来ないかと
遠いアスファルトを凝視めても何も見つからずにいた
◆
立ち並ぶ高層ビルの灰色の頭のあいだを縫って
空の破片が見えかくれする
晴れた日の街はきつい太陽の照り返し
あかるく澄んだ海の底のようだった
海をおよぐ魚のように私はあてもなく
芒乎とした意識のなかで失くしたもののヒントをさがす
街を歩いていても
あの声が私の咽喉にもどるわけないか
それでも
私は街を歩き
◆
何時のまにか入り込んでいた見知らぬ街で
奇妙に自分の足音がひびく街角で
けれどもその建物にはなぜか見覚えがあって
なんだろうこの感じ
じぶんが潜んでいる感じ
叩かれて怒鳴られて
そこからすべてがすこし狂った
時計の針が遅れていって
とうとう、わたしのキレーな声も
けされていって
◆
でも、ここは
高くたかく空にそびえて
緑の蔦につつまれて
じっと、沈黙をまもり
時間にとりのこされて
ここは
なんだろう
ここだけ
周囲の音が消される
いつだったか
最後にここを見たのは
子供の泣き声が聞こえていた
夕飯のおでんの匂いがしていた
そして
私の名前をよぶ人がいた
よぶ人がいた
と、思った
とたん
周囲のざわめきが戻ってきた
子供の影法師
おでんの匂い
そしてちらちらと
緑の蔦のうえに鳩のかげが
黒く舞う
◆
空には鳩がとんでいたこと
それが戻ってくる
わたしが打たれてとても痛かったこと
それが戻ってくる
あの時も鳩は飛んでいたし
わたしは間違っていなかったし
キレーな声で歌をうたっていた
空には鳩がとんでいたこと
それが戻ってくる
忘れていた
いろいろなものが戻ってくる
思い出したくない
自分を閉じ込めてしまったのは
この時のこの家だった
と
空に舞う鳩を見ようと
仰向いた
空にはすでに鳩のすがたはなく
ただあの懐かしい
私の声が
私のうえに
降ってくる
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