『Intrigue』Vol.2

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特集 今も気になるあの詩

三人の原石を探して・・・
今も気になるおたがいの昔の作品を紹介します。

  恩地妃呂子 ゆげはかみさまのごはん
  奥野雅子 隣の席の...
  川本真知子 モモ

恩地妃呂子 ゆげはかみさまのごはん

恩地妃呂子の詩

・・・新しい生活詩のカタチ。・・・  恩地さんの詩を読んでまず気がつくのは、話言葉(=方言)への強いこだわ りです。  門司出身で、東京の大学に入学することによって異文化のなかにとびこむこ とになってしまった恩地さん。方言で書く、方言でしか書けない、というやり 方には、東京にきてホームシックぎみだったことの影響がある。  「毎日楽しいけれど、こんなんで本当にいいんやろか・・・埋もれとうない ・・・(「早稲田通り」)  こんな気持ちは、一人暮らしをした経験がある人間なら、誰にでも理解でき る。恩地さんは、東京へ出てきて切ないホームシックな気持ちのなかから、自 分のルーツを強く認識することになっていったのです。  けれども、「県民」という詩のなかの、「鹿児島とか行ったことないし/博 多もんには負けとないし/黒崎で迷ったし/関門海峡が見える家やないし(中 略)海を見に帰った 実家で/ハングルも映るテレビ画面を見ている」なんて いうフレーズを読んだりすると、故郷に強いルーツを持つ恩地さんでも、大人 になってほかの地方に出ていったりすると、それはそれでなんだか無国籍のよ うな、故郷になじめないような気持ちになっているんだなということがわかっ て、複雑な感じがする。  恩地さんの詩を読んでもうひとつ思うのは、恩地さんが生活のひとつひとつ の動作をものすごく大事にしているということ。現実からいったん開放され て、自分自身の超現実を詩の世界としてつくりあげる、というのではなく、恩 地さんは、どれだけ現実生活を詩の中に取り込めるか、ということを詩の創作 のカギにしている。  恩地さんの詩を読むと、納豆でごはんをたべる一人暮らしの食卓、化粧をし て会社面談にいく就職活動、その途中の電車、寮生活のゴキブリやシスターた ちとの生活、といった生活の動作の一コマ一コマが、じょうずに詩のなかに捉 えられて、取り込まれている。   これが私のつくった作品世界だよ、というのではなく、こういう世界のなか に私はいるんだよ、という感じ。生活する、ということのリアリティー。いま 現代を生きているという実感を生活面から描いている。それも、ごく自然に。    「ゆげはかみさまのごはん」は、いままで言ったような恩地さんの詩の良さ がいちばん発揮されている詩です。  自然な門司弁のセリフ。パン屋でアルバイトする暮らしのムリない描写。  それにプラスして読む人にどんどん語りかけてくる感じがある。  「おじいちゃんはね/死んでしもたけどね/かみさまになったんよ/うちらを ね ずっとみてくれよるんよ・・・・」これは、作中で恩地さんのお母さんが 恩地さんに語りかける言葉なのだけど、それがそのまま詩の言葉となって読者 に語りかけてくる。「自分が書いたものを、先生をはじめ、周りに読んでもら えるのが、うれしくて、うれしくて、学校から帰ってきた子供が、お母さんに 一日の出来事を話すように、寮のことやら、学校のことやら、どんどん書きま した」と、恩地さん自身が語っているように、「ねえねえ、聞いて」というふ うにどんどん書いているそのいきおいが、すごくよく伝わってくる。   そんな恩地さんが、ふだんパン屋のアルバイトでパンの切り口を見て思い出 すのは、「まだ幼いいとこのやわらかい頬」「私に優しいあのこのなめらかな 襟首」、そして「最近会ってないあの人のあまり太くないような腕」。   「私のそばに いまでも 居てくれるらしい」おじいちゃんのことは、「か たい 田舎パンを切っていて/手が スライサーに まきこまれそうになった 時」にだけ思い出す。そのことについて、「止まらない熱い気流につつまれ」 ながら、「おじいちゃん ごめんね」と心のなかでつぶやく。私には、そのセ リフのなかに、飾らない恩地さんのほんとうの「ごめんなさい」が聞こえてく るように思えて、じんときてしまった。  以上が、詩を書くまえからの友人・恩地さんの「ゆげはかみさまのごはん」 に対する私の解説ですが、あとは読者それぞれの目で、いろいろな感想をもっ てくだされば、と思います。                         (奥野雅子)


ゆげはかみさまのごはん(初稿)     恩地妃呂子

私は パン屋さんで働いている
スライサーでパンを切ると
ぼわ
切り口から ゆげがあがる
いきおいよく
私の前髪を
鼻のあたまをゆらす
ゆげは
かみさまのごはんなんよ

 「おじいちゃんはね
  死んでしもたけどね
  かみさまになったんよ
  うちらをね ずっとみてくれよるんよ
  だけんね
  おじいちゃんには
  炊いてすぐのごはんをお供えするんよ
  ぼわ
  このゆげをね ごちそうじゃちゅうて
  たべよる
  おじいちゃんのごはんは
  ゆげ
  かみさまのごはんなんよ」

お母さん たまには おじいちゃんも
パンのゆげが食べたいんやないかなあ

でも 毎日休みなく白い上食パンを切っていて
ゆげの中から現れるんは
まだ幼いいとこのやわらかい頬のような
                 切り口

ゆげの中から現れるんは
私に優しいあのこのなめらかな襟首のような
                  切り口

ゆげの中から現れるんは
最近会ってないあの人のあまり太くない腕のような
                     切り口

止まらない
熱い気流につつまれる

おじいちゃん ごめんね
私のために いつも
キャラメルやバナナをふるえる手で
くれた あなたを
私のそばに いまでも
居てくれるらしい あなたを
思い出せる 瞬間は
かたい 田舎パンを切っていて
手が スライサーに まきこまれそうに 
なった時





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