鈴木志郎康の新しい詩

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住んでる人しか知らない道

住んでる人しか知らない道




多分、住んでる人しか知らないだろう、
その道、
詩を書こうと思って、その道を選んだ。

その辺りに住んでいて、そこを歩いている人には、
説明するまでもないが、
知らない人には、説明の仕様もない、
ありふれた道。
東大阪の
近大から上小阪、中小阪、下小阪へ通じている
家々の間を緩やかに蛇行した細い道。
多分、昔からある道。

夏も終わる夕方、近大前で濱田君と別れた後、自転車を押す池田君と
わたしは話をしながら、並んで歩いた。
二人が並んで歩くと、
擦れ違う人はいくらか身を避ける格好になる。
こちらも、そうする。

おばあさんが
家の前に吊り下げ並べた幾つもの鉢植えの花に如雨露で水をやっていた。
少年が
戸口で犬の頭をごしごし撫で、犬は尾を振り切るほどに振っていた。
おばあさんの唐草模様のワンピースが、いいなあ。
少年のやさしく力を入れた手元が、いいなあ。
犬の尾っぽ。
そんな感じ。

それにしても、地べたにしゃがんだ少女は、
道ばたの石の間の雑草の茂みに、手を入れて何を探していたのだろう。
池田君は、古いパソコンを使っていて、それに合う
「5インチのフロッピーは、もう、売ってませんよ」
といい、わたしの頭には「発語」という単語が引っかかっていた。
先ほど、授業で、
「詩の本質は、発語の共有だ」といった。
何に接して、言葉が生まれてくるか。
「問題は、その発語の主体にある」と。
心を向けているもの、心が受け止めるイメージ。
それで、
「発語は決まる」が、
その「発語」を読者と共有できるかできないか。
「もう、売ってませんよ」と、池田君は言うけど。

詩集は売ってない。
生活者は現代詩を読まない。
現代詩は大学で講義されて、
見たこともないその言葉の姿に学生たちは驚く。
で、
詩を書く人は結構な数だが、余り読まない。
多くは詩に無知だから。
詩に無知だからと言って、どうってこともない。
現代詩は日常を地割れさせる。
大衆から遠ざけられる。
その言葉が言葉の在処の深みにあるから、
深く潜れる者にしか知られない。

この「わたし」が「発語」を求めて接しているところは、
発生してくる言葉が秘めた深み。
その辺りに住んでいる人しか歩かない道を、
住んでいるのではないわたしは歩いている。
おばあさんの夕日に透けたワンピース。
住んでいる人には見えないワンピース。
花が枯れてはいけないと、おばあさん、
如雨露から迸り光る水。
犬の頭をごしごし擦る少年の手元。
犬は嬉しがり、少年は更に撫でる。
彼だって、明日になれば、そのしたことを忘れてしまうだろう。
小さなことだが、
わたしは、その彼らの姿を大切に記憶する。
当人も他人も忘れてしまう姿を留めたいとは思いながら、
でも、わたしもいつかは忘れてしまう。
小さなことだ。
でも、生きてる。
そこで、言葉。
言葉になり変わる。
わたしは言葉になり変わる。
万感を込めて、言葉になり変わる。
道ばたの草のような言葉になり変わる。
いつか少女が、そこに素手を差し入れて探し出してくれる。

書かれた言葉が読まれないのは辛い。
言葉に、
求めに応じる力がないからか。
言葉に、
求めて行く心がないからか。

辛いからと、早まった結論をしてはいけない。
人は、心に生きている人を失えば悲しむ。
人は存在の消失を悲しむ。
悲しむ心は無くならない。
しかし、先ずは、何事でも、心の中に存在しなければ、
失われたことにも気がつかない。
気がつかなければ、悲しむこともない。
ここだ。
存在への対し方、それが問題。
如雨露で水を掛けるおばあさんの姿は、
通りすがりの人には、見えない。
犬の頭を撫でる少年の手元は、目を引かない。
不透明性が覆っている。
都市生活者の意識の不透明性。
人の死よりも、葬式が幅を利かす不透明性。
住んでいる人しか知らない道を、
顔を見知っていなければ、互いの姿を見ないで行き交う。

不透明性の中で存在を明示する語法を工夫しなければ。
一つは、不快で過激な曖昧を実現する語法。
また一つは、不透明を透徹する語法。
語法というのは、物事の関係を改める言葉遣いのことです。
でも、これはかなり厄介。
先ずは、人との関係を改めなければならないから。
いろいろな先達が、そんな風にやってきた。
「そんな風」の風を、この道で感じた。
住んでいる人しか知らない道を、
そこに住んでいないわたしは、
若い池田君のコンピュータの話に耳傾けながら、
歩いた。
確かに、歩いた。
右足をちょっとびっこ引いて。

道の終わりの駅近くの不定に広がった区画に来て、
京間六畳一間のアパートに帰るという池田君に、
手を振って分かれた。
池田君は、角からいきなり出てきた自動車を身軽に避けて、
腰を上げ、ペダルを踏み下して走り去った。



「るしおる」35号1998年11月掲載
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