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  風疾る書物の季節


新宿から新宿へ
   

冬のデパートの横っ腹を親しく撫でて
白昼の広い通りへ出る
冷たい風が道路いっぱいに 荒々しく
裏々と吹きぬけていく
風疾る!
デパートの光る窓を凍らせ
映画館の豪華な絵看板を凍らせ
タクシーのフロントを凍らせ
街行く娘たちのスカートを凍らせ
ピアニストの呼吸を凍らせ
甲州街道のカーヴと傾斜を凍らせ
風疾る!
白昼の風疾る!
それは 上空に泥まみれの書物が
舞い狂っている冬のはずれだったり
息苦しい地下道でひとりの少女が
引き裂かれ 産卵する夏のさかりだったり……
いたずらに陽気なステップを踏むな
抒情的な季節の涯てはすばやくやってくる
快い風などに出会えるものか
風はいつだって
にぎやかな街を街行く人を人の言葉を秘かに固く凍らせ
ふくれあがって 轟々と吹き荒れている
風が疾り
書物が疾る
つややかな季節のへりが腐りはじめる

 *

日吉ミミの歌に
うっかりはぐれてしまった日曜日の午後
鈴屋の前の草ぼうぼうの畦道に躍り出ると おれは
いかにもうさんくさい歩行者天国の
峡谷の底にたちまち突き落とされてしまった
なんと非ドラマチックなざわめきの繁みなのだろう
ずるい陽ざし
捨てどころないキャッチ・フレーズ
野暮な峡谷を埋め尽くした群衆が
たどたどしい歩行と恐怖にみちた表情で呆けっきている
ウィンドーを飾りたてるスキャンダラスな地獄
非ドラマチックな日曜日の午後
血なまぐさい獣たちは
風のなかをどこへ迷いこんでいったのか
群衆は日曜日のどの部分へなだれこんでいくのか
風が疾り
書物が直立して疾る
風がワァーンと吹きぬけて行く靖国通りで
自転車にまたがった老婆たちが溺れかかっている
冷たい汗にまみれ むなしく喘ぐサドル
エンジンの凍りついた車が
土との土着的関係を探しあぐねて
風のなかを ひたすら
西へ移動!

 *

不憫な幼虫時代から もうながいこと
書物の狭間を彷徨いつづけている男たちには
庭の楓を根こそぎ背負い
吹き荒れる風の重量に逆らって
峡谷を疾りぬける真似など決してできやしない
泥のような抱擁の果てに
ひとつのまぎれもない不幸の掌がか
不幸なかたちのまま宙に凍りついている
散文的な陸橋を駆けくだり
書物と土との関係式をありありと解きほぐそう
楓を根こそぎ疾らせろ そして
色褪せた歴史の断崖に立ちすくんで
今初めての なまぐさいハンカチを振れ
世界よちぎれろと振れ
この街をやさしく抱きこんでしまう
キラキラした笑いや
階段の陽気すぎる高さや
センチメンタルな泥酔や
夜の重さにむかって
涙なしのハンカチを振れ 振りつづけろ

 *

宿酔の電車が
明けがたの武蔵野を突っ切って甲州へ疾る
黒々と凍りついている甲州へ
この街をひとりで歩いていると
むしょうに海へ行きたくなる
海を見に 甲州ヘ!

 *

雨の朝 ワイパーなしで
不吉な声が風にはこばれてくる
「霧が探い……
 霧が深い……
 書物に気をつけろ……
 あの舞い狂っている書物の群れに気をつけろ……」
すでに 息苦しいばかりの書物の季節である
不吉な戸にあおられて
おれは書物の名前を呼びながら街の畝をわたる
迷子の迷子の書物ちやん!
迷子の書物の季節ちやん!
なんと皮肉な呼び声の大遠征であろう
幻の書物のアルコール坂越え
幻の尻毛横丁またぎ
幻の馬頭の書物よ、と
おれは街疾る ワイパーなしで
霧に装釘されつづける書物の季節である
行き止まりの肌寒い奥付小路からは
いつも不吉な予感が
ノンブルのへりをさかのぼってくる ワイパーなしで
「霧が深い……
 霧が深い……
 書物に気をつけろ……
 あの舞い狂ってている書物の群れに気をつけろ

 *

この街を ひたすら風が疾り
この峡谷を ひたすら書物が疾り
泥土が硬直する
色めきたつ言葉たちの夜ふけは
グラスの底に注がれたウイスキーに
集約され たちまち飲み干されるだろう
もっと濃いウイスキーとインキを狩りとれ
それに広大な石のテーブル
凍えて眠りこけるこの街の短かい夢の枕辺を
万巻の書物が一列に
乱れて一列に直進する
一列に……
畦道を移動する書物と土との
草ぼうぼうの関係そのものである

 *

インディアンの顔つきで
両手を頭上高くあげたまま
書物の狭間を行き悩んでいると
不意に 火を噴く鼠が跳び 鉄塔が叫び
ピアニストの背後に そっと
神さまが棒立ちになっていたりする
今こそ 恐ろしい表情で楓の根を高々と抱きあげ
ピアノをひっぱたけ!
ピアニストの頸すしをひっぱたけ!
言葉をひっぱたけ!
風のかけらまでもひっぱたけ!
新政をひっぱたけ!
成子坂の陽だまりをひっぱたけ!
神さまをひっぱたけ!
書物でではなく 楓の根を高々と抱きあげ
恐ろしい表情で ひっぱたけ!

 *

蒼ざめながらのぽりつめた幻の高層ビル
草ぼうぼうの屋上から身をのり出せば
書物の股ぐらを支配する暴風圏がまる見えだ
あれが牛込
あれが外濠
あれが四谷見附
あれが汐留
あれが葛飾
あれが房総
あれがモービル
あれが環七
あれか武蔵野
ほら あれが甲州
あれが見返し
あれが内藤新宿
海水に覆われてくる草ぼうぼうの内藤新宿
おれの視界も草ぼうぼう
凍りついた甲州から海がひろがってくる
少年(こども)たちが
草ぼうぼうの海をまぶしい背景にして歌っている
〈こころが欲しい!〉
〈こころが欲しい!〉
〈こころが……欲しい!〉
風疾る!
白い波頭が二重三重につながる
しかし 言葉は
言葉はついにつながらない
風のなかで腐るおびただしい言葉
ごらん
塩を溶かした鍋のなかに
思想がゆっくりしたたり落ちる
風が疾り
泥土が 海が 硬直し
見わたすかぎりの幻の書物の季節が
ゆるやかにゆるやかに 昂進する



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