テラスの牡丹
それと「強行突入」の感想
先週花開いたテラスの牡丹が、ぐしゃりと形を崩し、既に枯れ掛かってきた。まだ花びらは散っていない。毎年、この牡丹が咲くのを眺めていて、そのくせ、この花は芍薬だったかしら牡丹だったかしら、と思い惑う。今年も、百科事典を引いて確かめた。花は似ているが、葉が違う。立てば芍薬、座れば牡丹、という美人の誉め方は、着物を着た女性の首筋から胸元への視線の移動を感じさせる、なんて思ったりした。
牡丹が咲いている間に、ペルーはリマの日本大使公邸への特殊部隊の「強行突入」が、テレビでまた新聞で報じられて、わたしはそのテレビの映像を見たり新聞を読んだりした。気持ちが「曖昧」になるのを感じた。それ以前に、新聞の記事から、「武力解決」になるような感じを受けていた。だから、朝目が覚めて付けたテレビに煙が上がる公邸の画像を見たとき、とうとう、と思った。それから、テレビで語られ新聞に書かれる言葉に接して、どんどん気持ちが「曖昧」になって行くのを感じた。
それらの言葉によって、否応なしに、わたしは自分が「日本人」であることを自覚させられて行き、国家意識を持たされて行くのを感じた。「武力解決」というのは戦争の一形態で、ゲリラとペルー政府は戦争をしているということで、わたしは自分が否応なしに、「日本人」として、言葉が作る地平線上で、その戦争に巻き込まれていると感じた。アフリカで戦争があって死者が出ようが、アメリカでビルが爆破され死者が出ようが、気の毒だとは思うが、わたしは見知らぬ関係のない人たちのこととして済ましてきたのに、そして今回も、日本人だろうとペルー人だろうとわたしの知らない人たちの身の上に起こっていることなのに、「感謝」とか「哀悼」とか、読んだり聞いたりすると、国家的集団意識が被さってくるのだ。それがわたしの気持ちを「曖昧」にさせるというわけで、うるさいなあ、と思いながら、「流れ始めましたね」と隣りの人に呟きたい思いだ。
いきなりBolex!
多摩美二部芸術学科新入生歓迎イヴェント。
わたしが勤める多摩美術大学美術学部二部芸術学科の進入生歓迎イヴェントは、10台の16ミリ映画カメラのBolexで、新入生にいきなり撮影させるというものだった。映像コースばかりでなく、演劇コース、劇場美術コースも含めての61人(欠席者3名)を10班に分け、一つの班に二人づつ映像コースの先輩を付けて、新入生を近くの多摩川の土手に連れて行き、それぞれ好きなものを撮影させた。
16ミリ映画カメラのBolexはかなり重い。しかも、近頃のカメラと違って、光量をメーターで測り、絞りを自分で決め、ピントも自分で覗いて合わせなくてはならない。絞りを決めるのは先輩に助けて貰ったとしても、重いカメラを手にして、覗いて撮影するとなると、かなり緊張する。その体験を第一歩にして貰いたいというわけである。
多摩川の河川敷は菜の花や大根の花が真っ盛りで、一面に咲いていた。20日は天気も良く、河原でバーベキュウをしたり、釣りを楽しんだりする人も多かった。その中で、新入生たちは、真剣な面持ちで、それぞれ思いを込めて撮影していた。その真剣さに、手伝っている先輩たちも感動して初心を思い出したということだった。夕方、大学に戻り、校庭で教員たちが下拵えした材料でバーベキュウ・パーティを開いた。昼食のおにぎりが小さかったので、若い食欲たちは紙皿、紙コップを手にして、ぶつかり合い押し合いして、瞬く間に野菜と肉のフォイル焼き、牛肉、ソーセージ、焼きそばを平らげて、東の空に出た月の下で、五本の指で締めて、解散した。
鈴木志郎康・16ミリ映画作品『風切り』の完成。
今月の26日から5月5日まで、東京・横浜・大阪の3会場で同時に開催される「イメージフォーラム・フェスティバル」に出品するわたしの16ミリ映画作品『風切り』がようやく出来上がった。先週の木曜日にネガ編に出して、17日に完成プリントが出来てくる。この映画の制作と、BASICのプログラムの練習をしていたので、「曲腰徒歩新聞」がお留守になって、清水哲男さんから病気しているのではないかというメールを貰い、「心配をしてくれている人がいる!」と、はっと気がついてと言うわけです。申し訳ありません。
今度の『風切り』という映画は、ここ例年になっている身辺雑記的映画で、「春は咲く花が多いだけに、実は枯れる花もそれだけ多い」ということに、年老いた自分の姿を重ね、若い友人の歌手であり詩人の野村尚志君に一曲歌って貰うという作品。年老いた自分の姿を見せるところで、昨年の病後、カメラを持って街中を撮り歩いた魚眼写真をコマ撮りして、「風を切って歩いた」と粋がっても、しょせん歳には勝てず、お灸を据える羽目になるという風に構成してみた。
それに加えて、丁度送られてきた野村尚志君の歌のカセットを聞いたら、気持ちに通じるところがあったので、わたしの映画の中でも歌って貰おうと、彼が住む宇都宮まで出掛けて、川の土手で歌うところを撮影して、気分を盛り上げることにしたのだった。
最近のわたしの映画制作の意図は、日常の時間とそこでの自分の身体をつかまえるというところにある。従って、その時間を捉えるところで、雲の動きや、日差しの変化、またその中の花の生理をコマ撮りで撮影するということになる。今回は、君子蘭が花芽をを出し、花を咲かせ、枯れるまでの変化と、窓から見た空の変化とをコマ撮りで撮影した。君子蘭は咲くまでほぼ一月掛かった。12分置きにシャッターを切るように設定して、日が出ている間が5、6秒に収まるようにした。太陽の光にぐいぐいと枯れていく花の姿を見て、こんな風に人も老いていくのだと、光の強さに驚いたのだった。
スタッフ:
歌と曲、並びに出演:野村尚志
ダビング録音:内野徹
協力:上岡文枝・速水由希子