君子蘭の芽が出る頃
君子蘭の芽が出る頃になると、16ミリ映画の撮影を始めるのが、わたしの恒例になっている。齣撮りのカメラを用意して、今年は花茎が延びて行くところを撮影している。1日を3秒に設定している。それでも、10日で30秒になって、見ているのに耐えられるかどうかだ。動かない映像を10秒見ているのは辛い。実は、そういうことがわたしのテーマなのだ。
今年の映画の題名は「風切り」と決めた。街の中を歩いて写真に撮って、それとこの部屋の中の君子蘭の花。先日、野村尚志君から送られてきた彼の歌のテープを聞いていたら、結構よかったので、彼も撮って、その歌も入れようなんて考えている。写真は魚眼写真を使う。先週、家から代々木八幡まで歩いて100枚余り撮った。
そうやって、街中で写真を撮っていると、その風景とわたしの関係が意識の上で問題になってくる。向こうも、わたしも変わっていく。当然わたしはいなくなる。わたしは、もともといないのかも知れない、という気にもなってくる。そこが、意識としては面白い。この、面白いと感じるところを、映像でも言葉でもいいが、手に出来るものとして実現してみたい。
FreeBSD!
「曲腰徒歩新聞」の記事がしばらくお休みで、愛読者の皆様には申し訳ありませんでした。一月後半、わたしが勤めている多摩美術大学二部芸術学科の演劇コースの発表会、映像コースの作品審査講評会、更に卒業公演ならびに卒業作品の上映というようなことが、目白押しに続き、それを連日見に行く一方で、わたしはわたしで、FreeBSDにのめり込んでいたというわけでした。
現在、わたしにとって一番のことは、FreeBSDです。何とか、これを使いこなしたいと思っているわけです。そのための楽しい苦労が連日続いています。その苦労の一端を、お話しようと思いますが、わかっていただけますでしょうか。コンピュータの苦労(楽しみ)は、やったことない人には全然通じないし、それを通り越してしまった人には、何だそんなことと、関心を呼びません。いきおい、感情が先走りになりがちです。インターネットを巡る議論は、おおむね感情が先に出ていますね。
さて、FreeBSDです。これは、UNIXという大学や研究所、また会社が大きなコンピュータを基にして、ワークステーションと呼ばれる沢山のコンピュータを繋げて使っているOSを、パソコンの上に走らせるようにしたものの一つです。大学や会社では専門の管理者がいて、管理しているというOSです。それを一人でやるというのですから、楽しいし苦労も多いというわけです。コンピュータの楽しみに深入りすると、それをやってみたくなるわけですね。
先に、それをPC-98にインストールした際、10月にはハードディスクを一つ駄目にしたり、12月には『UNIX98版FreeBsd入門キットCD-ROM付き』の著者の宮嵜忠臣氏に噛みついたりしたことは、「曲腰徒歩新聞」に書きました。それでも、とにかく、FreeBSDをPC-98の外付けハードディスクにインストールすることには成功したわけです。それも、クラッシュを恐れて、外付けハードディスクを二つ付けて、別々にファイル構成を違えたFreeBSDをインストールしたのです。そして、更にまたFreeBSDとNEXTSTEPをインストールしたAT互換機のDELLを購入したのです。何で、そんなに沢山いるの?という疑問が出てきますね。
もはや、わたしにとっては、一番不安定なPowerMacは道具として使っていますが、その他のマシンは道具ではなくなっているのです。趣味とも言えません。大袈裟にいえば、それらのマシンは、好奇心の前に地平線を広げるものとでもいえばいいのでしょうか。コンピュータについて、次から次へと知りたくなるために、次々に欲しくなるというわけです。わたしは、コンピュータの中身を見たいという欲望を満足させようとしているのです。MacintoshもWindowsも、中身を見せてくれません。FreeBSDはその中身を見ることが出来るというのです。そこです。
そこが、苦労の始まりとなり、喜びをもたらすものとなるのです。
DELLのインストールされたFreeBSDで、X Windowを起動すると、さすがUNIXだというような画面が現れます。ところが、PC-98で起動したFreeBSDのX Windowでは、茶色の枠がついただけのみすぼらしいウインドウがあるだけです。つまり、設定の違いでまるっきり違ってしまうわけです。そこで、DELLの設定をPC-98に移そうと考えたわけです。DELLの設定ファイルをフロッピーにコピーするためには、先ずフロッピーディスクをフォーマットしなければならないのですが、それをしようとしたら、「rfd0:Device not configured」と返されてしまいました。「返される」というのは、コマンドラインのインターフェースで、コンピュータが応えを出してくるというやつで、MacやWindowsのアラートボックスみたいなものです。とにかく、その意味を理解して、何とかしようと、いろいろと本を見ても出ていないのです。
購入したパソコン店のAmuletに行って、店員のお兄さんに聞くと、デバイスをfd0.1480でやれば大丈夫というので、帰ってきてやってみたが、それでも駄目。違うデバイスならいいかと、片っぱちから試みたが全部駄目。しかし、何度か起動しているうちに、起動時の読み込みファイルにnot configuredの単語見つけて、そこに書き込めばいいのだと分かり、書き込むやり方を本から見つけ出して、fd0の組み込みをnoをyesに変えると、フロッピーディスクドライブを使うことが出来るようになったのでした。たったこれだけのことで、2日がかりとなり、デバイスというものについて、少しは分かったような気持ちになったのでした。UNIXはこういうデバイスの組み込みから、全部、自分で組み替えすることができるようなのです。CD-ROMを使うにしても、いちいちマウントしなければならず、結構めんどくさいのですが、うまく行ったとか、行かなかったとか、まあ、その達成感というのがあって、楽しいのです。