紫陽花のつぼみが群をつくる。
急性A型肝炎、完治の診断。
紫陽花のつぼみが、開化寸前で、山をなすように盛り上がってきている。このところ、二、三日、昼間は晴れるが、夜は雨という日が続いて、気温も上がらず、爽やかで気持ちがよい。
今日は日赤医療センターに行って、一年前の入院時からの主治医の加藤医師から急性A型肝炎の最終的な診断を受けて、IgG型のHA抗体が陽性になったので、完治したと言われた。入院したのは、昨年の5月15日だから、まるまる1年掛かったという事になる。普通、抗体ができるのはもっと早いのだが、というとだった。何分歳のせいでしょう、とわたし。
病院の喫茶室で、コーヒーを飲みながら、入院した当初のころのことを思い出し、妻が毎日、自転車で看病に来てくれたことを思って、胸が詰まった。売店で彼女に好評だった麩饅頭を買い、入院していた病室の窓を見上げて、看護婦さんたちが立ち働く姿を思い浮かべながら帰宅した。退院してからも、何度も通った道ももう来ることもなくなると、感傷的になった。
家に帰ると、テラスの紫陽花のつぼみの若緑が目につき、早速、撮影した。やがて花を開き、色を移していくだろう。紫陽花は紫陽花の時間を生きて、わたしはわたしの時間を生きていくというわけだ。
5月の薔薇も枯れ、、、
ようやくのことで、X Window上にNetscapeを起動!
このところ、連日、雨もよいの肌寒い日が続いている。散り始めた薔薇の花に手を触れたら、はらはらと散ってしまった。傍らの紫陽花のつぼみは、日に日に大きくなっていく。薔薇の別のつぼみも大きくなっていく。花の様子で、日が経つのを測っている。しぜんに、昨年の今ごろは、入院していた病院の窓からの眺めと、夏場所の中継を見ることで、日を送っていたのを思い出してしまう。
さて、わたしのコンピュータとの付き合いは、先に、FreeBSDでインターネットに接続成功してから、Mosaicの起動でひと躓き、それから、Netscapeを起動させるまでに、10日も掛かってしまった。Mosaicの起動の躓きは、頭文字の「M」を大文字で、% Mosaic とコマンドするということが分からなかっただけのことだ。3冊あるFreeBSDの本のどれにも、またX Windowの2冊の入門書にも、その他のUNIXの入門書にもそれは書かれて無くて、トッパンの「UNIX入門」に僅か一行、書かれているのを見つけて解決したのだった。
Netscapeの方は、netscape3.01をダウンロードしたまではよかったが、それから解凍して、インストールするまでに10日も掛かった。Mosaicを起動して、Webサイトにアクセス出来たので、Netscapeのミラーサイトからユーザーのホームディレクトリにダウンロードした。そして、『ここまでできるFreeBSDパワーガイド』に従って、
% tar xvfz netscape-v301-export.x86-unknown-bsd.tar.gz
と打ち込むと、
gzip:stdin:not in gzip format
tar:child return status 1
と返されてしまう。「tar.gz」という拡張子が付いているのだから、「tar xvfz」で解凍できるはずと、何度やっても、また、ファイルが壊れているのかもしれないと、別のミラーサイトからダウンロードしてみても、同じく解凍が出来なかった。
そこで、NetscapeはCD-ROMのportsコレクションの中にあるのではにかと探したら、あったので、それをインストールしようとしたら、そのportsのファイルは、ftpして取り寄せるようになっていて、ERRORになってしまった。インターネットに接続して、make installをしても、サイトにうまく行きつくことが出来ない。そこで、root#でftpしてftp.riken.go.jp/pubにアクセスして、同じファイルをダウンロードした。
ダウンロードしたのは、/rootのディレクトリで、そこで「tar xvfz」で解凍したら、ユーザーのホームディレクトリでは出来なかった解凍が簡単に出来たのだった。ところが、それで解凍された幾つかのファイルを適当なディレクトリに移動しなければ、インストールしたことにならない。「ここまでできるFreeBSDパワーガイド」に書いてあるとおりにしようとしたら、ミスプリがあったが、何とか出来たと思って起動したが、起動できないのだった。
「command not found」というわけだ。さてさて、netscapeのコマンドというのは何処に無くてはならないのか。UNIXではコマンドはだいたい/binというディレクトリにあるからと、/binの付くディレクトリを探してみたが、どこにもない。それもそのはず、netscapeは/rootに置き忘れたままだった。とにかく、探しているうちに見つけたMosaicと同じディレクトリの/X11R6/binに移してみたら、netscapeは見事に起動したというわけでした。やれやれ、というところ。
これで、FreeBSDでインターネットのWebブラウザーを使うことができる。Webブラウザーなら、MacでもWindows95でもいいのだ。でも、こんな具合に、やっていると、コンピュータと付き合っているという実感が湧いてくる。FreeBSDで何するの?といわれると、困ってしまう、FreeBSDをやっているのだから。まだまだ、いろいろとやることがあるのです。
FreeBSDでインターネットに接続成功!
FreeBSDというパソコン上でUNIXが出来るOSの存在を知って、そのCD-ROMを買ったのが、去年の四月。それから、失敗に失敗を重ねた一年を経て、ようやくFreeBSDからインターネットに接続できるところまで来た。他人には、どうってことないが、コンピュータに嵌まり込んだわたしには、感慨がある。とにかく、解らない解らないの連続で、それが一つ一つ解って来たという道筋を辿ってきたという感慨だ。言ってみれば、「コンピュータ遊び」の醍醐味を味わっているところ。必要もないのに、UNIXのOSを動かしてみるというのは、この醍醐味のためなのだ。UNIXの使い手の人から見たら、お笑いでしょうね。でも、これが初心者の心というものです。
コンピュータという器械は、歯車の代わりに「言葉の綴り込み(file)」を組み合わせて瞬時に働くものだということをようやく理解するようになったが、まだ依然としてどのファイルとどのファイルを組み合わせれば、どう動くかということは解っていない。今回も、その組み合わせ方で文字どおり右往左往して、ようやくのことで、接続に成功したというわけ。
わたしの場合、FreeBSDは二段構えでやっている。PC-98の98用のFreeBSDでいろいろやって出来たところを、IBM互換機のDELLのFreeBSDに持ってきて定着させるというやり方を取っている。今のところ、これがうまくいっている。DELLのマシンにエディターのemacsをインストールして起動したら、「libgcc.so.261.0」というファイルがないと返され(この「返される」というのが、コマンドラインでパソコンを扱ったことのない人には解らない。コマンドを打ち込むと、エラーなどの場合コンピュータが返事をすること)、PC-98の方を探したら見つかって、それを持ってきて入れたら、うまく起動した。今度のインターネット接続でも、先に接続に成功したPC-98のFreeBSDのsystemのconfiguration fileと、DELLの方のとを較べて書き直すということをして、DELLのマシンも接続させることが出来た。
FreeBSDでインターネットに接続しようとすると、MacやWindows95だと全く触らないで済むデバイスの設定から始めなくれはならなかった。PC-98のWindows95のモデムの接続をシリアルポートの「2」の方に繋いでいたが、FreeBSDはsio1に当たり、それが認知されてなかったので、sio0として認知しているシリアルポートの「1」につなぎ換えようとしうたら、そこに繋いでビデオソースを取り入れていたケーブルがリーバースだったので、ストレートのケーブルを買って来なければならいということになったのだった。ケーブルのソケットの大きさの違い、リバースとストレート、コンピュータの基本の基本、それをもう一度おさらいしたというわけ。その上、そのケーブルが、また、秋葉原に行かなければ売ってなかった。
それから、ppp接続に必要なファイルを、幾つかの本や、FreeBSD関係のホームページの記事を参考に、書き変えたが、それが皆、まちまちなのには悩まされた。それぞれ自分の器械でそれでやっているのだろうが、要するに、きちんとした知識もなく見よう見まねでやろうとする者には、その違いが悩み種になるのだ。でも、違いより大筋で共通しているところを選んで、設定をした。
ppp接続は何とかうまくできたが、telnetやMosaicを起動するというところでまた躓いた。pppで接続したコマンドラインからどうやってプロンプトの戻れるのか、それが解らないで、十日過ぎてしまった。そしてようやく、X Windowから起動すれば、xtermをいくつも起動させて置いて、ppp接続したしたxtermとは違う別のxtermからtelnetできるということに気が付いて、そうやってtelnetが出来た。しかし、笑い事ではないが、まだMosaicの起動が解らないのだった。
telnetするとき、「telnet ftp.catnet.or.jp」とコマンドを打つのだが、それが解っていて、「Mosaic http://www.catnet.or.jp/srys」とコマンドを打てばいいのを知るのに、何冊もの参考書を見なければならなかった。先ず、頭が「m」でなく「M」であることが解らなかった。そして、URLがMosaicの引数になるなんてことは、思いも及ばなかった。それが、殆ど書かれていないということは、UNIXユーザーたちには当たり前のことなのであろう。電脳の世界では、その当たり前が初心者には解らない。一度も電車に乗ったことのない人にとっては、今の東京のJRにしろ私鉄にしろ切符の買い方は結構難しい。「当たり前」というのが、曲者だ、ということ。
露草の花
あわただしく、5月ももう半ば
5月は、わたしの誕生月。紫の花弁に黄色いの雄しべの露草の花がわたしは好きだ。この撮影をしていて、花首がポロりっと落ちてしまい、心を痛めた。その花首を小さなガラスのコップに入れて、テーブルの上に置いて置いたら、水が薄い紫色に染まった。何とも言えない、淡い美しさだった。
連休中は、「メージフォーラムフェスティバル1997」の幾つかのプログラムを見るのと、中古のPowerMac7500を買って来て、そこに「MKLinux」をインストールすることで過ごした。とにかく、今年は、病気にならなかった。去年の今ごろは、急性A型肝炎に罹って、黄疸と脱水症状でふーふー言って寝ていたのだった。
「イメージフォーラムフェスティバル1997」で上映されたわたしの作品は、若い人たちにもそれなりに好意を持って受け止められたのが嬉しかった。わたしは、その若い人たちの作品を見て、映像の意味の持たせ方が変わったのを感じた。特に、大木裕之君や上岡文枝さんの作品は、撮されているいるのは現実の情景や事物なのだが、それがそのままの意味ではなく、作者の主観を通して、比喩的な意味合いで展開して行くところで、極めて特徴的なものだった。特に大木君の作品は映像の意味を生み出す制度の枠の外に出て行くところがあるように思えた。これについては、別に改めて考えてみたい。
「MKLinux」というのは、PowerMacintoshの上で走るLinuxだ。「MACLIFE」の5月号に、その日本語キットのCD-ROMが付いていたので、殆ど衝動的に中古のPowerMac7500を買ってしまった。これで、MacOS、MS-DOS、N88-BASIC、Windows3.1、Windows95、FreeBSD、NEXTSTEPに加えてMKLinuxと、7つのOSと遊ぶことが出来るようになった。おもちゃを集めて喜んでいる5、6才の子供に返ったようなものだ。