ハイビスカスと野ぼたんの協奏曲
今年の夏は、朝顔と野ぼたんと、後から買ってきたハイビスカスと、さらに日々草と、花が絶えないのが嬉しい。朝起きてきて、咲いてる、こっちのも咲いてる、と花の数を数えるのが楽しみになっている。最近は、ハイビスカスと野ぼたんが毎日争うように咲いている。日を追って、片方が一つならもう一方が三つ、と数を変えて、まるで協奏曲を奏でているような印象を受ける。紫と赤の変調だ。そう感じて、気持ちが和む。
ところで、わたしはこの一週間、パソコンの「AT互換機」というものにのめり込んでいた。またパソコンの話だが、個人の「極私的な」関心の道筋が何処まで語り出せるか、ということの試みとして読んで戴ければと思う。その孤絶した関心の道筋を語り出せなければ、今のわたしの表現はあり得ないのではないかと思っているところもある。とはいっても、わたしのここ数日間の「AT互換機」への関心ののめり込みに、他人の関心を呼び寄せることはとても出来そうにはない、と感じてしまう。
「AT互換機」というのは、パソコンの一種で、NECの98シリーズ以外のWindows95を走らせている機種本体といえば、まあ、いいでしょう。最近、パソコンのユーザーが自分の手でパソコンを組み立てるということが新聞で報じられたりして話題になっているが、それが出来るのが「AT互換機」という機種なのだ。Macintoshも98シリーズも、やれば出来ないことはないだろうが、一般にはできない。じゃあ、そういうパソコンを工作するということへの関心なのか、というと、わたしの関心の持ち方は、それも少しは関係してくるが、筋道は違う。その微妙な違い、そんなところにわたしは生きている!と自分でも驚かざるを得ない。
実は、わたしは既にDELL社製の「OptiPlex GXL 5133」という「AT互換機」を持っている。しかし、Windows95は走らせないで、NEXTSTEPとFreeBSDをパソコン屋のお兄ちゃんに組み込んで貰って走らせている。NEXTSTEPでは、そこに付いているビリヤードのゲームをときどきやるだけだけど、FreeBSDの方はUNIXを勉強する場としてかなり使っている。こう切り出すと、この辺で、コンピュータに関心のない人は興味を失うでしょう。おーい、待ってくれ、NEXTSTEPを作ったのは、Macを作った、いや、救ったスティーブ・ジョブスさんなんだよ。といっても、立ち去る人の足を止めることは出来ませんかね。
ここからわたしの「AT互換機」に対する関心の最近ののめり込みが始まるのだ。二つのOSを組み込んでいても、起動するOSは選べるようになっている。その切り替えの仕方は教えて貰ったけど、自分が組み込んだわけではないから、その仕掛けが分からなかった。それで、幾つでも組み込めると思って、もう一つLinuxというOSを組み込んでやろうと思い、パソコン屋のお兄ちゃんに聞いたら、「そんなこと出来ませんよ」と一蹴されてしまった。どうしてなんだ、そこから始まった。
パソコンに電気を入れると、OSが起動するのは、まずBIOS(basic input-output system)というROMにはめ込まれたプログラムが基本的な入出力の器機を調べて、起動するディスクを決めるというわけなんですね。そのとき、ディスクに「起動できる」という旗が立てられていないと起動できないということらしい。「AT互換機」では、ディスクのシステムブートコード(Master Boot Record)をブートマネイジャーというものにして置く必要がある、と本に書いてあった。設定を間違えると起動できなくなるという。この辺りの設定の仕方が、MacやPC-98と違う。ややこしい。だが、わたしは、ややこしいからこそなのか、実際にやってみたい気になってくるだ。はらはらドキドキになる場面がそこにある。従って、出来れば、やったという気持ちにもなれそうだ。面白そう。
それで、ぜひともLinuxでも、FreeBSDでもいいから、「AT互換機」に自分でOSをインストールしてみたいという気持ちが募ってきた。まず、「AT互換機」ってどういうものなのかと本を読み、秋葉原のパソコン屋に出掛けて、一つ一つの部品を目の当たりに見るということまでした。そして、現在使っているマシンを分解するのはあんまりだから、中古のマシンを買ってきて分解して組み立てて、そこにインストールしてみたい、いや、それならいっそのこと、部品を買ってきて組み立てたら、と思い始めている。でも、しんどい気もする。わたしが、ハイティーンならもうとっくにやっているところだ。14、5歳の頃、ラジオ少年だったのだから。この関心が、パソコンなんていう「事物」だからいいようなもので、これが、生き物、更に人間ということのなったら、他人の関心とのバランスの上で、「異常」の烙印を押されて犠牲に祭り上げられてしまうことだろう。
久しぶりの工作!
工作で作ったものは何、といって、他人には言葉で説明しても、殆ど全く理解を得られないようなもの。一種の「蓋」又は「カバー」。5月に購入した16ミリフィルムを音とを合わせて編集できるダブルシステムの編集機「Steenbeck」のお皿の上にかぶせる「蓋」だ。この編集機には、フィルムとシネテープを載せる皿が、左右に2枚づつ4枚あり、中央にランプとヘッドとビュアーがある。普通編集室ではそのままにしてあるが、その上に蓋を乗せれば作業台に使えると考えたわけです。
ヘッドとビュアーが真ん中で出ているので、一枚の板で蓋をつくわけには行かない。そこで、左右のお皿の上の蓋と、真ん中のヘッドの上の蓋の三つに分けることにして、左右は同じ75センチ×50センチの大きさ、真ん中は右側から29センチ×47センチの板を丁番で折り畳めるようにした。午後から自転車で東急ハンズに行って、板を切って貰って買ってきた。暑い中、自転車を漕いでいったので、喉がからになった。冷蔵庫の麦茶がうまい。汗をかいだついで、とばかりに、早速、釘を打っての組立。2本打ち損じただけで、難なく組み立てた。汗、びっしょり。
工作と言っても、切ってある板に釘を打つだけだったが、それでも、作ったという気持ちになれる。以前は、2メートル大のベニヤ板を買ってきて、電動の丸鋸で切って、書棚を作ったり、更に凝って船箪笥まがいの戸棚を作ったりもした。決して上手とは言えないけど、考えて、材料を切ったり、孔開けたりして、組み立て、自分のものにするというのが好きなのだ。コンピュータではカスタマイズすると言うが、わたしは自分が使うカメラやその他の機器なども、自分で工夫したものを付けて、自分流のもにする。そして、自慢する。それが何とも言えない。
ところが、そういう自分流の工夫で作ったものというのは、言葉で他人に説明しても分かって貰えない。このBolexという16ミリカメラにつけるグリップなど、「手のひらに入れるグリップ」などと言ったところで、全く理解されない。そのものを見ても、これは一体何だろうということになる。しかし、これは何もわたしの工作に限ったことではない。誰でも「もの」との「接し方」というのがあり、そこのところは、大抵言葉にならないし、他人には理解されないところなのだ。他人のナイフやハサミはとにかく、他人がカスタマイズしたパソコンとなったら、もう使えるものではない。
小長谷清実さん・宮園洋さんの詩画集「東京、あっちこち」をようやくアップロードする
小長谷さん、宮園さんからアップロードすることの快諾を得てから、半年余りを経てのようやくのアップロード。お二方には、本当にご迷惑をお掛けしました。わたしの熱し易く冷め易い性格のためということもあるけど、画像処理ということで、いささか遠回りした、ということもあるのです。いいわけですが、Webページで画像を扱う上で、ご参考になるかも知れませんので、その遠回りでのことを、綴ってみます。
「東京、あっちこち」には、宮園洋さんの東京の古い家や建物を描いたペン画が47枚入っていて、それが小長谷清実さんの詩とあいまって、この本の魅力になっている。そのペン画の美しさをWebページで生かしたい、と思ったのが、そもそも遠回りの始まり。ペン画の魅力はその繊細な線にある。その細い線というものがコンピュータグラフィックスでどういうものであるのかを、わたしは全く理解してなかった。今も、理解できたとは思っていない。ラスターとヴェクター、そりゃ、何じゃい、というところだった。
そういう無知なところで、解像度72dpiという古い(といっても、3年前に購入の)スキャナーで取り込むと、この線が死んでしまう。という以上に、汚らしい絵になってしまう。これでは駄目だ、と思って、立ち止まってしまった。スキャナーの解像度上げるソフトはないかと、先ずはスキャナーの製造会社Hewlett Packardのホームページに行って、グレードアップされたソフトを取ってきたが、それ以上に解像度を上げるには新製品を買わなければならないという様子だった。何か工夫はないと、思い巡らす日々が続く。
そして、思いついたのが、400dpiの解像度があるOCRのソフトで画像を取り込むということだった。OCRはOptical Character Reader、つまり本などをスキャナーで取り込んで、それをテキストに変換するソフトだ。モノクロの取り込みしか出来ないが、解像度は高い。それで取り込みスクリーンの解像度の72dpiに直すと、Webページに使う画像の10倍ぐらい大きい画像になった。モノクロからグレースケールに変換するところで、縮小すると、それなりのに見れる画像だ。しかし、容量は
200KBを超える。これでは、とてもWebページに載せることは出来ない。小さくしてモノクロに戻すとまた汚い画像になってしまう。今度は、きれいなまま容量を小さくするという問題になった。
グラフィックの本をちらちら見たが、よく分からない。グラフィックについては、ゆっくり勉強しようということで、色数を少なくすれば容量は減るというわけで、白のバックが影響を受けない4色で、何とか550×450pixel大きさで60KB内に納めることが出来た。こんなことを試行錯誤を重ねてやっているうちに、新学期になってしまい、まとまった時間が持てず、時間はあっという間に経ってしまった。夏休みなって、ようやくまとまった時間が持てて、アップロード出来たというわけ。
わたしは、いちおうフィルムというものとか、写真というものとか、ビデオというものとかにかかわってきたが、コンピュータグラフィックスというのはまた別物ですね。コンピュータのインとアウト、取り込んだり出したりするというところが、他のメディアと違って、一元的ではないということがある。線を繋げばいいというわけには行かない。そして、画像を表示する速度と画質を決める解像度が、量として処理の対象になるということだ。そして、そこにはイメージと言葉が共存する。
先週のマイクロソフトがアップルの株を買ったというニュースは、コンピュータに関心を持っている人たちを少なからず驚かせたが、それは、ディスプレイの画面を「ウインドウ」または「スクリーン」という比喩で語る画像の処理を巡っての一里塚ではないかと思う。Macの「スクリーン」をWindowsが「ウインドウ」の置き換えて、現在に至った。今度は、ヴァーチャルという言葉が使われ始めている。「事実上の」何かって、それは何だろう。もうパソコンは比喩で現実をなぞるというのではなくなるということだろうか。面白くなりそうですね。
噂のBeOSをインストール
また、性懲りもなく、といえば性懲りもなく、昨年あたりからMac関係の雑誌で噂になっていて、一時はAppleが買収するのでは、という話もあった新しいOSの「BeOS DR9 (Advanced Access Preview Release)」というのを、PowerMac8500/120にインストールしてみた。これは、そのインストール体験談。BeOSに大して興味ない方は、この文のおわりの反省と感想にスキップして下さい。
先日、「Virtual PC」を買いに秋葉原に行ったついでに、「ぷらっとほーむ」というパソコン店を覗いたら、CD-ROM「BeOS DR-8.3 for Power Macintosh」が5000円弱売っていた。ケースの裏を見ると、わたしのPowerMac8500/120で動く。ここでワクワクしてしまって、やってみようという気になって、買ってしまった、というのが始まり。
インストールガイドには、「あなたが勇敢なら(if you're brave )」Macのハードディスクにパーティションを切って、インストールできるとあったが、OSのインストールでハードディスクのクラッシュの経験があるわたしとしては、とてもそんな勇気はない。早速、新しいハードディスクを買って来て、Macでフォーマットして、インストールに取りかかった。
ところが、先ず、Mac内蔵のCD-ROMドライブからインストールしようとして、BeOS のインストーラーで、インストール先のディスクをセットアップするところで失敗してしまった。ポップアップメニュの押し間違い。「仕方ない、もう一度、Macを再起動して」と、再起動すると、何とMacさん、CD-ROMドライブを認知してくれない。ガイドを見ると、「A SCSI CD-ROM drive」と書いてある。そうだ、PC-98にFreeBSDをインストールしたときも、SCSI CD-ROMを使ったのだった、と思い直して、SCSI CD-ROMを接続してみたが、これも認知してくれない。
CD-ROMドライブが使えなくなった!血の気が引いていくのを感じる。面倒くさいことになったなー、で第一日は終わり。CD-ROMドライバーキットか何かで再マウントしなくてはならないのか、あるいは最悪の場合はPowerMac8500/120を修理に出さなくてはならないのか、と落胆した。「BeOS」についてろくな知識もないのに、いい加減な好奇心だけでやるからやるからいけないのだ、と反省する。
さて翌日、6月に多摩美の八王子校舎から上野毛に来る途中、長津田の駅の本屋で見かけて買った「MacTech japan」に「BeOS」のことが出ていたのを思い出して、それを引っぱり出して来た。なんとそこには「BeOS 」の「DR9 Advance Access Preview Release」版のCD-ROMがついていたのだ。そこで、もう古い「BeOS DR8.3」は止めにして、すべて最初からやり直そうと、Macの拡張機能フォルダー内に入っていたDR8.3のBeOS用の「OS Chooser」を削除して、再起動したら、今度は内蔵のCD-ROMドライブを認知した。つまり、ここで初めてその自動的にインストールされる「OS Chooser」がCD-ROMドライブの認知を邪魔するということが分かった。ほっとして元気を取り戻した。
再び最初のハードディスクのフォーマットからやり直して、注意してセットアップし、インストールはあっという間に成功した。「BeOS」をスタートする。青と赤の極端なパースを取った「Be」のロゴが現れて、短い起動に次いで
デスクトップとなる。
感動とまで行かないが、やっとできた、という溜息が出る。わたしは、まだ「BeOS」にバンドルされているゲームしか動かしていないが、非常に動きが速い。雑誌によると、UNICODEに対応して日本語の表示できるようだし、変換のソフトもフリーウエアで作られたいるということ。そこで、フリーのソフトを手に入れるために、昨日来、インターネット接続を試みているが、これがまた妙なことになっている。「Connect」というアプリケーションではプロバイダーにログインできるが、これはインターネットに繋がらない、PPPを起動しようとするとモデムが応答しない、とういうのが現在の状態だ。
反省と感想。コンピュータとの付き合いは、試行錯誤と達成感の繰り返しだ。そして、だんだんとコンピュータというものの内側が分かってくるような気になる。わたしは、知らない街をむやみやたらに歩き回るのが好きだ。歩いているうちに、小さな曲がり角や家々の姿に出会い、段々とその街の全体が見えてくる。それが何ともいえない。コンピュータというのは、キーボードとマウスを操る手先だけで、全く目には見えないデジタルストリームを辿るわけだけど、それと同じことをやっているように思える。段々と分かってくるというのが、わたしにとっての魅力だ。これは、多分、コンピュータを道具に限定して接している人とは違った接し方だろう。
この2、3年、わたしは本当に熱心にディスプレーとキーボードの前に坐って長い時間を過ごしている。ソフトを書く人たちの話を読むと、その集中の仕方にはただただ驚くばかりだ。一体何で、コンピュータというものは、人間をそれ程までに駆り立てるのだろう。「新しいソフト」に向かっての情熱。それが時には巨万の富をもたらすから、とばかりは言えないのではないだろうか。
BeOSをインストールしたので、柴田文彦という人が書いた「BeBox GuideBook」という本を読んだ。タイトルの上に「全く新しいOS誕生!」を印刷されている。三分の一は、95年の10月に「MacWEEK」誌上に紹介された記事に出会ったところから書き出され、翌年の2月にBe社の創立者のジャン・ルイ・ガセーにインタビューしたその内容となっている。柴田氏は明らかにBeOSに感動し、ジャン・ルイ・ガセーのことを「一種極めた人は、凡人の想像を常に裏切るものなのかも知れない。BeBoxの魅力の秘密は、こんなところにも隠されているようだ」といっている。「BeBox」はマルチプロッセサーだが、「BeOS」はそれをPowerMacintoshに移植したOSなのだ。
何で、わたしは急にBeOSをインストールしてみる気になったのか。わたしの大儀としては、OSの構造を研究するというお題目がある。コンピュータは手や足で動かすのではなく、言葉で動かす器械だというところがどうしても気になる。何十万行、何百万行とかかれた言葉が、恐ろしい石頭を作って、画像やテキストを人間とやり取りするという。それで、その構造を「極めて」 、何かできたらなあ、という気持ちがそそられてくるわけだ。わたしとしては、ドキドキワクワクしながら、インストールができたあ、といって喜んでいるに過ぎないけれど。
去年の種から芽を出して咲いた朝顔の花
今年は、庭に朝顔の鉢が二つある。一つは今年貰った鉢、もう一つは昨年の鉢から芽を出した鉢。この庭で芽を出した朝顔は、いかにも弱々しい。今のところ、三つしか花を咲かせていない。結構花芽はつけているのだが、肥料をやらないのでみんな小さくて落ちてしまう。肥料のやり方が分からない。その上、他のことにかまけて世話する気にならない。これでは育つわけがない。
その「他のことにかまけて」って、何をやっているのかといえば、実に無駄なことをやっているのだ。全くの無駄。この半月、そのことに費やした。PC-98のWindows95でなかなかインストールできなかったアプリケーション・ソフト「一太郎」ver.8を、半月も掛かって、やっとインストールしたという、その無駄。
普段、わたしはWindows95を使っていない。でも、「一太郎」のver.5はインストールしてあった。たまたま、提出する書類がWindows版の「一太郎」で枠が付けらっれていたので、そのファイルを貰ってきて記入しようとしたら、わたしのWindowsマシンの「一太郎」ver.5では開けなかった。が、Macの「一太郎」ver.5では開くことが出来た。これだけでも、そんな馬鹿な!、という話だ。しかし、無駄の大無駄はこれからの話だ。
さて、お立ち会いの方々。WindowsでフォーマットしたディスクをそのままMacで読むことは出来ない。従って、MacでDOS用のフォーマットしたディスクにWindowsマシンでコピーして、それをMacに持って来て読みとるということになる。そんなふうにして、とにかく書類は出来たのだから、それでよかったのだ。でも、開けないというのは困るな、と思ってしまったのが無駄の始まり。
「一太郎」をこのついでにバージョンアップして置こうと思った。そして「一太郎」のver.8を買って来て、インストールしようとしたら、コピーの途中でフリーズしてしまう。再起動して再インストールした。そして、起動したら、起動の途中で「Metro」というファイルが起動してしまい、「一太郎」さんは起動してくれない。Windows95のドライブから「一太郎」関係のフォルダーとファイルをすべて削除して、再インストールしても同じ結果だ。「何だ、こりゃ!」と、気を静めてジャストシステムのサービスに2回電話して、ようやく問題解消の手順をFAXで貰って、その通りにやったら、なんと!、今度はWindows95が立ち上がらなくなった。ええっ!、ええっ!、おいおい!というところ。
しかし、こうなったら、徹底的に「一太郎」を退治してやろう、という気になった。ちょうど、PowerMac上でDOS/VのPCをエミュレートしてWindows95を動かせるという「Virtual PC」というアプリケーションが売り出されたので、これを買って来て、そのPowerMac上のWindows95に「一太郎」ver.8をインストールしたら、ちゃんとインストールできて、ちゃんと動くではないか。もっとも、キーを打ち込んで変換するのに一呼吸という遅さで、とても使いものにはならないが。
さて、PC-9821Xa9上のWindows95だ。アンインストールして、元のWindows3.1に戻し、そこから95を再インストールして、「一太郎」ver.8を何回目かのインストール。しかし、途中フリーズを繰り返して、元の木阿弥の「Metro」のウインドウが出て、「一太郎」のインストールには失敗という結果に終わった。そこで、はたと、もしかして内蔵のCD-ROMプレーヤーに問題があるのではないかと思いついた。そこで、FreeBSD用にSCSI接続してあるCD-ROMプレーヤーに「一太郎」を入れて、そこからインストールしたら、軽快にインストールは終了して、「一太郎」さんは順調に新規ファイルをオープンしてくれたのでした。何のことはない、PC-98のCD-ROMプレーヤーと「一太郎」ver.8のミスマッチが原因だったのです。ここまでの半月間に、入れては消して又入れて、ということを何十回も無駄に繰り返していたというわけだ。このコンピュータの融通のきかなさを何とかしてくれ!!!。