清水哲男詩集『緑の小函』を読んだ。
清水哲男さんの新しい詩集『緑の小函』を読んだ。その感想を書く前に、清水哲男さんとわたしの間柄について一言。清水哲男さんとは何カ月に一度、お会いする。時に、ごく短いメールのやり取りもする。以前は、同じアマチュア野球チームにいた。清水さんは監督で、わたしは補欠のライト。それから、同じ詩の同人誌もやっていた。わたしは彼のことを、「哲男さん」と呼び、彼はわたしを「鈴木さん」と呼ぶ。普通わたしの知り合いは、わたしのことを「志郎康さん」と呼ぶ。わたしはそこに微妙なものを感じる。それが清水哲男さんなんだ、とわたしは思い、彼に対してわたしなりの友情を持っている。
今度の詩集は、清水哲男の14冊目の詩集。1963年の『喝采』から30数年間ずっとコンスタントに詩を書いている。彼は、数々の受賞があり、現在の日本で詩を書いている人の中でも優れた詩人といわれる人だ。そういう詩人としての現実的な位置づけに無自覚ではない人だ。つまり、無邪気に詩を書いてはいない。こういうと、何だか口幅ったい言い方になってしまうが、詩を書くというのは、いつの世でも無邪気には書けない。そういうことが分かっている人として、わたしは清水哲男さんを尊敬している。彼のインターネットのホームページ「増殖する歳時記」を見て貰えば、発表するということも含めて、表現するということについての、彼の考え方の一端が伺える。前置きが長くなるが、インターネットで清水哲男さんの詩集について感想を書こうとするとき、こういう前書き必要になるというのが、「現在の詩」が置かれている状況だと考える。
さて、詩集『緑の小函』。老いを自覚するようになった、文学に傾斜した男の、20世紀末に生きる自意識と感情のうねりが、綾のある言葉の上に重みのバランスを取って実現されている、というのが、リード文風に締めくくったわたしの読後感想だ。男の友情と怒りがちゃんと表現されているいい詩集ですよ。男が凭れあって共倒れになるというのが、日本の今の世の中だ、と見れば、この清水哲男の詩集はそういう凭れ合いをさらっとかわして、すっと一人立っている姿を感じさせる。それが、言葉のスタイルを作っている美意識によって成り立っているのだ。
ところで、素材が現実の生活情景やら少年時代の記憶によっているので、すらすらと読み通せば読めてしまい、真意を読み込もうとすると不明に足を取られて抜けなくなるような、これらの詩を人はどう受け止めるのだろう。哲男さんの詩は、読書や哲学に対する特殊な関心によって得た知識を基にしているわけではないから、日常的にふっと戻ってくる自意識を受け止める素地があれば、それなりに親近感を持って接することができるように思う。そして、いくらか言葉で言い表すということに関心を持っていれば、日常に出会う事物が詩の中で意味合いを変貌させるのに出会い、そこに「詩」を感じるということになるであろう。つまり、清水哲男の詩を捉えようとすると、その「自意識」と「言葉の意味の生まれ方」を問題にしなければならないように思えるのだ。
『緑の小函』の最初の詩は、「函は緑よ」という題で、自意識を持ち始めた頃の事を述べて、老いを自覚した自分がその地点を振り返るというものだ。つまり、先ず、人生が掲げられている。それは大東亜戦争が太平洋戦争として終わった直後からの50年の人生ということになる。その間、中学校で見た教育映画に出てきた「清冽な川を流れ下っていった緑色の小さな函」が、その映画に感動して「函は緑よ」と言った初恋の上級生の言葉と共に忘れられなかった、というのである。それは作者の個人的な思いだが、しかしそれはまた、映画という強力な映像マスメディアの洗礼と民主主義という制度の洗礼という体験だったといえよう。民主主義の原理やメディアは簡明だが、それを受け止める生身の人間は簡明ではいられない。自意識は屈折する。その屈折を語るためには、日常の手続きの中で微妙に変形していく事物の姿を比喩にするという言葉の使い方を発明した。
覚悟 ガラス戸の逆さ文字のように逆さになって 人生はできるだけ粗末に始末して いいねえ 若い女は 見ているだげで 皿うどんのようにギラリと脂も浮いていて 汚れた台布巾のように身を固く締めて 人生はできるだけ見ないようにして いいねえ 若い男は 聞いてるだげで 力うどんのように嘘っぽく沸き立っていて 真っ白な天蓋直下のうどん屋である 二十世紀の光りがすぱりと切断された 主人の片目の開いている昼下がりである いいねえ いま頽廃の刻を壁の時計が告げていて わかめうどん 野菜うどん 牛鍋うどん いいねえ 松セット 竹セット 牡丹セット いいねえ 雪降る町の道々にばらまきたい玉子とじなんかも いいねえ うどんの名前にはなべて迫力がない いいねえ うどんの腰にはねばりがないし うどんには人生の比喩となるヒントもない つまり 俺はこのままでは死ねないということ うどん玉を潰しては生きてきたプライドこそは 煮えくり返った大鍋のように 実は いいねえ ずるずるっと 俺なんかの手に余る代物ではあるのだげれど。
川口信和著『絵ときイントラネットTCP/IPバイブル』を読む。
インターネットをやっていれば、否応なしにTCP/IPにお世話になっているが、その接続の設定さえすれば、それについて知る必要はない、というわけで、詳しく勉強する気もなかった。ところが、最近、『UNIXによる計算機入門』を読んで、そこに書いてあったcgiスクリプトを真似て書いてみたが、実行できなかった。わたしのPC-UNIXのマシンがインターネット・サーバでなかったから当然のことだった。じゃー、サーバって何だ、ということになった。
どうやら、wwwのサーバっていうのは、Apacheというアプリケーションが走っているらしい、というのを何処かで読んだことがあるので、FreeBSDのpackagesを調べたら、apacheと名前がついたのがあったので、それをインストールして、いい加減い設定して起動したら、エラーとなって、起動時にハングアップするというようなことも起こった。システムのコンフィギュレイションファイルを元に戻して、初めから勉強のし直し、と思い直した、というわけ。
インターネットの基本はTCP/IPだ。そこで、120ページ程の「絵入り」とある、易しそうな川口信和著『絵ときイントラネットTCP/IPバイブル』を買ってきた。「絵入り」といっても、要するにパソコンの繋がり具合が絵で描いてあるに過ぎなくて、記述はTCP/IPについてしっかりと書いてあった。ということは、いささか専門的で、充分にUNIXを使いこなしてないわたしには、理解できないところもあった。IPや、TCPの「ヘッダー」といわれるところなど、詳しく書いてあったが、今一つわたしの理解を超えていた。それでも、TCP/IPについて、
1. インターネットは電話のような、固定的な接続ではないこと、つまりハンドシェイク・コネクションではないこと。
2. そのために、データがパケットに分けて送られる。それぞれのパケットに「IPのプロトコル」「TCPのプロトコル」「アプリケーションのプロトコル」が付けられる。その、それぞれの「プロトコル」が「ヘッダー」として詳しく説明されていた。
3. それらのプロトコルが、IPは「インターネット層」で受け止められ、受け取るべきコンピュータのアドレスが突き止められる。そしてTCPは突き止められたコンピュータの中の「トランスポート層」で受け止められ、そのデータが使われるアプリケーションによって「ポート番号」に振り分けられる。それと同時に送られてきたパケットの順番をそろえたり、溢れてしまったり、なくなったパケットの再送を要求したりする。
4. ここでいうアプリケーションというのは、TELNETとかFTPとか電子メールとかWWWとか、といった具合に決まっている。そのアプリケーションのサービスをするのが「サーバ」というわけで、サーバにはそれぞれのアプリケーションが使えるように、それぞれの「デーモン(Daemon)」が動いてないといけない。
などと、TCP/IPのあらましは分かったが、この本は「イントラネット」と題名にあるとおり、既に繋がれているコンピュータ間のデータのやり取りということらしく、コンピュータを接続する際のこと、つまりPPPなどについては何も書いてなかった。わたしとしては、次にサーバでデーモンを立ち上げるにはどうするかということが、問題として、残ったわけです。
雨に濡れた落ち葉。
傘を広げて外に出ると、隣の家の庭木の落ち葉が雨に濡れた路面に散っているのが、目に止まった。何か、記憶の底から呼び起こされるものがあるように感じたが、それが何だか分からないまま。「落ち葉を踏みしめる」という慣用的な言い方が、その感じが、濡れた落ち葉と乾いた落ち葉とでは、微妙に違う。この感触や、いわば目の触覚から引き起こされる脳髄の反応に、意識を止めたところが、極めて官能的なのだ。何か、思い出させられるような気分で、引きずられて思い出に耽ってしまったら、それで、その官能はもはや失われてしまう。晩秋というのは、そういう官能を楽しめる時期ですね。
『UNIXによる計算機入門』を楽しんで読了。
久野靖著『UNIXによる計算機入門』(1997年9月30日丸善株式会社刊)を、先月(10月)の22日からこの11日まで、およそ20日間、コンピュータの働きを体験しながら、楽しんで読むことが出来た。本を楽しんで読むというのは、久しぶりのことだった。もっとも、最後のWebのcgiファイルを書くというのところで、使っているパソコンをwwwサーバーとして立ち上げようとして、出来ないで引っかかったままだが。でも、そこまで来れたという嬉しさがる。
『UNIXによる計算機入門』が楽しかったのは、入門書だからディジタルとか、論理回路とか、計算機システムとかというところから書き起こされているが、システムに入ったところから、実際にUNIXのコマンドを使って、処理のスピードを検出するためのプログラムを自分のコンピュータの上に作り、それを実行するのを始めに、読み進めるに従って次々にプログラムを作っては実行することの連続で読み終えることが出来たからだった。本屋の書棚で見て、何のことだろうと思っていた「Awk」「SQL」「tcl/tk」にちょっと触れられたのもよかった。コンピュータの本は、概して、理論の抽象的な概念の記述に終始するか、ハウツーものでしかなかったりで、この本で初めてわたしは理論と実際とを結びつけて体験できた。
著者は、筑波大学大学院の先生で、そこでの経営システム科学専攻の講義「計算機科学基礎」の資料を基にして書かれたと前書きにあった。その授業はきっとUNIXワークステーションが一人一台づつ与えられて、ここに書いてあるプログラムを実行しながら進められたのだろうと想像した。全部で12章を1学期の12週で終わらせることになっている。大学でのコンピュータ入門の授業はこんな具合に進められて行くのかということも分かって、面白かった。文体が、学生に話しかけるような口調になっている。読んでいて、思わずにやっとしてしまうところがあった。コンピュータが好きな一般の人も読むといいと思うが、WindowsやMacintoshでは、ここに書いてあるプログラムを直接実行できないのが残念だ。わたしは、FreeBSDというPC上で動くUNIX-OSで実行することが出来たが、それでも初心者のわたしにはうまく実行できないものもあった。
X Windowのソフトがなんとか出来た!!
長尾さんからの返信メールが届いたが、幼稚園のバザーに行っていたとかで、詳しいことが書いてない。さて、困った。仕方がないから、自分で解決しようと、先ずは、/X11R6という「XWindow」関係のあるサブディレクトリの「ライブラリファイル」をリストアップした。/libディレクトリに「libX11.a」というファイルがあったので、これに「ーL」のオプションを付けて
%gcc -I/usr/X11R6/include t71. -L/usr/X11R6/lib -LlibX11.a
とやったら、
/var/temp/cc0002111.o: Undefined symbol '_XOpenDisplay' referenced from text segment
/var/temp/cc0002111.o・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と出てきた。何だか分からないから、ぎょっとなる。しかし、頼れる人はもういない。こころを落ちつけて、よく見ると、要するに、オブジェクトファイルで、定義されてない関数が出てきて困っているということらしい、と見当がついた。困っているんだ、わたしもね。
こうなると、知らぬが仏、ちょっと意味が違うけど、何でもかんでも、やってみるしかない。引数の「ーL」を「ーl」に変えたり、指定ファイルを変えてたりしてやっている内に、
%gcc -I/usr/X11R6/include t71.c -L/usr/X11R6/lib -lX11
と打ち込んだら、
%
と何も返って来ない。UNIXの世界は「返事がないのは、いい返事」だと聞いていたので、つまりエラーが返ってこなければ、コマンドが無事実行されたということになるというわけで、ようやくのことで、本から書き写したC言語のコードがコンパイルされたわけだ。
はやる心を抑えて、
%./a.out
と、出来ている筈のプログラムを実行したら、ディスプレイの一角に「Untitled」という黒丸が一個描かれたウインドウが生まれた。マウスで、その中をクリックすると、黒丸が出来る。どんどんクリックすると、どんどん黒丸が出来る。「oneko」という猫がマウスカーソルを追いかけるフリーソフトを入れてあるので、その黒丸を猫が追いかけ、猫が通過した跡が白く抜ける。単純だが、面白い。ただ本に書いてあったコードを書き写して、コンパイルしただけど、紙の上の書いてあった言葉が、ディスプレイの中の動く絵に変わったといだけで、不思議な気がする。とにかく、出来た!!その達成感。これから、この単純なプログラムから、少しづつ積み上げていこうという気になる。先は長そうだけど。
連日の秋晴れ
フロントページのデザインを変える
フロントページの姿が、ちょっと厭きてきた、ということと、表紙でごたごたと見せるのは格好悪いと感じるようになって、思い切って変えた。変えるからには、全くのイメージチェンジと行きたかったが、「総目次」に使ったように画像を変えて見たら、重くなってしまったので、それは待合い室の看板ということにした。CGの作業は、楽しいけど時間が掛かる。「Shirouyasu Homepage」の看板を作るだけで半日余り、合計二日は掛かった。
先日、Moleのホームページを作って、その表紙の絵をわたしとしてはもう少し綺麗にしたいと思っていて、Photoshopで遊んでいたら、フィルターワークで結構綺麗に出来た。それで味をしめて、またまたPhotoshopを使っての作業となった。前の表紙の印象を残して、なおかつ新しく、と考えたが、元のものへのこだわりから抜け切れない。そこで、いっそのこと全く新しくしようと思い直し、とにかく、フロントページはあっさりと軽くして、と考えたわけ。一度作った物を改めるというのは、自分一人でも大変だと悟ったという次第です。
島尾伸三さんのホームページの立ち上げを手伝う
人に会うと、その人がパソコンをやっているかどうか聞きたくなる。そして、やっていると聞くと、インターネットに繋いでいるかどうか聞きたくなる。繋いでいると聞くと、ホームページは?、といった具合だ。「自分がやって、得意になっているから!」と、反発心を誘って、謗りを受けることになるから、気を付けなくては、と思いつつ、、、。そして、押しつけがましくなってしまう。昨日、島尾伸三さんのお宅に押し掛けて、ホームページ立ち上げをお手伝いするというのも、ややそんな具合だった。大ざっぱなHTMLファイルの書き方と、サーバーにアップロードするFetchの使い方を学んでもらい、ホームページを構成するディレクトリを組んで、後は自分でやって貰うことにした。島尾さんがホームページをおもしろがるようになれば、中身の濃いサイトになこと請け合いだ。
潮田登久子さん | 島尾伸三さん |
中国食品がつまった乾燥庫 として使われている冷蔵庫 | 仕事場の玩具 チャックベリーも |
前からホームページの作り方を教えてといわれていたので、ちょっとした別の用事があったのをいい機会だと、お宅を訪れた。実は、伸三登久子御夫婦の何ともいえない雰囲気のある部屋が好きで、訪れるのが楽しみだった。お二人は、中国や香港などに旅行して、中国人の生活や生活用品を写真に撮ってきて、それを本にしているが、その際、買い集めた玩具などのがらくたが沢山ある。そういうがらくたに囲まれた空間は、気分をゆったりとさせてくれる。大袈裟にいえば、人が生きるというのは、本当は自分をがらくた化していくことではないかと思えてきたりする。それがいい。