マルチトラックレコーダーMD8を購入。
この十日余り、連日、授業の採点、学生の作品の講評などで忙しかった。その傍ら、「イメージフォーラムフェスティバル」に出品するための16ミリ映画作品の準備を始めた。その一環として、YAMAHAのマルチトラックレコーダー「MD8」を購入した。録音機材も、カセットから「DAT(Digital Audio Taperecorder)」へ、さらに「MD (mini disc)」へと変わりつつある。
「MD8」を買ったのは、8チャンネルのトラックに別々に録音できて、同時に重ねて再生できるので、映画の音作りに便利だからだ。映像に合わせていろいろな音をミックスして、映画の音声を作るのだが、そのミックスするところを、ダビングスタジオを使わずに自分の部屋で出来るというのがみそ。音楽の場合だと、マルチトラックのレコーダーがあれば、一人で曲が出来るということになる。実は、その方が需要が多く、「MD8」はそのために作られて販売された機材。
ところで、「MD8」を買ってきて、いざ録音のテストをしてみようと、「取り扱い説明書」を開いて見たものの、そこに使われている用語から理解できず、初めてパソコンを買ったときのようなことになった。暇さえあれば、「MD8」の前に座り、「トリセツ(取り設)」片手に、ボタンを押したり、つまみを回したり、それに加えて本を2、3冊買って目を通し、で、何とかこなせるようになった。
なにしろ、はじめは「MD」と「MIDI」の区別もつかない有様。ディスクにも、単なる「MD」と「MD data」とがあり、この「MD8」では「MD data」を使う。いやいや、実は「MD」そのものに、再生専用ミュージックMDの「光ディスク」と、録音・再生用ブランクMDの「光磁気(MO)ディスク」とがあるという。「MD data」はパソコンの記録媒体にも使えるらしい。そんなMDドライブが売り出されていたっけかしら?
そして、「トリセツ」を開くと、「ダイレクト録音」「グループ録音」「ピンポン録音」「GAINコントロール」「FLIPスイッチ」「CUE PAN/LEVELコントロール」「GROUP ASSIGN」等々。買ってきた「プロ音響データブック」という本を見ても出ていない。分からないままに読み進めると、八つのチャンネルから一つにトラックにミックスして録音できるのが「グループ録音」なのだということが分かってきた。CUE信号とトラック信号がFLIPスイッチで振り分けられる、なんて言うのはわかりにくいところ。「MD8」のすごい思ったところは、「ピンポン録音」で、8トラックに録音されているものを、再生しながら、そのどれか一つのトラックにまとめて録音し直すことが出来るということだった。
何とか、たどたどしくでも操作できるようになって、部屋に折り畳み式のテーブルを置いて、DATやカセットの録音機をつないで、ホーム・ダビングが出来る簡単なミキシングセットを作った。「MD8」と「STEENBEC」に掛けたフィルムとの同期はぴったり合うようだから、フィルムの時間に合わせて音を編集することが可能になる。今度作る映画は、この録音機を生かしたものにしたい。
雪国みたいな東京。
先週の雪では、久しぶりの雪なんて言って、困るとか、大変とかぼやきながらも、楽しむ気持ちがあった。今日の雪の感じは、それとは違う。警戒心が先に走った。昨夜、タクシーに乗ったら、運転手さんが車が少ないことをしきりに口にして、行く先々の交差点で止まる度に、雪で動けなくなった車が投げ捨てられていたとか、高速道路を歩いていたとか話していた。わたしは、午前中に新宿で書肆山田の鈴木一民さんに会って、原稿を渡すために出かけたが、もう数センチ積もった道の、歩きやすい車道の轍を歩いて行った。駅まで7、8分歩いて、一台の車にしか追い越されなかった。警戒心が東京を凍らせてる、と言ったら、ちょっと大げさかな。
一民さんに渡した原稿は、先週にちょっと触れた「詩について」の文章。講義に使っているメモに沿って、教室で話していることを文章にした。若い現代詩というものを読んだことのない学生に、50年代以降の詩について、詩人と「詩の言葉の主体」とを切り離して、その「主体」と「修辞」つまり「言葉の綾」との関係を現在に至るまで辿ってみた。結論としては、主体は「詩の専門家の言葉」と「大衆的な自己信仰披瀝の言葉」を踏まえたところにいる、ということになった。
書肆山田の一民さんは、雪国生まれだからか、雪が降ると気分が落ち着くね、という。それにしても、本屋から詩の書棚が無くなっているね、とわたし。詩集の出版の厳しさを思っての気持ちから出た言葉。無責任に、パソコンを売っている電気器具店で「本」を売る世の中なんだから、詩も別に本屋で売らなくてもいいんじゃない、なんて言ってしまう。すると、一民さんは、実際既にそういう傾向が出てきているというのだった。
一民さんの知人の妹さんが、金沢で「ゴーシュ」という喫茶店を開いていて、そこに書肆山田発行の100点ほどの詩書を置いたら、ぽつぽつ売れているという。その他にも、書肆山田で発行した本を全部一括して置きたいというところが出ていているという。「全部一括して買うって、どれくらいなの?」と聞いたら、在庫があるのは300点ぐらいで、それを全部一括して買っても60万円ぐらいだという。じゃ、その金沢の喫茶店で買ったのは20万ぐらい、ということね。20万の投資で、詩集を買ってその場で静かに読める喫茶店という特色が出せる。詩集は喫茶店で買うのが常識、という時代が来るわけ。やはり、21世紀まで生きていたい。書肆山田発行の本を全部買うのと、少々性能のいいパソコンに、プリンターを付けて、インターネットに接続するのとが、同じくらいの費用で出来るということも、考えさせられる。
部屋の中で咲いた水仙の花。
先月鉢に植えて、室内に置いた水仙が、早くも花を咲かせた。同じときに植えて、外に置いてある鉢の水仙は、ようやく芽を出したところ。全く芽が出てない鉢もある。おとといは東京では大雪だったから、外の雪を背景に見る水仙は感慨を誘う。「冬と春が一緒にいる」なんて、常套句を口にしてみたくなる。でも、心に中には流れが生まれる。
このところ、ちょっと、コンピュータから離れて詩の方に頭がいっている。久しぶりに「詩について」の文章を書いている。久しぶりということで、ある距離を取って書いているわけだが、その距離から詩について書こうとすると、コンピュータについてコンピュータを知らない人に話すとき以上の難しさを感じている。この「曲腰徒歩新聞」にコンピュータの話を書くとき、パソコンを扱える人なら、その動作をもとに分かって貰えるかな、という具合に言葉を進めている積もりなのだが、それでも、頭を抱えるという人がいる。詩についてとなると、特に現代詩は書いたことはもちろん、読んだこともない人には、パソコンのこと以上に皆目何のことかわかないということになってしまう。
そういう文章を書いているので、先日、下北沢まで散歩に行ったとき、三軒ある古本屋を久しぶりに覗いてみたら、一軒には詩集は全く置いてなく、もう一軒には現代詩の詩集はなく、後に一軒にはかなりの冊数の詩集があったが、鮎川信夫の詩集をはじめ、その年代の詩人の詩集はなかった。次の日に、渋谷に出たついでに、地下の大きな新刊の書店を見たが、鮎川信夫の詩集はなく、古本屋ビルの三軒を廻ったが三軒とも詩集のコーナーが無くなっていた。「いよー、おじさん、現代詩はこの世からなくなってしまったのかい?」と、わたしはわたし自身に話しかけた。そういえば、わたし自身、本屋の詩集のコーナーを見なくなっていたものね。やはり、世の中変わりつつある、とわたしは詩人なのに何故か気楽な結論。
12月に芽を出してしまった朝顔。
昨年の11月の末に、朝顔の蔓を取り払ったとき、気がつくと鉢にこぼれ落ちた種がもう芽を出していた。育つことはないだろうと思ったが、そのまま枯れさせるのも何だからと、部屋の中に置いて、蔓を伸ばすかどうか、コマ撮りで撮影を始めた。それから、一ヶ月余りになるが、蔓を伸ばす様子はない。といって、枯れるどころか、葉は青々として艶もある。さてこの先どうなるか。
一年の始まりというと、やはり後先のことを考える。特に間近な、今年という年。近親者に事故でもない限り、勤め先の「年間行事予定」というものに従って、ことは運んでいくだろう。わたしの場合も、それはそれで別に自分が何をしていくのか、ということがある。この場では、ホームページを充実させていきたいとは思っている。だが、このホームページは、わたしがやっている詩を書いたり、映像作品を創ったりするという「表現行為」の場となり得るのかということ結論は、もう少し時間が要るように思える。
今のところ、わたしはこれまでに自分がこれまでにやってきた表現の結果としての詩と写真を中心に、このホームページを形成しているが、それらがWebという電子メディアでどう受け止められているのか、よく分からない。時々貰うメールから察して、雑誌に発表したときとは違う読者だということはわかるが、その姿が掴めない。だからといって、ヒットカウント数だけが頼りというのでは寂しい。寂しいのは、その数が数というだけで、互いに通じあっている人たちというような、その表現についての共同意識が持てないというところに依る。
実際、ホームページというメディアによる発表の形態は、個人的に勝手にやっているのだから、そのメディアを孤独に支えて行かなければ成立しない場なのだろう。こういう依存関係が極端に薄いメディアは、今まで経験がなかった。でも、始めたからには続けようと思っている。「曲腰徒歩新聞」を一年余り続けてきて、そこでコンピュータと自分との特殊で非常に狭い体験を語ろうとして、これは他人には通じないな、と感じながら、それを関心のない人にも読ませようと文章を考えることが、言葉による表現の地平に繋がるかもしれないと、思って自分を元気づけているわけ。