Windows98をインストールする。
今日の新聞に、25日に発売された「Windows98」が、2日間で25万本も売れたという記事が出ていた。予想以上の人気ということらしいが、わたしが買ったのは、別に「待ちに待って」というのでもなく、「人気に惹かれて」というのでもない。昨日散歩のついでに、新宿のソブマップに立ち寄ったら、グレードアップ版の「アカデミックパック」が5800円で売っていたので、半額割引に、つい買ってしまったというわけ。
買ってきたからには、インストールフェチのわたしとしては、早速PC-9821Xa9/c4の外付けハードディスクのWindows95にインストールしてみた。Windows95自体のインストールとはちょっと違うところがあって、一度でスムーズにインストールすることが出来なかった。
先ず「セットアップウイザード」が起動して、ハードディスクやデバイスを調べるが、その途中の24%のところでハングアップしてしまった。「しばらくお待ち下さい」と出てても、止まって30分経ってもうんともすんとも言わないので、再起動を掛けた。今度はウイザードはうまく行ったが、「Dドライブにインストールするには、Aドライブの容量が足らない。21MB必要なのに19.2MBの空きしかない」という警告が出た。全部で1GBのDドライブには700MBの空きがあるから、必要の190MBから240MBに、足らないわけがない。それにしても、インストールしないAドライブにまで空きを要求するところが、既にWindows95と違う。
setup.txtを参照するようにとあったので、読んでみたが、インストールするドライブと他のドライブとの容量に関することは書いてなかった。それで、Aドライブに24MBに空きを作って、今度は「\win98n」のフォルダー内の「setup.exe」でインストールした。途中、止まってしまったような状態が何度かあったりしたが、無事にインストール出来た。これが結構時間が掛かった。全部インストールし終わるまで、やり直し時間やsetup.txtを読んだ時間まで入れると、2時間余りを要した。
Windows98はディスクの空き容量が問題だということが分かった。わたしのところでは、他に、PC-9821Xa9とAT互換機のBREZZAのIEDディスクにWindows95があるが、両方とも200MBも空き容量が無いから、それらのWindows95をWindows98にアップグレードする事は出来ない。その必要もないわけだけど。
Windows98をちょっと動かしてみた感じでは、起動に2分も掛かり、1分で起動するWindows95の方が速い。デスクトップの作業は、「インターネットエクスプローラー4.0」がインストールされてれば、そう大した違いはないように感じた。Win98ではフォルダーのウインドウがブラウザになっていて、その中で、開かないで画像などの内容が見えるが、「MAVICA」で撮った画像ファイルは名前が番号になってるので、いちいち開かないと内容が分からなかったが、これだと開く必要がないので便利だ。これは、ネットで接続した相手のコンピュータの中を見るのにも便利。また、ディス管理が改善されて、不要のファイルなどを捨てるように勧告してくれるところもいいね。これからUSBの周辺機器が盛んに出てくればもっと便利になると言うわけでしょう。PC-9821用のCバスUSBアダプターなんていうのが出たら、買ってみようと思ってしまった。それにしても、終了してから、電源が切れるようになるまで1分余り掛かるというのは、待つのが長い。
Windows98は、ディスク管理と外部との接続というところで大きく改善されたというわけでしょう。しかし、それで2日間で25万本が売れたということもないように思うのですが。
久方ぶりの富士山。
久しぶりに富士山を見たが、何の感慨も持たなかった。昨年も同じ頃にこの場所に来たが、その時富士山を見たかどうかさえ忘れている。でも、撮影しようとして、雲間に頂上が現れるのを待った。わたしには富士山は撮影の動機でしかなくなっている。多摩美の寮の山中湖純林苑の食堂の壁に、富士山周辺の立体地図が掛けてあったが、女子学生の一人がその富士山の頂上のとんがりを指で触って、「乳首みたい」と言っているのが耳に残った。
24日、25日、26日と山中湖から忍野に1キロばかり寄ったところにある純林苑で、映像コース4年生の卒業制作の合宿があって参加した。合宿では後期に撮影編集して完成させる作品のシナリオや構成を、教師と話しながら固めて行く作業をする。その過程で創り手としての自覚を養う。学生にも教師にもちょっときついところがあるが、それを乗り越えることで、意識の持ち方が変わってくる。それに立ち会うのもまた刺激的で気持ちがいい。
「人の存在って、関係の接点として、時間軸を持った空洞でしょう。そこを、他者が語る言葉で虚構として作り上げていく」と、女子学生に山遊さんがいうから、それをどうやって作品にするの、と聞くと、「何人かの女性に自分が実際に別れた男のことを語って貰い、それぞれの男の名前を一つの虚構の名前で統一すれば、いろいろな側面が語り出された一人の男が、そこに生み出されるでしょう?」なんて言う。更に「女って、自分の恋愛話をするのが好きなのよ」と付け加える。わたしは「そう???」と答える。
また、美穂さんは、「答えのない質問ばかりが続くテレビの児童番組を作る」という。答えがないというのは、何をどう答えても正解になるということ。「正解を一つ出させるという質問は、質問自体が間違っている」、現実には正解が一つ何てことはない、という。「なるほど、そういえばそうだ。でも、そういう質問って、どういうの?」と聞くと、「人の良さそうな顔をいくつか出して、いい人はどの人?」というような質問ということ。
夜のゼミが終わった後、彼ら彼女らはビールやらワインやら日本酒やらを買ってきて笑い声を周囲の原生林の闇に発散させた。その笑いの輪の中に加わったら、たちまち、わたしはその「空洞の人物(噂の実体)」にされてしまった。授業でわたしが言ったという言葉の端々とそれを言ったときのわたしの手つきが可笑しかったと、みんなで思い出しては笑い転げる。わたしが笑うと、その笑い方が可笑しいとまた笑い転げる。こんなに笑われたり笑ったりしたことは、最近なかったので、不思議な気持ちになった。
PC-98のネットワーク問題の解決。
PC-98の98MATEの「ネットワークコンピュータを参照できない」という問題、そのために98MATEから他のコンピュータには入れないという問題は、全くもって恥ずかしいような、わたしのミスから起こっていたことだった。何のことはない、コンピュータの起動時に、「ユーザー名」を入れなかったことによって起こっていたのだった。つまり、この「98MATE」のユーザーのわたしが名乗らなかったから、「参照のしようがない」ということだったのだ。
Windows95はインストールの時の設定の仕方で、ユーザー名やメールアカウントを設定すると、起動の時必ずその「ユーザー名」と「パスワード」を聞いてくる。しかし、これをキャンセルしても起動はできる。わたしはいつも面倒くさいからキャンセルして起動していた。それに、DOS/V機のBREZZAの方はそんな設定をしてなかったから、ユーザー名やパスワード聞かれることなく起動していた。Macではマシンについてはユーザー名もパスワードも関係ない。つまり、そういうところに気を配らないという意識のありようから起こったことだった。ネットワークは、その名前の確認ということが大切なところですね。そこにうっかりするなんて、わたしは、ネットワークの基礎の基礎が出来てなかったというわけ。
ところで、この一番入り口に戻るまでに、手間も暇もお金も掛かった。昨日20日、昼間は深夜の詩のテレビ番組「ことたま」(東京8CH 毎週火曜日午前2時10分〜40分)の「講座」部分の打ち合わせに行って、夕方、秋葉原に出て今度はNEXTとFreeBSDがインストールされている「DELL」に取り付けるEthernetCardを買いに行った。NEXTにインストールされているデバイスに合わせて、ISAバスの3Comの「EtherLinkIII 3C509B-TP」を買った。ついでに、買った店の「LAOX・ネットワーク館」の店員にお兄さんに、98MATEの「ネットワークを参照できません」のことを聞いたら、そういうことが起こるいろいろなケースのついて、相談に乗ってくれたけど、結局は分からないということだった。
それで、その足で近くにあるNECの相談室に行って聞いてみた。応対は親切だったけど、カウンターの後ろにいる擦れた顔をした奴は、わたしの質問を聴きに行った若い社員に、「ドライバをもう一度入れ替えてやって貰えばいいんだよ」なんて、いい加減のことを言っているのが聞こえて来て、腹が立った。しかし、そこで、わたしに取っては謎だった「ネットワークを参照できません」が、ネットワークを継がない時にも出るということで、ソフトとハードの接点が問題になっているらしいことが分かった。もしかしたら、差しているCバスのスロットがよくないのかも知れない、と考えて、家に帰ってスロットを入れ替えてみたが、同じだった。
やっぱり諦めるか、とも思いながら、ネットワークカード「LA-98」のマニュアルを読み返すと、フロッピーにEthernetカード診断ソフトで診断する方法が書いてあったの、試してみると「Adaptor is not found」と返された。IRQもIOポートアドレスもちゃんと収まっていて、競合も無いのにどうして???という思い。つまり、同じWindows95がデバイスとして認識しているのに、ネットワークの方がそれを認識できないというのはおかしいじゃないか、と考えたのだ。とにかく、ネットカードのメーカーに聞いてみようと、状態と確認した数値を全部ノートした。
それから、先日交信に成功した「PC MACLAN for Windows95」がWindows95側から相互の遣り取りするのとは違って、PowerMac側からWintel PCを共有する「DAVE」というソフトをPowerMac7500にインストールした。「PC MACLAN」はAppleTalkを使うが、この「DAVE」はTCP/IPを使うソフト。インストールも設定もすらすらと行って、Macのセレクターから共有となったWindows95マシンへ難なく接続できて、「PC Exchange」で拡張子を設定しておけば、Windows95のファイルをMac上で扱える。BREZZAに置いてあるMavicaのデジタル写真を、MacのPhotoshopで修正してMac上にコピーしてみたが、Macのディスク上のファイルを扱うのと全く変わりがなかった。明日、「LA-98」のメーカーに電話して、98MATEのネットワークについてはそれで終わりにしようと思って寝た。
さて、今日の午前中に先ずはと、「LA-98」のメーカー、アライドテレシスのサポートに電話した。他のコンピュータから入れるということは、LANカードには問題が無いと断言できるということだった。「Adaptor is not found」は「プラグアンドプレイ」で付けた場合はそういう返しが来るので、それは問題ないという。つまり、やはり設定の問題があるというわけ。そこで、こういう掴みにくい問題はどういうところで起こりやすいかを聞いてみたら、名前やグループの設定で長い名前や全角文字を使ってネットに接続できないという例があったと教えてくれた。それは無いと思うけど、と思いながら、コンピュータ名を半角7文字の「98MATEC」にしてやってみたが同じだった。
ところが、最後の最後で、「名前」ということが頭のあって、もしかしたらネットワーク上には直接現れてこないけど「ユーザー名」を入れてないかも知れないと思いつき、それを入れて、パスワードは使ってないからとキャンセルして起動したら、ネットワークコンピュータのウインドウの中に「98MATEC」のアイコンが、「BREZZA」のアイコンと共に現れたのだった!!これで、解決だ!!バンザイ。
でも、一緒に乾杯する人はいなかったね。ネットワークを組んだといっても、一人部屋の中で組んだというわけで、パソコンというのは、やっぱり孤独ですね。まあ、これで、PC-98のネットワークはクリアしたので、次はPC-UNIXとのネットワークということになります。この間、「OSI(Open Systems Interconnection)」について本を読んだりして勉強しているのですが、プロトコルのことは複雑でややこしい。地球上、何億か何千億か知らないけど、プロトコルを付けたパケットが行き交って、間違えないで相手に到着するというのは不思議な世界ですね。そうそう、だから名前が一個しか無いということを確認するのが大切なんですよ。
野ボタンが咲き始める。
先週あたりから野ボタンが咲き始めた。毎日、紫の花を開いては、その紫の大きな花びらを散らす。咲いて、風に揺れている花の風情も好きだが、散った紫の花びらも好き。その散った花びらが色っぽいと感じるのは、わたしの偏見だろう。この花が記憶の底で女性と結びついているのかも知れないとも思うが、どういう結びつきをしているのか分からない。そういう物事との交信ということもあるのだ。
今日知人に出した手紙に、「パソコンの泥沼に填るのを快感と感じるようではいささか狂っていると思いながらも、ますます熱中しています。そうです、パソコンはわたしにとって役に立つ器械というのを通り越して、快楽の装置になりつつあるということです。不思議なものですね。他人には全然分からないことといわれています」と書いてしまった。その泥沼というのは、わたしの仕事場のパソコンLANの話。
PowerMac7500とDOS/V機のBREZZAとの間で、WebとAppleTalkとで交信が出来たというのが、先月の末のこと。丁度一ヶ月前には、DOS/V機のBREZZAにEthernetCardを取り付けるところで泥沼状態になり、新たにIDEディスクを取り付けて何とかマシンの基礎工事を成し遂げたのだった。それから、一ヶ月を経て先週、今度はPC-98機の98MATE(PC-9821 Xa9/c4)にEthernetCardを取り付けるところで、またまた泥沼状態に陥った。どうして?、ということの連続。泥沼を快感と受け止めるようなわたしの性格のなせる業かも知れない。
パソコンに関心のない人には、まさに愚行の繰り返し。関心があっても、おそらく何の参考にもならいようこと。でも、考えられないような熱中でわたしがやったこと。わたしとしては、MacOSとWindows95とで交信が出来たのだから、Windows95同士ならもっと緊密な交信が出来るはずで、サーバー・クライアント方式で、キーボード一つで互いのマシンの中に入り込んでみようと思ったわけ。それには、Windows95が乗ってる98MATEにEthernetCardを取り付けて、HUBで結ぼうと考えた。
それで、余っていたPCIバスのEthernetCardを98MATEのPCIスロットに差そうとしたところから、泥沼が始まった。差すのは、パソコンの蓋を開けてスロットに差せばいいのだから、簡単なことと思っていたのがいけなかった。Windows95は普通、それでプラグアンドプレイが働いて収まる仕掛けになっている。ところが、差して起動して、EthernetCardのドライバのインストールの設定で、98用のWindows95のCD-ROMに「ethpci.exe」がないと返された。無いなら仕方がない、DOS/V機用のWindows95のCD-ROMで間に合うかも知れない、とやったのが、ますますいけないことになった。インストールはすんなり行ったのに、再起動で立ち上がらなくなった。同じWindowsでも98用とDOS/V用ではやはり違うのですね。そこで、98MATEのWindows95を先ずアンインストールしてWindows3.1に戻し、95を再インストールということになった。これが愚行という奴。
ここまで来て、ようやく98MATEのマニュアルを見る気になった。マニュアルによると、98MATEではPCIスロットを使うには、付属のフロッピーディスクでセットアップしなければいけないらしい、ということが分かった。98MATEはNEC独特のCバスというスロットが付いていて、わたしはそこにスカジーボードを付けて外付けのハードディスクを2台接続している。マニュアルを見ると、セットアップディスクは、PCIバスをそのCバスに繋げる設定をやるらしいことが分かった。
PCIセットアップディスクは、ディスクドライブにセットして電源を入れると壊れる恐れがあるから、電源を先に入れて、ランプが点灯したら直ぐに差し込め、と書いてある。何か恐ろしい。でも、まあ、セットアップディスクを立ち上げた。すると、「メモリアドレス」と「IRQ」と「DMA」を書き込めというのだ。そんなのわかんない、だ。アドレスの16進数を書き込むところをクリックすると、可能なアドレスというのが出てきたので、それを入れた。
そして、さてこれで、ようやく出来たと、再起動したら、そのスカジーに繋いだデバイスを探すバイオスが止まって動かない。パソコンがうんともすんともいわなくなった。PCIのEthernetCardが、ハードディスクを接続したスカジーボードと衝突しているというのであろう。スカジーボードを抜いて、起動すると、今度はWindows95が「Safeモード」でしか立ち上がらなくなった。それも、コマンドラインで、「net start」が見つからない、「vnetsup.vxd」「rwredir.vxd」「nsd.vxd」「vredir.vxd」などなど、、、、、が見つからない、という警告が出た後の「Safモード」。何度やっても同じ。そこで、再びWindows95のアンインストールとインストール。もう一度もう一度と、PCIの設定をやり直したが、とにかくPCIカードを差している限りでは、起動できないことが分かったので、それは、止めにした。もう、午前3時を廻っていた。
翌日、渋谷に出たついでに、パソコン屋を廻ってCバスのLANカードを見て歩いた。一軒目には無くて、2軒目に1個だけあったので、とにかくそれを買って来て、また98MATEにLANカードを取り付ける夜中の作業になった。Cバスはパソコンの蓋を開けなくて済むのがいい。後ろからぐいっと、差せばいい。今度は、ドライバーのインストールも「ネットワークの設定」も順調に行った。デスクトップにも「ネットワークコンピュータ」のアイコンが出ている。それをクリックして、小さな地球儀の「ネットワーク全体」のアイコンをクリックすれば、グループアイコンに変わり、それをクリックすると、中に「98MATE_C_Drive」と名付けたコンピュータアイコンがをちゃんとある筈、と思いきや、赤丸白×の警告に「ネットワークを参照できません。稼働中のネットワークには接続できません。詳しくは、ヘルプの『ネットワークに関する問題』を参照して下さい。」と出た。そこで、ヘルプのその問題を辿ってにたが、設定は間違っていなかった。つまり、98MATEでは自分自身も含めてネットワークパソコンが見えないということだ。
では、10BaseTで繋いだBREZZAではと、BREZZAのWindows95を起動して「ネットワークコンピュータ」を開いてみると、そこには「98MATE_C_Drive」ちゃんがちゃんと現れているではないか。クリックすると。共有にしたディスクが全部あって、尚それをクリックすると全ファイルがあった。そして、3年前にアッセンブリで作った「サレテムーシ地方紀行」の詩の行の入れ替えのプログラムを実行してみたら、ちゃんと出来た。うーん、感動、というところ。BREZZAからだと、98MATEの共有ディスクの中を自在に扱える。マシンがぐーんと大きくなった感じがして、嬉しかった。WindowsNTからもOKだ。しかし、ネットワークパソコンが現れない98MATEからは余所のコンピュータに入り込めない。
他から98MATEには入れるが、98MATEからは出て行けない、というところが問題になった。BREZZAと比べながら、設定を何度か改めてみたが、間違っていない。とすると、98用のWindows95の問題ではないかと考えて、翌日、NECのパソコン相談室に電話した。
係りの男性は結構丁寧に応じてくれた。彼によれば、ソフトかハードのどちらか、と考えなければならないが、「*.PWL」というファイルを探して、それを削除して再起動し、パスワードを聞いてこなければ、「Microsoftクライアント」が壊れてる。パスワードを聞いてくれば、ハードに、つまりネットカードに欠陥があるということ。言われたとおりにやってみた。ちゃんとパスワードを聞いてきた。うーん、するとまたカードか、とがっくり。
しかし、BREZZA側から98MATEには入れるのだから、カードは活きている、と思った。なにしろ、わたしの98用のWindows95はは3年前に発売されて直ぐに買ったものだから、古いといえば古い。先日、インターネットエクスプローラー4.0をインストールしようしたら、途中でハングアップして出来なかったし。という結論で、間近にWindows98が売り出されるこの時に、わざわざWindows95を買いに行った。これが、98MATEにEthernetCardを取り付け始めたからもう4日目だ。イメージフォーラムの13時から18時までの作品講評を終えて家に戻り、夕食を済ませて、1時間ばかり仮眠して、買ってきたWindows95のインストールに取りかかった。インストール完了の後の再起動では、うまく行ってくれと祈るような気持ちになっていた。しかし、その結果は、同様の「ネットワークを参照できません」。まあ、これでLANカードが合わないということになったわけ。
ソフトでなければ、ハード。Cバスのカードは止めて、再びPCIバスのセットアップに挑戦。メモリアドレスとIRQを上手く設定出来れば、使えるかも知れない、そう思って、設定に挑戦した。しかし、とにかく、PCIバスを差してしまうとWindows95にしろ、フロッピーディスクにしろ、OSを起動できなくなるので、メモリアドレスをいろいろ探すということが出来ない。やはり、98MATEのPCIバスはわたしの手に負えないと、諦めた。
そして、日曜日の今日、午前中から別の会社製のCバスLANカードが売っていたのを見掛けた新宿のパソコンショップに出掛けて、前のカードが無駄になるなあ、と思いながら、また98MATEはただ物置のようなマシンとして使えばいいか、と思いながらも、LANを完成させたい、出来ないのは口惜しい、という思いに駆られて、安くはないその別会社製のLANカードを買ってきてしまった。無駄遣いといえば、全部無駄遣いなわけだし。昼御飯の後、これで総て決着、とばかり買ってきたLANカードをCバスに取り付けた。しかし、再起動して、ネットワーク全体の地球儀をクリックすると、わが98MATEの応答は「ネットワークは参照できません」。ついに、謎の「ネットワークは参照できません」になった。しかも、この買ってきたカードはスカジーカードとも相性が悪く、結局は取り外した。パソコンをLANで一筋に繋ごうとしているわけだけど、なかなか一筋縄では行きませんね。
薦田さんから入谷朝顔市の朝顔が届いた。
薦田さんは毎年、入谷の朝顔市の朝顔を送ってくれる。うれしい。その朝顔は十月頃まで咲く。昨年は、速く咲いた花からこぼれた種が、十一月に芽を出し、翌年の三月に蕾を付けたが、咲かないで枯れてしまった。今年の朝顔は、何とか来年の三月には花を咲かせたいと、まだ蔓も伸びてない朝顔に、蔓のための紐を延ばしながら、勝手に思った。どうも、先を急ぐ気持ちに走りがちになる。毎朝、朝顔の花が楽しめるのはうれしい。薦田さんに感謝。
コンピュータを始めてから、先を急ぐ気持ちが強くなったと言ったら、それも勝手な思いということになるだろうか。実際、コンピュータって一つのことをやると、その先に次々にやることが増えてくる。そのために、先を急ぐ気持ちが強くならざるえない。MacとWindows95でEthernetのLANを張ったら、そこにPC-UNIXを加えたいからもう一台増やそうということになって、DECの中古を買った。すると、そのマシンにWindowsNT Workstation4.0がインストールされていた。そこにOffice97とInternetExplorer4.0をインストールしようとしたら、「WindowsNT Service Pack 3」をアップデイトしないとインストールできない、というのでそれを探してきてインストールする。ダイヤルアップでプロバイダーに接続しようとしたら、これがWindows95とは違っていて、なかなかうまくつながらない。それで、NTもちょっと勉強しなくては、ということになる。それから、LANというのも、よく分からないから、勉強しなくは、とかいろいろ。
今日は、電源コンセントの整理。7つのOSを乗せた4台のマシン、2台のディスプレイ、キーボード・マウス切り替え機、ハードディスク、モデム、ハブなどを繋ぎ、それぞれの電源を切ったり入れたりするためにスイッチ付きのコンセントを増設した。数えてみると、電源のコンセントが12個もあった。第一のスイッチを入れて、モデムやハブやディスプレイの電源が入り、第2のスイッチでマシンとハードディスクに電源が行き渡り、それぞれのマシンのスイッチで起動するという仕掛けにした。これでLANで遊ぶマシンの設置が出来たということになる。夏休みが楽しみ。
清水邦夫作・演出「リターン」を観る。
「海へ…ヘミングウェイ幻想」 の美術イメージ(パンフレットから) |
「陸へ…サムトの女たち」 の美術イメージ(パンフレットから) |
昨日の日曜日も暑かった。新聞報道では、連日暑さのために数人の人が死んでいるという。そんなことが頭にあったせいか、昨日は、タクシーに乗っていて2台の霊柩車とすれ違い、JRのホームでは何組かの喪服姿の人たちに出会った。わたしはと言えば、暑くなったせいか、足腰の痛みもなくなり、毎日出歩いている。昨日は、暑いなんては言ってられない、とばかり、先ず午前中、タクシーを呼んできて、先週中古で買ったDECのコンピュータを、イーサーネットカードが働かないので、交換すべく、秋葉原の「オリックスレンテック販売センター」まで運んだ。
そして、そこに預けて、JRで両国駅に行き、元国技館跡にある劇場の「×」(カイ)で上演されている清水邦夫作・演出の舞台「リターン」を観て、再び秋葉原に戻って、キーボード、マウス、ディスプレイのケーブルを買い、交換したDECのコンピュータを受け取って、またタクシーで持ち帰り、新しく組み立てたラックに設置したという次第。
劇場で2時間余り、舞台を観ている間は冷房ですっかり身体が冷えてしまったが、秋葉原でのケーブルの買い物と、タクシーを掴まえようと道に出て立っていたときは、本当に暑かった。実は、先先週、4台のコンピュータを一組のキーボードとマウスとディスプレイで兼用できるという切り替え機を、秋葉原のガード下のケーブルやコネクター専門の店で買ったのだった。その切り替え機は台湾製。買ってしまってから、そうだケーブルも必要と気が付き、買おうとしたら、今品切れで来週入荷と言うことだった。それで、昨日、立ち寄ったというわけ。ところが、もう台湾から船は出たが、まだ入荷してないという。そんな、三度脚を運ばせるのかいという気持ちで粘っていると、店のお兄さんは「じゃ、ちょっと見てくる」と言葉を残して、どこかへ姿を消した。この暑いのに、と思いながら店の前に立つこと数分で、お兄さんは3本組のケーブルを持って戻ってきた。「なんだ、あったの」というわたしの言葉に、「見積もり取ったのがあって、それを、、、、」とか。戦後の闇市の雰囲気を残したここで、昨日、改めて、ないと言っているのに品物が出てくる闇市的体験をしたのだった。
さて、清水邦夫さんの舞台だが、清水さんの独自のやりかたで、この表現者にとって厳しい時代を生き抜いていこうとしているのがまざまざと感じられるものだった。公演のタイトルは「リターン」だが、「海へ…ヘミングウェイ幻想」と「陸へ…サムトの女たち」という全く別の二つの劇から構成されていた。「海へ…ヘミングウェイ幻想」では、ヘミングウェイの晩年の猟銃自殺未遂事件の後の独特のリハビリを米倉斉加年が演じる。ヘミングウェイは自分に「ガッツ」を取り戻すために、病室にボートを置き、母親に変装したりして自分と対話して、鬱病を克服して行く。自分の過去を辿りながら、母親との愛憎を吐き出していくという精神のドラマになっていた。
「陸へ…サムトの女たち」は、松本典子が演じる老年にさしかかった女優が主人公の話。彼女は、舞台公演の最中、台詞が途絶えて出てこなくなり、覚えていた詩を朗読してその場を凌いだものの、そのショックで突然、日本海沿いの故郷に戻って、昔からすれば変わってしまった人々と出会い、そこで心を癒され、元気を取り戻して再び東京に戻って行く。清水邦夫さん自身、昨年の秋、鬱病になって原稿が書けなくなり、予定していた、木冬社の公演を中止する羽目になったと、パンフレットの「メモ」の中に書いてあった。「リターン」というのは、いずれにしろ、自分と闘って活力を取り戻すという意味合いということのようだ。
故郷や母親に対する愛憎を、これまでのことが、破綻し掛かって、または破綻して、それを乗り越えるときの活力の源に位置づけるできるというわけだ。そこに、清水邦夫さんの独自の考え方と感性があると観たのだった。
新しく、パソコンラックを組み立てる。
先週の金曜日、土曜日は猛烈に暑かった。今学期は、毎週金曜日は多摩美の八王子校に代打で講義に行っているが、新宿から京王特急で40分、そこからバスかタクシーで校舎のある山の上まで登っていかなければならない。これまで、金曜日というと曇っていたのに、先週の金曜日は山の上空に積乱雲が流れる晴天となった。その暑いこと、一挙に夏の訪れ。夜は夜で、上野毛校で授業があったが、JR横浜線長津田回りでは行かないで、一旦家に帰り、シャワーを浴びて、30分ほど午睡を取って、夕方上野毛に出かけた。昼寝しなければ、とても夜の講義は出来ないというのが、今の私の体力なのだ。まあ、仕方がない、年取ったのだから。
さて土曜日も暑かった。その暑さの中で、汗をだらだら流して、2台のパソコンラックを組み立て、使ってなかったディスプレイを生かすことになった。手持ちのパソコンにネットを張り始めたら、一つのマシンに一台のディスプレイを繋いで、その上にいくつものOSを乗せて、交互に起動して遊ぶ、というわけには行かなくなった。ネットワークだから、それぞれのOSが全部起動してなくては出来ない。MacとWindows95とのネットワークは先月何とかクリアできた。これに、せめてLinuxか、FreeBSDか、もう一つPC-UNIXを繋いだネットを組みたい。そして、WindowsNTというのもやってみたい。そこで、JAVAも試みたい。そうなると、それぞれのOSが自分のマシンを要求するというわけ。
その手始めに、2台のディスプレイを生かすため、ラックが2台、となった。これまでは、30年前に団地の2DKで使っていた木製のテーブルに、2台のパソコンと一台のディスプレイを置いて、外付けハードディスクをずらずらと延ばして、バージョンの違うLinuxや、FreeBSDを代わる代わる起動して遊んでいた。脚が腐って来たので、かすがいを噛ませたり、ブリキで補強したりで間に合わせてきた。しかし、せめて2台のディスプレイで、OSを交錯させようとすると、もうダイニングキッチン用のテーブルでは無理。わたしの場合は趣味と言っても、個人でもネットワークとなるとそれなりにスケールが変わってくるということ。そんなわけ。他人からすれば、御勝手に、というところをやってる。
もう、病は膏肓だ。実は先週、ボーナスも入ることだしと、新品なら50万余はしたというDECのCelebrisGL 6200stという中古マシンを10万円で買った。BeOS for Intelを動かしたいというのを目安にして、Pentium Proが乗ってる一番安いマシンということ。WindowsNT Workstation4.0が入っていた。これから夏休みに入るので、これにメモリとIDEディスクを増設して、ネットワークとBeOSを楽しむことにしよう。夏休みには、3つぐらいは詩を書きたいけど。
先日発行の「映画新聞」に田中佑実(大阪・大学生)という人が「芽立ち」の評を書いてくれて、そこに
「ところで『芽立ち』の鈴木志郎康という人は詩人なのだそうだ。 昨秋ヤマガタで昔の作品をみて、そのユーモラスな独白調にすっか りやられたのを思い出した。今回も相変わらず雲の流れや庭の植物 の日々成長する姿をコマ撮りでとらえているのだが、軸となってい るのは現代の若者のレポートである。それぞれが歌手や映像作家を めざしているのだが、そのちょっと世間ズレしているような彼らの 切実な姿に重ねて、例の瓢々とした調子で「彼らはまだ、芽さえ出 ていません。芽立ちなんですね」とやられると、なんだか泣けてし まって、改めて詩人なんだなあと思った。彼らの日々募る不安や夢 を、黙って見守っているやさしい映像だと思う。」 |