ヘビイチゴって気になる。
ヘビイチゴが点々と赤く色づいている。今年は、他の花と同じように数が多いので気になる。色が鮮やかすぎて、ちょっと口に入れてみたい気もするが、怖い感じもする。息子が言うには、「お母さんは食べてたけど、不味いと言っていたよ」とのこと。彼女に聞いたら、何の味もしない、子どもの頃、毒があるといわれたけど、大丈夫よ、と。
先週の「わたし」は、久しぶりにFreeBSDを楽しんだ。Linuxを走らせることができたので、今度はまたFreeBSDというわけだが、そこに至ったこの二、三日の「わたしの意識の流れ」というものがあるのです。
始まりは、電話機の故障。プッシュボタンを押しても、音がしない。外から掛けるとお話中になってしまう。受話器の上げ方で次第で、掛かる瞬間もある。というので、NTTの電話局に電話したら、電話機の故障は「こちらではちょっと、、、」といわれて、電話帳に広告が出てる砧の「フジ通信」さんに見に来て貰らった。20年の前の設置なので「老朽化」ということ。家中の4台の電話機を全部交換という話に発展。それなら、ISDNに切り替えようということになった。
さてそこで、出かけたついでに本屋でISDNについての本を探して、「はじめてのISDN・TA」(エーアイ出版)を買う時、山口至著「FreeBSD快適操縦ガイド」が目にとまって買った。この「快適操縦ガイド」の始めのところを読むと、こんな一節があった。
とくに、FreeBSDの場合、改版のスピードが速い。フルスロットルなのである。版をあげてやっとシステムが安定したかと思うと、次の版がアップされたなんていうことも珍しくない。自然、インストールはしたものの何をするでもなく、インストールフェチなどという亜属が発生するゆえんである。しかし、この楽しみ方も、決して否定はできない。いや、結構楽しいのである。頭の体操としては、この上もなく至福の一時を満喫できるといっては過言に過ぎようか。何といっても、インストールの解説だけで、何冊もの解説書が出版されている現状は、一筋縄ではいかない現実を如実に表わしている。まさに「わたし」は「インストールフェチなどという亜属」。この言い方が気に入った。インストールフェチの楽しみ!
でも、である。しかし、である。それだけでは、あまりにUNIXがかわいそうではないか。せっかくインストールしたのであれば、まっとうな使い方をしてやらなくては、哀れというものである。
待てよ。UNIXのまっとうな使い方?はてさて、ここでまた冒頭にループしてしまう。
5月のバラ。
去年は一つしか咲かなかったバラが、今年は四つも蕾を付けている。スズランも沢山咲いたが、バラも、紫露草も、その他にも花の数が多い。見る方はいいけど、花にしたら危機を感じて沢山咲かせているのかも知れない、と思ったら、なんか不安になってきた。この世紀末、何が起こるか分からない。不安と期待の楽しみ。
先週は、PC-UNIXのRedHat LINUX でNiftyとインターネットに接続を試み、一応成功。そのことの次第の報告。わたしがインストールしたのは、LASER5の「redhat LINUX + PJE」という箱に入ったCD-ROMの「RedHat LINUX-4.2パッケージ(Intel版)」と「PJE-0.1.1」。このCD-ROMはインストールした後、アプリケーションを追加インストールしようとしたら、マウント出来なくなった。LASER5のCD-ROMは良くないよ、と聞いていたが、なるほどと合点。
インストールはしたものの、マニュアルにはインストールのことしか書いてないので、林雅人著「RedHatLINUX入門キット」という本を買ってきた。それにもLINUXのCD-ROMは付いていた。何で最初からそれを買わなかったの?と訝しむ人がいると思う。それは、LINUXの日本語環境のパッケージが、LASER5のCD-ROMには新しい「PJE」が付いていて、「入門キット」には古い「JE」が付いてる。当然、新しい方が欲しいので、LASER5のを買ったというわけ。
「入門キット」に目を通してみて、これまでやっていたFreeBSDとの違いとして、起動の仕方とシェルが違うのと、X WindowのWindowマネージャーがfvwm95というWinodows95とそっくりの画面が出てくるところ、そこでグラフィカル・インターフェースでインストール/アンインストールが出来るところ、などの違いが目に付いた。組み込まれているbashシェルはFreeBSDで使っていたcshシェルより使いよい。全体で、FreeBSDより洗練されているという印象を受けた。
「入門キット」で、一通りのコマンドを試して、さていよいよインターネットに接続というところで、躓いた。「入門キット」は、先ずNiftyに接続してみて、パソコン通信をやってから、次にインターネットにpppダイヤル接続するという順序になっていた。cuコマンドでモデムに接続して、ATDT電話番号でNiftyには直ぐにつがった。次に、ppp接続するには、ppp-on、ppp-off、ppp-on-dialerの3つファイルのスクリプトの、プロバイダーの電話番号とか、わたしのアカウント名とか、パスワードとかを書き換えなければならい。躓きは、この書き換えで起こった。
知識があれば何でもないことなんだが、「入門キット」の接続の仕方には、モデムポートのことやATコマンドのことが書かれていない。Niftyの接続にはATDPのパルスダイヤルが書かれ、ppp接続ではATDTのトーンダイヤルが書かれている。これは、音が違うからあれれ?と分かるが、ppp接続のスクリプトにはポートを指定しなければならない。そこに、落とし穴がった。わたしがLINUXを動かしているマシンはモデム内蔵で、それがシリアルポートのcom2を使っている。初期設定のスクリプトはcom1を使うようになっていたのだ。
どうしてもppp接続が出来ないので、今度は前原輝雄編「新版Linuxでインターネット」という本を買ってきて読んだ。そこに、シリアルデバイスのことが書いてあった。com1は/dev/ttyS0、com2は/dev/ttyS1とあった。そういえば、FreeBSDでは、トンネルデバイスtunを設定して、iij-pppを起動して、そこでset device /dev/cuaa1、set speed 115200とかやったのだった。スクリプトの/dev/ttyS0を/dev/ttyS1に書き換えてやったら、すんなりとプロバイダーに接続できた。
それから、Netsacapeを立ち上げたが、ここでまた繋がらない。またまた、「新版Linuxでインターネット」を引っぱり出して見ると、Netscape.adというファイルをapp-defaultsディレクトリーのNetscapeファイルにコピーしておいた方がいいと書いてあったので、やってみて、ようやくNetscapeでWebページが見えるようになった。しかし、LinuxのNetscapeで日本語の設定をしても、EUC、UJIS、SJISのどのコードでも文字化けしてしまうので、今後それを解決しなければならないというところまで来た。
12月に、朝顔は咲いていた。
北新宿に住む伊藤聚さん撮影 |
『芽立ち』の上映を見た詩人の伊藤聚さんから、朝顔の蕾の写真が送られてきて、「昨年12月のアサガオです。北新宿の。」と添え書きしてあった。わたしの映画の中では12月の朝顔は枯れて、ナレーションで「やっぱり季節が合わなかったから」なんて言ってしまったが、育て方が悪かったのだということが分かった。同じ鉢の雑草を伸び放題にさせて置いたのが、いけなかったのかも知れない。伊藤さんの写真で、12月でも朝顔は咲くということが分かって、嬉しかった。
さてさて、詩論「詩の包括的シフト」(HTML)を書いたり、映画作りで遠ざかっていたコンピュータに少し関心が戻ってきた。先週、RedHat LINUX-4.2のパッケージとPJE-0.1.1cmをインストールしたが、早速、日本語環境の構築で躓いた話は書いた。
LinuxもFreeBSDもIBM互換機というパソコンの上で動かすといっても、もともと英語の環境で作られたUNIXというOSのなので、その上で日本語を使えるようにいろいろな人が協力して、そのソフトをボランティアで開発しているという。それは、OSだけでなく、エディターやグラフィックソフト、ネットワークソフトなどを含めて、雑誌の付録のCD-ROMや店頭でも数千円で売っているCD-ROMで手に入れることが出来る。RedHat LINUX-4.2はインストールは比較的に簡単だったが、それでも、自分でハードディスクのパーティションを切って、LinuxというOSが使えるように設定しなければならない。でも、そういうところがコンピュータ好きとなると、面白くたまらない。わたしの場合、楽しみながら、コンピュータを理解したいと思っている。
先日も、人と話していて、「そのLinuxというのを何に使うのですか」と聞かれて、「家に数台のパソコンを持っているので、それを繋いで家庭内ネットワークにして、そのサーバーにしようかと思っているんです」と答えたら、「????」という顔をされた。このコンピュータの「サーバー」というもの、プロバイダーのコンピュータが「ウエブサーバ Web server」ということは知っていても、よくわからない。
そこで「英和コンピュータ用語大辞典」(日外アソシエーツ1991年11月20日第1版第3刷)を見ると、
Server n. サーバ、扱者〔一般:勤務者, 奉仕者、サーブする人、扱者〕 [参考]print server(プリントサーバ);state−dependent server(状態依存扱者)としか書いてない。七、八年前では、あまり問題になっていなかったということらしい。それから五年経った平成6年2月10日発行の「Machintoshなんでも用語事典」(技術評論社)になると、
サーパー serverこの説明なら、何となく分かる。わたしとしては、この説明の最初の部分を、わたしの家の中に実現してみたい思っているわけ。ちなみに、1996年に発行されたあちらさんの「RANDOM HOUSE PERSONAL COMPUTER DICTIONARY」には、次のように出ていた。
LANなどのネットワーク環境でアプリケーションやデータ、プリンタやモデムな どの共有を可能にする、システムの中心となるマシン、またはそのシステムのこと。 サーバーを利用するネットワーク方式はサーバークライアント方式と呼ばれ、デー タを集中化して管理するので、ピアツーピア(分散)方式と区別される。
サーバーソフトウェアには、ファイル管理を行うファイルサーバー、プリントデー タのスプールなどを行うプリントサーバー、電子メールなどのコミュニケーションを管理するコミュニケーションサーバーなど、様々な種類があるが、ほとんどの場合これらのサーバーソフトは一台のマシンで同時に動作させることができる。
サーバーに設定するマシンは、ある程度高速で、大容量のハードディスクが接続さ れていることが望ましい。
サーパークライアントシステム server client system
LANの構築方式の一つで、ネットワークの中心に一台のサーバーマシンを置き、クライアントと呼ばれる複数のユーザーマシンから同時にサーバーマシンにアクセスで きるようにしたもの。
サーバーマシンにはサーバープログラムをインストールし、ユーザーマシンには サーバーマシンにアクセスするためのソフトをインストールするのが基本的なセッティングとなる。
サーバークライアントシステムは、ネットワークをサーバーマシンから集中的に管 理するため、データの混乱が起こりにくく、メンテナンスも容易になる。ただし、ネットワークを利用してクライアント同士でデータを交換する場合は一度サーバーマ シンを経由しなくてはならないため、多少手間がかかるのが難点だ。
Macの代表的なLANソフトのAppleShareも、典型的なサーバークライアントシステムを採用している。
server: A computer or device on a network that manages network resources. For example, a file seerver is a computer and storage device dedicated to storing files. Any user on the network can store files on the server. A print server is a computer that manages one or more printers, and a network server is a computer that manages network traffic. A database server is a computer system that processes database queries.サーバーのイメージがもっとはっきり見えるような気がする。
Servers are often dedicated, meaning that they perform no other tasks besides their server tasks. On multiprocessing operating systems, however, a single computer can execute several programs at once. A server in this case could refer to the program that is managing resources rather than the entire computer. See also client/server architecture; Iocal-area network; network.
花数多い今年のスズラン。
連休も、もう終わり。スズランの花を見ると、わたしは必ず宮沢賢治の童話を思い出す。そして、スズランの花を見上げるという小さなものの位置に身を置く。スズランが群生して咲いている中を駆け抜けて行くものなる。今年、庭のスズランが沢山の花を付けたので、容易にその空想に身を任せて楽しんだ。
「イメーフォーラムフェスティバル1998」で帯谷有理の『厭世フフ』の完全版を見て、会場で彼を見掛けたが、話すチャンスを持てないまま帰ってきたら、彼からメールが届いていた。わたしの作品『芽立ち』についての、質問という形の批判的感想文だった。わたしの音声を重視した態度を誉めてくれたが、その扱いに疑問があるというのだ。わたしなりに返事を書いたら、またその返事が来た。そこには、彼の音に重点を置いた映像についての考え方が書かれていた。映像論として面白いと思って、彼の許可を得て、彼のメールとわたしの返事の遣り取りを公開することにした。『芽立ち』の一つの受け止め方として、興味ある方は、読んで見て下さい。
この連休中は、一日おきに「イメーフォーラムフェスティバル1998」の新宿のタワーホールに通っていたが、家ではLinuxのインストールのし直しをした。フロッピーでしか起動できなかったのを、System Commanderを使って起動できるようにしたわけ。今度はRedHat LINUX-4.2のパッケージとPJE-0.1.1cmをインストールした。ところが、日本語入力のサーバのcannaとフロントエンドプロッセサーのcanuumを起動しても、日本語が入力できる筈のkonとktermのコマンドラインに日本語が入力できないので、その原因を極めるのに四日も使ってしまった。何のことはない、canuumに「-uU」のオプションを付けて起動したら、ことは簡単に解決した。しかし、まだmuleとサーバと通信が出来ないので、これからそれを解決しなければならない。
ジャスミンの花盛り。
瞬く間に5月になってしまった。庭の小さな花々が咲き始めている。ジャスミンは白い小鳥の群がいっせいに飛び立つような姿で咲いている。起きて、咲いている花を見ると、そのイメージが心の中にその日一日残っていて、仕事場にいても、街の中にいても、ふっと甦ってくる。それが何とも言えない。道を歩いていて見掛けた女の姿に、白いジャスミンのイメージが重なる。
それはともかく、4月29日に「イメーフォーラムフェスティバル1998」が開催されている新宿のパークタワーホールに、自分の参加作品「芽立ち」が上映されるのを見に行った。知り合いの人が何人も見に来てくれていて、嬉しかった。感謝。もう20年も「個人映画」というものを作り、発表してきているのに、自信満々でご覧に入れるという気持ちになれない。今回の作品は、若い表現者の姿を見せるというのだから、もっと積極的な気持ちでいなければ、と思いながらも。人がどうでもいいと思っているところに、わたしは惹かれて、見せたがる。どこか、犬儒派的な転倒した意識が働いているらしい。大事は苦手。気楽で行きたい、という思いはますます強くなる。
「時の繪」の記憶のシーン |
かわなかのぶひろさんの今年の作品「時の繪」は、彼やわたしが幼かった頃、自分たちがそうであった、街でよく見掛けることのできた「誰もが貧しかったけれど輝いていた」子どもたちの表情を求めてミャンマーの少年少女たちを撮り歩いてきた、という作品だった。終戦直後の東京の街の写真の中を、魂のような黒い影が動き回る映像を所々まじえて、ミャンマーの市場でものを売る少女たち、建設現場近くの空き地で遊ぶ少年たち、路上で売られているスープの入った丼を抱えて食べる少女などなど、舗装されてない地面の上で生き生きと生活している姿が捉えられていた。かわなかさんは、記憶を辿って、時間ではなく空間を跨いでミャンマーに至ったというわけである。
デジタルビデオカメラで撮られている子どもたちが、その場で写っている自分たちの表情を見ているから、ついつい笑ってしまう。それにつられて、撮っているかわなかさんも、太い含み声で「ふふ」と笑う。その笑い声が画面の後ろから聞こえてくるように感じられた。自分の少年時代の記憶を生にそこに見ているという嬉しさだろうか。映像表現の現在という時代性を感じた。