1998年10月1日から31日まで


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  • 1998年10月26日

    LC630のCPUをグレードアップする。



    CPUを交換したところ

    元のハードディスクの中身をコピー

     昨日の日曜日、当番で出校したのを機会に、研究室のLC630のCPUなどを交換して、アップグレードした。iMacのフロッピードライブに成り下がってしまったLC630。研究室では稟議書などの作文や、新入生の顔写真をファイルするなどの簡単な画像処理にしか使ってなかったけど、MacOS8を入れたら、メモリ20MBではPhotoshopも立ち上げられなくなった。内蔵のハードディスクも250MB。OS8だけで殆ど一杯というわけで、外付けのハードディスクに漢字Talk7.3を入れて、Photoshopを使うときは、そこから立ち上げていた。従って、iMacさんが来ては、Ethernetで繋がれたフロッピードライブに成り下がるのも仕方なかった。しかし、Mac改造ブームの昨今、四年前にそれなりに胸ときめかせて購入したLC630をそんな風にしておくのは忍びないと、Webサイトを巡ったり、改造本を読んだ結果、コプロFPUが付いた68系MacでUNIXのBSDをやれることが分かり、そこを目指すことに決めたのだった。

     LC630に付いてるXC68LC040RC33CというCPUをFPU(コプロといわれている浮動小数点プロセッサー)付きの68040に換えるという計画。先ず、そういうCPUが何処に売っているのかが分からない。人に聞いて、秋葉原のLAOXMac館に行く途中の、角の古い家の二階のジャンク屋に売っていると聞いて行ってみたが、無かった。「何時入るか分からないけど、電話しやるよ。LC630には1GBのディスクも無理なんじゃないの」という言葉を背にして、急な細い階段を足摺して下りたのが、先々週のこと。

     その帰りに、「はぐれMacFan改造派」というムックを買った。そこには、LC630をPowerMacに改造するという記事も出ていた。幾つかのパーツを売っている店の地図もあって、わたしのところから比較的に近い千駄ヶ谷に2軒もあったので、行ってみることにした。千駄ヶ谷駅を降りて、わたしと似たような姿のおじさんの後を歩いて行ったら、「Project Mac」という店に入っていって、それがその一軒だった。三角帽子を被ったお兄ちゃんがいたので、聞いてみると、「あるけど、自分でつけるんだったら責任は負わない」とか何とか言っているうちに、奥に入っていって出てきたら、「もう売れてた」というその態度が気に入らないので、じゃーまたね、といい残して店を出た。

     能楽堂の裏手を歩いて、JRのガード潜った直ぐのところのマンションの一階にあったのが「PACIFIC WAVES」だ。こちらは、丁寧な言葉遣いの若い女性が店員。FPU付きの68040が一個あるという。IDEのハードディスクも欲しいというと、今切らしているが、二、三日ではいるというので、CPUと一緒に予約した。値段がさっきの店よりかなり安い。CPUは15800円。店を整理していた若い男性がいろいろと説明してくれるので、聞いてみると、PowerPCに改造するマザーボードもあるというが、7 、8万というので、止めにした。そして、先週の土曜日、もう一度「PACIFIC WAVES」に行って、LC630用の「68040/33MHZ FPU」チップと、2.1GBのIDEハードディスクと、32MBのメモリを合わせて5万円足らずで買ってきた。自分で付けられるか不安だったので、やり方などを聞いたが、いとも簡単に出きると言うので、何かできそうという気になって帰ってきたというわけ。物が手元に来て、ケースの開け方などLC630の改造の仕方が、詳しく書かれている「DOPING MAC」を、改めて読み返した。

     さて、いよいよLC630のグレードアップの実行。25日が当番で出校する日となったので、その機会にやろうと思った。多摩美二部の芸術学科では、後期は学生達が卒業制作などいろいろな作品制作に追い込まれるので、日曜日も教員が交代で出校して施設を使わせている。この日は4年生と1年生が出てきて、スタジオに映画のセットを仕込んだり、演習室で演劇の稽古をしていた。
     12時に開けることになっているので、12時に行ったらもう学生達は来ていた。スタジオの鍵を開けてから、アップグレードの作業に取りかかった。LC630を作業台に運び、後ろのカバーを外して、マザーボードを引き抜く。ネジを二つ外すだけなので、何のことはない。さて、CPUの取り外し。マイナスドライバーを隙間に入れて持ち上げる。手を滑らせて、基盤に傷を付けないかと緊張する。メモリ側にドライバーが入らないので、ちょっと手こずるが、何とか外せた。そして、買ってきたCPUを取り付ける。次に、メモリカードの交換。これは、Videoキャプチャーボードがその直ぐ脇に付けてあって、「斜めに差して」というわけに行かないので、そのキャプチャーボードを取り外さなくてはならなかった。しかし、それを取り外してしまえば、メモリカードの差し替えは簡単だった。これで一応、CPUとメモリのアップグレードは出来たので、ディスプレイとキーボードを繋いで起動ボタンを押す。「MacOS」のロゴが出て、アップグレードの成功だ。

     作業がすらすらと進んだので、こんどはハードディスクと、正面のカバーを外し、ホールダーのネジ一本を取ると、ケーブルを取り外せる状態になって、楽々と交換できる。いろいろなケーブルをかいくぐってやらなければならないPCとは大きな違いだ。あまりに簡単なので、支えのホールダーなどさっさと付け替えて、MacOS 8のインストールまでやり始めた。ところが、「ドライバーの更新中」という掲示が出たままなかなか終わらない。2.1GBだから時間が掛かるのだ、と待つこと50分。そのうちに、「キーッ」とか、「ピョーン、トロロン」とかいう変な音がしてきたので、「中止」をクリックして止めた。やっぱり2GBはダメかという思い。でも、もう一度と、MacOSのインストールを再び試みる。今度は、すんなりと行って、結局、ドライバーの更新は出来ていたのだ。2.1GBをちゃんと認識している。カバーを付けて、これで、出来た、と思ったとき、前のハードディスクの中身をコピーしてなかったのに気がついた。

     そこで、再び正面のカバーを取り外し、ケーブルだけ差し替えて、前のハードディスクで起動して、外付けのハードディスクに中身を丸ごとコピー。これでようやく終わった。アップグレードそのものに要した時間は1時間も掛からなかった。フォーマットやOSのインストールに結構時間が掛かった。LC630からただの630になったMacを元も位置に戻して、Ethernetケーブルを繋いでiMacとAppleTalkを試みようとしたら、Ethernetポートが選べない。結果的には、新しくインストールしたOSに、Ethernetカードのドライバーをインストールしなければいけなかったのに、そのことを忘れて、なかなか思い出せなかっただけのことなんだけど、新しいハードディスクのあの変な音のために、OSがちゃんとインストールされてなかったのではにかと思い、再インストールする何てことまでやってしまった。PCだと、IRQとかドライバーとかは問題になるところなので忘れるということはないが、Macは機能拡張ですましているので、そこに気がつかなかったのだ。一応、「機能拡張」の中は前のOSと比較して調べたのだが、Ethernetカードのドライバーはsystemの中にインストールされるので見えなかったわけ。学内のLANに繋いでWebページを見て、時計を見たら6時半を廻っていた。



  • 1998年10月23日

    若い映像集団「跳び蹴り」の作品を見る。



    「跳び蹴り」のポスター

     16、17、18日の3日間で、ABCの、それぞれ90分ぐらいの3つのプログラム、23本の映像作品を見た。短いものだと5分、長いもので30分。会場は、四谷3丁目のイメージフォーラムで、40席程のところに連日60人余りが入って、立ち見の盛況だった。これは、今年の三月、「イメージフォーラム付属映像研究所」を卒業した者達の中から、新たに作品を作って上映しようという意気込みが生まれて開催の運びたという。そこの講師をしているわたしとしては、期待に応えてくれたというので、嬉しかった。終わったあとの打ち上げに参加して、一つ一つの作品について、それぞれの作者に感想を話した。

     その作品の内容は、と語ろうとすると、困ってしまう。映画の話というとストーリーを語るところから始めるのが常道だが、殆どストーリーらしいものが無い作品ばかりだからだ。タイヤがころころ転がっていく作品があった、なんて言ったところで意味がない。そういう扱っている事物や人間ということでは、全部の作品が違うものを扱っている。じゃあ、何だ、といわれれば、イメージなのだ。自分の中に生まれてきたイメージを、スクリーンに投射されたイメージで語ろう、というのがこれら若い人達の映像作品なのだ。そこで、わたしなどが良い作品と感じ思うものは、強烈な印象を残す作品ということになる。

     不思議なもので、7、8本の作品を一つのプログラムで見た後、中には見終わって数分も経たないうちに忘れてしまう作品があるのだ。「先生、どうでした?」と聞かれて、「えっえっ、何が写ってたっけ」と聞き返すような案配。今度の上映会では、そういう作品は、少なかったが、それでも三つか四つはあった。それとは反対に、自分の映像表現を探し出そうとしているのがひしひしと感じられる作品がいくつもあった。対象に食い下がっていくところに力が感じられた。だが、その対象が持つ意味合いを十分に開くことが出来ないでいるという印象だった。ここには、表現として、確実に新しいものがある。彼らが取り組んでいるのと同じところに自分もいるのだと励まされた思いだった。



     

  • 1998年10月15日

    キャプチャーカードの取り付け。



    シャーシからカードケージを取り出して
    2枚のカードを差した。

     8月に、町田市立国際版画美術館の「Art on the Net 1998」展に応募してきた「ストリーミング 作品」を審査して、刺激を受けた。なんか出来そうな感じを持った。4年前、初めてMacを買った当初、Quick TimeやHyperCardでアニメーションを作るなんてことをやっているうちに、160×120ピクセルの画像では、ただ動かして見るだけでは満足できず、面白くするにはプログラミングをやらなければ、と思っているうちに、コンピュータそのものにのめり込んで行くことになって、そのいわゆるマルチメディアというものからちょっと遠ざかっていた。それが、今回の応募作品を見て刺激を受けて、また関心が戻ってきたというわけ。

     話しに聞くと、ビデオのノンリニア編集も、数百万円するようなソフトが無くても、パソコンで出来るようになったというので、マルチメディアとその両方を頭に置いて、やってみようと思った。MacとWindowsと、どうなのかな、というあたり。まず、以前、Windows3.1時代にキャプチャーカードをPC-98に付けていたが、Ethernetcardを付けるので取り外していた。それを再び付けてやってみたら、作動しなくなってなっていた。ビデオデッキにも、当時のカセットが入ったままで、これも取り出せなくなっていた。やれやれ。Windowsマシン用に新しくキャプチャーカードを買うか、と本を見たり、秋葉原に行ったりと動き回っているところ。

     「マルチメディア」、または「Webストリーミング」と「ノンリニア編集」とではかなり違う。ハードディスクとそれを付けるSCSIカードでも、一方のストリーミングではUltra Wideなんか要らない、というのにノンリニア編集では転送スピードが問題だからUltra Wideでなければいけないということだ。早いに越したことはないと、わたしはAdaptecの「AHA-2940UW」とUltra Wide対応のBUFFALOの6.4GBの外付けハードディスクを買ってきて取り付けた。6.4GBのハードディスクをフォーマットするところが今ひとつよく分からなかったが、とにかく2GB、2GB、2GB、23MBとパーティションを切った。面白いのは、取り付けた中古のDELL OptiPlex GXpro には、既にIDEのディスクが二つ付けてあるが、ドライブのアルファベットが飛ぶというところ。ディスク1のドライブがCとG、ディスク2のドライブがDとI、新しく付けたディスク3のドライブがE、F、J、Kとなった。これって、どいうことかしら。

     さてこんどはキャプチャーカードだ。これも、「Webストリーミング」の方は、画像が取り込めれば何でもいいというが、ノンリニア編集では出来るだけいいもの、という。そのいいものの上限は、つまりプロが使う数千万円ないし数百万円するもの。五月の映画テレビ技術協会の展示会で見たのは、そういうもので、ソフトを買ってくれれば、コンピュータは「おまけ」に付けてくれると言っていた。組織で商売としてやるならともかく、個人でやるにはそんな高いのは論外。個人用といっても、パソコン店で見ると、1万円から数十万円までの差がある。その差は画質と圧縮率の差だという。とりあえず、「入門」というとで7万数千円でcanopusの「Power Capture PCI」を買ってきて取り付けた。やってみると、初期設定では画質も、また動きにコマ飛びが出てあまりいいとは言えませんね。設定を変えて、工夫すればまあまあなところまで行くかも。


    Quick Time 3 の
    「MoviePlayer」

    Windowsの
    「Windows
    MediaPlayer」
     そして、パソコン上でムービーを動かす基本ソフトの「Quick Time」と「Video for Windows」のこと。「Quick Time」は最近、「Quick Time 3」と「Quick Time 3 Pro」に変わり、アプリケーションは「MoviePlayer」。Windowsの方の「Video for Windows 」は、変わったのかどうか分からないが、アプリケーションは「Windows Madia Player」。「Quick Time 3」はiMacには入っているが、PowerMac8500には無いので、Appleのホームページからダウンロードしたら、圧縮ファイルが解凍出来ないので、姉歯康著「Quick Time 3 ガイドブック」付属のCD-ROMからインストール。次いで、オンラインで有料の「Pro」用の「Key」を買う。Windowsマシンには、ダウンロードでインストールできた。

     プレーヤーがあっても、ファイルを作って遊ぶことが出来ないので、編集ソフトが必要になる。そもそも、Windows3.1で3年前の夏に作った.AVIファイルが再生できなくなっていた。。CODECが解けないらしい。「Multimedia & Video」という本を見たら、.AVIファイルの編集用のソフトに「VidEdit」というのが、Microsoft のサイトからダウンロード出来ると書いてあったので、探したが見つからなかった。そんなことしているうちに、だんだんと思い出してきて、「Video for Windows 1.1 デヴェロップメントキット」というCD-ROMを買ってあったのを思い出して、探し出したら、そこに「VidEdit」は入っていた。Macの方も、「Quick Time 2.0 Software Developer'Kit」というCD-ROMが出てきた。
     その開けなかったAVIファイルを、古いPC-98のWindows95の「VidEdit」で開いたら、ボード独特の圧縮だったのか、何回か警告の後やっと開けて、CODECがcanopus cinepackだったのをMcrosoft Videoにして保存し直したら開けるようになった。それは、野牡丹が風に揺れているというクリップで、気に入ったものだった。まだストリーミングファイルにするやり方が分からないので、Webでは見せられない。見たら、がっかりする代物だけど。すこしづつパソコンでビデオが楽しめるようになるかも、という感じだ。ネットワークの勉強もしなくては、とも思い、人生残り僅かだというのに、やることが多いなあ。



  • 1998年10月11日

    多摩川の二子玉川で、秋の一日。


    せいたかわだちそうが何だかいい感じ

    16ミリフィルム撮影時実習のIFの生徒

     11日の日曜日、快晴。イメージフォーラム付属映像研究所の16ミリフィルムの撮影実習に一日つき合って、多摩川の二子玉川の土手とか河川敷を歩き回った。疲れたけどいい気分だった。アリフレックスやボレックスを使って、6、7人のグループに分かれて、200フィートの16ミリフィルムを交代で、グループごとに考えた作品を目指して撮影する。露出計を見て自分で絞りを決める。ファインダーを覗いて自分でピントを合わせる。そんなことをする。わたしは、方々に散ったそれぞれのグループを渡り歩いて見回るという役目。結構歩いて、疲れた。

     わたしそばに付いていると、いろいろと言いたくなるから、離れて巡り歩き、疲れると、「兵庫橋」という小さな橋を渡って、中州の木陰のベンチで、「Multimedia & Video」という本を読んだ。その前の柔らかい草原で、子供連れた若い夫婦がフリスビーを投げ合っていた。妻が投げるとみんなあらぬ方向に飛んだが、夫は右に左に走っていっては拾い、いい玉を返していた。それが、彼らの夫婦関係を物語っているようで、微笑ましかった。傍らでは恋人たちが、緑色の瓶の飲料水を飲みながら、野菜サンドを頬張っていた。わたしは、しばらくそこにいて、生徒たちの撮影が気になり出すと、立ち上がってグループ巡りに出掛けた。 この秋の一日がそんな風に終わった。
     
     
     
     
     
     
     
     







    1998年10月1日

    iMacを買った。


    LC630と並んだiMac 

    わたしの手には小さすぎるマウス

    指で引っ張らなければ
    出て来ないCD-ROMドライブ

     売り出された時、大阪の日本橋電気街で触って、ほしいなあ、と思った「iMac」を、先週とうとう手に入れた。衝動買い、という具合に買おうと思っていたが、その後秋葉原でも新宿でも品切れで、買ったその場から持ち帰る、というわけには行かないで、9月11日に新宿の「T・ZONE」の店員さんに、予約しなければ何時になっても手には入りませんよ、といわれて予約してしまった。168番。それから二週間経って、入荷の電話が来た。週末に、多摩美の研究室の若い人三人で車を運転して貰って取りに行って、研究室のわたしの机の上に設置した。

     箱から取り出して、机の上の置いてEthernetのケーブルを取り付けたりしていると、別の用事で来た学生たちが、「これが、、、」と目を輝かせる。女子学生は「わたしもほしい、、、」とのぞきこむ。当然、志郎康先生ことわたしは得意顔だ。先生の言い分としては、メモリが増設できないLC630では、 MacOS 8.0にした後、Photoshopも起動できなくなって、使いものにならない、そこで今年の研究費で買い換えようとしていたところに、iMacに発売となったので買ったというわけ。

     とにかく、古いLC630からデータを移し替えなければと、Ethernetで転送した。これが結構時間が掛かって、2時間ぐらいで途中で止めた。途中で引っかかって転送できないファイルもあった。G3に取って68系は相手にならないというところか。それから、暇を見てはユーティリティなどのインストール。ATOK11のiMac用のアップグレード版やLANで使うプリンターのドライバーなどを、それぞれのサイトからダウンロードしてきてインストール。クリック、クリックでマウスを使っていると、人差し指が疲れた。指がつかれたのは珍しいことだった。雑誌のおまけのCD-ROMも出し入れしたが、ドライブを指で引き出すというのも、おもちゃで遊ぶ感じだ。CD-ROMのアイコンをクリックすと、「ブーン」と音がして回り出すというのも、乙なもの。

     「iMac」についての、使いはじめの結論としては、ブリキのおもちゃのように子供心を刺激する物体として、心を引きつけるマシンということ。ジョブスが「トイ・ストーリー」を引き継いで思いついた代物なのかもしれない。しかし、コンピュータをそういうものとして売るというのは、なかなか出来ることではないだろう。コンピュータは、道具として使えるけど、道具ではない、それを越えるところがあるから、使えなくても欲しくなる、ということを実証して見せた、とも言えるようなところがある。パソコンの「意味」の変換が始まったのかなあ、と。


       


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