1998年11月1日から30日まで


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  • 1998年11月22日

    猿渡留美個展「Empty Figure」を見て、街の中。



     多摩美二部芸術学科の研究室に、ふらりとやって来ては助手の冨田さんと仲良く話している大学院生の女性から、個展の案内状を貰って、表参道の同潤会青山アパートの画廊へ見に行った。案内状を見て彼女の名前が猿渡留美ということも始めて知った。作品も始めて見る。奇形の人体の縫いぐるみが床に置いてあり、壁に立てかけた白塗りのボードには、人体のデッサン風の絵や腰から下の写真や山羊や馬の絵があった。部屋の半分は、赤やピンクのひも状の縫いぐるみが溢れていた。女性の身体のイメージがテーマになっている。気味悪い感じと優しさが同居していた。身体を縫いぐるみで作って「empty」ね、と思った。

     個展を見てから、表参道を歩いて「表参道駅」から地下鉄に乗り、「末広町」で降りて、秋葉原の電気街を歩いた。コンピュータの不明の領域に陥ると秋葉原にやってくる。物を見て、店員に接触して、本で読んだことのつながりを確かめる、そして更にまた本へ戻るという具合だ。ビデオの「キャプチャーボード」、ファイルを保存する「ハードディスク」、「ディスプレイとモニター」、それに「編集ソフト」、いろいろあるけど、今ひとつ分からない。
     秋葉原は、人でごった返していた。世に言う不況は何処に?という印象。恋人の二人連れ、幼い子の手を引いた若夫婦なども目立つ。わたしの印象では、「パソコンは手に負えない」を通り越して、ようやく「家でもインターネットに繋がってなくちゃ」という気運になってきた様子。それと、若い人たちの間でパソコンの自作が一層拡がり始めてきたという様子。路上に出した台にケースやキーボードを並べて安売りしている傍ら、地面にソフト名を書いた紙に上に携帯電話を置いてコピーのCD-ROMを売っているお兄さんに人だかりしている。「秋葉原っていなあ」と感じて、元気が出てくる。

     先日、パソコンに取り込んだムービーの編集を始めようとして、ソフトを起動したら三つも四つもいろんなウインドウが開いてしまい、古い13インチのディスプレイでは重なって見えなくなり、いちいち必要なウインドウを引っ張り上げなくてはならないので思うように編集できない。しばらくやっていると、面倒臭くなって嫌気が差してくる。これではダメだと、先ず、大きなディスプレイは買うとしたら幾らぐらいするものなのか、それを見ようと思ったわけ。PCIバスのビデオアクセラレータカードがもう売ってないと書いたが、ディスプレイの方も、CRTのディスプレイは2、30台並んでいる棚に15インチと21インチが少々あるのみで、後は17インチか19インチになっていた。19インチで消費税込みで10万円切っているのもあった。やっぱり、19インチか、と思って帰ってきた。



  • 1998年11月17日

    「上岡文枝影像展ー蒲団ー」のBプロを見た。




     先週の土曜の午後、「上岡文枝影像展ー蒲団ー」のBプロを見てから、もう三日経ってしまった。日が速い。これで師走になったら大変だ。

     上岡文枝は多摩美を卒業する前に「イメージフォーラムフェスティバル」で受賞して、その後ここ数年毎年フェスティバルに招待されている映像作家。その彼女の新作を含めた全作品10本がABの二プログラムで上映された。自分が生まれ育った家と、祖母と、自分自身と、自分の内面に浮かんでくるイメージを映像作品に実現したユニークな世界が拡がる。その映像のユニークさが今回は上映のユニークさに重なった。

     「蒲団」と言う副題は、作品が蒲団を扱っているのではなく、上映会場に蒲団を敷き詰めて、座ったり寝転がって見るという趣向のこと。その上、新作の「Marine Snow」は映像を天井から吊した巨大なクラゲの形をしたスクリーンに映写した。もうそれは寝転がって見るしかない。ひらひらした足のついたスクリーンに、クラゲや衣服のまま水中に浮遊する作者自身が映し出されると、ちょっと変わった夢に引き込まれた感じだった。映像をエゴイスティックに自分のものにしてしまうところがいいと思う。こういう作家のエゴイズムを、今度わたしもやろうと思った。








  • 1998年11月12日

    ビデオキャプチャー。




      Windows98デスクトップの
    「Video Commander 32」の操作パネルと 再生中のビデオ

     取り込んだビデオ画像のファイルをメディアプレーヤーで再生しようとして、真っ青な画面に「Video out」の文字が出て、再生は始まるが、音だけで画像が出ないという問題が解決した。オーバーレイ表示が可能なグラフィックアクセラレータ「PWR128P GTV」を買ってきて取り付け、取り込みソフトの「Video Commander 32」のoptionボタンで設定ウインドウを開いて、「再生オプションの設定」を「ビデオ出力」から「オーバーレイ再生」に変えて、「オーバーレイ表示する」をチェックすればよかったのだ。

     しかし、ここに到達するには、わたしとしてはかなりの労力が必要だった。この「オーバーレイ」というのが、今でもよく分からないが、canopusのカタログをよく見てみると、グラフィックアクセラレータの性能項目に「キャプチャーボードとの組み合わせによるオーバーレイ表示」というのがあったので、もしかしてこれではないか勘を働かせた。それで、渋谷に出たついでに、パソコン店に行ったらcanopusの「PWR128P GTS」というグラフィックアクセラレータが売っていたので買ってきた。そして、カタログを見ると同じシリーズに「GTV」というのがあって、それだとディスプレイそのものの画面がビデオ出力できるとあった。「GTS」を早まって買ってしまって失敗だったと思ったが、再びパソコン店に行ったが売ってなかった。ないとなると、一層欲しくなるのが人情。それから、新宿のパソコン店を三軒廻ったが, 「PWR128A」はあるが「PWR128P」は無かった。

     「A」は「AGPバス」用、「P」は「PCIバス」用。最近のグラフィックアクセラレータはグラフィックカード専用バスの「AGP」のものばかりで、「PCI」のものは無いという。取り寄せてくれないかと言っても、「入りませんよ」と鼻であしらわれた。こうなると絶対に探し出してやるぞ、という思いが募り、他日、ついに秋葉原まで足を伸ばした。パーツ専門店ではPCIのグラフィックカードは皆無。何軒か廻った後に、ようやく一軒でウインドウにあるのを見つけたが、それが残りの二つの一つだった。カタログにはまだPCIバス用のカードは沢山出ているのに、、、と思ったが、3Dグラフィックで高速度が要求されるとなれば、時代の要求と言うことなのか。中古パソコンばかり買っているものは、こういうところで差を付けられる羽目にわけ。





  • 1998年11月11日

    石榴の赤。




     デパートの地下食品売場で積み上げられた石榴の赤に引かれて、二個買ってきた。石榴は毎年買う。テーブルに置いて、その赤を楽しむ。ずーっと置いておいて、腐ったのは捨てるが、腐らないで乾燥したのは何年も取ってある。時には、割って食べることもあるが、美味いと思ったことはない。わたしにとって、石榴は食べるよりも見る果物となっている。






     先月CPUを差し替えた研究室のLC630改め唯の630になったMacに、NetBSDをインストールして、ひとまず起動に成功した。インストールにはちょっと手間取った。というのは、SCSIに接続したハードディスクをFWBのHDT Primerェでフォーマットしていたら、 Apple HD SC Setupで初期化しようとしても出来ないので、SliverLining LITEを買ってきて、再フォーマットしなければならなかったということ。HDT Primerェでの初期化では、NetBSDのファイルシステムが作れない、またわたしのSCSIに接続したHDDがApple純正でなかったので、 Apple HD SC Setupではフォーマットできなかった。でも、SliverLining LITEでフォーマットしたら、Apple HD SC Setupで初期化できてrootとかuserとかswapとかのパーティションを切ることが出来た。こういうところが、コンピュータのよく分からないところ。融通の利かない厳密さ、なんでしょうね。それ以外は、解説書に従ってすらすらとことが運んだ。それでも、インストールには数時間は掛かった。インストールした後は、Macのデスクトップから、BSD/Mac68k Booterのアイコン.をクリックするだけで起動できる。ややこしいのは、キーマップがMacのキーボードとはちょっと違うというところ。とにかく、iMacの隣のLC630をUNIXマシンに変貌させるという当初の目標は達成されたわけ。







  • 1998年11月9日

    『デジタルビデオ編集ナビゲーションガイド』を読む。




     コンピュータでビデオを編集するというのは、もう何年も間から当たり前のようになっている。でも、その機材もソフトも数千万円はすると言われ、とても個人では手が出ないところにあった。ビデオの編集には、2台のデッキで一方から他方へ移し替えていくアッセンブルの方式と、3台のデッキを使って、2台のデッキから交互に出して、もう一台に纏めていくABロールの方式と、二つのやり方がある。普通、個人的には、カメラからデッキへコントローラを挟んで、何本もあるテープを一本にする程度。プロは、テープスピードの速いベーカムなど使ってABロールで編集するのが普通。このAとBの切り替えに、テープにアドレスを打って、コンピュータでスイッチングするというのがノンリニア編集の始まりだった。いずれにしろ、一本のテープに仕上げるわけだが、テープの厄介なところは、テープがリニア(線条)なため、編集し直すときに、後から間に挿入する時、頭からやり直さなければならない。つまり切った貼ったが出来ない。フィルムだとその切った貼ったが自由に出来る。それでしかも編集すればするほど画質が悪くなるというので、わたしはビデオが好きになれなかった。ノンリニア編集のいうのは、テープをディスクに置き換えて、その厄介なビデオをフィルムのように自由に編集が出来て、その上現像所でなければ出来なかった編集上の「効果」を自分の手元で手軽に出来るということらしい。「らしい」というのは、まだわたしはやってない分からない。

     『デジタルビデオ編集ナビゲーションガイド』という本は、そのビデオ編集とそれをコンピュータ処理するときの基本と、その処理に使われる機器とソフトについて一通りのことが書かれていた。コンピュータで動画を扱うことのあらましの歴史、アナログとデジタルのビデオ信号の技術的な基礎、動画を扱うために必要なコンピュータの条件、画像を取り込む際のフォーマットや圧縮の基本、それから具体的に現在販売されているキャプチャーボードや編集・合成ソフトなどのそれぞれの特徴が書かれていた。「あとがき」によると、ノンリニア編集というのはまだそれほど時間を経てないから、プロの間でも知識の行き違いがあるので、それを埋めたいという思いがあって、この本を作ったということだった。そういえば、3年位前の「映画テレビ技術協会」の展示会で、ノンリニア編集のシステムの展示が出始めたという感じだったが、昨年今年と、映画機材を圧倒してノンリニア編集システム一色という印象だったのを思い出す。CPUのスピードが速くなったのと、容量の大きいメモリやハードディスクが安くなったことと、ビデオのデジタル化が進んだことが普及の要因になっているという。

     『デジタルビデオ編集ナビゲーションガイド』を読んだわたしの感想は、技術の基本の辺りが、その基本の基礎知識がないわたしには一番難しかった。ビデオのカラー信号の公式がいきなり出てきたり、符号化の方式が何の説明もなく書かれている辺り、専門知識がないわたしには全く分からなかった。後は、それなりにコンピュータやビデオ機器に触ったりしているので、これからやってみようと思っているわたしにはかなり参考になった。何処まで本格的にやるのか、それによってコンピュータの条件も選ぶ機材も変わってくるし、取り込む時のフォーマットや圧縮についても、ソフトとの関係を考えなければいけないということも分かった。わたしには、デジタルビデオ編集について全般的なことが書かれているという点で、ハウツウものとは違う存在価値がある本となった。



     

  • 1998年11月8日

    ビデオのノンリニア編集の事始め。



     先月、ビデオキャプチャーボード「Power Capture PCI」をWindowsマシンに取り付けて、ビデオ映像をコンピュータに取り込むというところから初めてみた。PowerMacだとビデオの出入力端子がついているから、一応はそこからビデオの画像を取り込むことは出来るが、見劣りしない画像を編集しようと思ったら、別にボードを付けなければならないということ。しかし、わたしのMacは8500/120というCPUのクロックタイムが120MHzと遅いので、それなら200MHzのPentiumProがついているDELLでやってみようと思ったわけ。それに、Windowsマシンでは、3年前にPC-9821でビデオから取り込んでAVIファイル一つ作っただけで止めてしまっていたので、再挑戦してみようという気にもなったのだ。Webでムーヴィーを流すということもやってみたいし、ビデオのノンリニア編集というのもやってみたい。

     先ず、『ノンリニアビデオ編集Q&A』という本を一通り読んでみた。前に読んだ『Multimedia & Video』とは違って、こちらはビデオ編集にパソコンを使うという書き方だった。ビデオの方に力点がある。その考え方はかなり違うが、デジタルビデオになって、それがグーンと近づいて重なりかけてきたという印象。でも、出す先のメディアがネットかテープか、もしくはディスクかではまだかなり違う。ネットでは軽いかどうかの容量が問題だが、テープでは画質が問題になる。しかし、その両方が「圧縮」というところで重なる。この圧縮の過程というのが、記号から符号に置き換えるということだが、それは芸術的表現を考える上で興味をそそるところがある。一般に、芸術表現は事物と記号の間の曖昧なところに成立していえるが、それが現在では表現が記号の上に記号を重ねるようになってきているわけで、そこが「記号から符号へ」というところと似ていると思えた。
     この辺りで、時代の変化をまざまざと感じることになる。そもそも、わたしは手持ちのHi8のカメラで撮ったアナログの画像を取り込むところから始めようと思っているのだが、買ってきた本はどれを見てもDV、つまりデジタルビデオが主体に書かれているのだ。DVカメラを買わなくちゃダメなのか、という気持ちになってくるが、それを押さえる。

     それはともかく、キャプチャーボードを取り付けて、最初に、デッキにテープを入れて再生ヲ開始して、ソフトの録画をクリックしても、ビデオの画像がコンピュータに入ってこない。慌てて接続を調べると、ケーブルを繋いだ取り込みポートと、ソフトの設定が違っていた。それを直して画像は入ってきたが、次に、1秒30フレームではコマ落ちするという警告が出て、これも取り込むハードディスクをUltraWideスカジーに接続したハードディスクに設定して解決した。なるほど、本に書いてあった通り、IDEとUltraWideでは転送の速度が違うということが分かった。そうして、ようやくスームーズに取り込むことが出来た。AVIファイルとしてのメディアプレーヤーでの再生もスムーズに行った。そして、取り込んだファイルをHi8のデッキにビデオ出力もできた。ビデオ画像の入出力の成功。
     ところが、一度ビデオ出力した後、そのファイルをメディアプレーヤーで開いて再生しようとしたら、真っ青な画面に「Video out」の文字が出て、再生は始まるが、音だけで画像が出ないのだ。出力する前だと、QuickTimeのムーヴィープレーヤーでも再生して見ることが出来たのに、この一度出力してしまったAVIファイルは開くことも出来なくなっていた。そこで、キャプチャーボードにバンドルされていた「MediaStudioPro」というソフトで「変換」を試みて、それぞれのプレーヤーで開けるファイルになったものの、著しく画像が汚くなっていた。要するに、Windowsではビデオ出力するとファイルのフォーマットが変わってしまうということなのだろう。Macintoshだと、ビデオの出力しても、プレーヤーで開けなくなるなっていうことはない。そこで、一つ疑問が残った。これからしばらくvideoの勉強。



  • 1998年11月3日

    11月はやっぱり菊から。




     先日、近所の花屋の前を自転車で取りかかったら、菊の花の球体が目に留まった。そのボリュームがいい感じだったので、自転車を止めて眺めた。黄色い小さな菊の花が群がって咲いているのを見ていたら、何か思い出せそうで思い出せなかった。でも、「秋という感じ」があったので、その感じを保ちたいと思い買って帰った。やっぱり、秋は菊か、という感想。

     球状にしつらえられた菊は狭い庭に置くと存在感がある。庭は、手入れもしないので、雑草なんかも伸び放題。その雑草の中に、紫の小さな菊も花を付けた。部屋の中からは目に付かないが、ガラス戸を開けると、足元で僅かの風に揺れている。作られた球状に群れて咲いている花には存在感があるが、小さく咲いている花には、また別の風情があって、わたしは心が惹かれる。











       


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