1998年12月1日から31日まで


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  • 1998年12月31日

    歳末腰曲げ散歩。



     新宿小田急地下で買った
     パン、漬け物、そば、天ぷら

     昨日、掃除をして、兄の家にお歳暮を持っていったり、墓参りもしたりしたのだから、今日は家でゆっくりしていたらいいようなものだが、窓から冬の斜光に映えた西新宿の高層ビル群を見ていたら、歳末の街の様子が見たいという気持ちが募って、散歩に出かけた。出かけるに当たっては、もう一つ理由を付けた。昨日、亀戸の街を歩いたら、腰の痛みが和らいだので、散歩を続けると腰にいいかもしれない、腰のためという思いを重ねる。表に出ると、ちょっと歩調がずれる。実質の、「曲げ腰の徒歩」になった。

     先ず、ほぼ北に向かって、上原から西原の住宅街の路地を縫って、幡ヶ谷に出た。この辺りの坂が腰に一番堪える。西原の商店街は閑散としている。甲州街道を横切って、六号商店街に入ったが、店先で立ち話して笑っている女が目にとまたぐらいで、余り活気がない。小便がしたくなって、喫茶店でもあれば、と思ったが、この辺の商店街には喫茶店がないのだ。歳を取ると、小便が近くなるのが困りもの。水道道路に出だところで、バスに乗って新宿まで行くか、とバス停に行きかけたら、道の反対側の小公園にトイレがあるのを見つけて、横断禁止の道を横切った。

     気分が治まったら、新宿まで歩こうという気になって、本町の不動通り商店街を歩いて行った。東京の街には所々にこういう門前商店街があって、駅前商店街とは違った昔の市場の面影を残していて、いい感じ。以前、「徒歩新聞」ではそういう街を探しては「歩き対談」をやって記事にした。不動通り商店街は、少し人出があった。婆さん、かみさん、若い主婦たちが、忙しそうに、あるいはベビーカーを押した亭主と連れ添って買い物していた。「ほうれん草、入れてよ」なんていう言葉が耳に残る。でも、店先で「いらっしゃい」を連呼している親爺の声になんか張りがない。不動通りの終わりに「幡ヶ谷不動」があって、小銭入れの一円玉五円玉をさらって賽銭箱に投げ込んで祈念した。そこから、新宿高層ビル群は目と鼻の先。ようやく、腰の痛みが消えている。

     西新宿は、ビルの間の民家の路地を抜ける。どうせ此処に来たのだからと、パソコン店のソフマップのDOS/V店とMac店を覗く。また、店の様子が変わっている。周辺機器の売場の機種のレパートリーが少なくなっている。これでは、「買いに来る客」は来ても、「探しに来る客」は来ない。先が見えたか。客は女性の姿が多くなった。女性の客が連れの男に顔を横に振ったりとか、なんとか、パソコン店の情景が変わってきた。わたしは、DTMのコーナーで雲を掴むような気持ち。NuBusスロットのEthernetカードが売っていたが、あれは買って置いた方がいいかも、と思いながら店を出て、地下の喫茶店で暖かいコーヒーを飲みながらDTMのパンフを見た。

     そして、小田急の地下商品売場へ。此処はすごい人混み。パンを買おうとパン屋に行ったら、いつもなら一個百円の菓子パンが五個入った袋で300円となっている。3袋、買う。売り手が張り上げる声の中、人混みの中を一巡したら、買い気が出てきて、白菜と大根の漬け物を買う。それから、家に電話したら、年越しそばを買って来て、といわれて、そばを買ってから天ぷらも買おうと売り場に行ったら、一軒では売り切れ、もう一軒でもお札を手にした人たちが並んでいる。もう後一飯台で終わり。わたしも札を突き出すようにして、えび天4本を買った。先ほど歩いた商店街とは比べものにならない活気だ。勢いに巻き込まれて買ってしまうというのは、快楽だ。その興奮は、帰りの空いた電車の中まで残った。



     

  • 1998年12月29日

    PowerMac7500/100にG3 cpuアクセラレータを取り付ける。



     Booster G3の
    機能拡張ファイルの
    アイコン

     とうとうG3 cpuアクセラレータを取り付けた。といっても、常用のPowerMac8500/120に付けたというのはない。バックアップマシンとして2年前に中古で買って、MKLinuxとかLANとかのテストに使っているPowerMac7500/100に取り付け見て、様子を見ようというわけ。PowerMac8500をMacOS 8.5にアップグレードしたら、ものすごく調子が悪くなって、結局、新規インストールでインストールをやり直した。そうすると、アプリケーションをほとんどインストールし直し、新たにシリアルナンバーなど打ち込まなければならなかったから、非常に手間がかかった。それで、万事OKかといったら、そうでもない。いまだに、時にマウスポインターが消えてしまったり、「重大なエラー」が起きて、アプリケーションが終了できなくなったり、こともあろうか、突如「Finderが終了」してしまって、アプリケーションの切り替えが出来なくなったりする。G3への思いが募ってきて、先ずは、7500でテストととなった。

     年賀状印刷の気晴らしに、新宿の高野に紅茶を買いに行った足で、T・ZONEへ。アップグレードカードは何種類か売ってたけどINTERWAREの「Booster G3 300」を買った。14万円余り。これで3倍のスピードになれば、ノンリニア編集にも使えると計算する。取り付けは、LC630のcpuの交換よりも簡単だった。cpuカードを抜いて、アップグレードカードを差すだけ。もっとも、わたしは先に機能拡張ファイルをインストールしておかなければいけないのに、それを忘れたので、抜いたり差したりを二度やったけど。スイッチを入れると、Mac OSのロゴの次にG3の機能拡張のアイコンが出て、画面が一旦消えて、切り替わるらしい。ウインドウやアイコンの出方がテキパキとやはり速くなった感じがする。これでうまくいったら、PowerMac8500の方も、そのうちに取り替えようと思う。

     その年賀状の印刷だが、住所印刷で郵便番号の枠に数字を合わせるのに手間取った。右に左に上に下にと少しづつ設定を変えるが、刷っている内にまたずれてくるといった案配。わたしの使っているソフトが去年のものなので、今年のはがきに印刷された枠の幅が違っていて、結局きちんと合わせることが出来なかった。また、はがきに印刷するとき、用紙トレイの左に寄せすぎると、はがきの左肩を喰らい込んで、はがきが進まなくなるので、ちょっと右に寄せるために割り箸ぐらいの木片を挟んで、はがきの位置を固定したら、スムーズに行った。いつも12月31日に出していたのを、今年は3日早めることが出来た。



     

  • 1998年12月27日

    「有毒ネット」とはねえ、その大袈裟のには驚いた。



     東京新聞の見出し

    朝日新聞の見出し

     12月26日の東京新聞と朝日新聞の社会面の見出しに「毒ネット」「有毒ネット」という見出しが大きく出ていた。いずれも、インターネットを通じて、自殺志願者に青酸カリを売った人の記事の見出し。北海道に住む薬剤師の資格を持つ男が、インターネットを通じて7人の人にカプセル入りの青酸カリを売って、その内の二人が呑んで自殺し、売った男も警察と電話で話した後自分も自殺していたという。素人では簡単に手に入らないような劇薬が、容易く買えるようになったということ。新聞が大きく扱ったのは、「毒入りカレー事件」以来、似た事件が続発し、「毒」に敏感になっていた上に、新聞が掴みきれないでいるインターネットが重なったためだろう。

     しかし、この「毒」と「ネット」を短絡的に結びつけた言い方には、新聞の大衆支配がままならなくなった苛立ちが出ているように思う。東京新聞など、わざわざ「大量の情報がメディアを経ずにやりとりされるインターネットだが、その匿名性ゆえに、刺激や違法性の強い情報もあふれている。自殺、毒物……。女性が接したのは、これらインターネットの“影”の部分だった」と書いて、大メディアの自分たちの独善振りを暴露している。とにかく聞屋さんたちにはインターネットの直接性が気にくわないことは確かのようだ。その情報を操作する立場にいるのをいいことに、世論を形成するなんて言って、いい気になっていた身の上が、インターネットの「直接性」のために危なくなっている、それを感じてインターネットに敵意を露わにしてるというように見える。朝日の記事に、「自殺」で検索したら2000件も出てきたと驚いた風に書かれていたが、足で歩く記者もまだ指では歩き回っていないのだとわかった。指では肩で風を切るという具合にはいかないものね。ネット上じゃ、車に社旗を翻してすっ飛ばすなんてこともできない。マスメディア人種がインターネットに敵意を持つのは自由だけど、取り締まる側に荷担はしないでほしいものですね。

     この事件は、わたしにはインターネットが個人の意識を解放したいい例のように思える。娘や息子を亡くしたご両親ご兄弟には同情するが、当人は自殺という個人の意志を極限で働かせる自由を、同じ考え方を持つ人々と語り合えて、そこで得た手段で全うできたと考えられるから。その個人の意志が全うするところを、新聞は「影」だとか「やみ」だとか言うのだ。そういう個人と個人の直接の情報のやりとりをする場が、正当なものとして生まれているわけだ。会って話すのとは違う言葉のやりとり。それが言葉の主体としての自分自身の確かな自覚を生み、個人としての行為を促す。自殺は、その行為が際だったものとして自分に返ってくる。インターネットは、そこで発言すれば、否応なしに個人意識を育んでいくことになる。マスメディアが個人意識を曖昧にしていくのとは、向かうところが全く違う。その関係がどうなって行くか。それぞれの実践の中でできていくことだろう。





  • 1998年12月22日

    大辻清司さんの写真展が開かれる。





     写真家の大辻清司さんの回顧展、といっても「写真実験室」と名付けて、大辻さんの仕事を世の中の人に広く知ってもらおうという写真展が東京国立近代美術館フィルムセンターで、来月1月12日から3月6日まで開かれる。わたしは20年ほど前に東京造形大で非常勤講師をしたとき、大辻さんに出会って、写真についての考え方を改めさせられたのだった。大辻さんは写真というものの表現の幅の広さを教えてくた人だ。その回顧展は、従って見る人に新しい発見させてくれるだろう。

     大辻さんが撮った写真の量は膨大なもの。それを、教え子や大辻さんを慕う人たちが集まって、この一年、ネガの整理をして、ベタ焼きを取って、その中から未発表の作品も含めて約150点が展示される。時を同じくして、岩波書店から写真集も出る。わたしも、その整理しているところに何回か顔を出して、その量と対象の幅の広いことに驚いた。戦後の街の風俗の記録としても面白いが、特に、美術展や前衛芸術家の姿を記録としては貴重なものもある。それも、ただ記録するという意味合いで撮影されたのではなく、写真というものが持ちうる意味合いの追求として撮られたところが面白い。

     大辻さんは、写真ばかりでなく、実験映画も作っていた。「KINE CALLIGRAPH」という作品で、フィルムの現像を手でやって斑にしたり、絵の具で色を付けたり、引っ掻いて傷を付けたり、上映すると、それが綺麗な斑模様や形の変化となって映し出される。先日借りてきてみたら、そのダイナミックなのに驚かされた。その「KINE CALLIGRAPH」のほんの一部をムービーにしてみた。写真ばかりでなく、こういう映画も是非みんなに見てもらいたいと思う。というわけで、わたしのホームページに、大辻さんの写真展を紹介するサイトを開いたというわけ。



  • 1998年12月20日

    ビンヤミン・ヴィルコミルスキー著「断片」を読んだ。





     パソコンばかりやってないで、文学のことも少しは勉強しなさいと、書肆山田の大泉史世さんからビンヤミン・ヴィルコミルスキー(Binjamin Wilkomirski)著小西悟訳『断片』(1997年12月大月書店刊)という本が送られてきた。著者が物心付く以前に、第二次世界大戦中にナチスに両親を殺されて、兄弟とも離ればなれになって、その後、強制収容所や少年院を転々として成長する過程の記憶を、「断片」として自己回復のために綴った本だ。世界11カ国で翻訳され、1996年度全米最優秀自叙伝賞を受賞している。読んで、心に残った。残ったところは、著者が、「死ぬことが計画されている」ということで生かされていた収容所で育ったために、支配的な「論理と秩序に逆らって生きる」生き方を身につけてしまったというところ。社会の全体性ということを徹底して疑っているところ。

     ベンヤミン少年が、戦後、スイスの家庭に引き取られて、高校に行って、ウイリアム・テルが息子の頭上のリンゴを銃で狙う絵を見せられて、先生から説明を求められ、ウイリアム・テルをナチの「SS兵」だと言って、クラス中の物笑いになる件に、わたしはギョッとした。彼の体験からすれば、子供に銃を向けるのはナチの兵隊以外ではない。この解答をしたベンヤミン少年は、その日の学校の帰りに、同級生から暴行を受ける。著者がわざわざウイリアム・テルを持ち出しているのは、民主主義というのも、全体性というところでは疑わしい、という考えを語っているからであろう。わたしは、こういうところに訳もなく共感してしまう。このベンヤミン少年は、全体主義の「ふくらはぎまでうんこの中に沈んで」しまうような収容所で暮らしを強いられて、自分で求めるどころか、否応なしにドン・キホーテにされてしまったわけ。個が持つ抜け出せない強烈なバインダー。どちらかといえば、わたしも強烈なバインダーを填められて、ドン・キホーテ的に生きていると思っているから。

     作者は、物心付かないうちに親も兄弟も失ってしまい、更にまた記憶さえも消されそうになるところで、「自分の確信を取り戻したかった、わたしはもう黙っていたくなかった、そこで書き始めた」ということである。そして、そういう「アイデンティティを失った子供たち」が連帯して、「数年前にやっと、ワルシャワと米国に『ホロコーストの子供の会』ができた」ということだ。日本の中国残留孤児と似たところがある。中国残留孤児の人達も、僅かの遺留品や記憶を頼りに、肉親を捜そうとする。それは、この本の著者と同じように自分のアイデンティティを取り戻そうとしていることなのだろうと理解される。自分が、何処の誰だか分からないでは、やりきれないのだ。自分自身に確信を持っていたい。それは、この本の著者のように、出自が分からなければはっきりとした問題だが、一応両親や兄弟がいて、出自がはっきりしている者でも、その確信が冒されているということがあって、やはり問題になるべきことのように思える。

     ヴィルコミルスキーの記憶が断片化したということ、つまり彼自身が断片化したということは、ナチスが企てた民族の殲滅という全体の政治的運動に巻き込まれたからだ。その運動の一貫した統一的な流れの中で、個人は粉砕され断片化した。ナチスの運動は全体として強烈なものであったから、その断片化も顕わなものになった。しかし、人間が社会的な存在である以上、自分が属す全体の動きの流れから逃れられないわけで、その動きの中で個人は否応なしに断片化せざるを得ないのではないだろうか。ちょっと飛躍するが、ヴィルコミルスキーが断片を「書く」ことによって自己を回復したというのであれば、それは言葉の主体であることによって自己を回復したということになる。ということは、表現の主体になりたいという欲求は、社会全体と照らして個としての自己回復の欲求なのだいえよう。

     この問題を、わたしたちが直面している問題として複雑にしているのは、そのような欲求によって生まれた表現が、マスメディアのあり方によって全体化して個々の表現を断片化しているということだ。自己の断片を回復しようとして実現された表現が、マスメディアに投じられれば投じられるほど、つまりある者が有名になればなるほど、それが全体の動きを規制して無名の表現を粉砕し断片化することになるいうわけ。この12月は、各メディアが今年の収穫とか何とかいって、名前をあげつらっているのを見ると、あたかも表現が一元的な価値で計れるような錯覚を強いられて、気持ち悪くなってくる。せめて自分の表現はできるだけ風に曝して気持ちよいもにしたい、というのがわたしの願い。





  • 1998年12月15日

    Amazon.comで買った本が届いた。





     10月19日にアメリカの電子通販の書店Amazon.comに注文した「Quick Time and Movie Player Pro 3 for Windows & Macintosh」が先週の土曜日に届いた。ソフトはいくつかインターネットで買ったことがあるが、本というような現物を買ったのは初めて。11月になっても来ないので、心配になってメールを送ったら、「Greetings from Amazon.com! Your order was shipped from our distribution center in Seattle on November 7 via standard surface mail. 云々」というような個人名のメールが届いた。それから尚1ヶ月してようやく届いたというわけ。ほっとした。そして、いよいよインターネットで買い物ができるのを実感した。「ship」という言葉が新鮮に感じられる。

     ところで、OSをMacOS8.5にアップロードしたら、起動に3分も掛かり、ワープロのテキスト変換で、しばしばポインターが消えてフリーズするという現象が起こっている。8.5で68系のMacを切り落としたわけだが、研究室で使っているiMacではこんなことはないから、PowerMacでもわたしが使っている8500/120辺りは適合できなくなってきているのだろうか、とも思う。G3のアップグレードカードを付けなきゃダメかと、浪費家のわたしは刺激される。





















  • 1998年12月12日

    常用のMacOSを「8.5」にバージョンアップする。



     Quick TimeムービーをWebにアップロードして見て、親しい人達から「見えた見ない」のメールを戴いた。その後、見えないといっていた人達からも「見えるようになった」という知らせがあり、どうやらQuick Timeムービーがこのサイトで使えそうだ分かった。ところが、実は、わたしが常用しているPowerMac8500/120の起動ディスク「MacintoshHD」では、Netscapeで相変わらずプラグインが無効になっていて、Web上のQuick Timeムービーを見ることができないのだ。同じOSでInternet Exploreなら見ることができる。つまり「問題」発生なのだ。

     「問題解決」の為に、システムフォルダの中の「機能拡張ファイル」でぶつかっていそうなものを除いてやってみたがダメ、「機能拡張ファイル」を基本的ものに制限してやってみたが、それでもダメ。仕方ないので、「MacOS8.5」にアップロードする事にしたのだった。「仕方ないので」という言い方は変かも知れないが、常用しているマシンのOSを変えることには、段々と臆病になっている。今まで使っていたソフトとのマッチングが狂って、そこからややこしいことになるのを怖れる。遊びでややこしいことになるのは好きだけど、実用でややこしくなるのは御免だ。

     「MacOS8.5」は、一旦起動してからは、若干速く感じられるが、起動時間は長くなった。それに、「固まった後の再起動」では「Windows98」と同様、警告を出して、いちいちハードディスクを調べに行くようになった。これは出ないように設定できる。売り物の検索「Sherlock」でインターネット検索を試みた。多摩美の学生で『フレンチ・ドレッシング』に出演している「唯野未歩子」を引いたら、19項目出てきた。その項目をクリックすると、「Internet Explorer」が起動してそのサイトに連れって行ってくれた。それじゃ、先週彼女に試験答案を書かせた先生の「鈴木志郎康」はどうかと引いてみたら、35項目出てきた。では、今いろいろやってる「圧縮」は、と引いたら、やはり35項目。「国庫補助金等で取得した固定資産等の圧縮記帳」とか、税金の「圧縮限度額の計算」とか、勿論「データ圧縮」を扱っているサイトも出てきた。「Sherlock」はなかなのものだ。

     で、「MacOS8.5」にしたところで、「Quick Time」はどうなったか。結論から言うと、やはりNetscapeではWebのQuick Timeファイルを見ることができない。OSのせいではなかったわけで、そうすると、MacintoshHD上の何かのファイルがNetscapeのプラグインを邪魔しているということになり、13582項目の中からそれを探すとなったら一大事だ。「NetscapeとQuick timeの問題」は当分お預けということにしよう。





  • 1998年12月8日

    WebにQuick Timeムービーをアップロードしてみる。




     あっしゅく、あっしゅく、圧縮!といろいろな本を見ていたら、姉歯康著「Quick Time 3 ガイドブック」(BNN刊)という本に「Media Cleaner Pro」というムービー専用圧縮ソフトのことが出ていた。AppleのQuick Timeサイトの、ツールのページからそのホームページに行って、Demoバージョンをダウンロードしてきて、早速圧縮を掛けてみた。Web用の圧縮を掛けると、4.9MBもあったquicktimeファイルが192KBに、いやQuick Timeのバージョン2用に圧縮すると、何と64KBになった。驚くべき圧縮だ。こんなに軽くなるなら、アップロードしてもいいかも、と思った。

     そこで、HTMLファイルを書いて、Netscape Communicator4.06で開いてみると、入っているプラグインが無効になっている。インストールし直してもダメ。仕方がないので、Navigatorのバージョン3を起動してみたら、圧縮によっては、開けるのと開けないのがあった。ところが、この同じファイルをWindowsマシンに持って行って、Internet Explorer 4.01で開いてみると全部きれいに開けた。そうか、IEなら開けるのかと、MacにマイクロソフトのInternet Explorerをインストールして、それで開いたら全部開けたのだった。MacのQuickTimeがマイクロソフトのエクスプローラーで開ける、そういう世の中になったというわけか。(12月9日追記:同じMacの外付けハードディスクのMacOS8を起動して試みたら、Netscape Communicator4.06でも開くことができた。MacintoshHDのMacOSJ1-8.1が何処かおかしいらしい。)さて、皆さんのブラウザで、このQuick Timeムービーが開けてますか。Quick Time 3をインストールしていれば開いている筈ですが。


    cinepak圧縮63KB





  • 1998年12月5日

    ビデオのノンリニア編集で、先ずコーデックに躓く。




     ビデオファイルの扱いは、ビデオ画像を取り込んで編集して、それをそのままテープに戻すというところからちょっと外れた途端に、思った以上に厄介になった。世の中、デジタルの時代というけど、デジタルって厄介だよ、と言いたい。先日、若い映画監督の西村太郎君が、わたしのところのデジタル録音機のMD8を使って、MDdataのディスクに編集した音を、16ミリのシネテープに再録音していて、始めはぴったり合うが何度かやり直しているうちにだんだんずれて来る、その音ズレの犯人は熱、機械そのものが発する熱だと突き止めた。MDは光と磁気で録音するのでデジタルは熱に弱い。ビデオのデジタルの厄介なところは、「圧縮」ということ。それが「コーデック」といわれるもの。

     コーデック、CODEC、つまりCompression Decompressionの略で、圧縮伸張の処理というわけ。圧縮しないと1秒間に30フレームの画像があるビデオファイルは膨大な容量になる。従って、取り込む時圧縮してハードディスクに保存する。圧縮したファイルでは処理できないので、つなぎ目に特殊効果などを施すときなどはその圧縮を伸張する。つまり、束ねて縛ったり解いたりするってこと。厄介なのは、その縛り方、このCODECがいろいろと何種類もあること。それも、ハードウエアで圧縮する場合とソフトで圧縮する場合とがあって、取り込むときは主にハードウエアが圧縮を掛け、ソフトでファイルを作るときはソフトで圧縮を掛ける。その上、その圧縮を掛けたデータのファイルフォーマットに、MacではQuickTime、Windowsでは.aviの拡張子が付くVideo for Windowsの二つの形式がある。新しいQuick Timeのバージョン3はWinodowsにも使えるようになった。データを束ねて縛って箱に入れる。縛り方がいろいろあって、箱が二種類というところ。

     わたしは、その束ね方で躓いた。わたしのWindowsパソコンにいま付けている取り込み用のボード「Power Capture PCI」はハードウエアがMotionJPEGという「圧縮」を掛けてAVIファイルとして取り込んでしまう。わたしが躓いたのは、ビデオテープに「出力」しようとして、このMotionJPEGに引っかかって出力できなかったというところ。束ね方が分からなくて、箱から出せなくなったというわけ。それは、話せば長いことになるというやつ。わたしがやることって、どうしていつもややこしくなるのだろう、と首を傾げたくもなるけど。


    元のCinePakの画像

    更にMtionJPEGにした画像
     短いビデオクリップを編集して、ビデオテープに録画してみようと思った。内容は4年生のゼミの学生にウソを語らせたビデオ。タイトルを「最終遊戯」として、Macintoshで「Specular LogoMotion 1.5.3J/N」というソフトを使って、星が廻る立体文字が空を飛んでくるというタイトル用ムービーをQuick Timeで作った。僅か3秒なのに4.8MBの容量になった。フロッピーには入りきらないから、LANで送ることにした。MacからWindowsにファイルを送るには、接続する為のソフト「DAVE」を起動する。と、MacのデスクトップにWindowsマシンの共有ドライブ、つまりWindowsのハードディスクのアイコンが現れ、そこにドラッグするだけでOK。グラフィックやビデオの容量の大きいファイルを移動するには、LANは本当に便利だ。ここまでは、すいすいと運んだ。

     今度は、仕事場の奥のWindowsマシンに移って、今し方送ったタイトルのQuickTimeのファイルを、Windows版の「MoviePlayer」で開こうとしたら開けない。Windowsの「MadiaPlayer」でもだめ。やはり、同じQuickTimeでもMacのファイルはWindowsでは通用しないのか、と思ったが、諦めるのまだ早いと、再びMacintoshに戻って、それを「MoviePlayer」で開いて置いて、「書き出し」コマンドで改めてQuickTimeのムービーファイルとして書き出して、これをWindowsマシンに送ったら、今度は開けた。Mac上でムービーアイコンが付いた一見QuickTimeムービーに見えても、QuickTimeムービーでないQuickTimeファイルがあるということになる。形が同じに見えて違う箱がある。俄然、ややこしくなってきた。

     まあなんとかWindows上で動いたから、これを編集ソフトの「Premiere」に掛けてビデオテープに出力してみようと試みたが、パソコンのディスプレイ上にカラーバーが出た後ぱっと消えておしまい。QuickTimeだからダメで、AVIファイルにすればいいかと試みたが、それでもダメ。この時はまだ、出力するにもボードのコーデックと圧縮形式を合わせなければならないのを知らなかった。QuickTimeで作ったファイルは「CinePak」というコーデックで、わたしのWindowsマシンのボードのコーデックは「MotionJPEG」だから合ってない。束ね方が違うと、出口から出せない。その出口をボードが決めているという、そのことに気が付くまで、2日間ぐらい本を見て、思い悩んだというわけ。

     さてそれから、今度はコーデックを変換するにはどうしたらよいかということだ。束ね方を変えるにはそれなりに道具が要る。編集ソフトには圧縮を設定するオプションがあるので、それを設定してビデオ出力してみたが、変わらない。どうやら、それは取り込むときの設定ということらしい。そこで、ビデオに出さないで、ムービーのファイルに出力するという仕方で、MotionJPEGのAVIファイルにしようとしたら、「Premiere」のAVIファイルの圧縮にはMotionJPEGのコーデックがない。その束ね方の道具が用意されてない。「MediaStadioPro」ならどうかと思ったら、こちらはQuickTimeファイルをサポートしてないのだった。今度は、QuickTimeという箱を扱えない。仕方ないので、「Premiere」で先ずQuickTimeのままMotionJPEGにコーデックして、それをAVIファイルの形式のファイルに作り直すという手順を取ることにした。もともとCinePakは元に戻せない圧縮だから、それをMotionJPEGで更に圧縮するということになるので、画像はがたがたにこわれてしまった。それでも、何とか、Macで作ったムービーを、Windowsからビデオテープに録画することが出来た。「CinePak」という束ね方で「QuickTime」という箱に入っていたムービーを、「MotionJPEG」という束ね方で縛り直して、「AVI」という箱に入れ替えて、ようやくビデオテープに録画できたという次第だ。こんなことは普通にはやる必要のないことだから、参考にはならないと思う。でも、これだけいろいろとやると、ビデオファイルというものが段々と分かってきた。こういう人があまりやらないことをして、面白がっているというのは、わたしの歪んだ性格のせいなんでしょうね。





  • 1998年12月2日

    19インチディスプレイを設置した。



      思い立ったら止められない、というのが猪年生まれのわたしの性格。先月の21日に秋葉原でいろいろとディスプレイを見て、24日にはもう、再び秋葉原に出掛けて行って、MITSUBISHIのRDF19NFという19インチのディスプレイを買ってしまった。SONYとEIZOとMITSUBISHIのどれか、と思って行って、結局MITSUBISHIにした。89000円のと105000円のとがあって、後のことを考えて、USBのポートがある105000円のにした。何軒か歩いて、現物が並べてあるLAOXで買った。

     売場で問題なったのは、ビデオカードのメモリのことだった。表示画面が大きくなれば、それだけメモりを喰うことは分かっていたが、何インチでどれくらい要るとは考えてなかった。先日買ったオーバーレイ表示が出来るcanopusの「PWR128P GTV」は4MBのメモリ。ところが、店員さんが言うには、19インチのディスプレイで16万色の表示するには8MB以上は要るということ。「メモリが足らないと、小さく映ることになりますよ」なんて言う。「ウソお!」と思ったけれど、ちゃんと映らなかったらしょーがないので、ビデオカード売り場に行く。なるほど、ビデオアクセラレータカードで4MBのは無くなっていた。そういえば、ディスプレイ売場にも17インチ以下のCRTのディスプレイは展示してなかった。ビデオカードは全部8MB、16MBのもの、それもAGPバスのものばかり。PCIバスの8MBのカードは手に入るか調べて貰ったら、製造してないとのこと。仕方なく、近くのパーツ屋を探して歩く。3軒目で、PCI用の8MBのメモリの「ZXR128P GTS」を見つけて購入。そして、再びLAOXに戻って、19インチのディスプレイを買ったというわけ。

     ディスプレイが届いたのは28日。さすがに19インチは大きい。ビデオのモニターも並べて置かなくてならない。そこで、仕事場の一番奥の隅のビデオデッキの脇に、ノンリニア編集コーナーを作ろうと思い立った。29日には、若い女性詩人たちの朗読会に行ったが、それを挟んで、昼間と夜は棚を作る大工仕事に費やした。久しぶりの電気ノコギリ、久しぶりの金槌、久しぶりの電気ドリル。頭の中では、詩と大工道具がごちゃごちゃになって、すこぶる気分が良かった。棚の足に、分解して取ってあった、20年以上も使っていたテーブルの足を使ったのも一興だった。

     ビデオカードを差し替えたコンピュータDELLOpitiPlexGXproに、UltraWideSCSIIのHDD、ディスプレイMITSUBUSHI RDF19NFとビデオモニターSONY PVM-14M1Jを接続しての起動に成功。早速、ビデオテープからハードディスクに画像を取り込んでみる。画面が大きいと余裕があっていい。でも、取り込んだ画像を画面一杯に表示すると、その荒れ具合が目立つ。やはり、ここでキャプチャーカードの真価が問われるということになるのか、と思う。それにしても、いやに音が大きいなあ、と思ったら、コンピュータのハードディスクの回転音が棚板を共振させているのだった。











       


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