1999年2月1日から28日まで


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  • 1999年2月22日

    伊藤聚さんのWeb詩抄を作る。



      伊藤聚さんの第一詩集
    「世界の終わりのまえに」
    1970年7月1日 思潮社刊

     このわたしのサイトの「詩の電子図書室」に、先月亡くなった詩人・伊藤聚さんの「Web詩抄」を作った。伊藤聚さんの詩を多くの人に読んで貰いたいという気持ちになって作った。聚さんには自分でホームページを開いてほしかった。絵の上手な聚さんだったから、見応えのある、独特の空間を作ったに違いと思う。伊藤さんが亡くなったので、それが叶わなくなった。彼の詩の独特な言葉のきらめきに触れてほしい。最近の詩集はまだ刊行もとの書肆山田にあると思うから、是非買って読んで下さい。

     伊藤聚の詩を読みこなすには、「こつ」が要る。一般に「現代詩」を読むにはそれなりの「こつ」が要求されるが、伊藤聚さんの詩を読む場合は、彼の言葉を渡り歩くための独特の「こつ」が要る。「現代詩」を読むときは、先ず詩全体を「私は…」と、大きく括って、その詩の言葉一つ一つのイメージを丁寧に思い浮かべて、辿っていけば、大抵の詩は読みこなせるが、伊藤聚さんの詩はそれでは足を踏み外してしまう。「私は…」という括りが要らない。小説を読むように、「これから、何かの話が始まる」という気持ちで、映画のシーンを見るように読み始める。しかし、筋が一筋ではないから、そこに注意が要る。幾本もの筋が一挙に絡み合って、詩全体が織物のように織り上げられる。別の言葉で言うと、伊藤聚の詩の言葉はイメージを喚起するだけでなく、シークエンスも喚起する。そのシークエンスをどう掴むかと言うところに「こつ」が要るというわけ。言葉が喚起するシークエンスを詩の表現の要にしたというところに、伊藤聚の表現の独自性があるといえる。わたしは、伊藤聚さんの詩を読み返して、この「シークエンス」というところに、言葉の表現の別の地平が開けてくるような気がして、嬉しかった。

     これから、伊藤聚さんの詩に取りかかったのをきっかけに、「現代詩」について、自分がやってきたことも含めて、考えてみようと思う。伊藤聚さんの詩を読んで、感想を持たれた方は、わたしにメールして下さると嬉しいです。


    志郎康へのメール宛先:srys@catnet.ne.jp



  • 1999年2月12日

    辻和人君と「内面」についてのメールのやり取り。



      水仙の鉢に残っていた雪

     11日に東京に雪が降った。わたしは午後、京橋の近代美術館フィルムセンターの小ホールで、写真家の大辻清司さんのフィルム作品「キネカリグラフ」と「上原2丁目43番地」を巡って、写真家の高梨豊さん、近代美術館の増田玲さんと話をしていたので、雪が降っていることを知らなかった。帰りの自動車で宮城前広場まで来て、芝生にうっすら積もっているのを見て、始めて気がついた。家に帰って、水仙の鉢に残っている雪を写真に撮った。

     2月1日のこの「曲腰徒歩新聞」に、「内面」ということについて書いたら、若い詩人の辻和人君からメールが来た。内容を詳しく書いて貰って、ここに掲載しようと思い、その旨返事に書いたら、詳しく論じた返事が来たので、わたしの返信とともに此処に掲載します。わたしにとっては、彼の考え方も驚きだった。考えを交換するのは面白い。

    ☆辻和人さんからの一通目のメール
    1999年2月4日4時

    鈴木志郎康先生

    寒さがつのってまいりました。いかがお過ごしでしょうか。 「内面」に関する映画のお話、とても興味深く拝見致しました。 ぼくは最近、「個的なものが公的なものに即反転してしまう時代 が来た」という考えにとりつかれているところです。善と悪、正義 と不正といった物事を判断する観念が暗黙のうちに、個人対社会、 個人対国家という図式の下で機能していた時代というのは確かに あったように思います。戦後生まれの社会システムがそれなりに 整備されるまでは、国家はしばしば余りにもおおっぴらに個を抑圧 しましたし、それに対抗して「全体に対して個を擁立する」芸術作品 が制作される根拠が確かにあったように思います。そのラディカルな 傾向の作品群がいわゆる「前衛芸術」であったわけで、それらの作 品の特徴は、「悪である社会システムに埋没したフツーの人々には 一見わかりにくいことによって、社会システムに反抗するポーズをわ かりやすく示していく」あるいは「一見難解であるこれらの作品をわか ろうと努力することによって、人民は、悪である社会システムから救わ れる」イデオロギーをその深部に隠し持つことにあったのではないかと 思われるのです。乱暴を承知で言えば、善悪の対立が多元化して個 人対国家の二項対立に還元しにくくなった時、「前衛」はその役目を終 えたのではないでしょうか。難解であること自体がコミュニケーションの 条件として機能した、そんな時代が終焉を迎える予感が出始めたまさ にその時に、先生は「やわらかい闇の夢」をお書きになられたのではな いでしょうか。「個対全体」の図式が、今や「個対個対個対…」あるいは 「個対群」という図式にシフトしつつあるように思われます。そしてその各 々のバラバラで孤独な「個」を強烈に統一するものが「体験を共有してい なくても表現様式の意味さえ共有できるのなら個の想いの共有は可能」 あるいは「流通している表現様式に乗って個もまた流通する」あるいは「 共有化された個は共有化されたその時点での絶対的な善を表現する」 イデオロギーではないでしょうか。ある個人にとってものすごく切実な問 題は、それがどんなに私的であって他人にはどうでもよいと思われる内 容であっても、ある表現様式に定着し流通した時点で、その表現様式の 意味合いを理解する者なら誰でもそれを「公的観念」として認めざるを得 ないものとして自立することとなるわけです。私的なものが、個対個…の 関係性が、対社会という壁を素通りして、表現様式を間に挟むだけで公 的なものに転換してしまう。面白い時代に生まれてきたものだなあと感じ てしまうのです。ぼくが今書いている作品は、「主人公の人物が夜中に 偶然鏡に映った自分の耳を見てしまった、その見てしまったという概念自 体が主体化・人格化して、逆に主人公を導いていく」というものですが( こう書くとサッパリわかりませんね、すみません)、極端に私的な観念が 詩の言葉という表現様式を蓑にして一気に公的観念に「昇格」することを もくろんだものです。この場合の「私的な観念」というのは、詩を書くという 局面を経るのでなければ、当の詩人の「私」にとってさえも何の価値もない 観念です。「我流通す、故に我あり」とでも言いたい感じなのですが、内容 が荒唐無稽だからといってぼくにとって切実でないことは全くありません。 逆に泥臭いくらい切実です。その意味で内面というものは個人に自明のも のとして備わっているというよりは、個人とメディアの独自な関係性そのもの に包含されるものであるといった方が適切な世の中になってきた気がします。

    辻 和人

    前にメールでお話したことのある写真家のサイトウノリコさんの個展が、現在 赤坂の東京写真文化館の5階で開かれています(20日まで)。今日見にい ってみたのですが、余りの鮮烈さに驚くばかりでした。少し前に作者本人にも お会いしたのですが、ノートにぎっしり芸術に対する考えなどをつづっていて、 タダ者ではないなと感じさせられました。お時間があれば是非とも足をお運び くださいませ。


    ☆わたし(鈴木志郎康)の返信メール
    1999年2月4日13時

    辻 和人様
    前略 「曲腰徒歩新聞」の記事について、お考えを聞かせて下さって、ありがとう。辻さんの「前衛芸術」の成立の根拠とその役割の終了、それ以後の表現のあり方についての果敢な取り組みなどに、大いに興味を懐きました。どうも、歳を取ったせいか、直ぐに手摺りに掴まりがちなわたしには、辻さんの急勾配な道筋が辿り切れませんでした。今度作る映画の内容に参考にしたと思いますので、もう少しなだらかな言葉運びで、お説を聞かせて下さいませんか。よろしく、お願いします。できれば、Web上に公開できれば、と思いますが。 ではまた、草々

    ☆辻和人さんからの二通目のメール
    1999年2月11日9時

    鈴木志郎康先生

    返事が遅れてしまって申し訳ありません。では、前にお出ししたメール の内容を、もう少し整理してここに記そうかと思います。 先生は今、「内面」に関する映画をお作りになられている、ということで したね。「内面」は表現を行う根拠として個人に自然に備わっているもの とお考えになられていたのに、映像科の生徒さんが作品の中に「内面君」 という人物を登場させ、個人が因って立つ自明な根拠であるはずのもの を相対化した、それが驚きにもなり刺激にもなった、ということでした。 ぼくには「内面君」の登場は起こるべくして起こった表現上の事件だった ように感じられます。先生が「るしおる」33号にお書きになられた論文「詩 の包括的シフト」には「詩を書く意義」として「『詩人』は職業ではない。『小 説家』とは違う。そのことによって、『全体』に対して『個』を自立させ、擁立 する。その『個』を普遍化する」とありました。詩人は今後も職業にはなりに くいでしょうし、「個」の普遍化は表現者にとって課題であり続けることと思 いますが、「『全体』に対して『個』を自立させ、擁立する」の所がこれからは 変わっていくんじゃないかと思うのです。

    「内面」をまずは、個人が「善」や「真理」、「正義」を志向する際に物事を考 える心の基盤となるもの、と定義づけてみましょう。サドのような「悪」や「不 道徳」の思想家の場合も例外ではありません。サドは言わば「悪と世間で考 えられていることを敢えて為すことが真理の探究の道を行くことであり、よっ て善である」と考えたのですから。フツーの日常生活を忙しく送っている最中 に「内面」の影は薄いはずです。無意識の作用や「内心」思うという行為は存 在しても、自我の根拠を改めて問う善意識としての「内面」を濃厚に持ち続け ることは日常生活を送る上では極めて困難でしょう。表現という、自己の存立 の根拠を改めて深く問う場でのみ、「内面」は存在するのです。そしてその時 「個人」は、世間がそして周りの人が何と言おうと、自分が究極的に「良い」と 感じたものを心ゆくまで探求し、形式化して他人に手渡してよいのです。「内 面」の問題だからこそ、そこでどんなに過激なことが為されても罪に問われる ことがないのです。これが「表現の自由」という奴ですね。「行為」を軸とした日 常生活の論理と「内面」を軸とした表現の論理は別モノだということです。

    さて、「善」の自由な探求の場である表現の場において、「内面」はどう振る 舞ってきたのでしょうか。今までは確かに先生のおっしゃるように「『全体』に対 して『個』を擁立する」傾向が圧倒的だったと言えると思います。戦中はもちろ んのことですが、戦後になっても、戦後生まれの社会システムがそれなりに整 備されるまでは、国家はしばしば余りにもおおっぴらに「個」を抑圧してきたよう に思います。歴史の知識に乏しいぼくのような者でも、すぐに幾つかの、既に 単語と化した事件の名を思い浮かべることができます。日本が(そして世界の 諸地域が)資本主義というイデオロギーを本格的に導入しようとしたこの100 年間は、資本主義を推進する側と、資本主義と相容れない原理に生きる人々 の側との壮絶な戦いの時代だったのではないかと言えるような気がするので す。戦前から「戦後」と呼ばれる時期に、「『全体』に対して『個』を擁立する」 傾向の芸術、つまり「前衛芸術」が盛んになったのは確かな根拠があったのだと 思います。これらの作品群は、「資本主義と相容れない原理を善とする」考え を持つ表現者によって制作されたものが主だったのではないでしょうか。「前衛 芸術」たちは、ケージの偶然性の音楽にしても、ポロックの抽象表現主義絵画 にしても、そして我が現代詩にしても、「難解さを誇示するスタイル」とでもいっ ていい外見を一様にまとっています。日常生活を送る上での一般常識に則ってい ては表現者の意図を察知できないようにわざと作られている。「前衛芸術」が一 般的に「わかりにくい」のは、表現者が一般の人には理解できないような内容の ことを考えているからではなく、「わざわざわかりにくく作られているから」です。 簡単にわかってしまうようでは「芸術失格」なのです。国家の選択した社会シス テムが資本主義(戦前の日本の場合はむしろ軍国主義ですが)に侵されつつあ る時、反・資本主義の側に立つ表現者にとって「全体」は「悪」であり、個々の人 民を「悪」である「全体」から救い出す必要を感じたのではないかとぼくには思わ れるのです。「資本主義ー社会システム」=「全体」=「悪」という構図です。「 悪である社会システムに埋没した体制側の人間には一見わかりにくいことによって、 社会システムに反抗する姿勢を人民にわかりやすく示していく」或いは「一見難 解であるこれらの作品を理解しようと努力することにより、人民は悪である社会 システムから解放される」というイデオロギーが暗黙のうちに芸術家の間で、特 に60年代と呼ばれる時代を通じて、信奉されていたのではないでしょうか。それ はもちろん、芸術家たちが、反・資本主義の側で戦う同士としての連帯感を仲間 に対して持っていたからでしょう。それを鑑賞者たる大衆の側も十分承知で、「難 解」を喜んで受け入れていたのでしょう。

    乱暴を承知で言えば、「戦後」後、社会システムがある種の成熟を見せはじめた 時、「前衛」はその役目を終えたと言えるのではないでしょうか。資本主義の浸透 により個人は前より物質的に豊かになり、同時に善悪の対立も多元化し始めて、 社会システムもあからさまに理不尽な暴力を人民に対してふるうことが少なくなっ てきます。国家が人民を抑圧することを止めたのではないでしょうが、恐らく国家 の側でも、「反体制」という仮想敵を見失っている。膨張する資本主義の流れに振 り回された挙げ句、時に「抑圧」や「暴虐」の名に触れる行為を人民に対してしで かしてしまい、糾弾されることにおどおどしているようにさえ見えるのです。「全体 」を悪として決めつける根拠を失い、個人対国家の二項対立が解消され、難解であ ること自体が逆説的にコミュニケーションの条件として機能した表現の時代が終 焉を迎える。そんな時期に先生は「やわらかい夢の闇」をはじめとする「平易な詩 」を書き始められたのではないでしょうか。これらの詩編は個々の事物をひたすら丁 寧にスケッチし、見つめ返すことで事物の関係の異常性を丁寧に発見し、事物を 支える一般的な概念を丁寧に転倒させてしまうことをもくろんだものと言えると思 います。だからと言って、一般的な概念の代わりになる何か別の強い概念を差し 出すわけではなく、まばたきでもすれば消え去ってしまう程微量の別概念が一瞬、 作者と読者の間を走り過ぎていくだけ。目の前にある物と頭の中にある妄想を等 価に並べ、そのどちらも相対化してしまうこの詩集の手法はまさに、「内面君」を 準備するもの、むしろ胎内の「内面君」とさえ言いたい程です。ここで「個対全」の 関係は「個対個」の関係にシフトしていったように思えます。「人民は個の集合に過 ぎない」し「社会システムは仮想のものでしかない」だから「ある時空における個の 快不快が個にとって世界の全てであるが、それは永続するものでなく、従って普 遍的な善を表明せず個自身の快楽を追求することが善」というイデオロギーが成 り立っていたのではないでしょうか(先生の論文の中でこの時期の先生の作品が 時代のターニング・ポイントのサンプルとして取り上げてられていないのはとても 不満ですね)。

    そしていよいよ現在、「相対化」の時代を潜り抜けた、「個の絶対化」の時代がや ってきたわけです。メディアの異常発達により、実体験を共有していない者同士で もメディア上の間接体験さえ共有していれば奇妙にわかりあえてしまう時代が来た 。ウルトラセブンのあの話はどうだった、とかいう「たかがフィクション」に過ぎな い話題がかけがえのない幼年時代の思い出のように語られ、語り合う者同士のうちに濃密な感情が共有されるわけですね。たまたま観ていない者がいると、その人間は普段いくら親しく付き合っていようと「カヤの外の人」になるほかない。更にパソコン が普及してくると、全く知らない者同士が、ちょっとした趣味の一致が基で親や親友にすら話さないような個人的な秘密や悩み事をあっさり打ち明けてしまったりする。インターネットが間に入らなければ決して成立しないコミュニケーションというものが発生してくるんですね。少し前にテレビ番組を観ていたら、彼氏が欲しくてインターネットを始めたら、彼氏はできたけれどインターネットでの交通の方が面白くなってしまって、またネット上で話し相手を探し始めることになってしまったという女の子が登場しまして、なるほどなと思いました。コミュニケーションの手段さえ共有できれば個の想いは共有される。その時、個の「内面」は個の実態からいくら離れていてもいいわけです。気の向くままに好きな仮面をかぶっていれば。言い換えれば、かぶる仮面の選択に個の「善」への意志が見えるということです。相対化されバラバラになった孤独な表現者の「個」は、メディアのあり方の影響を受け、「体験を共有していなくとも表現様式の意味さえ共有できるのなら個の想いの共有は可能」であり、「その時共有化された個の想いはその時点での『絶対善』を表現する」というイデオロギーを形成しつつあるような気がするのです。こうした、かぶる仮面によって全く異なった(時には矛盾しあう)性格を表現する「善」への意志のことを、学校の生徒さんは「内面君」と呼んだのではないでしょうか。あるB人にとってある時点でものすごく切実になった問題は、それがどんなに私的であって他人にはどうでもいいことであっても、また「私」自身にとってもさえじきどうでもよくなることでも、あるコミュニケーションへの意志を現す表現様式に定着した段階で、その表現様式の意味合いを理解する者なら誰でもそれを「公的観念」として認めざるを得なくなる、そんな表現の時代が到来したのではないかと思います。全く私的なものが、対社会という壁を素通りし、表現様式を間に挟むだけで公的なものに昇格してしまう。面白い時代に生まれ合わせたものだな、と思います。「内面」というものは個人に自明のものとして備わっているというよりは、個人とメディアとの独自な関係性そのものに包含される性質のものであると言うのが適切な世の中になってきた気がしているのです。それ自体「個対個対個対…」の関係を孕み持った「個」が、それが別の「個対…」の関係を孕んだ「個」に働きかけ、累乗化して国家や社会システムとは違った「群」を形成していくことができれば更に面白いのになと思っています。

                 辻和人


    ☆二通目のわたし(鈴木志郎康)の返信メール
    1999年2月12日0時

    辻和人様
    前略 お忙しいところ、わたしの我が侭な要望に応えて下さってありがとう。お考えを幾分なだらかに述べて戴けたので、どうにか辿ることは出来ましたが、やはり躓いてしまうところがありました。
     辻さんが「内面」を個人の「善、真理、正義を求める心の基盤」と定義されていることに、わたしは先ず驚きを感じてしまいました。わたしとしては、精神とか心とかと言わないで、「内面」とういう言い方をしたのは、個々の人が育つ間に身につけた考え方や感じ方や行動の仕方を基盤にして、そのときその人が何を大切に思っているかというところ、というように考えていたからでした。善悪とは関係なく、人が誰しも持っているものと思っていたのですが、人によっては随分違う考え方をするのですね。
     そして次に、「全体」が悪で、「個」が善という考え方も、なんだか変に思えて、躓いてしまいました。此処で躓いてしまったので、「前衛芸術」が悪の「全体」から善の「個」を救う「難解」の衣装を着たスーパーマンだったというお考えはほとんど全く理解できませんでした。たしかにわたしは、詩について、その表現は社会全体に対して個人を主体として擁立するものだ、という考えも持っています。しかし、それは悪の社会から善の個を救うというようなものとは考えません。社会的に通念として流通している美的価値観に対して、個人の美的価値観を自分の言葉で表現することによって擁立するところに詩の表現は成り立つものということで、分かりやすくいえば、ありきたりな表現では人々から固有な表現として支持されないし、愛読されることもない、ということなのです。そのとき表現が分かり難くなるのは、表現者が自己の感受性や思考に忠実であろうとすれば、互いに人間であるという信頼の上に、表現の真実性を求めることによると考えます。けっして、難解さを誇示し、独りよがりでいい気になっているわけではなく、理解されない孤独を耐えて、やがて、その表現されたものを互いに共有できる喜びを待っているものと考えます。このことは、イデオロギーが目指した制度の到来に対しての役割を名指した「前衛」とは全く関係ないとと思います。
     さて、それから、「個対全」の関係が「個対個」の関係に変わったというあたりも、辻さんは表現意識のあり方と人間関係のあり方を混同されているように思いましたが。表現意識のあり方は、以前以上に個人が自分の表現によって全体的存在になるところを目指す人が多くなったように思いますが。
     そして、「「個の絶対化」の時代がやってきたわけです。」のところに来ると。またまた、辻さんの言葉は急上昇を描き始めて、わたしの体力ではとても辿れるものではなくなりました。実体験無しでも理解し合えるということ、確かに、大昔の人が書いた文章でも、外国の人が書いた文章でも理解できますよね。それが絶対的に善いことだと、そうです。でもどうして、それがイデオロギーになるのでしょうか。コミュニケーション媒体が個人を取り巻く環境で行き渡って、以前なら表現形式を持たなければ伝え得なかったことを、容易に伝えられるようになるとは考えられますが、そこで表現様式やその内容も変わると思いますが、だからといって表現の持つ意味合いは変わらないと思います。つまり、そうした環境、個人の表現が容易になると言う環境では表現が個人という主体を擁立するということは、ますます、大きな意味を持つようになると思うのです。
     わたしが今度、「内面のお話」ということを映画にしようという思いを持ったのは、アクションとは違う何かをイメージにしてみたいという感じですね。分かり難くいうと「人が話す言葉という身体」で人は生きているんじゃないかなあ、「人間て、うそを付ける動物なんですよね」という語り出しはどうかな、とか、というところですか。
     最後になりましが、このわたしの返信メールまでで、Webに掲載したいと思います。ご返事を戴いたことで、Web掲載のご承諾を戴いたものといたします。ありがとう。ではまた、草々


    ☆辻和人さんからの三通目のメール
    1999年2月12日5時

    鈴木志郎康先生
     拙文に対し、丁寧なご批判ありがとうございました。 自分としても余り考えが整理されていない所の内容 のことをいっぺんに言おうとしてしまって、論が極端 になってしまった感じです。物事をよく整理して考える ことの訓練の足りなさを痛感させられました。反省し ています。

     それを承知で先生の述べられたご批判に多少とも お答えしてみようかと思います。
    まず、この文は表現における「内面」の現われ方の 変遷を、時代の中での人間関係のあり方と関連づけ て「図式化」することに重きをおきました。「内面」を 「善」を志向するものと敢えて定義したのは、「図式 化」に便利だと考えたからです。先生は内面に関し て、「個々の人が育つ間に身につけた考え方や感じ 方や行動の仕方を基盤にして、そのときその人が何 を大切に思っているかというところ」とお書きになって いらっしゃいますね。まさしくぼくもそう思いますし、自 分が詩を書く際にも仰々しい「善」だの「悪」だのという 概念はなるべく振り払い、直接間接の自分の体験を 見詰め直すことに終始するようにしています。ただ、こ こで「善」「正義」といった言葉を敢えて使ったのは、 日常生活を送る上で様々なことを感じることと、それを 作品にして表現することは少し違うな、と感じたからで した。つまり、感じたこと諸々の中で表現に値すると思 われた事柄を選別し、価値づけするという工程が入る。 感じた諸々の事柄の中で、これは自分自身を表現する ものとして信じられる、他人に「これは自分だ」といって 表明するものとして信じられる、表現者はそうして選別 し価値づけたものを「作品」に結晶させるのではないで しょうか。ぼくはそのことを「善」への意志と考えるので す。ただ思うだけでなく、「これは他人に本当の自分だ と言えるものだ」と思えることを思うこと、このことの変 遷を図式にするのに「善」という今時聞きなれない言葉 はかえって有効かと思い、キーワードとして使ってしまっ たわけなのです。
      そして次の「全体に対して個を擁立する」の所ですが、 表現の中に「本当の私=善なる私」がいるとすると、当 然その外に「偽の私=悪である私」が存在することにな りますよね。この場合の「善」とか「悪」とかも、道徳的な 基準としての善悪とは関係ありません。世間的なしがら みを越えた場で、心ゆくまで「真の私」を表明することに よって生活を浄化していくというのがぼくが表現に対して 持っている像で、「浄化する」からには「浄化される」もの があるはずで、それは「全体」というものに埋没してしまっ て個性を失いがちな私、「悪としての私」ではないかと思 うのです(これも説明不足であったかもしれませんが、ぼ くは表現というものを何らかの意味で日常と対立するもの だという考えを持っています)。「個対全体」のくだりで推 測したことは、ある時代状況においては、今言ったような 意味での個人の「悪」が個人の外で現実に存在する社会 悪というものと重ね合わされることが多かったのではない かということです。社会状況が過酷な時に、社会問題とい うものが個人の内面の問題と交差し合うのはとても自然な ことだと思います。そしてぼくの考えでは「前衛芸術」とい うのはやはり、意図的に難解さの衣装をまとうことを特徴 とするもののように見えるのです。「ありきたりな表現では 人々から固有の表現として支持されないし、愛読されるこ ともない、ということなのです。そのとき表現がわかり難く なるのは、(中略)表現の真実性を求めることによると考え ます」の先生のお言葉には全くもって賛成です。ただし、 それは「前衛芸術」後とぼくが考える現在という時代でも 変わらないことです。ぼくはこの部分で、ある時代に特有な 表現様式であった「前衛」スタイルの芸術についてのみ通用 した特徴について書きたかったのです。これから一般常識の くつがえった世界に入りますよ、というメッセージを、意味をス トレートに伝えない外見によって、明確に鑑賞者に伝えること。 これは、社会状況がいかに過酷であっても表現の場におい ては個人の完全な自由が保証されているものだ、という思想 の存在を物語っているように思えて仕方がないのです。個人の 自由なんて今では当たり前のように思われていますが、「前衛 芸術」の力なしには、個人の自由の尊さというものは一般化し なかったのではないかと思われるのです。個々の表現者が 個々の関心事を追求すると同時に、この一点においては意識 を共通させていたような気がするのですね。そのことを「人民に 対する善の普及」というような感じの言葉で言い表していたと 思います。芸術家が一般人より高みに立って教化していく、と いうことでは全くありません。芸術家が鑑賞者一人一人に対し 自己の胸のうちを明かす孤独な作業の中に、「完全な自由」の 存在をアピールしたい気持ちが共通していた、ということです。 ただし、話を図式化して示すために鑑賞者のことをあえて「人民」 と呼んでみました(これも今は聞きなれない言葉ですが)。表 現者と鑑賞者は、あくまで違う立場に立っておりお互い相容れ ない場合が少なからずあると思えたため、突き放した印象を与 える単語を使ってみたかったのです。
      次に「個対全」が「個対個」の関係に変わっていた、というとこ ろのことですが、ここも社会的な人間関係の変遷から推測した 図式の提示です。主に70年代に書かれた詩作品を念頭にお いているのですが、このあたりから詩が「私」にまつわるディテ ールにひどく固執し始めたように思われたことをぼくは面白いと 思っていました。詩人がマス・メディアを意識した活動をし始めた のが70年代末頃のことだったかと思います。ぼくはこの時期か らいわゆる現代詩を読み始めたのですが、詩人が大衆を意識す ればする程、大衆やマス・メディアの方では詩人にそっぽ向き始 めた印象を受け、不思議に思っていました。大衆を意識した詩人 たちが書くものは彼らが期待する程大衆に受け入れられていない ように思われましたしその内容は少なくともぼくには全く興味を 抱かせてくれないものでした。またぼくが興味を寄せていた「私詩」 を書く詩人たちは(中村登さんたちのことを言っているのですが)、 一般文芸誌はおろか専門詩誌からさえ無視されているように思え ました。こういう「私詩」を誰が読むのだろう? こうした生活のあり 方と専門化し始めた現代詩の形式の両方に共感を抱ける人以外 は読者であることは難しいのではないか、そう思いました。大衆 に向けての表現を考えていこう人が出てきたことも、芸術が大衆性 を失い始めてきたことへの警戒感からのように思えるのです。大衆 芸能と自己表現が受け入れられ方の面で大きく乖離し始める。社会 的にも幾つかの大きな闘争が終息してしまった時期ですよね。「個人 の自由」も一般化されて獲得するものではなくなってしまった。表 現者は自分自身と孤独に向き合うしか仕方がなくなってしまった。 だからこそ「個人が自分の表現によって全体的存在になるところを 目指す」のかもしれませんが、その「全体的存在」を受け止められる のは、作者と同じくらい孤独な「個」でしかないのではないでしょうか。 それは全体というものを見失っていく中での「個対個」の共犯的な関 係と言いきってしまってもいいのではないかと思いもするのです。 最後の「個の絶対化」の話は確かに読み返すと論理の運びがひど く乱雑で、読むに耐えないものになってしまっているかもしれません。 イデオロギーという言葉は確かに適切ではないですね。これは訂正し なければなりません。ただ、既存のメディアだけが作品の発表の場で はなくなったという意識の広がりの影響は無視できないものがあるよ うに思われます。自前のメディアで気楽に発表ができる、ということは 媒介者を経る気苦労なしに作者としての自分を自由に演出していける ということではないでしょうか。アンビエント・ミュージックと呼ばれる電 子音楽の作り手の中には、手がける音楽の種類によって、自分の音楽 に違うバンド名をつけて発表する人がいるようです。「表現が個人とい う主体を擁立することは、ますます、大きな意味を持つようになると思う のです」には全く同感で、出版社やレコード会社のような芸術家を守っ てくれる存在がないところで、個人が作者としての自分に対して責任を 持たないで誰が守ってくれるというのでしょう。しかし、情報手段の発達 は個人の主体意識、「内面」を変質させるということがあるのではないか と思われるのですが。異なる複数の相手に対し、複数の主体を演じるこ とができるのがインターネットによるコミュニケーションの特徴ですよね。 もちろん、切実な問題を切実だと思うのは唯一無二の「個」以外ではあり ません。しかし、ぼくの定義では「これが他人に、本当の自分だと言える ものだ、と思えるもの」をもって「内面」と呼ぶことにしており、「無意識や 内心感じたこと」とは区別して使っています。この区別が、表現を行う上 ですごく有効になってくるんじゃないかというのが今回ぼくの言いたかっ たことなのです。複数の自分がいるわけではないけれど、複数の役割を 演じ分けているのが日常生活での主体の振る舞いだと思います。ネット 上だとこの使い分けが実生活では考えられないくらい多く、また、意識 的に行えますでしょう。80歳のお年寄りが死ぬまで15歳の少女とし て、複数の人間の中で生きることもできます。初歩的なパソコンの操作 もマスターしていないぼくがネット論をぶつのは100年早く、釈迦に説教 なのですが、フツーの人間が生活のある時間を演技者としておくること が日常化する可能性を持つ社会に生きるということは、表現意識に何ら かの変革をもたらさないではないような気がするのです。極端に言えば 複数の「内面」が物質のように携帯されるような感覚…。
     またとんでもない方向に話が行ってしまいましたのでここで終わりに 致します。本当に、わかりにくくかつ未整理なことを長々申し上げてすみ ませんでした。このメールはもちろん「私信」ですので、アップデートは 結構です。またいつか何かご教示いただければ幸いです。ありがとう ございました。

                    辻 和人


    ☆三通目のわたし(鈴木志郎康)の返信メール
    1999年2月12日10時

    辻和人様
    前略 素早いご返事、ありがとうございます。昨夜メールを送って、朝開いたらご返事が来てました。面白いですね。「図式化」のところは、わたしにはまだちょっとよく分からないところですが、ようやく辻さんの「内面論」が語られたと思いました。この部分がないと不完全になってしまう判断しました。従って、「私信」というお断りがありますが、是非とも掲載したいと思います。もし、どうしても駄目とおっしゃられるのでしたら、直ちに削除しますので、ご連絡下さい。よろしくお願いします。ではまた、草々

    ☆2月13日に辻和人君からメールが来て「返信の方も載せていただけて、やはり良かったです。」という言葉を貰った。そして
    「メールというのは楽しいものですね。昨夜鈴木先生のメールを受け取って、夜中だというのに(そして翌日出勤というのに)興奮して夢中になって返信書きに取り掛かってしまいました。考えがある程度まとまったところですぐ相手に伝えるルートをつけられるという辺りが何とも快いです。」
    とも、書いてあった。この直接性を考えの中に生かしていきたいと思う。



  • 1999年2月8日

    タマニブ・ゲイガクの連日の発表会。



      映像コース三年生の発表会チラシ

     わたしの勤め先の「多摩美術大学二部芸術学科」(この四月からは「造形表現学部映像演劇学科」となります。)、通称「タマニブ・ゲイガク」では、一月の末から二月に懸けて毎週連日のように映像作品、舞台上演、インスタレーションの発表会が開かれている。1月16日、17日に三年生の演劇の公演、22日、23日、24日に二年生の映像作品とインスタレーションの発表会、28日から30日まで両国のシアター「×(カイ)」で四年生の卒業公演と写真を含む映像作品の発表会、二月に入って3日、4日と一年生の演劇と写真、映像の発表会、そして最後に三年生の映像、写真の発表会が6日と7日にあった。わたしはそれらの作品を一渡り全部見た。結構しんどいところもあるが、多変なエネルギーを貰った。そして更に若い人たちの感性に触れて一層、その表現欲に引き込まれて行く。

     先生的な言い方をすると、「今年は収穫があった」と思う。特に、演劇を専攻する方に。三年生がミヒャエル・エンデの3時間をこえる「遺産相続ゲーム」に取り組んだのには驚いた。演出を指導した萩原朔美さんも「よくもこれを選んだね」というよに、学生たちがこれを選び、大学の映像スタジオ一杯に古い城館の装置を組んで、観客もその中に入れて、最後には謎の言葉の紙切れが床に積もるほど降りしきるという仕掛けで上演した。役者もスタッフも脚本が持っているメッセージを伝えるというより、見せ場を作る方に向かっているというところが面白い。
     シアター「×」で上演した四年生の「夢みる蜜柑と嘆きの皮と」は、学生の大竹 直君の創作劇。会社員だった父が死んだ後の家庭を舞台に、息子や娘たちが父の記憶に引かれながら、自分たちの生きる道を探し求めているというところを、喜劇風にまとめていた。息子は自分の言葉を求めて詩人になると言って旅に出て交通事故で死んでしまう。長女は味付けなどの日常の細部と人の心の微妙なやりとりに心を砕くが、次女は自殺したミュージシャンに憧れて感情をむき出しにする。三女はひたすら自分だけで、自分を輝かせる役者のなるという。母親は祖父のジュースにするという蜜柑を大量に剥きつづけ、祖父は死んだ息子の記憶におぼれて、ぼけていく。家族の思いはそれぞれバラバラ、先は決して明るくない。それを自覚してますよ、という作品。

     映像作品では、4年生の荒牧亮子さんの「羽のある瑕」が映画で自画像を描くという点で、スタイルを整えて自分探し映画をやや超えて面白く出来ていた。自分が死んだという仮定で、親しかった人にインタビューして自分のことを語って貰い、その幼い頃の記憶を現在の自分が再現するとういうシーンと組み合わせている。自分にしか関心がないという意識を臆するところなくストレートに出しているところがいいと思った。多分見る人の中には反発を感じる人もいるだろう。でも、わたしからすれば、今は自分にしか関心が持てなくなっている時代、素直でいいんじゃないかと思うが、先が大変だなあ、とも思う。
     一方、同じ4年生の山本遊子さんの「hiro」は、彼女の知り合いの女性たちに自分たちが関係した男について「hiro」という名前に置き換えて語らせ、それを組み合わせて一人の男の人物像に仕立て上げるという作品。これは、20001年に、そのhiroという男が心の空白を埋めるために、自分が過去に関係した女たちの話をビデオで見るのが習慣になったいるという構成になっている。現在を過去化して、過去に向かうベクトルの中で現在を見るというマイナス符号つきの自画像という虚構を作っているわけ。自分中心という意識から何とか距離を取りたいと思いながら、自分という意識しかない地点で堂々巡りしているように見える。

     二年生の坪田義史君の「ラジオライフ」についても新鮮に感じたところを報告したいが、これはまた別に書くことにしよう。こういうがむしゃらに作っている連中の作品に触れていると、その他の作品を見ようという気がなくなったくるのは、いいことなのか、どうか、分からなくなってくる。その気持ちの、ここがいいんですよ。





  • 1999年2月1日

    ようやく咲いた冬のバラ。




      BolexELで齣取り撮影中

     堅い小さな蕾がようやく花開いた。もう咲くかな、と思って、1月の18日に齣取りの装置をセットして撮影を始めてから2週間経った。一昨日、フィルムがアウトして、開花するところを危うく撮り損なうところだった。セットするとき、一度カメラを開けて、フィルムの装填を確かめたので、フィルムの残量とカウンターの設定が違ってしまっていた。寝る前にそれを思い出して、電灯を消した部屋の中で、ダークバッグをかぶせてフィルムの残量を指で確かめたら、カウンターではまだ残りがあるなずなのに、実際には無くなる寸前だった。慌てて、フィルムをチェンジした。

     齣取りは、日の出前から日没後まで、3分に1齣でシャッターが切れるようにセットしてある。上映する時間にすると、一日で15、6秒分になる。蕾がほころび始めて、3、4日ぐらい掛かったから、1分間ぐらいで開くことになり、かなり緩慢な動きになるだろう。この長さでは、映画の中で使うには、使い方が難しいという感じがする。とにかく、花や窓からの眺めを齣取りし始めるところから、わたしの例年の映画制作が始まるのだ。

     今年の映画は「内面のお話」という題にしようと思っている。人が生きる思い。昨年、多摩美の4年生前期の「志郎康ゼミ」で、学生諸君にスクリーンプロセスの前で作り話を語らせ、それを16ミリフィルムで同時録音撮影した。それから、秋には、わたしが費用を全額負担して、昨年卒業した西村太郎君に「内面」ということをテーマにした20分ほどの16ミリ短編映画「誰かのオレンジ」を作って貰った。この両方を取り込んで、それにわたし自身の語りの部分を加えて、作品全体を構成しようと考えている。

     「内面」というテーマの出所は二つ、一つに、実は長尾さんがわたしの「詩の包括的シフト」について書いた『詩的日乗』の文章「鈴木志郎康「詩の包括的シフト」を読む」を読んで、自分の考えがちゃんと書けてないと感じたこと、またもう一つ、西村君が2年前に作った映画「エロタブ」で、わたしが講義で使った「内面」という言葉をそのまま「内面君」という名前の人物にしていたこと。わたしは、当たり前のように、詩を書くにしても、映画を作るにしても、それが直接的に作品の内容になるかは別として、その創作の根拠は作者の内面にあると思っていた。そして、今でも創作の動機として「自分=内面」という考え方を取っている。しかし、二人の反応では、その内面というところで、わたしが思っているところとズレがある。それを「一つの領域」として踏み込んでみたい、というのが、今度制作映画の動機になってる。



     

       








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