1999年5月1日から31日まで


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  • 1999年5月30日

    気分の引っ込み線。



      紫露草の花


    先週は、雨が降ったり、風が吹いたりで、天候の変化があった。特に27日は雲行きが速く空がきれいだった。前日、いつも持ち歩いている肩掛け鞄のストラップが切れたので、鞄を買え換えるために銀座に行った。その鞄屋がイタリアから輸入しているという、その鞣し(「THE ORIGINAL TANNING NATURAL BAG」とスタンプされて、ナンバーが打ってある)とデザインが好きで、いつもそこで買っている。ストラップが切れた鞄は、そのとき持っていかなかったので、後で修理に出すとして、今回はやや大きめのものを買った。そこから、久しぶりに銀座通り、日本橋通りを歩いて丸善に行った。蒸し暑い感じだったが気持ちがよかった。

    この、銀座から日本橋という道筋を歩くのがわたしは好きだが、表通りをそのまま歩くということは滅多にない。たいていは、西寄りか、東寄りの裏道を歩く。立ち並ぶビルの間に、小さな商店があるというのがいい。また、中に入って見るということはないが、画廊も多い。サラリーマンたちの姿も、自分とは関係ない人種として見ること出来るのもいい。そして、丸善に行き着く。丸善に行けば、洋書売場。「原書」という言葉が、わたしの学生時代には生きていて、「原書」を読まなくては話にならないと、読めないのによく買った。気休め。未だに書棚には、その「気休め」が堆積している。この日も、「The IMAGE PROCESSING Handbook」という771ページの2kgある「気休め」を買って、買ったばかりの肩掛け鞄に入れて、ずしりと肩に掛けた。

    最近は、「コンピュータ・グラフィックス」ということが頭に張り付いている。この4月から、CG担当の非常勤講師の先生が急に結婚してカナダに行ってしまって、やる人がいなくなったので、不開講するくらい何とかしようと、彼女に代わって、「コンピュータ表現演習」という科目を受け持たされてしまった。パソコンのABCから始めて、「Photoshop」や「Illustrator」の簡単な使い方と、Webページの作り方、それにビデオのノンリニア編集の手ほどきが出来れば上々と気軽に引き受けたものの、「そういえば、コンピュータでグラフィックを扱うって、どうなっているのかしら」と、その基礎である画像表示とプログラムとの関係辺りが、急に気になりだしてしまったというわけ。3年ぐらい前に、PC-98でBASICをちょっと囓ったとき、直線や円を描いて、「出来た!出来た!」なんて喜んでいたが、もうすっかり忘れている。あれと、「Photoshop」の鉛筆ツールとどういう関係なの?。そこには計り知れない深淵があるぞ、と本屋に行ってグラフィクス関係の本を見ると、たいていいきなり数式が出てきて、次には行列式。パソコンの手ほどきや「Photoshop」の使い方でそんなことは、話す必要はないけど、気になる。

    鞄を買った翌日の28日、昼食のおかずにと、近くのスーパーに塩鮭を自転車で買いに行った。その帰りに、商店街を走っていて、雲行きに変わる日差しの中、ふっと見知らぬ町にいるような感じになった。その感じが、地方の、例えば山形市の、あるいはまだ行ったことのない街を自転車に乗って走っている自分の姿を想像するようにし向けた。思い浮かばない街だから想像しようもないけど、そういう見知らぬ街にいる見知らぬ姿の自分という存在のというものに向かう心理的なベクトルが働いたということ。そういえば、今ここでパソコンに向かってキーボードを打ってる自分なんてものも、想像も付かなかった自分の姿じゃないか。これは、速い雲行きで縞目模様のように変わる五月末の日差しが、リズムが安定してきた日常の意識に働きかけたところの気分。



  • 1999年5月23日

    CD-RドライブをWindowsマシンに付ける。



      枯れたバラの花


     長尾さんのメールに、デジタル写真をCD-Rに書き込んでいるとあったのを読んで、「そうか、2GBのパーティションを一杯にしている拾った子猫のムービーファイルを、CD-Rに書き込んでしまえばいいんだ」と思い付いたのだった。そこで雑誌のCD-Rについての記事を探して読んでみた。ドライブ自体3万円を切ってるとか、CD-Rの値段がぐんと下がって1枚200円を切ってるとか書いてあった。

     そこで、Windows98マシンに取り付けようと思い立ち、西新宿のパソコン店へ出かけてみた。一軒目では、買おうと思ったYAMAHAの外付けドライブが無くて、もう一軒の店に行ったら、そのCDRW4416SXシリーズのGSというのが、Ultra Wide SCSIIカードとレコーディングソフト付きで6万で売っていた。このSCSIIカードが付いているとういうので、これを買うことにした。というのは、YAMAHAのホームページを見たら、「ヤマハCRW4416Sシリーズの推奨環境は、SCSIボードについてはアダプテック社製AHA2940シリーズ(U2Wは除く)となっております。」と書いてあって、わたしが取り付けようというマシンには、この除くとある「U2W」ではないが、「AHA2940UWJ」が付いていて、そこに接続する場合は、「ワイド」を「ナロウ」に設定して下さい、とあった。つまり、CD-RはSCSIIカードとの相性が問題になるということらしいと理解していたので、付属のSCSIIカードが付いていれば安心と思ったからだった。

     買ってきて、接続する段になって、使っているSCSIIカードのSCSII-2の外付けハードディスクに繋いでも大丈夫だった。つまり、新たにSCSIIカードを取り付けることもなく、至って簡単に取り付けは済んだ。そして、付属の「B'sRecorder GOLD」というレコーディングソフトをインストールして、書き込みをやってみたが、4倍速出るところを2倍速で書き込んで、600MBを書き込むのにほぼ1時間掛かった。イメージファイルを作り、テスト書き込みして、本番の書き込みという進行ではそのくらい掛かるということだろう。このドライブは市販のビデオCDも見ることが出来るし、MPEGでビデオCDも出来るということだから、楽しみが出てきた。パソコンがまた一つ拡がった。

     CD-Rはとんとんとうまくいったが、そのとき一緒に買ってきた「パーティション操作ソフト」の「Partition Commannder」ではトラブルが起こった。先週、Windows98のハードディスクをCドライブを除いて、FATをFAT32にしたとき、見えない空き領域を「PartitionMagic」でフォーマットしようとしたら、異常に時間が掛かり、ついに出来なかったのが、頭にあって、「ParitionMagic」のバージョンアップ版を買おうと思っていた。それで、ソフト売場で手に取ると、箱に「System Commanderとは共存できない」と書いてあった。それを読んで、同じマシンに両方をインストールしていたわたしは、「PartitionMagic」が「コンベンショナルメモリの不足」という警告を出していたのは、マシンの起動と同時にOS以前に起動する「System Commander」がコンベンショナルメモリを使っていたからだと考えた。それなら、「PartitionMagic」を削除して、「System Commander」と対になっている「パーティション操作ソフト」の「Partition Commander」を使えばいいのでは、と思い、それを買ってみた。この辺に事情は、ややこしくて分からないかも知れませんね。

     とにかく、今使っている「Partition Magic」の代わりに「Partition Commander」というソフトを買ったというわけです。そして、 Windows98マシンの「Partition Magic」を削除して、新たに「Patition Commander」をインストールしたというわけ。ところが、その「Partition Commander」を起動しようとすると、

    DOS/4GW error (2001): exception 0Eh (page fault) at 1D0:004F08CB
    TSF32: prev_tsf32 5380
    SS              1DB  DS            1D8    ES         1D8 FS          0GS      2GB
    EAX  428129BG  EBX     43F008    ECX
    ESI       44056B  EDI  42C52F21   EBP
    CS: I       1D0: 004F08CB   ID  0E   C0D
    CS=   1D0,  USE32, page granular, limit FFFFFFFF, base        0,acc CF93
    SS=   1D8,  USE32, page granular, limit FFFFFFFF, base        0,acc CF93
    DS=   1D8,  USE32, page granular, limit FFFFFFFF, base        0,acc CF93
    ES=   1D8,  USE32, page granular, limit FFFFFFFF, base        0,acc CF93
    FS=       0,  USE16, byte granular, limit             0, base      14,acc 07
    GS=   258,  USE16, byte granular, limit           1F, base 184A0, acc 93
    CR0: PG:1 ET:1 TS:0   EM:0 MP:0 PE:1 DR2:  42C52F21 CD3: 2F000
    Crash address (unrelocated )   1:000678CB
    
    Windows を再起動したいます。。。。
    
    と警告が出て再起動してしまって、「Partition Commander」が起動できない。何度やっても、同じ。そこで、ソフト会社にメールを送って聞いてみた。

     2、3のメールのやりとりの結果、ソフト会社の回答は、
    ご質問の現象はMicrosoftのFDISKにてパーティションを作成すると
    起こる可能性があります。
    MicrosoftのFDISKは終了セクタを参照せずにパーティションを作成するため
    ご質問のような状態(パーティションのオーバーラップなど)となります。
    Windowsは終了セクタを参照しないため起動できますが、この状態では
    最悪FDISKも起動できなくなります。
    PartitionCommanderは壊れたパーティションの存在するPCにて
    使用することはできません。
    壊れたパーティションを削除してから再度PartitionCommanderを実行してください。
    
    ということだった。この回答を貰って、あの「見えない空き領域」のことに思い当たった。異常な時間をかけてフォーマットしようとしたことが、その「終了セクタ」を壊すことになってしまったのではないかということだ。とにかく、今のところ、「ノートンディスクドクター」の診察では異常はないようなので、どのパーティションも使っている。結局、「Partiton Commander」は使えないから削除した。「FDISK」(ハードディスクのフォーマットをするためのDOSの実行ファイル)が起動できなくなるというのが気になって、「FDISK」を起動してみたが、異常はなかった。でも、フォーマットしかけたE-IDEのスレーブのディスクが気に掛かる。



  • 1999年5月16日

    野村尚志君の小詩集。



      久しぶりに咲いた芍薬の花


     「内面のお話」は大阪でも上映されたので、京都に帰っているという野村尚志君に切符を送ったら、見に行くという返事が来て、そこに、コピーを色紙の背を付けて綴じた手作りの小詩集が同封されていた。八編の詩が収められていた。野村君は、昨年のわたしの映画「芽立ち」に出演して貰って、その後昨年の秋から消息が絶えていたが、今年の二月に京都から寒中見舞いくれた。彼の実家が京都にある。手紙には、三月に突然、詩を書こうと思い立って書いたとあった。いい詩だった。「どうもおっくうで誰にも送らずじまいでした」とあったので、わたしのホームページの「詩の電子図書室」に、「野村尚志小詩集1999年3月」として載せることにした。

     この小詩集の最初の詩の「琵琶湖疎水」の

    
            (ひとりごとの川を流れていて
    
                               死んだ魚が流れていくのを目にして
                               六匹は見て白い腹で
                               流れていったので
                               春は死んだ魚をよく目にする季節なのかと思いました
    
                               ほころびそうなつぼみが
                               桜の枝に花咲くころには
                               濃い緑の木々を
                               山に分け登っていく小道の
                               あの
                               古びたお地蔵さんみたいになっていたい
                               赤い布を胸にかけて
    
                               (ひとりごとの川は流れていきます
                               (ひとりごとの川は流れていきます
    

    のところを読んで、ぐっと感じるところがあって、最後の「封ジ山」の
             「ことばを忘れるくすり下さい」
             と訪ねた病院で先生は
             「そんなものありません」と笑って言った
    

    で、参ったと思った。野村君は気を病んでいるように感じたが、それだけに、先が明るいという気がする。わたしなど、自分の気の病に気が付かないでいるように思える。例えば、昨日からハードディスクというものが気になって、それなりの理由があるけど、人から見ればやたらにフォーマットし直したり、Windows98のディスクをFATからFAT32に変えてみたりしている。そして、ドライブの一つをスキャンしたら、クラスターにエラーが出て、その自動修復を始めたら、もう三時間も続けているのに修復が止まらなくなっている。どうしたものだろうか。明日の朝までやって駄目なら、ディスクが使えないということか。などなど。



  • 1999年5月8日

    拾い猫を里子に出す。



      箱に入れた猫を見る野々歩。このボトルはお湯を
    入れて、布でくるんで湯たんぽにしていた。


     箱の中の仔猫

     4月23日の夜中、「部屋から鳥の鳴き声が聞こえる」と表にでていった息子の野々歩が、濡れネズミのような生後2、3日の赤ちゃん仔猫を拾ってきた。麻理は早速、近くの友達には電話で、また遠く香港の友達にはメールを出して、赤ちゃん猫の育て方を聞く。翌日、拾ってきた野々歩が責任上、「猫の病院」に連れていき、世話の仕方を聞いてくる。ということで、麻理と野々歩の赤ちゃん猫の世話が始まった。

     最初はスポイトで、後に哺乳瓶で、数時間おきにミルクを飲ませたり、軽く叩いて排泄をさせたりで、体温を保つために湯たんぽをしたり、人間の赤ちゃんと同じように手間が掛かる。大学一年生の野々歩は結構それをこなしていたから、親のわたしは改めて息子に感心する。わたしにはとても出来ることでない。最初は2.5cc位しか飲まなかったミルクを、5日後には倍飲むようになり、10日後には10倍近い20cc、里子に出した昨日は30ccも飲むようになって、拾ったときは100gだったのが、およそ2週間で倍の200gにまで成長した。これらの詳しいことは、麻理の「こねこ日記」から。

     麻理は、自分でもミルクをやったり排泄の世話したりする以外に、野々歩が世話しているところや、遊んでいるところなどデジタルビデオで撮影して、またわたしが撮ったデジカメの写真を、猫好きの友人たちに逐一メールで報告して送っていた。久しぶりに「小さいのが」家にいるというのが嬉しくて、もう夢中という様子だった。それを彼女は分かっていて、猫にかまけて何もできなるから飼うわけには行かないと自分で決めていて、里親を探し探させた。その結果、野々歩の母校の高校の先生が貰ってくれることになった。丁度歩き始めたところで、これから可愛くなろうというところで、これ以上手元に置いたら、とても人手に渡すことは出来なるというのが、彼女の言葉。

     里子に出した翌日の今朝、仔猫の入った段ボールの箱の中にクッションが丸めてあり、もう仔猫の姿はない。丸く寝ていたり、よたよた歩いていた辺りに、仔猫のイメージが焼き付いている。居なくなったという実感に襲われて、全然手を出さなかったわたしも寂しい気がする。野々歩はデジカメの写真をプリントして部屋の壁に貼るという。麻理が里親のところに電話して、様子を聞いたら、先生のお母さん出て、実は里子の猫は母の日の娘からの贈り物だったということ、もうすっかり気に入って我が子のように可愛がっている様子が伝わってきたという。もともと猫を飼っているお宅なので、その猫との相性が気になると、麻理は言っている。



  • 1999年5月6日

    5月連休はイメージフォーラムフェスティバル通いに終わった。



     庭の君子欄

     わたしのところの君子欄はもう20年になる。数年前から増えすぎて、一年中外に出しっぱなしにするようになってから、咲くのが遅くなった。家の中に置けば三月には咲く。この花もずいぶん映画に撮った。最近は撮影の対象にしない。となると、途端におっぽりだして、荒れ放題。だから、花の姿が荒れている。君子欄には情が移っているところがある。

     五月連休は、連日のように「イメージフォーラムフェスティバル1999」が開かれている新宿のパークタワーホールに通っていた。29日、30日には三つのプログラムを見たら、すごく疲れたので、それ以後は一日二つか一つのプログラムを見るようにして、十三のプログラムを見た。日本の作品のプログラムは全部、外国の作品のプログラムは四つ見た。わたしの作品「内面のお話」をやるプログラムのときは出来るだけ行って、作者紹介で、観客の皆さんに挨拶した。かなりのお客さんが来て下さって、感謝。横浜美術館では、ひどい吹き降りの中、見に来て下さった人たちには、本当にありがたかった。それから、丁度同じ時の5月3日には小岩コミュニティホールで開催された「99メイシネマ祭」で、わたしの「15日間」が上映され、小一時間ばかり話をした。ここに来て下さったお客さん、それから上映して下さった藤崎和喜さんにも感謝。

     今回の上映作品で一番面白かったのは、ダニエレ・チブリ&フランコ・マレスコの映像作品集だった。「シチリア島パレルモで、社会に受け入れられない変わり者たちを作品の登場人物として見つけて来て」作られた、シチリア島のローカルテレビシリーズ作品というが、地中海の晴れ上がったモノクロの空の下で、聖なるものと汚辱に満ちたものがごちゃ混ぜに展開する作品。変わり者のキャラクターと人が口に出来ない言葉による直截な語りが、脳髄を叩き洗濯して、心に溜まった澱を洗い流してくれた。

     日本の若い人の作品は、大賞の宇田敦子さんの「福田さん」と、審査員特別賞の村上賢司君の「夏に生まれる」とが印象に残ったが、惜しいなあと思わせる作品だった。宇田敦子さんの「福田さん」は福田さんと呼ばれている女性の日常のエピソードを綴った作品。自動販売機に残してきてしまったお釣りを、偶然悪気なしに取ってしまった友人に、お互い気が付かずに、カニをご馳走する事になってしまったとか、友人の大切な茶碗を壊して、その友人が彼女に気づかれないように接着剤で復元しようとしているのを知ってしまうが、実はそのかけらの一個を彼女が捨ててしまったとか、些細なことによって起こるお互いの行き違いを、おおらかに柔らかく抱きかかえて生きている女性の姿が描かれている。今まであまり語られることの無かった若い女性の意識の細かいところを描いたので、新鮮な感じを与える。わたしが惜しいなあと思うところは、福田さんという人物の存在感が総体的に感じられるように描かれていない点だった。それに、話を語る方に重点があって、映像がイメージとして自立してないというところ。

     村上賢司君の「夏に生まれる」は、兄のお嫁さんが赤ちゃんを産むというので、その出産するところをビデオに撮ろうと高崎に実家に帰った自分自身が、出産を待つ暇な時間を持て余し、テレクラに通うようになり、電話の相手の女高生や女性たちに約束を反故にされたりするうち、遊び相手になってくれる女性に巡り会うが、その女性に夢の空間へと誘い込まれ、結局、出産シーンは撮影できなかったという話を日記風に展開した作品。だらだら展開するような内容を、ビデオ編集の切れ味で、女に入れ込む若い男の心情を小気味よく突き放したところが面白い。女高生の言葉に呼び出されて行く倉賀野駅周辺の情景や、自転車で走る高崎市内の情景、また謎の女性に連れて行かれる工場の廃墟など、作者は撮影が好きなのだという気持ちが伝わってくるところはいいのだが、話が風俗ものの次元に落ちてしまっているのは残念だという思いが残った。作者の父親が、「赤ちゃんが産まれるということは、お父さんお母さんおじいさんおばあさんが生まれることだ」、といったのを受けて、作者自身、「それなら一人の赤ちゃんが産まれるということは、全世界が生まれることになる」、といっているのに、その論理が「撮るということによって、そこに世界が造られる」ところに、作品が十全に実現されてないような気がして、惜しいなあ、と思った次第。

     とにかく、作品を公開して、みんなに見て貰うと、また次に造ろうという気がしてくる。その見た人から、北爪満喜さんの感想樋口えみこさんのような感想、それからメールなどが貰えると、嬉しくて、その気がどんどん強まるというわけです。来年も、出来れば「イメージフォーラムフェスティバル2000」でやりますから、見に来て下さい。



  • 1999年5月2日

    最近、身近に起こった変わったこと。



     小柄なスズランの花

     先ずは何といっても、我が家に入りかかった泥棒がその日のうちに捕まった、ということ。4月29日に、イメージフォーラムフェスティバルのDプログラムを見た後、久しぶりに松本俊夫さん、金井勝さん、波多野さん、かわなかさんたちとビールを飲んで帰ってきたら、家内が「夕方うちに泥棒が入りかけて、その後、大変だったのよ」というので驚いた。

     彼女の話では、玄関のドアの金具がチャランとなったので、「だあれ」と声をかけたが、返事がないので出ていったら、ドアが開いていたので、すぐに外に出てみると、黒いコートの男が歩いていくので、「なんですかあ」と聞くと、振り向いた顔がサングラスにマスク。泥棒だと思い、写真に撮ろうとカメラを持って出てみたらもう姿がなかった。念のために警察に電話したら、刑事が来ていろいろと聞き、部屋の中を見ているうちに、刑事に連絡が入って、近くで不審尋問した男が泥棒の小道具を持っていて、家内が見た男と風貌が一致したというのだった。しかも、近くのもう一軒の家では子供が寝ている部屋にまで入って逃げたということ。その家の奥さんはその男と顔を会わせたので、面通しする事になり、家内は行かなくて済んだと喜んでいた。でも、刑事さんが3時間ぐらい家にいたのには閉口したという。息子が帰宅したとき、ドアの鍵をかけ忘れたのがいけなかった。

     次には、その息子の野々歩が、4月23日の夜、家の水道タンクの脇に捨てられて、雨の中でミャーミャー泣いていた、生まれたばかりでまだ眼も明いてない仔猫を拾って、猫医者につれていったり、ミルクをやったり、下の世話をしたり、とかいがいしく育ていること。生まれたばかりの仔猫を育てるのは、思っても見なかったほど手が掛かる様子。この一週間は3時間おきに、また6時間おきに人肌に温めたミルクを与えなければならないという。しかも、自分で排泄できないので、お尻をぬるま湯を湿したティッシュで軽く叩いてやらなければならない。薄ら寒いと、湯たんぽで暖かくしておかないといけないという。そういうことを、彼はこまめにやっている。わたしにはとても出来ないから、「感心だねえ」と息子を見直す。

     この仔猫、我が家で飼うのは無理なので、何方かに里親になっていただいて、貰って欲しいというのが、今のところの結論。生まれて12日目、まだ名前は付けてない。里親になってくれる人を求めています。里親になってくださる方、メールでも、電話(03-3465-6976)でも、どちらでも結構ですから、ご連絡ください。

     追記:この仔猫は、5月8日に書いたように、里子に出されました。お気遣い下さいました方々には感謝します。


    貰ってほしい(里子にだされた)仔猫ちゃん。




     

       








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