庭の野ぼたんの花が咲き始めた。
野ぼたんの花 |
この一週間は、また慌ただしく過ぎた。23日、24日と多摩美映像演劇学科の1年生の写真の合評会。それも普通の写真ではなくて、16ミリ映画カメラのボレックスで齣撮りしたフィルムから大きく引き延ばして、組写真にしたもの。映像の基礎を学ばせるためにと、担当の丸池講師がやらせた。二日がかりで教員4人で60人ほどの作品の講評をした。26日、27日、28日と4年生の卒業制作の山中湖の寮での合宿。こちらも、二十数名の卒制作品の企画についての最終的な講評。この講評を経て、実際の卒業制作が始まる。つまり、映像作品の撮影をスタートさせる。その間、24日に読売新聞に掲載する魚眼の写真を渡した。
実は、この合宿の模様をデジタルビデオで撮影して、後々のノンリニア編集の素材にしようと、24日にソニーのDVカメラ、「TRV900」を買って、25日にマニュアルを読んで使い方を一通りやってみた。鞄に入れてしょっちゅう持って歩くというわけには行かないが、それなりに満足のいく撮影が出来る。合宿では始終持ち歩いて、4時間分の録画をした。以前、パソコンを始めて間もない頃、合宿で撮った映像をいくつかのQuickTimeムービーファイルにして保存してあって、折に触れてディスプレイ上に開いてみると、もう卒業して何をしているか分からない学生の表情が現れて、懐かしい気分が湧き出てくる、というようなことがある。それは、ビデオテープをデッキに入れて再生するというのとはちょっと違う。アルバムを見るのとも違う。多分、それは「記号性」の持つ意味合いの違いだと思える。
ところで、この一週間前に「国旗・国歌」が法律で定められるところとなった。義務教育で歌わせ、掲揚させることの法的根拠というわけ。法律で決めなければ歌われない国歌、掲揚されない国旗というのも、他国のことを考えると妙な気がする。日本人の国家意識は単純でないということ。個人の主体意識が象徴天皇制との矛盾を抱え込んでいるからだと思う。国家イメージにまやかしがあるように感じる。わたしとしては、「君が代」を国歌として歌わせるのなら、「日本は個人を主体にした民主主義国家だ」というまやかしの教育をすべきではなく、きちんと「日本は国民の合意の上に天皇がいるという象徴天皇制的民主国家である」ことを知らしめるべきだと思う。そして、その現実を踏まえて、様々な差別意識と戦争の元になる「国家」というものを地球上から消滅させる道筋を探る議論をすべきではないかと思う。しかし、バルカン半島の紛争を新聞で読んでいると、「思想」というものが消えた後に息を吹き返した民族意識とそこにまつわる感情の根強さは、単純に国家の消滅なんて言っていられない思いにさせられる。わたしたちも、感情の全体的な流動が起こる前に、個人個人が国家イメージについて言葉を交わして置いた方がいいように思うが。わたしは時間を個人の軸に据えることばかり考えてきただけに、そういうことを考えるのがどうも苦手だ。
よみがえった20年前のスピーカー。
20年前のBRAUN製スピーカー |
昨日は、すごい夕立だった。自宅の浸水した地下室で溺死した老人が出た。朝起きたとき、彼はまさかその日の夕方、地下室で溺死するとは思わなかっただろうな。先月も、博多で浸水した地下室で溺死した女性がいた。これまでになかったこと。水が地下室に流れ込むの当たり前だけど、そこで自分が溺死するとは思っていなかったに違いない。意識のズレ。わたしもこのズレをしょっちゅう体験している。先日も、地下鉄有楽町線の「銀座一丁目駅」と半蔵門線の「三越前駅」を勘違いした。そもそも、「銀座一丁目駅」という駅名を、そこで何度も乗り降りしていたのに、ちゃんと覚えていなかった。地下鉄に乗っていて、今自分がどの当たりの地下にいるか正確に言える人はどのくらいいるだろうか。
わたしは、昨日の夜、今月に入って始めた「草の影を刈る」の6ミリテープをようやく全部聴いて、確かめた。雑音があるけど、聞き苦しいという程でない。とにかく、録音に使った6ミリのマスターテープがあったが幸い。問題が無かったわけではない。テープソースのゲインのレベルが非常に低く、低音の雑音がかぶっているので、それを取り除き、適当な音声に調節するためには、回路を組む作業から始めなければならなかった。そこで20年前のスピーカーが蘇ったのだ。「回路を組む」というのは、本来なら録音スタジオでやるべきところを、録音スタジオの使用料といったら1時間当たり数万円はするので、その代わりに自分のところでやってしまおうというわけで、録音機材をいろいろと組み合わせるということなのだ。今ようやく、その作業を済ませて、試聴が終わったというところ。
最初、普段DATのテープレコーダーを使ってやっているように、6ミリのテープデッキをミキサーに繋いで、そこから更にシネコーダーに繋いで録音しようと思った。ところが、テープを掛けて再生してみると、レベルが低いのと低音の雑音が被さっているので、それでは駄目と分かった。低音の雑音は、家にある簡易イコライザーで切れたが、そうすると一層レベルが落ちる。一つのミキサーでは十分なゲインが得られない。そこで、小型のアンプを買ってきた。ところが、アンプというのはスピーカーの音量を調節することは出来るが、ライン出力のレベルは調節できない。わたしは勘違いしていた。つまり、アンプに入れる前にテープデッキからのソースを増幅しておかなければならないのだ。そのために、も一つミキサーがいるというわけ。秋葉原の録音機材屋で教えられた。そこでBOSSの小型ミキサーを買って来て何とかレベルを上げることが出来たが、今度はサーッというミキサーが発する雑音が気になる。そこで、どうせミキサーを通すのならと、雑音が少ない大きな8チャンネルの元々家にあったRolandのミキサーを引っぱり出してきて繋いだ。BOSSのミキサーを使ったほどではないが、とにかくレベルを上げられた。そうやってレベルを上げて置いて、イコライザーに送り、アンプを経て、もう一つのミキサーに送って、更に調音してシネコーダーに繋いで録音するということにした。ヘッドホンで聴くと結構雑音が入っているが、これで何とか我慢できる音になった。
この、アンプを中に入れるという回路となったので、スピーカーを繋ぐ余地が出てきたというわけ。そこで、使わずに埃を被っていた20年前の「BRAUN」のスピーカーの復活となった。ビートルズやクリーム、ピンクフロイドやT・REX、ジャニス・ジョブリン、ニール・ヤング、イェロウ・マジック・オーケストラなどなどのレコードを聴きまくったスピーカーだ。さて繋ごうとして、ケーブルの先を見ると、平たい爪と丸い爪が出ているスピーカー用のコネクターだ。その受けのコネクターが無くなっている。自転車で東急ハンズへ行って、探したが、ない。店員のおじさんに聞くと、そういうの昔あったなあ、の一言。仕方がないから帰って、その爪に針金を半田付けして、アンプに繋いだ。そして、ミキサーの上に新たに棚を作って乗せた。音はまだ確かだ。20年前のフィルム「草の影を刈る」の音声を聞くのに、20年前のスピーカーを蘇らせたということに、自分が一人でやったことだけども、感動に近いものを感じたのだった。
*******
22日の午前中、以上書き上げて、サーバーにアップロードしようとしたら、プロバイダーにアクセス出来ない。昨日の雷雨の影響がわたしのところにも及んだわけ。昨夜もアクセス出来なかったけど、近頃つながりが悪いとぶつぶつ言いながら、ルーターの表示を見たら「ISDN」の表示LEDが消えている。直ぐにテストで時報に電話を掛けても、うんともすんとも言わない。DSUに警告のランプが点灯している。つまり、電話回線に接続してないのだ。DSUの故障かと、マニュアルを引っぱり出して見る。電源を切って、再び入れても同じ。回線の故障か。昨日の雷とざーざー降りにやられたかと、近くの公衆電話に行って「113」に電話したが、通じない。通じたと思ったら、混み合っているから、暫くして電話して下さい、のアナウンス。三〇分置きに三回したが、繋がらない。待つしかない。
それから、新宿のヨドバシにDVカメラを見に行った。新宿駅から「113」に電話すると、渋谷区は管外だといいながら、渋谷の電話局の直通を教えてくれたので電話する。そして、その場で数分待たされて、テストしたけど回線はつがっている筈だから、「TA」がいけないのではないか、という。ヨドバシに行くと、またすごい夕立になった。DVカメラを見るのもそこそこに家に戻る。そして、再びDSUの電源を切って入れてみたが同じ。そこで、ルーターを使う前に使っていた「TA」を、DSUの代わりに繋いでみると、表示に「カイセンショウガイレイヤ1ダウン」と出た。早速自転車で公衆電話まで走り、113に電話でその旨を告げる。暫くして、NTT-MEの人が来て調べてくれた。その結果、やはり、DSUがおかしいということになった。彼の話では、今日、他にも三つの「TA」の故障があったという。雷のせいでしょう、と。DSUが無くては電話も繋がらないので、彼が持っていたDSUを借りておくことにした。そのDSUと「TA」とを組み合わせて電話とデータ通信とを生かすことが出来た。ただし、ダイヤルインの設定が分からないので、電話は1回線のみとなっている。まあ、何とかインターネットが出来てよかった。それにしても、ややこしいことの多い世の中になったという実感。ふと、わたしが死んだら、このややこしい回路や回線の接続は、家族の誰にも分からないだろうね、と思った。死ねないです。今は、22日の22時過ぎ。
20年前のフィルム「草の影を刈る」再プリントに取りかかる。
6ミリのテープデッキを持ち出す |
わたしのこれまでの映像作品の横浜美術館での上映が、10月8日から11日までと決まって、さて、いよいよ、傷だらけの20年前のわたしのフィルム作品「草の影を刈る」の再プリントに取りかかることになった。ネガフィルムで撮影して、ちゃんとネガ編してあれば、それを現像所に出してプリントして貰えばいいから、再プリントといっても簡単な話だが、この作品はそういうことがしてない。撮影は全部、モノクロの16ミリリヴァーサルフィルム、ということはネガがない。撮影したフィルムを編集して、それを1977年当時はまだあった、ポジからポジへのプリントをして、音声は、そのプリントしたフィルムにストライピングして、つまりフィルムの音声トラックに細い磁気テープを塗って貰い,そこに自分の家で映写機で録音した。そのポジポジプリントが、今は、出来ないのと、磁気の塗布もやってないので、新たにプリントするとなると、全く別のやり方でプリントをしなければならなくなる。
今出来るやり方では、その編集したポジ原版からネガを取って、残っている6ミリテープから音ネガを作って、プリントするというのが、一番妥当なやり方。しかし、このやり方では3時間20分という長さのこのフィルムだと、200万を越えるほどのかなりの費用が掛かる。そこまでお金を掛けるの財力はない。そこで、次善の策として、原版のポジと音とを合わせてビデオにする。それも、ベータカムとか、ディーツー(D2)とか画質いいものでキネコする。そして、そこからテレシネする、つまりダイレクトにフィルムにプリントする。これだと半額くらいになる。でも、100万円は頭が痛い。
しかし、傷だらけで、しかもパーフォレーションが壊れていて、部分的に映写機に掛けられないのでは、見に来てくれた人に申し訳ない。一生に何度もあることではないので、ここは発憤して、家族の理解を期待して、再プリントを作ろうと心に決めた。
そのために、先ず、絵と音とを合わせる作業をしなければならない。ネガ編してないのでカット表がない。そこで全編をステンベックで見ながら、ノートブックに、細かいカットはともかく大まかな、日記映画なので日付に従ってシーンを書き起こした。それから、探し出した6ミリテープの音を聞いてみた。制作が1977年なので22年前の録音ということで、再生するとブワーンという低音がかなり強く、パチパチという雑音が入る。音が小さく、ボリュームを上げると雑音も大きくなる。そこで、テープデッキからの出力をミキサーで上げて、それをイコライザーに掛けて低音を切って、アンプを通して、もう一つミキサーに入れて整えてからシネコーダーに持って行き、シネテープに録音して、そのシネテープで絵と合わせることにした。そこまでの準備が終わったところ。来週は、録音と音を合わせる作業をする。
トップシーンの1976年11月28日の 日の出前の朝焼けの空 |
20年前の麻理さん (フィルムの傷が目立つ) |
窓辺に正四面体を置いて |
DVキャプチャーボード「HotConnect 8945」を取り付ける。
沢山咲いたハイビスカスの花の一つ |
先週今週はいろいろなことをやった。「曲腰徒歩新聞」の前の記事が24日、それが遠い昔のように感じる。従って、それ以前のことは遠い遠いことのように思える。先ずは、23日にイメージフォーラムの池田さんから「内面のお話」をロンドンの「イメージフォーラムフェスティバル」で上映したいが、英訳字幕入りのプリントを作る気があるかという話があった。16ミリフィルムをプリントをするとかなりの費用がかかるから、どうしようか、と迷っているうちに、ビデオ上映でもいいということになり、それなら30万前後できる、ということで、それに取りかかった。それと平行して、家のWindowsNTマシン「DEC CELEBRIS GL 6200ST」を仕事場の奥のコーナーに棚を作って、そこに移して、「DVキャプチャーボード」を取り付けた。もちろんその間に、学校へ行って講義したり、講評したり、家では麻理さんのホームページ作りを手伝ったり、その上、詩も一つ書いた、そして結婚披露宴にも出席した、というわけで、あっちをやったり、こっちをやったり、自分でも今何をしているの分からなくなという始末だった。まあ、珍しいこと。
自分の映画に英語の字幕を入れるなんてことは、やったこと無かったから、その手順を人に聞くところから始めた。とにかく、翻訳するためには、日本語の台本が必要。でも、わたしの場合、台本に基づいて映画を作るわけでないから、できあがった映画から、その中でしゃべられている言葉を紙の上に起こさなければならない。それを、先週、映画に出演している一人の文平裕子さんに頼んだ。次に、翻訳者を探さなくてはならない。ただの翻訳者では駄目で、どの画面にどの言葉を当てるかということを決めれる「箱切り」という作業を出来ないといけない。幸い知り合いに、字幕を打ち込むスポッティングをやっている「アウラ」という会社があったので、翻訳者探しから英語版のビデオ制作まで、そこに頼むことにした。それにしても、その原版になるタイムコード入りのビデオを作らなければならない。26日、披露宴の帰りにフィルムをイメージフォーラムから持ってきて、28日にヨコシネに持って行った。そして、7月2日に、日本語台本とビデオを「アウラ」に渡した。
WindowsNTマシンの「DEC CELEBRIS GL 6200ST」は、昨年の今頃、WindowsNTを勉強しようと中古で買ったものだ。研究室にWindowsNTサーバーを置いて、「映像演劇学科」のWebサーバーを独自に立ち上げるというので、勉強しておかなければと、中古のWindowsNTワークステイションを手に入れたというわけ。しかし、この一年あまり使わなかった。WorkstationはServerと違って、サービスを受ける方なので、使うだけならWindows95とあまり変わりない感じだった。ところが、助手副手たちとこの夏休みにいよいよWebサーバーを立ち上げようというところまで来た。NTにもう一歩踏み込まなければ、という思いが出てきた。それに、ビデオ編集も、安いアナログからのキャプチャーボードでは、取り込んだ画像が好ましくないので、DVでやってみようと思うようになった。そこで、わたしのところでも、WindowsNT Workstationの出番となった。
久しぶりに電気丸鋸で板を裁断して、仕事場の奥のビデオ編集のコーナーに棚を作り、WindowsNTマシンの「DEC CELEBRIS GL」を移した。19インチディスプレーに合わせるために、まず前に買ってあったビデオカードのCanopus「PWR128P GTV」をPCIスロットに付けた。ところで、この「DEC CELEBRIS GL」には、ISAスロットは四つもあるのに、PCIスロットは二つしかついてない。さすがに古いマシンだ。今ではPCIのビデオカードも探さなくて買えない。ISAカードなどほとんど見たこともない。その二つしかないPCIスロットに、DVのキャプチャーに必要なビデオカードとSCSIカードとキャプチャーカードの三枚をどうやって取り付けるか。ノンリニア編集の本を見ると、Adaptecの「HotConnect 8945」というカードが、DVのキャプチャーと転送レートの高いUltra Wide SCSIとを兼ね添えているとあった。つまり、一枚のカードでキャプチャーとハードディスクへの転送が出来てしまうというわけ。ビデオカードを取り付けて、残されたPCIスロットが一つしかないのだから、それを買うしかない。値段も、キャプチャーボードとしては一番安い7万ほどだった。ディスクと併せて15万ほど掛かった。夏のボーナスがどんどん減って行く。
ビデオを取り込むとなると、SCSIボードの転送レートも問題になるが、ハードディスクの回転数も速くなくてはならない。外付けでUltra Wide SCSI対応というがあったが、回転数が表示されてない。店員のお兄さんに聞くと7200回転なんて出てないという。それより、内付けならIBM製で10000回転というのがあるから、それをケースに組み立てたらどうですかという。その言葉に従って、買ったのだった。家に戻って、まずその内付け用のSCSIハードディスクを外付けのケースに組み立てた。ネジの取り付けは簡単だったが、IDナンバーを決めるところで躓いた。出来合の外付けハードディスクだと、ナンバーのボタンを「0」とか「2」とかに回せばいい。ところが、内付けのSCSIハードディスクは、「Ao」「A1」「A2」とか、「E1」「E2」「E3」というジャンパーピンを組み合わせて、「000」で「0」、「001」で「1」、「010」で「2」というように番号を決める。これが分からなかった。三冊の本のうち、一冊ははーディスクについている説明書を見なさいとしか書いてない。わたしが買ったのは、店頭で安く売っていたので、説明書無しの品だ。二冊目には、ピンの刺し方は出ていたが、「A0」方式の説明、ジャンパーピンの位置が違う。三冊目に、買ったハードディスクの背面に印刷されてる「E1」方式の説明があって、ピンを挿すことはショートさせることだと書いてあった。本を三冊見て、何のことはない、SCSIボードの最初のハードディスクのIDは、「0」に設定するのがいいので、ピンは全く挿さなくいいということが分かったのだった。そこで、ようやくハードディスクをケースに取り付けた。やれやれ。
SCSIカードはただスロットに差し込めばいいから簡単。ハードディスクを繋いで、SCSIドライバのインストールを添付のマニュアルの従ってやって、再起動をしたが、BIOSはSCSIカードとハードディスクを認知しているが、WindowsNTはその両方を認知しない。WindowsNTは「ディスクアドミニストレータ」という管理ツールでディスクをフォーマットするのだが、OSが認知しないのでは出来ない。コントロールパネルのSCSIアイコンをクリックして、SCSIの接続状況を見ると、インストールしたはずの「AHA 8945」のドライバが無い。当然再インストールということになるが、追加として、ディスクを使用してインストールを試みたが、これが何度やってもインストールされない。半日試み、ついに諦めて、Adaptecのホームページに行き、情報を見ると「HotConnect」のツールがアップグレードしている。それをダウンロードしてインストールしようとしたが、依然ドライバはインストールできない。「どうなってるの、こりゃ!」と、遂にAdaptecのサポートに電話した。サポートのお嬢さんがいうには、「もう一度全部取り外して、付け直し、“ハードディスクや、その他のデバイスを付けないで”、ドライバのインストールをして下さい」ということだった。言われた通り、パソコンのケースを取り外し、SCSIカードを一旦抜いて挿し、起動してドライバのインストールという手順を踏んだら、今度はすんなりとインストールできた。今までに、SCSIに外付けのハードディスクを7、8台繋いだけど、カードのドライバをインストール前に、ハードディスクを繋いではいけないということはなかった。まさに「うーむ!」と唸ってしまった。フォーマットは9.1GBを一つのドライブにするため「NTFS」にした。
こちらが唸っているところに、麻理さんがやって来て、デジタルカメラで撮った野良猫の写真を取り込みたいというので、早速使って貰った。彼女は「HotConnect」についてきた取り込みソフトでパサパサとたちまち80枚も静止画を取り込んでしまった。その後、わたしはソニーのアナログをDVに変換するメディアコンバーターを挟んで、Hi8からPremiereでムービーを取り込んでみた。スムーズに取り込めたので、まあまあ、なんとかこれでノンリニア編集をやってみるかというところに漕ぎ着けた。