1999年9月1日から30日まで


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  • 1999年9月26日

    Javaを始めて一週間。



     Javaで作ったダイモンドリングの図像
    (Photoshopで白黒反転した。)

     Javaを始めて一週間余り経った。もうJavaJavaの毎日になっている。熱し易く冷めやすいわたしの性格がここでもまた顕著に現れた。やり始めると、どんどんはまって行く。コンピュータってこの性格にぴったりのマシンだ。で、何をやっているかというと、大したことはやっていない。あちこちの本を、漁って拾い読み、本に出てるJavaのコードをコンパイルしてみて、おお、出来た出来た、と喜んでいるという程度。それでもJavaというものが少し分かった。まあ、その辺りのことをちょっと書いてみます。

     先ず、河西朝雄著「Java入門」とバリー・ブーン、デーブ・マーク著滝沢徹、牧野祐子訳「Macintosh Javaプログラミング」を併読している傍ら、本棚から出てきた青柳龍也著「Java動くホームページ」を読了した。「Java入門」は「第2章 ウォーミングアップ」をまだ終えていない。やっと52ページまで。でも、画像で入れてあるダイヤモンドリングはこの本に載っていたコードをコンパイルして作った。入門書というのに、例題5でいきなり三角関数を実行して、オブジェクトつくるコードが出てくるのだからびっくりした。この本は殆ど説明らしい説明もなく、ただコードを打ち込んで行くだけ。出来た出来たと嬉しがるのはいいけど、どうなっているの、という疑問が続出。例題を真似てプログラミングしろっていうタイプの本。それでは、理解できない、というわけで「Macintosh Javaプログラミング」を併読することになった。

     「Macintosh Javaプログラミング」は、最初、開発ツールの「CodeWarrior Discover Programming」フォルダーの中の「CodeWarrior Books」の中に「Learn Java on the Macintosh」を見つけて、それをプリントアウトして読み始めた。こちらは、「Java入門」とは正反対で、四章58ページを読み終わっても、コンパイル出来るように書かれたコードは一つも出てこない。もっぱらプログラミングするということはどういうことかとか、またオブジェクト指向というJava言語の構造の仕組みはどうなってるかとか、一歩一歩詳しく説明している。
     このタイプの違う二冊を同時に読み進めて、Javaというのはオブジェクトを指向している言語、ある意味ではOS、それは、どうやら「クラス」というクッキーの型抜きの型をいくつも重ねて、そこから「メソッド」という型の抜き方(振る舞い方)で「オブジェクト」という結果、つまり一個一個のクッキーを抜き出す、という装置「アプレット」を作ることらしい。その「アプレット」をHTMLファイルに埋め込めば、Mac OSでも、Windowsでも、UNIXでも使える。ということは、そこでアプリケーションとして働かせれば、OSを乗っ取れるわけだ。そして、実は「一つのクラス」は親とか祖先とかいろいろなクラスを継承して出来ている、というところまで分かってきた。つまり、Javaを学ぶというのは、「クラス」や「メソッド」にはどういうものがあって、その組み合わせをどうするかというのようだ。しかし、Javaの入門書は、何れも500ページ以上はある。わたしは今その十分の一のところにいる、というわけ。
     「Java入門」の例題のダイアモンドリングは、「rei5.class」という「クラス」が、三角関数の計算を使って図を描くという「メソッド」によって、半径100の円周上の16等分点を結ぶ直線が描いた「オブジェクト」というわけである。今回はこのJavaの「アプレット」は、ただ表示しただけでは面白くないので、このページに埋め込んでない。Windowsマシンで「JDK」を使って例題のコードをコンパイルして、それをMacに持ってきて、ブラウザーで表示し、スクリーンキャプチャーして、Photoshopで図像だけ取って反転させ、GIFファイルにした。「アプレット」そのものの公開は、自分でコードが書けるようになってからにしたいですね。

     あと、青柳龍也著「Java動くホームページ」と、Appleのサイトから辿って行って、新居雅行という人が書いている有料のホームページの「Macintosh Java Report」の、無料で公開されている「第一章 MacintoshにおけるJavaプログラミング」という文書を読んだ。

     「Java動くホームページ」は、奥付に1996年2月13日第一版第一刷とあるから、わたしがホームページを開設したばかりの頃で、多分Javaが話題になり始めた時に買ったものらしい。読んでみると、Javaが使えるようになった2.0のヴァージョンのNetscapeに組み込んで、既成のアプレットを使ってページの中の画像を動かせるというところに力を入れていて、一応プログラミングのことは書かれているものの、あらまししか書かれてない。そのあらましを掴むのに150ページは丁度よかった。そこで紹介されているアプレットのサンプルが、最近ダウンロードした「JDK1.1.8」のサンプルと、ちょっとしか変わっていなかった。

     「Macintosh Java Report」の「第一章 MacintoshにおけるJavaプログラミング」は、Javaがクロスプラットフォームであることを利点として強調して、Macintosh上でJavaを使ってアプリケーションを開発するところに焦点を当てている。有料の「第二章以降」で具体的な解説がなされているようで、この「第一章」はMacintoshのJava開発環境についての解説。わたしはこの文章を読んで始めて、Windowsの「JDK」に当たる「MRJ SDK」というツールがMacにあることを知った。ところが、この「MRJ SDK」は見つけるのには、Appleのサイトの中をいろいろと探し回らなければならなかった。二日目ぐらいに「MRJ Prerelease Software」(http://developer.apple.com/java/text/prerelease.html)というサイトを見つけて、「MRJ 2.2 Early Access 2 Software Development Kit (SDK) 」をダウンローとしたが、まだインストールしていない。昨日から今日にかけて、「Introduction to Java Programming」のページをプリントした。
     「MRJ」というのは「Mac OS for Runtime for Java」の略で、Mac上にJavaを走らせる機能拡張ということだ。ブラウザーがMacが持っている機能拡張を使ってJavaを実行させるということらしい。これがなければ、MacのJava開発ツールの「MRJ SDK」は使えないと、「Macintosh Java Report」に書いてあった。

     もう、ほんとにJavaJavaですわ。「C」とか「C++」とかやってみたいと思ってたけど、「JavaはCやC++の余計なところをそぎ落とした言語」というらしいから、Javaに取り組んでみようと思っているところ。しかし、「int」とか「double」とか、また「&&」とか「!==」とか論理が掴めないので心許ない。    



  • 1999年9月19日

    季節外れの朝顔の満開?



     一本の蔓に一度に四つの花

     何時までも暑さが続いて、堪らないなあ、と思っていたらここ二、三日の雨で急に涼しくなった。そうしたら、庭の朝顔の花の数が増えた。涼しくなって、朝顔も元気を取り戻したというわけだろうか。例年なら、早く咲いた花がもう種を付けている頃なのに、まだ種は見あたらない。最近はスズメはもう全く来なくなった。麻理さんと付き合っている野良猫が来るから、スズメの餌を撒かなくなったからだが、隣の屋根の上にも姿を見せなくなった。わたしの所はスズメたちの餌場の地図から完全に抹消されたのだろう。その代わり、近所に住む野良猫家族にとっては適当なレストランになった。そういえば、去年の今頃も、この野良夫婦はこの近くにいたのだろうが、わたしたちは全く気がつかなかったわけだ。スズメと付き合うとスズメの地図が見え、猫と付き合うと猫の地図が見えてくる。なるほど、という感じ。

     ところで、先週の15日に町田市立国際版画美術館に行って、「アート・オン・ザ・ネット 1999」の応募作品をまとめて見た。60本近い作品を見たが、今年の作品は去年よりも面白かった。その面白さというのは、自動的に動くところにマウスやキーボードで動きに手を入れて遊べるところにあった。一つだけ特別に紹介すると、Funny Garbageという人の「TRY Group」が印象に残った。Javaとshockwaveとを組み合わせて動きとインタラクチヴの面白さを出していた。Javaとshockwaveを使うとこんな具合に面白くできるのかと感心した。Javaを勉強したいと思っていたところだったので、急に気持ちが動いた。それで、昨日、一昨日と早速Javaのプログラミング環境を家のコンピュータに仕組んで始めた。おきまりの「Hello Java」と、日本語で10回「こんにちは!」をブラウザーに表示して見るところまでやった。

     Javaのプログラミング環境を作るということで、先ず、たしか以前Javaの本は買ったことがあると思って、本棚を捜すと川西朝雄というひとの「Java入門」があった。その本では「Java Developers Kit(JDK)」というのがあって、Sun Microsystemsのサイトからダウンロード出来るということだったので、学校のNTマシンで、(というのは多摩美の映像演劇学科では殆どのパソコンがMacで、WindowsマシンといえばNTしかないので、)「JDK1.1.8」をダウンロードしてみた。9.8MBもあって、かなり時間が掛かった。それで、家ではこんなに時間が掛かってはたまらないと、町田市立国際版画美術館に行った帰り、「JavaWORLD」という雑誌を買って、その付録のCD-ROMから家のWindows98マシンにインストールした。Mac上では、どうか。そこで、以前C言語をやりかけて挫折した「CodeWarrior Discover Programming」のフォルダーを開いて見ると、「Learn Java on the Macintosh」の翻訳オンライン版があったので、それを使うことにした。JavaはMacでもWindowsでも両方に通じるのだから、どちらか一方でやればいいわけだけど、両方でやってみたいというのが、マニヤ根性なんでしょうね。それもいい加減なマニヤだから、あっちでやり、こっちでやりしている内に嫌になって止めてしまう。また今度も、そうなりそうな気がする。自分で自分に向かって「うっふ、ふ、ふ」と笑いかけてキーボードを打っていたら、閉じ括弧の「}」を一つ忘れて、エラーになってしまった。でも「JDK」はエラーの場所をちゃんと指摘してくれるから助かった。また、達成感の楽しみとエラー探しの苦痛の時がやってくる。何処まで行けるか、ということですね。



         

  • 1999年9月10日

    またパワーアップ、今度はMacintoshvx。



     隣に控えるMacintoshvx

     ハードディスク、FDドライブ、電源ユニット
    を外したロジックボード

     先週、PowerMac8500をアップグレードして、現在極めて快調に動いている。しかし、アップグレードが成功してほっとした翌日のこと、起動したらマウスが動かないのギョッとした。再起動しても動かない。一旦電源を抜いて起動したら動いた。原因は分からない。普段使っている分には、マシンのクラッシュなんて事は余り考えないけど、蓋を開けた後というのは、どうもマシン本体に敏感になる。5年前に初めてMacintoshのLC575を買ったとき、訳も分からずフリーズばかりさせていたので、原稿を書いて稼がなければならかったから、マシンがクラッシュして仕事が出来なくなったら大変と、予備のマシンとして中古のMacintoshvxを買ったのだった。それを、デスクの上の横に並べてあるわけ。時々古いハイパーカードのスタックで遊ぶぐらいで、普段は滅多に使わない。だから、買って一年後にPowerPC601のドーターカードを挿してから、メモリは20MBのまま、Ethernet cardも挿してなかった。

     それが、その、PowerMac8500のマウスが動かなくなって、予備マシンとしてもうちょっと使えるものしておかないといけないという気になったのと、アップグレードするなら、今のうちにしておかないと出来なくなるということも考えた。Macintoshvxは、拡張スロットがPCIバスではなく、NubusというMac独特のスロット。メモリも30ピンのSIMM。

     8日の水曜日に、渋谷に出たついでに、パソコン店に立ち寄って聞いたら、案の定、Nubusのイーサーカードは無く、店員は32MBのDIMMを一枚付ければいいのでは、なんて言う始末。Macintoshvxのメモリ増設は30ピンSIMMを4本一組でなければならない。家に帰って、雑誌に出ていた中古Mac屋に片ぱっしから電話したが、殆どのところでイーサーカードはあるが、30ピンのメモリは無いと言う。もう作ってないのでは、と言う店もあった。Pacific Wavesも4MB4本の一組ならあるけど、16MB4本は無いという事だった。それでも、何軒目かに電話した秋葉原の秋葉館に16MBのが4本一組あるということだった。それも、予約取り置きは出いない、と言う。そういわれると、直ぐに無くなってしまうよう思えてくる。仕方ないと、夕方から出かけて1本8000円余りの16MBのメモリ4本とNubusのEthernetcardを買ってきた。

     取り付けでは、ハードディスクとFDドライブと電源ユニットを取り外さないと、メモリが付けられないというところが難物だったが、従って汗をかいたが、何とか出来た。問題は、既にインストールされているOSが漢字TALK7.5で、ルーターを介してDHCPでインターネットに接続するには、MacOS7.6以上にヴァージョンアップしなくてはならないというところにあった。MacOS7.6はCD-ROMからインストールすることになっていいるが、このMacintoshvxにはCD-ROMドライブが付いていない。MacOSのCD-ROMは外付けのCD-ROMドライバーでは立ち上がらない。じゃ、どうやってインストールするか。

     そこで、先ず、外付けのハードディスクにインストール用のCD-ROMの中身をコピーして、そこから起動してインストールするということにした。実際にコピーはした。しかし、外付けのSCSI接続のCD-ROMドライバーにインストール用のCD-ROMを入れて、それを起動ディスクに選択して再起動すればいいのではないか、と思い、やってみたら、それでうまくいった。ただ、内蔵ハードディスクの容量不足ですんなりとは行かなかったので、外付けのハードディスクに先ずインストールして、そこに必要なものを移し、一応起動ディスクにして、内蔵ハードディスクから元のシステムフォルダーなど余分なものを捨てて、十分に空きスペース作ってから、新規インストールしなければならなかった。あとバックアップマシンとして使えるように、アプリケーションをインストールしたり、共有設定したり結構時間が掛かった。10時頃から始め、途中、昼飯の蕎麦を茹でて食べ、終わったのはかれこれ5時近かった。この記事を書いたりで、 今日の一日作業となった。おわり。



       

  • 1999年9月6日

    野良仔猫の潜入、大騒動。



     庭で食事し、くつろぐ野良猫夫婦。
     手前「ママ猫」、後方「パパ猫」。
    「パパ猫」は「ママ猫」が食べ終わる
     の待っている

     広間に潜入した仔猫「パパ似」

     おとといの夜、昼間、7時間の渡る「風の積分」を全編上映して、頭がふらふらになって帰ってきて、Webをちょっと覗いて、仕事場から広間に上っていくと、電灯を消した真っ暗な部屋の中なでごそごそ音がするのギクッとした。外に向いたドアが網戸は閉まっているものの、開けたままになっている。てっきり泥棒が入ったかと思って、どきどきしながら部屋の中に入ると、窓のガラスにゴツンゴツンぶつかりながら逃げようとする小動物が、キッチンの方へ走り去った。猫だ!と気が付いて、ソファでうたた寝していた麻理さんを起こした。

     五月に野々歩が拾った仔猫を養子に出してから、わたしの家では麻理さんが主になって、その親猫と、兄弟と思われる仔猫たちと付き合うようになった。付き合うといっても、庭や玄関先で餌をやったり、ひもに付けたボールで仔猫を遊ばせるといったことで、向こうは食を得て、こちらは楽しむというわけ。「ママ猫」「パパ猫」「ママ似」「パパ似」と呼び名を付けて、それぞれの行動を観察していると「夫婦仲」や「親子関係」や「猫の性格」が見えてきて面白い。詳しくは、麻理さんのホームページに書かれることでしょうから、そちらを見て下さい。

     そのやんちゃな「パパ似」の仔猫が、おとといの夜、家の中に潜入して来たのだった。麻理さんには結構懐いて、初めは遠くから見ていなくては食べなかった餌を、最近は手から食べるようになっている。棒の先に糸で吊したボールに飛びついてじゃれたりするので、とても可愛い。麻理さんの話では、「パパ似」は夜餌を食べにくるという。それで、多分、おとといの夜も餌を求めて来たが、麻理さんが寝ていたので、キッチンの戸口からこっそり忍び込んできたのだろう。そこへわたしが入ってきたので、慌てて窓ガラスにゴツンゴツンとなったというわけ。麻理さんは、ドアの網戸は閉まっていたし、キッチンの戸口の網戸も閉めて置いた筈だから、多分、その引き戸の網戸を前足で開けて入ってきたのではないかと言う。わたしたちはテーブルでちょっと興奮した気分のうちにそんな話をしていた。

     ところが突然、窓辺の植木鉢がひっくり返ったかと思うと、そこから「パパ似」が現れて、部屋の中を走り始めた。出て行ったのではなく、植木鉢の蔭に隠れていたのだ。わたしたちは掴まえようとするわけではないけど、外に出したいと思って、後を追う。たちまちのうちに植木鉢はなぎ倒され、「パパ似」は部屋の別のコーナーに向かって走った。テレビの横には草多のビデオカセットがうず高く積み上げられているが、仔猫はそれを2メートルばかり駆け上がる。それが崩されたら、後が大変だと思う間もなく、今度はまた別のコーナーの本の山の上を駆けめぐる、といった具合で、あっけにとられているうちに麻理さんが開けたキッチンの戸口から超スピードで出ていった。野々歩が大きくなった現在、家の中を「走り回るもの」の出現は10年振りぐらいではないかしら。わたしの家では、事件と言えば事件だった。翌日の昼間は、「パパ似」は姿を見せなかったので、もう懲りて来ないかと思っていたら、夕方にはママ猫と一緒に姿を見せて、麻理さんの手から餌を食べた。





     

  • 1999年9月4日

    PowerMac8500/120をパワーアップした。



     カバーを外したPowerMac8500
     丸のところにカードを挿す

     MACH Speed G3 300/512K

     ドーターカードを挿す

     起動画面に出るG3カードのロゴ

     先月、自作映画紹介のWebページを作っていて、メモリ不足のために、前からPhotoshopとNetscapeの両方を同時に開いておくことが出来なかったということもあったが、Photoshopだけ開いていても、画像ファイルを何枚も開くと、縮小機能が働かなくなったりで、かなりいらいらした気分になった。MacOSが40.7MB近く喰い、Photoshopが30.3MB、Netscapeが18.2MB、Jedit3が3.1MB、そこに更に5.8MBのGraphicConverterを起動するとなると、合計98.1MBとなり、80MB搭載ではとても足らないわけ。メモリは何とか増やしたい、それに内蔵のハードディスクドライブも、それならいっそ、CPUもG3にしたい。と思うと、CPUを変えてクラッシュしたら、この仕事が出来なくなる、という心配も生まれて、映画紹介のWebページ作りの作業中は我慢していたのだった。

     そのWebページ作りも終わった。写真展も開けた。そこで、常時使っているPowerMac8500のグレードアップに取りかかることになった。Webで「はなちゃんのPowerMacintosh8500パワーアップ計画」というページを見つけて、カバーの外し方やメモリ・CPUカードの装着の手順が写真入りで詳しく出ているページをプリントして読んだ。8月31日、展覧会場にちょっと顔を出して、秋葉原へ出かけた。LAOXのMac館でグレードアップのことが比較的詳しく書いてある「Macintosh改造テクニック」という本を買った。階上の売り場に行ったが、雰囲気が以前とすっかり変わっていて、3年前のマシンのグレードアップカードなどなどについて聞くのには気後れを感じた。
     iMACが売り出されてから、Mac売場の雰囲気が変わった。半ズボンの帽子のお兄ちゃんや、茶髪のお姉さん方が増えた。それはいいけど、それに合わせてか、店員と「マシン」の話が出来なくなった。ColorStyleWriterProのインキが売ってないので、聞いたら、そのプリンターってどういう形ですか、と逆に聞かれたしまった。iMAC以前のMacは完全に「中古」以外ではなくなった。そこで、JRの中央線の鈍行の乗って千駄ヶ谷に行った。昨年の秋、アップグレードしたLC630のCPUを買ったPACIFIC WAVESへ行ってみようと思ったからだ。千駄ヶ谷の駅から行くのに、ちょっと道を間違えたが、行ってみると去年のあの優しいお兄さんがいて、相談に乗ってくれた。そして、
     CPUグレードアップカードとして、「MACH Speed G3 300/512k」と
     メモリ、「DIMM 64MB module」一枚と
     内蔵SCSIハードディスク、「Seagate 3.5" Ultra SCSI 4.5GB 」
    とを、消費税込みで10万円ちょっとで買った。ハードディスクを取り付ける「ブラッケット」をおまけしてくれた。そして、装着の手順に付いても詳しく教えてくれた。

     これで早速取り付ければいいわけだが、そうは行かないのがわたしの仕事場。先ず、Macを引っぱり出すには、そのMacの上に、また周りに積み上げられた本を片づけなければならない。そして、Macのカバーを外したりする作業の出来る空間を作らなければならない。本を片づけると言っても、単純ではない。片づける本を持て行く先の本棚の本をその前に整理しなくては片づけることもできない。そこでまた、整理する本を持って行く先の整理、といった具合で、地震の予行演習参加を呼びかける区役所の、街中に響き渡るスピーカーの声を聞きながら、それに一日掛かった。殆ど数年ぶりに掃除機を掛けたという空間もある。Macも一新するから、部屋も一新しなきゃ、と呑気なこと。

     さて、9月2日はいよいよPowerMac8500の改造実施の日。朝も早く5時に目が覚めてしまった。朝食、新聞、トイレと一通りのことを済ませて、Pacific Wavesのお兄さんに教えられたとおり、先ずメモリの装着から始めた。PowerMac8500は、カバーを外しただけではメモリを装着することが出来ない。ロジックボード(マザーボード)を外さなくてならない。6本のケーブルを抜き、ネジを外して、電源スイッチを取り去り、前面に引いて、横に倒す。手順は面倒だけどすんなりと行った。わたしのPowerMac8500は既に80MBのメモリが付いている。A1、B1のスロットに8MBずつ16MB、A2、B2のスロットに32MBずつ64MB、合計80MBだ。そこで、A3のスロットに買ってきた64MBを挿した。
     そこで、一旦、ロジックボードを元に戻して、メモリの増設が認知されているか確かめてから、CPUのドーターボードを取り付け、最後にハードディスクを取り付けるように言われていたが、ロジックボードが取り外されていた方が、ハードディスクを取り付けやすいと思い、先にハードディスクを取り付けることにした。ハードディスクを取り付けるには、SCSIのID番号をジャンパーピンで設定しなければならない。ところが、買ってきたSeagateの箱に説明書が付いてない。ハードディスクにピンの位置は書いてあるが、どれが0、1、2なのかはっきりしない。しかし、PCのマシンでの増設でやったことがあるから、見当を付けて、内部SCSIバスの空いている「ID:1」に設定した。
     さあ、これでよしと、ロジックボードを元に戻そうとしたが、ピラピラした押さえの金具がうまく填らないのでちょっと慌てた。しかし何とかロジックボードを取り付けて、Macを置いてあった所に持って行って、ディスプレイとADBケーブルを繋いで起動した。起動はしたものの、「このコンピュータについて」を開いて見たが、増設した分のメモリを認知してない。こういう時って、頭に血が上ってくるのが分かる。脳溢血にならないとは限らない。Macの改造に失敗して脳溢血で死ぬなんていうのは珍しい死に方になる。実際、やれやれ、というところ。もう一回ロジックボードを外して、メモリを押し込んで、また元に戻して起動、しかしメモリは認知されない。仕方ないから、ハードディスクをフォーマットしてパーティションを切ろうとしたら、「共有」となっていて出来ないということ。まあ、慌てなさんな、共有を解除すればいいんですよ、ととにかくハードディスクだけは増設できた。

     しかし、メモリは何で認知されないのか。A3スロットが駄目ならB3スロットで試みる。しかし、B3スロットも駄目。では、A4スロット、これも駄目。やっぱり2本組で増設しなければ駄目か、とまた最初に挿したA3に挿してみたら、ようやく認知した。どうして?これが分からない。でもまあ、メモリ増設は成功したわけだから、いよいよ「MACH Speed G3 300MHz 512K」の取り付け。この取り付けは、現在のPowerPC 604が付いたドーターカードを抜いて、差し替えればいいというわけ。差し替えは簡単に出来た。ところが、いざ起動してみると、電源が入って最初の起動音はするが、ディスプレイが真っ黒。ディスプレイをチェックすると、「入力信号がありません」と表示された。説明書に「PRAMの初期化」ということが書いてあったので、それをやるが駄目。差し方が悪いのかと、再三試みるが、ディスプレイは殆ど真っ黒で、PowerPC 604に戻すとちゃんと立ち上がる。G3で再起動を掛けたとき、MacOS8.6のロゴまで行っても、その先には行かない。説明書を読むと、メモリのスピードが70nsの遅いものだと起動しないと書いてあった。前から付けていたメモリがこれに当たるのかと、半ば諦めて、Pacific Wavesに電話しようとしたら、運悪く定休日だった。仕方なく、メールを出して、アイスなんか食べて、早く寝てしまった。

     翌日9月3日、インターネットで発売元のアスクのホームページを見てみたが、わたしが買ったドーターボードについては一覧表に名前があっただけだった。そこから、アメリカの製造元のホームページに行ってみたら、めぼしいことは書いてなかったが、やはりメモリなどのスピードが遅いと起動しないとあった。それから、Pacific Wavesの開店を待って、電話した。すると、お兄さんが出て、ロジックボード上の二次キャッシュを抜けばいいかも知れないから、FAXでキャッシュの位置を示した図を送るという。しかし、わたしとしては、もうカバーを取って付け替えて、またカバーをしてということをやる気がしなくなっていたので、タクシーで持って行くから差し替えてくれ、と返事した。
     それから、昼食をすませて、タクシーを拾ってきて、PowerMac8500を座席に積んでPacific Wavesに運んだ。そういえば、このMacはタクシーに乗るのが2回目だ。買って直ぐの頃、買ったやつにAV回路の故障があって、ソフマップでこのMacに取り替えて貰ったのだった。あの時は、このMacをタクシーの座席に載せて、秋葉原から家まで持ち帰ったのだった。パソコンには情が移るのか、感傷が忍び込んでくる。Pacific Wavesではお兄さんのカバーを外すところから、お手並み拝見と見ていた。お兄さんは、まずロジックボードを外して、キャッシュのRAMを抜いて、ドーターカードを付けた。そして、カバーを外したまま起動させた。しかし、そのときハードディスクとCD-ROMのケーブルを抜いたままにしていた。ハードディスクのクラッシュを避けるためだという。画面にフロッピーの疑問符が出たところで電源を切り、ハードディスクとCD-ROMを繋いで再び起動させた。見事起動。そして、ドーターカードのソフトをインストールして再起動、「MACH Speed G3」のロゴが起動画面に出た。PowerMac8500のアップグレードが成功。また、タクシーを呼びに行って、それに積んで持ち帰った。

     G3カードを付けたPowerMac8500は見違えような速さだ。アプリケーションの起動が速い。一番速さを感じるのは、スクロールの時。ちょっと押し過ぎると、さっと行き過ぎてしまう。ファイルを開くときの小さなウインドウだと、スクロールの幅がないので、下に行き過ぎ、上に行き過ぎで、目当てのファイル名を掴まえ損なうこと暫し、という具合。これで、アプリケーションが少々重くなっても、Macを買い換えることなく、しばらくは大丈夫だろう。パソコンって、長く使っていると情が移る。


     

       








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