今年も、写真展を開くことが出来た。
ギャラリー・モールの写真展会場 |
28日、日曜日の午後、Moleの会場に展示写真を飾り付けた、といっても、Moleの津田さんがほとんど一人でやってくれた。ありがとう。Moleでの個展も今年で9年目。津田さんの好意で、毎年開くことが出来た。わたしは、写真で飯を食っているわけでないので気楽に撮ってきたが、それでも、毎年開くからには、その時その時、見に来た人に何か違った印象を持って貰おうと、それなりに努力してきた来たつもり。今年は、町中を歩いて出会った眺めと、人の風貌と、自分のマニアックな姿と、壁面を分けたように並べた。
昨日は、開場の時間に行って、サイン用のスケッチブックを用意した。それから、午後7時まで来た人と話する。人が来ない時間はちょっとつらい。一点一点、よく見てみる。眺めは眺めとして、人の風貌は風貌として、自分の姿態は姿態として、それぞれ収まっている。そして、狙い目みたいなものが感じられる。自分では、それが良くないと考える。魚眼レンズを使って撮った写真ばかりだから、画面の中心に置いたものとか、近寄って撮ったものが主役になる。見せたいものが何かはっきりする。展覧会となると、数が限られるから、その中の印象深いものが選ばれている。何か、違うんだなあ、という思いが残る。もっと人が見ようともしないものがたくさんあった筈なのに、という思い。今年の会場はちょっと面白過ぎた、という反省が出た。
ムクゲの花が咲いた。
木槿の花 |
昨年も8月24日に木槿の花の記事をアップロードしている。でも、咲いてる花は違う、もう一本の方だ。そちらも蕾は付けいぇいるが、まだ小さい。当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、同じ日に同じ花が咲くということには感慨がある。それだけのことなんだけど、深い根を持つ感慨といえよう。昨日は、「胸をめぐった」という1974年制作の8ミリフィルムの音声を6ミリテープからカセットにリレコした。秋にイメージフォーラムの「ホームムヴィー・ティスト」というプログラムの中で上映してくれるという。10月22日と24日の2回。
「胸をめぐった」は25年も前の作品だ。1974年に古いアマチュア用の16ミリカメラを買って、「日没の印象」を作る前は、1960年代には8ミリで作品を作っていたが、しばらく空白があって、新婚旅行に一番安くて軽いCANONの318という8ミリカメラを持って行ったのを機会に、再び映画を作ろうと思い始め、そこでボーナスをはたいて「ライキナ・スーパー」という最高級機を買って作ったのが、この「胸をめぐった」という作品。CANON 318を持って札幌に出張したときに撮った映像と、団地の石畳と乳房をその「ライキナ・スーパー」で撮ってカット編集して、音楽とナレーションを付けた。魚眼的アングルを出すのに、この高級カメラが必要だったわけ。音楽に何という曲か忘れてしまったけれど、東欧の歌謡曲が繰り返えされて、ちょっと狂おしい雰囲気は出ている。
さて、その6ミリからカセットにリレコするのに、以外に手間が掛かってしまった。単純に、6ミリのオープンデッキからカセットデンスケに流せばいいと思っていたが、先ず上映してみて、フィルムと音とが合っていないのが分かる。音の方が遅れていって、つまり長くなる。音を摘まなくてはならないが、8ミリをテープと同期させるものがない。そこで、ストップウオッチを押してフィルムを映写して、カットのおおよそのタイムラップを取った。そしてテープをもう一度流してそのズレ具合を見た。リレコするとき、音のない部分で録音する方を止めて、摘んでいこうと考えた。ところが、カセットデンスケは時間の表示が出来ない。そこで、時間の表示が正確なMDDETAに録音して、それからカセットに録音することにした。それでフィルムと音とを何とか合わせることは出来たが、音がちょっと堅くなった。まあ、仕方がない。そんなわけで、夏休みの楽しい一日になった。
上映作品の全部のWebページを作った。
今年は数が少ない朝顔の花 |
今月の7日から始めて22日の夜まで掛かって、ようやく横浜美術館での上映作品全部のWebページを作った。25作品、思い詰めて作っているものもあるが、気楽に作っているのもある。総じて自分の書く詩と同じように、その時その時の感情や思いに忠実に作っているので、他人には分かり難いだろうなあ、という感想を持った。しかし、それだけに個人的な感情や考えをこれだけの量の16ミリフィルムで表したという例は珍しいとも言える。映像という媒体が個人のものになりつつある現在、個人的に映像表現する人に何らかの参考になればいいと思う。こういう機会を作ってくれた横浜美術館の人には、心から感謝する次第です。
それぞれの作品の「紹介」というところに、その時の「作者の年齢」を入れた。8ミリで映画を作り始めたのが28歳、今度上映される作品で一番古いのが「日没の印象」で40歳、それから今年の「内面のお話」が64歳、作品の数としては全部で45作品、詩の作品からすれば数はずっと少ない。まあ、お金も掛かるから。でも、世間の人はこれらの作品についてほとんど知らないと思う。わたし自身、あんまり人に見せようともしなかった。従って、その作品の評価というのがどういうものかよく分からない。ただ、わたし自身の中には「映像による表現」という道筋がある。それが他人には知られてないという自覚もある。わたしの映像作品は、要するに「楽しませる」というところがほとんどない「映画」なのだから、またそれによって「何かを知る」というところもない「映画」なのだから、他人が見ようとも思わないのは当たり前だ思う。表現者としてのわたしに関心を持たなければ、見る気にならないだろう。そしてわたし自身、人からマスメディア的に多大な関心を持たれるような人間ではない。個人に向ける関心と個人の表現というところを見分けて欲しい気がする。多くの場合、「映像」と「個人の表現」が形式として結びついていないのだ。そして、言葉だったら当然のように結びつけて受け止めるのに、映像だとそうはしない。結びつけて考えようともしない。そこが、わたしの憤懣となるところ。諦めて、せっせと楽しんで来たというわけ。「映像」が「個人の表現」になるということに関心があるのでしたら、一つのプログラムぐらいは見に来て欲しいですね。
自分の作品のフィルモグラフィーを作る。
ステンベックの画面をDVカメラで撮る |
先週は、もの凄く暑かった。昼間の暑いうちは、ステンベックの画面に流したフィルムをDVカメラで撮影して、少し涼しくなった4時頃から出かけて、写真展の写真を撮り歩いた。一時間半ぐらい撮影しながら歩いてくると、頭から水を浴びたように、汗でずぶ濡れになった。家に戻ってシャワーを浴びる、その気持ちの良さといったらなかった。冷たいあずきアイスを食べる。うまい。これで、氷あずきの中毒になった。一日一個の氷あずきを食べないと気持ちが済まない。
DVカメラでフィルムを撮影しているのは、横浜美術館で上映される作品のフィルモグラフィーを作るため。スチル写真はイメージフォーラム任せで、わたし自身は一枚も持っていない。イメージフォーラムが上映する以外で余り上映されたことがないし、他人から求められることもなかった。詩集にしても、自分で解題をして資料にしておくなんてこともなかった。そういえば、自分の作品をデータ化するなんていう考えそのものがなかった。データ化しておかないと、作品といえどもゴミと変わらないということだ。「草の影を刈る」の音声を編集してみて分かったが、わたしが死んでしまえば、本当にゴミ以外ではないのだ。テープは劣化する。フィルムは傷が付く。それで無くなってしまえば、気持ちがいいといえないことはないが、残念な気もする。さてさて、自分の死が近づくってことは、こういうことか。
ステンベックでDV撮影するとなると、音を合わせなければと、6ミリだけだった作品の何本かはシネテープを作った。いつかちゃんとテレシネして置こうと思う。とりあえずDVで撮って、パソコンに静止画を取り込む作業。この前買ったTRV900は再生してフロッピーに取り込めるから便利だ。Webで使うには、画像の大きさがが640×480ピクセルと大きく、少々あまいのでPhotoshopで縮小したり、シャープを掛けたりとちょっと手間が掛かる。従って、上映作品全部のフィルモグラフィーを作って、ホームページで公開するまでにはもう少し日数が要るようだ。出来上がったら、是非見て下さい。「鈴木志郎康の映画」というもののイメージがいくらかつかめるかもしれません。
「草の影を刈る」のシネテープの編集を終えた。
6ミリテープからシネテープへリレコ |
ステンベックでシネテープの編集 |
この秋の10月に、横浜美術館でのわたしの映像作品の回顧上映が本決まりになった。8日(金)から11日(月・休日)までの4日間に、1日三つのプログラムで、25本の作品がAからJまでの10のプログラムに分けて上映される。そのBプログラム(9日・土 14:30)が200分の日記映画「草の影を刈る」に当てられている。そのためにニュープリントを作ろうとしているわけ。
普通、映画のニュープリントは絵ネガと音ネガを合わせてプリントすれば済む。ところが、この22年前に制作した「草の影を刈る」には絵ネガも音ネガもない。お金を掛けないで作ったので、撮影にその頃はまだ売っていた「NEOPAN R250」という、撮って現像すればそのまま見られるアマチュア用のモノクロ・リバーサルフィルムを使ったので、ネガがない。そのリバーサルフィルムをそのまま編集してからポジポジプリントして、音声トラックに磁気を塗布して貰って、そこに自分の家で映写機を使って6ミリテープから録音したので、音ネガもない。
その6ミリテープは、遠藤賢司さんが作曲した音楽と自分のナレーションをミックスしたしたものをマスターテープとした。音楽は、多分下北沢辺りのミニスタジオで演奏して貰い、当時非常勤講師をしていた造形大の学生に手伝って貰って録音した。ナレーションは自分で映写して見ながら、即興で喋って、カセットテープに録音した。そのマスターテープが残っていた。しかし、もう22年前の録音なので、テープそのものが劣化したせいか、再生しても音が小さく全体に雑音が被っていて、フィルムと合わせてみるとかなりのズレが出ている。今回、その雑音を出来るだけ押さえて、絵と音とを合わせるということをやったわけ。
絵ネガがない場合、リバーサルフィルムからネガを取るのが普通だが、これは非常に高く付くので、この場合はリバーサルフィルムをビデオにテレシネして、そのビデオからダイレクトにポジにプリントすることにした。ただ、テレシネしたところで、今は画質がよくなったといっても、どのくらい細部が出るか心配なので、露出がアンダーな部分とオーバーな部分と、コントラストが強い部分とをテストプリントしてみることにしている。来週からその作業をヨコシネでやって貰うことになっている。
「草の影を刈る」は、1977年、42歳になったわたしが「日記映画」の試みとして、自分の生活の視野を映画カメラで撮影して行くうちに、生活のあり方が自分の意識を支配しているということに気が付き、自分が本来望んでいる生き方を目指すために、当時勤めていたNHKを辞めるまでの心情が語られている。映像は、勤めに行く前の早朝原稿を書いていたので、亀戸2丁目団地に6階の自室の窓から毎朝日の出を見ることになり、その日の出に心を動かされて撮影するというところから始まる。そして、家族連れで動物園に行ったり、友人を訪ねたりするところ、さらに撮影の動機を自問するために、出勤途上の駅までの情景を何度も撮るといったことを行い、最後には団地の窓からの眺めに決着を付けるに至る。
この半月の間、絵と音とを合わせるために、何度も繰り返して見た。先ず、傷ついてずたずたになっている上映用のフィルムを見て、各シーンの時間をノートに書き起こした。それから、シネテープ編集の参考にしようと画面をビデオで撮影。それから、6ミリテープからシネテープにリレコするとき、リバーサル原版を22年間リールに巻いたままだったので、画像に異常がないか確かめるためにおおよそ合わせて流して見た。ところどころ、細い髪の毛を散らしたようなかぶりが出ていた。まあ、上映したら目立たないだろう。それから、リレコしたシネテープと合わせて見て行き、ナレーションとシーンがズレているところを、シネテープを切ってづり上げて行くという編集。そして、確認のために通してもう一度見る。こうして、5回は繰り返して見たということになる。
フィルムに合わせてミキシングしたのにズレているというのは、当時持っていた映写機とテープレコーダーに同期させる機能がなかったからだ。映画では、絵と音との同期ということが大切だ。声と唇とが合ってなかったら見られたものではない。映画は、カメラとテープレコーダーは別々の器械だが、回転を同期させて、絵と音とを合わせて取る。そして、撮影した後も編集の段階で全部合っていなければならない。それが全部合うような機材が揃えてあるのがプロのスタジオで、使用料は1時間数万円。この「草の影を刈る」のシネテープの編集を、スタジオを借りてやったら、連続してやって一週間は掛かっただろうから、その費用だけでも数十万円以上にはなったと思う。そこを手作りで金を掛けないでやっていくというのが「個人映画」というもの。
「草の影を刈る」は現実の生活の中でカメラを回した映像で出来ている。それを見返すということは、一つには他人が見る場合と同様、作品としての時間があってその中に身を置いて見るということになるが、一方でわたし自身としては過去の自分の生きた時間を反芻しているということになる。ほとんどの場合、シーンの前後を忘れてしまっているから、作品を見ているという印象が強いが、時折、記憶として甦ってくるところがある。タイムマシンというのはこういう感じなのかというような奇妙な感じを持った。でも、42歳の時と気持ちとはもう切れているから、そこに写っている自分はやはり他人なのだ。そこで、映像作品として身贔屓な評価になるが、ナレーションとして考えが述べられているので、それが作品の骨格となって人生の転換期を迎えた一人の中年男の姿が捉えられたいるので、見応えのある作品になっていると思う。映像機器が普及した現在、日記を付けるように自分を撮った場合、その映像がどういう意味を持つかを考える切っ掛けにもなる。