1999年10月1日から31日まで


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  • 1999年10月25日

    十月のなっても、まだ咲き続ける朝顔。



     頑張って咲いているように見える朝顔。

     8月には殆ど咲かなかった朝顔が、九月になって盛んに咲き始め、もう十月もあと一週間というのに、毎日花を付けている。さすがに、花は小さくなって、やっと開いているという感じだが、それでも、蔓を見るとまだ幾つも小さな蕾がある。夏咲かなかった分を今取り戻そうとしているように見える。けなげな感じ。  先週から、わたしは急にひどくなった脚から腰への痛みに悩まされている。昨年の日録を見ると、10月13日に「肘の痛みがひどく、松岡へ」とある。松岡のというのは、富ヶ谷の「松岡接骨院」のことで、電気を掛けてマッサージをして貰いに行ったということ。今年も、21日に朝起きて立って着替えるのも辛いような状態になって、同じように電気を掛けてマッサージをして貰いに行った。当分は通わなくてならない。お灸のつぼも聞いてきて、お灸もしている。こういうのって、年老いたというプレッシャーがじわりじわりと掛けられる。

     昨夜は、早大の旧仏文研(1954年入学から1960年入学まで)の同窓会があって、出席した。若い頃フランス文学に憧れた人々が、僅か数人を除いてフランス文学とは縁をなくした姿で集まった。作家の阿刀田高さんや言語学者の西江雅之さんなどが名前が売れた人たち。44人の出席者が自己紹介して、太った、変わらないね、年取ったと互いに感想を持ったあと、それぞれが自分の記憶の確認するような話をした。わたしは、その後個人的なつき合いをしていた以外の人たちは、殆ど忘れていたので、記憶の底から湧き出てきた人たちと出会ったという感じになった。親しいわけでもないのに親しみを感じてしまうが妙だった。脚と腰も痛かったので殆ど話をしなかった。

     振り返れば、その頃、わたしはランボーを読み、プルーストの「失われた時を求めて」を翻訳で全巻読破し、ブルトンの「ナジャ」を原書で読み、ディドロの著作集に読みふけっていた。そして、ミッシェル・レイリスに憧れた。その自分の関心と知的欲求を思いのまま満足させるようには生きてこなかった。大学を出た頃既にフランスに行きたいとは思わなくなったが、5年ぐらい前まではフランス語の本も買っていた。しかし、パソコンを始めてからは買わなくなった。でも、フランス語の本がなければ寂しいから、手の届くところに置いてある。

     

     「HotJava入門」に載っていた
    MandelbrotのApplet。

     さて、わたしのJava勉強の進み方の報告。「MacintoshJavaプログラミング」が173ページまで終わって、クラスの継承ということと、ユーザインターフェースとを学んだ。同時に読んでいた「HotJava入門」の方は最後の方の「HotJavaアプレットの作成」まで来た。Java言語の概観を掴むという点ではよかったが、この「アプレットの作成」では急に超難解になる。その一例が、Mandelbrotのアプレット。グラフィックのカラーの設定のプログラムで、いきなりマンデルブロー集合のカオスを描くというところにすっ飛んでしまう。マンデルブローって何だ?「カオスによって描かれるグラフィックスには、自己相似な繰り返しパターンが見られ、マンデルブローはこれをフラクタルと呼んだ」という。それが単純な数式で表せるとあり、その数式がプログラムのコードで書かれている。十数個の変数を立てて、あれをこちらに、こちらをあれに、と掛けたり割ったり引いたり足したりのプログラム。何だか分からないけど、とにかくそれを打ち込んでコンパイルして見たら、確かにフラクタル画像が出来た。全く手品みたいだ。
     それにしても、「入門」でいきなりフラクタルというのは、呆れるけど、フラクタル画像のコードなんてそうお目にかかれるものではないのかもしれない。この本の著者はきっと数学的なグラフィックがJavaでも可能なところを見せてくれたのだ。200ページ使って、プログラミングの過程を追い、ようやくブラウザの上に○を描くところまで来たアメリカ人が書いた「入門書」とはえらい違いだ。Javaが発表されて、その啓蒙書として書かれた本は、先を急ぎすぎているようだ。



  • 1999年10月17日

    石榴と山女。



     テーブルの上の石榴と山女。

     「akebi」とキーボードで打って、変換したら「山女」と出てきた。ざくろの「石榴」も、どうしてこの字かよく分からないけど、あけびの「山女」は、分からないけどイメージが拡がる。両方とも、色彩が鮮やか。なぜ植物の実は色が鮮やかなのか。種を運ばせるために鳥の目に付くようしているのか。そこにはコミニュケーションがあることになる。ということは、ざくろの赤やあけびの紫に人の心が動くというのは、その鳥と植物のコミュニケーションの中に入って行くからなのか。ざくろやあけびを見ると、人の心の中の鳥的な部分がうずくということかもしれない。

     速いもので、「映像個展」からもう一週間が過ぎようとしている。わたしにとっては、会期中の四日間、連日の横浜美術館通いというのは強烈な印象だったようで、いまだに朝目が覚めてから暫くの間、桜木町駅からあの動く歩道を歩いて、ランドマークタワーを抜けて美術館に行く辺りのイメージや感覚が戻ってくる。そこで上映された映画の全プログラムを11時から夜の8時過ぎまで見続けたが、それがわたし自身の1976年から現在に至るまでの生活空間と自分の姿だったから、この二十年余りの生涯を反芻することにもなったわけだ。「やあ、見ちゃったよう!」ということ。

     横浜美術館から送られてきた資料では、入場者数は「有料327、招待等68、合計395人」で、アンケートを書いてくれた人は29人だった。全プログラムを見てくれた人も数人いたし、幾つものプログラムを見てくれた人は結構いたから、実際の300人余りと言うことになる。アンケートを書いてくれた人は、2、3人を除いて殆ど知らない人だった。作品にたいして悪口や批判を書いた人はいなかった。興味と関心を満足させている様子だった。続けて見た人の中には、食事の時間が十分とれなかったと書いた人もいた。美術館の食堂は「セザンヌ展」に来た人で一杯だったし、ランドマークタワーまではちょっと距離があったから、そうだったなあと思った。わたしは、美術館の人が用意してくれたサンドイッチを昼食と夕食に出来て助かった。前にも書いたが、わたしの映画のような「極私的な」作品を、個人的にわたしを知らない人が見て面白いと感じるところが、作者のわたしに取って面白いところだ。そこには「自己意識」ということを、それぞれがどう扱うかが「問題提起」されていることだと思う。25年間に「変貌する志郎康という人物の姿」が問題を提起しているといえよう。そのことを、わたし自身も確認した。

     

     Javaで回る地球儀。
    「Apple Applet Runner」で
     そんなわけで、「映像個展」と勤め先の会議が重なって、Javaの勉強の方はちょっとお留守になっていた。といっても、行き帰りに電車の中では、眠くならない限り、「HotJava入門」という本を読んだり、パソコンの前に座れば、WebのJavaのページを航海したりしていた。中山茂著「HotJava入門」は、平成8年(1996)1月16日初版発行という本で、本箱の奥の方に、曲がって入れてあったために歪んでしまっていた。この本は、1995年5月23日にSun Microsystems社がJava言語とHotJavaブラウザを発表したのを語るところから始まる。そして、HotJavaとJava言語の解説をしているが、文章に熱が入っている。この本が発行された1996年頃のjavaに対する期待が大きかったのが伝わってくる。今でも、本屋に売っている本は1996年発行のものが多い。

     それから4年経った現在、javaは一般的には余り話題にならないらしく、本屋のコンピュータの書棚はLinuxに侵攻されて、javaは数が少ない。でも、今年発行されたものも二冊ほど見かけた。「javaのレシピ」とか「javaのからくり」とか、若者に媚びた題が付いていた。javaは、当初騒がれたほどには騒がれなくなったわけだ。OSを選ばないといっても、javaをサポートするブラウザが必要だ。つまり、万能ではないが、インタラクティヴなWebページが作れるから面白い。しかし、不評を買うところもある。それは、ブラウザによってはヴァージョンが合わず、javaアプレットを認知してくれないものがあったり、ロードするのに数秒かかったり、時にはマシンをフリーズさせることもあるからだろう。
     Javaを始めてから、いろいろとJavaのあるサイトを見て歩くようになった。「Sun」のサイトからアプレット集を見た中に、風向きや弾道角度などを調節して大砲の弾を的に命中させる「Cannon」というゲームが面白かった。「原子核プラントのシュミレーション」もあった。制御を誤ると次々にプラントが爆発する。この前事故を起こした核燃料工場など、このシュミレーションを使って研修すればよかったのはないかしら。ただボールがぐるぐる激しく回る「Balls」というのも面白い。「オセロ」を楽しむこともできる。とりわけ「いいなあ」と思ったのは、Appleのサイトから「MRJ SDK(Software Development Kit ) 2.2 Early Access 2」をダウンロードしたとき付いてきた「SunSphereMRJ」だ。現在時点の昼と夜の部分がくっきりと出た地球儀がゆっくりと自転するアプレット。マウスで回転軸や速さを調節できる。刻々と変わる現在時点の地球上の夜と昼を一目で見ることが出来る。こういうものが出来て、ブラウザさえあればどのOS上でも実行できるJavaは捨てたものではないと、改めて思った次第。



     

  • 1999年10月12日

    横浜美術館での「映像個展」を終えて。



     「セザンヌ展」を開催中の横浜美術館。
    そのレクチャーホールで「映像個展」があった。

     「セザンヌ展」の出口通路の脇にある
    レクチャーホールの入り口。何をやっているの
    だろうと、人々は覗き込んでは通り過ぎて行く。

     8日から11日までの4日間、横浜美術館のレクチャーホールで開催された「鈴木志郎康映像個展」が、無事終了した。見に来て下さった方々に感謝します。作者のわたしは、毎日、開場前の10時半頃から終了まで会場にいて、上映される作品を見たり、ロビーで見に来た人たちと話をしたりした。満員というわけには行かなかったが、初日の一回目を除いて、お客さんはバラバラに座って、ゆっくりと見られる程の数は来てくれた。特に、連日見に来てくれて、全作品を見た人が何人かいたのは嬉しかった。全作品を見る人がいたということは、全作品が全作品として「作品として成立した」ということで、作者のわたしにはとても力になる。感謝の気持ちで一杯というわけ。同じ美術館で開催されている「セザンヌ展」には、1カ月目の昨11日で10万人の観衆が訪れ、その出口の脇にあるレクチャ−ホールにはせいぜいその三百分の一の観客しか来なかったが、この個展を熱心に支えてくれた美術館の職員の人たちにも感謝します。

     そもそもわたしの映画は、自分の個人的な映像表現をいかにして可能にするかということを目指して作られているから、映画というものをただ観賞の対象に置いている人が多い世の中では、今のところほとんど問題にならない。しかし、映像メディアが身近なものになりつつある現在、自分でも映像作品を作ってみようという気になる人が増えてくることは確かだ。そこで、わたしとしては、自分がやってることがだんだんと普遍性を持ってくるのではないかと思っている。10万人の観衆を引き寄せている「セザンヌ展」になぞらえれば、「セザンヌだって、サントヴィクトワール山を前にして描いているとき、その絵を数十万人の日本人が行列を作って見に来るとは思っても見なかったに違いない」とも言ってみたくなる。今回は、わたしの映画だけが上映されたのだから、わたしの映画を百人か二百人の人は確実に見てくれた。ということは、この種の映画に至る何らかの道筋が着けられれば、もっともっと多くの人が見るに違いない。つまり、わたしが映画を作って映像表現としてやっていることは、決して無駄なことではないと、見に来てくれた人たちの顔を思い出して勇気づけられる。



  • 1999年10月7日

    秋の空。



     秋雨に濡れた木槿の花

     「秋の空」というと、人それそれで、異なった感慨を持つに違いない。それが、「しとしとと雨が降る秋の空」となると、また違ってくる。「葉や花に秋雨の水滴が溜まっている」となると、もうその場から心は離れて、古い記憶へと引き込まれていく。けっして華やいだ気分にはならない。振り返るという意識の姿勢が出来上がる。その姿勢が人を動かすが、濡れた花に誘われて、人は何処に赴くのだろう。落ち着いた気分で、静かな部屋の中で「詩集」を手に取るなんてことがあろうか。わたしは、まだまだそんな気分になれない。が、この気分のたゆたいはなかなかいい。

     この数日間の間にわたしの口をついで出た言葉。
     「存在の固有性は他との比較の上で確認されるのだから、比較されるものが多いほど固有性の密度は高まるということになり、全世界の他の存在との比較が成立したとき最高になる。視覚で固有性を捉える場合、一点を中心に全世界が視野に収まればそれが実現する。魚眼はその半分をやってるってことか。」
     「映画を見て眠くなるのは、そこで時間が消滅するということだが、とすると、人の意識を仮死させることが出来るということ。映画は見ている人の時間を代行する。」

     ところで、わたしのJava言語の学習状況。「演算子」から「文」の形式をようやく終えたところ。「文」というのは、「もしも(if)」というif文、「i」が「3」より小さいというのが「真(true)」なら、「実行する」、でなければ「実行しない」というようなものとか、「ある条件が成立する間(while)、(for)」、それを実行し続けるというwhile文、for文とか、「ある条件の場合(switch〜case)」に実行するというswhitch文とか。何れにしろ、「やる」か「やらない」かをコンピュータに命令する文ということ。例えば、先日作った「マウスでクリックすると、そこにネコが来てニャアというプログラム」では、そのマウスのクリックが、「された(true)」か「されない(false)」かというところで、「if文」が使われている。
     ところが、この文章を書くのが人間で、その命令を受け止めるのがコンピュータだというところで、いい加減が通用する人間と通用しないコンピュータとの間にいろいろなことが起こる。一昨日は、「Macintosh Javaプログラミング」の一個の「,(カンマ)」のミスプリ(142ページ)を、それがミスプリと確かめるまでに半日かかってしまった。わたしのような入門者ではない、プログラミングになれている人なら直ぐに気づいた筈だが、わたしは知識がないから、本を信じて、自分の間違いと思いこんで、いろいろとやってみて、どうしてもエラーになるので、別の本を見たりして、やっとの事で、ミスプリと確認できたのだった。こんな間違いは初歩的なことだから大したことないけど、バグ探しはほんとに大変なんだろうな、と思う。

     「Macintosh Javaプログラミング」は165ページまで来て「第8章」が終わり、これから「第9章」に入る。この本はプログラミングというものがどういうものか、懇切丁寧に説明してくれるが、それでも、コンピュータを扱うというところで何かが前提になっているとわたしは感じてしまう。その何かというのが、いまいち分からない。読んだとことは十分に理解したつもりで、それで、知っている範囲で自分でプログラムを組み立てようとすると、たちまちお手上げになってしまう。コンピュータ・プログラミングということの前提になるところが、わたしにはないと感じるわけ。
     「Java入門」の方は、ようやく「第2章」の「ウォーミングアップ」が58ページで終わったところ。こちらはそのプログラミングの基礎となる「演算子」とか「文」とかデータの配列とかについて、「こういう事があるよ」とろくな説明もなく、どんどん例題が出てくる。Javaでも「if文」が使えるよ、でJavaではこうなるよ、ってな具合だから、この本はもう既に他のプログラミング言語を知っている人向けの、プログラミング入門ではなくJava言語入門の本なのだとようやく分かり掛けてきた。



  • 1999年10月1日

    初めての自作Javaアプレット。



     プレット処女作
    「マウスの動きを追いかけるネコを描くアプレット」

     Javaに踏み込んで既に半月経った。まだ半袖で過ごしているが、日差しもそよぐ風も、もうすっかり秋を感じさせる。それを感じると、心が動き、懐かしさがこみ上げてくるというのは、どういうことなんだろう。窓の外の葉群れに光る日差しを見て、そんな感慨を持ちながら、パソコンの前では、Javaのコードを打ち込んでいる。

     「MRJ(Macintosh Runtime for Java) 2.2 Early Access 2」と「MRJ SDK(Software Development Kit ) 2.2 Early Access 2」をAppleのサイトを探し回ってダウンロードして、インストールし、「CodeWarrior」と併せて、Mac上でのJavaプログラミングの環境を整えた。そして、入門書の「Macintosh Javaプログラミング」は、ようやく123ページまで来た。「変数」「演算子」「メソッド」と学んできたけど、それがなかなかすんなりと頭に入ってこない。文章を読んでいて分からないというわけではない。三つの数の平均値を求めるには、三つの数を足して3で割ればいい。それをJavaの「メソッド」では、
     

     int findAverage( int num1,  int num2,  int num3)  {
          int average  =  ( num1+ num2 + num3) / 3;
          return average;
      }
      
     
     と書くということだが、この単語の配置のし方が、プログラムを書くことに慣れ親しんでいる人には当たり前のことなのだが、始めたばかりのわたしにはすんなりと入ってこない。変数でもメソッドでも整数を扱うから「int」が付いているらしいけど、なんか、落ち着かない。詩を書くとき、一行一行分けて書くが、初めて書く人にはその行を分けるということが、なんか、よく分からないというのと同じなのかなあ、と思ったりする。そこが落ち着かないから、例えば、「Mac版 JAVA HotJava」(1996年 カットシステム刊)という本の中で、Java言語の特徴を説明するのに、
     
     class  Drink {
        public float Ondo;
        public float Drink(float  Ondo) {
             this.ondo = Ondo;
         }
     }
     

    というような例を書かれていたりすると、もう頭を抱えてしまうことになる。半月やそこらで、プログラミング言語の書法に慣れるのは無理ということなのかもしれない。

     まあ、それでも本に載っているコードを書き写して、コンパイルして、それが動くと嬉しい。ところが、書き方に慣れてないから、やたらに打ち間違いをする。打ち間違えれば、コンパイルの時、エラーとなってしまう。変数やカンマや大文字小文字の打ち間違いが、ほんの数行のコードの中で見つからないで、何度もエラーを返されて、いらいらする。そういうことがあれば、いっそう成功したとき嬉しいわけ。それで、止められなくなる。
     その「Mac版 JAVA HotJava」という本に、「マウスの動きを追いかける円を描くアプレット」というコードがあった。早速、書き写してコンパイルすると、マウスに円が付いてくる。ちょっと面白い。Javaで「インタラクティヴ」を実現すというところが出ていると思った。そこで、このコードを拝借して、ネコがマウスを追いかけるように書き換えて書いてみようと思った。画像を表示するというのは、「Java入門」で既に練習しているから、円とネコの画像を入れ替えて、わたしの初めて自作「Java Applet」となった次第。このアプレットは、わたしの「多摩美サイト」に「Java1・マウスとネコ」として置いてあります。  

     

       








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