能瀬大助作品集「映画をする」の上映会に行った。
「映画をする」能瀬大助作品集 のチラシカード |
1月21日に能勢大助君の作品上映会「映画をする」を、イメージフォーラムシアターのシネマテークで見た。能瀬君がイメージフォーラム付属映像研究所の生徒だった頃の1997年の作品「かいまみる」から去年の「その先へ」、そして新作「ナンダカンダ」までの9作品が上映された。一日4回の上映で、わたしは最後の回を見たが、5、60人入る会場は一杯だった。一つ一つの作品は3分か5分、長い作品は「人のかたち」が20分、「日日日常」が36分。どの作品も明快で、笑わせるか考えさせるかのどちらか。(^_^)と??が広がる作品は珍しい。
わたしは、新作を除いては全部既に見た作品だったが、いつも見るたびに能瀬君の作品から刺激を受けるし、また考えさせられる。今回も、路上や壁に映る事物や人の影を撮った「人のかたち」を見て、大いに考えるところがあった。大まかに言って二つのことがわたしには問題として浮かび上がった。映画では太陽の移動に従って影が移動するのをコマ撮りで撮っているが、一つにはそのことから、影は影の中に入ると消えてしまうということ、つまり人は太陽光線が差さない部屋の中に入ると影を失う。内部というのは影の空間で、その中にいる者は新たに光源を作らないと、影を持てない、ということ。当たり前のことだが、人間の内面ということを考える上で示唆を得た。もう一つは、映画の後半で路上に出来たマネキン人形の影を白墨で辿っていくというシーンがあるが、コマ撮りで輪郭を辿るから、辿っている間に影が移動して、最終的には影を辿った輪郭は人形の形をしてないことになる。つまり、その輪郭は時間を含んだ形なのだが、その時間がもたらす歪みというものを、他のことに当てて考えたらどうなるかということだった。「存在」を「射影」という概念を導入して考えることろに問題を拡げて行くことが出来るのではないか、ということ。
新作「ナンダカンダ」は黄色い衣装の肥った男が、カラオケ風に振りを付けて歌うというだけの作品だった。この作品は、会場の笑いを誘っていたが、わたしにはよく理解できない作品だった。で、家に帰って、能瀬君にメールで質問したら、
というような返事が返ってきた。能瀬君が述べているところは、表現ということを考えるとき、作品を前提にしてしまうわたしの考え方とは、ずれていることが分かった。能瀬君の表現はどちらかというと「遊び」に近い。わたしは「表現」というと、どうももっと事大的に考えてしまう。「なるほど」と思った。その遊びといえば、能瀬君の「映画をする」のお知らせサイトが面白かったので、能瀬君の許可を得てわたしのサイトに移動した。右下のイメージフォーラムシアターの地図にマウスを持って行き、音楽が終わったらクリックを続けてください。あの作品をつくるにいたった過程をお話しすると、 まず、この上映会のタイトルを「映画をする」とつけたので、「映画をする」に 対する何らかの解答を作品にしたいなぁと考えました。自分にとって「映画をす る」ってどういうことなのかを。 たぶん今までも僕は映画をし続けてきたつもりなんですが、見ている人にとって は「何が映画をするなの?」って感じでしょうし、その辺を自分の中でもはっき りさせたいなって思いました。 で、思いついたのが、なんのひねりもないんですが、既存の映画のセリフをその まま覚えて、それを演じてみるという作品でした。 志郎康さんにとってはそれはもしかして今までの作品とは全然違う作品だと思わ れるかもしれませんが、僕にとってはまさにそれが「映画をする」ということで した。 それを作品にする方法を考えているときに、ふと出演してもらった宮坂くんのこ とが頭に浮かびました。彼はカラオケで披露し、その場を盛り上げるためだけに 忙しい仕事の合間に歌の振付を覚え、人知れず練習をしていました。そのある意 味ばかばかしいとも受け取れるその真剣さに心をひかれ、今回の作品を撮ろうと 決めました。 よく分かってないんですが、コンテンポラリーダンスフィルムをつくりたいなっ て思ってましたし。なんか身体表現をテーマにしたような・・・。 よく分かってないことをよく分からないままつくったのが今回の作品です。
裸の王様。
東急大井町線・上野毛駅前に 立つ裸の王様 |
裸の王様を街頭で演じた。多摩美・映像演劇学科の一年生が、わたしが担当する授業の発表会の宣伝のDMに、わたしの「裸の王様」振りを写真にして使いたい、というので引き受けた。60過ぎて、寒空の下に半裸で立つのは、年寄りの冷や水になるかと思ったが、彼ら彼女らの気勢を殺ぎたくないし、こっちは「身体を賭けた」んだから、と貸しが出来ると踏んでやった。久し振りの裸の演技だったけど、でも、やっぱり後で腰の痛みに響きましたね。
この授業は「空間表現基礎」といって、映像、演劇、空間表現を志望する一年生をひっくるめて、表現の基礎を体験させるというもの。四月の授業の初っぱなに、夜間の学部なので、「夜の散歩」をする、というところから始める。散歩の途中に何か拾って来て、その物をネタに話をでっち上げ、みんなの前で発表する。それから、物の触感を捉えるということでフロッタージュと木彫りを彫刻家の海老塚耕一さんに担当して貰い、詩人の川口晴美さんに書き言葉の訓練を、そして写真家で小説家の島尾伸三さんに発想の訓練を担当して貰っている。最後が、「企画制作」と称して、映像でも、演劇でも、パフォーマンスでも、何でもいいから十二、三人一組になって表現してみなさい、というところに来て、今がその時期に当たっている。
この「企画制作」が、結構おもしろい。今年の一年生はミュージカルが一つ、映像を含むパフォーマンスが二つ、DVの映像作品が二つ、16ミリアニメが一つ、それに8ミリの人形アニメとその人形劇が組合わさったパフォーマンスが一つ、という企画になった。総じて、映像にしろパフォーマンスにしろ、自分たちを前面に押し出してくるという表現になる。三年前の企画で、グループの全員が100人の人の顔の写真を撮ってきて、「人の顔を床に敷き詰めて踏んで見る」というのがあった。写真を踏んで見るというような考えは、わたしには無かったから驚いた。実際、最初は人の顔はなかなか踏めない。しかし、一度踏んで見てしまうと、妙な感じに引き込まれて行くのだった。見るだけでなく、身体的な何かが加わらないと満足できない、というのが今の若い人たちの感性なんだろうな、と思った次第。今年はどうなることやら、「冬季集中実習」の「集中」に期待しよう。わたしの「裸の王様」で、お客が沢山来てくれるいいのだが。発表会は2月の6日と7日の午後から夜10時頃まで、多摩美の上野毛キャンパスで。この時期は二年生の発表会、四年生の卒業発表が重なるので、わたしのいる学科は大忙しとなる。
コンピュータというもの。
ダニエル・ヒリス著倉骨彰訳 「思考する機械コンピュータ」の表紙 |
今週はダニエル・ヒリス著倉骨彰訳「思考する機械コンピュータ」(草思社刊)を読んだが、この本を読んだわけというところの、個人的事情は全くの個人的事情で、他人にはどうでもいいこと。まあ、人が使っているパソコンの中身って、個人的な事情の堆積ですよね。他人のデスクトップの有様を理解しようとしたら、大変だ。今日、学生と話していたら、「自分が死んだ後に残っている人たちの様子を表現したい」という奴がいた。それって、現在の様子そのままなんじゃないの、だってどんどん人は死んでいているのだから。現在って、その死んだ人たちの後の様子ということでしょう。では、わたしが死んだら、誰がこのデスクトップを消去するのだろうとふと思った。何処に何があるか他人には分からないぜ。ファイルというのは、只の見せかけにしか過ぎないのだから、実は何もないのだ。そのパソコン上では何もないというところを確かめたくて、も一つはチューリングのことをちょっと知りたくて、この本を読んだわけ。
著者のヒリスさんという人は、コンピュータと人間の脳とを並べて、脳を演算する機械と捉え、コンピュータを脳に匹敵するところまで持って行こうとしている人。従って、この本はコンピュータの入門書として書かれているが、AND、OR、INVERTなどの論理演算回路の説明から始まって、アルゴリズムを説明、プログラミングの実際を経て、並列コンピュータまでが論じられている。そして結論としては、コンピュータの設計者として工学的アプローチを超えたところの「熟成するシステム」に持って行こうと考えているらしい。つまり人工知能を作り出そうとしている。後半の論議はわたしの理解を越えているものだったが、分からないままに、へー、それでどうなるの、てな感想は持てた。
意外なことだったのは、コンピュータって何もデジタルでなくてもいいということだった。コンピュータは電子的でなくてもいいみたい。実際、著者が作ったという棒と糸だけで作られたコンピュータの写真が出ていた。棒と糸で滑車のようにしてAND回路が作られていて、それが沢山組み合わさっている。入力側を押すと出力側に計算結果が出る。要するに流れとスイッチの組み合わせだから、水道管とバルブでもコンピュータできということだった。パターンと状態遷移を確実に展開できれば論理回路が組み立てられ計算が可能ということ。そこに組み込むスイッチの大きさと、スイッチの作動する速さが問題になったとき、エレクトロニクスとして発達したというわけ、ということ。計算可能なら何でもいい。実際、人間の脳はエレクトロニクスではないもので計算していると、ヒリスさんは語る。
パソコンもコンピュータだけど、わたしなんかの使い方はヒリスさんが考えるコンピュータとは随分かけ離れている。その「かけ離れ」は、OSやアプリケーションなどが間に入っているから。人間として使えるようになっている。人間は裸のコンピュータとはとてもつき合えない。でも、つき合ってみたいという気もする。それは、わたしが望むというより、わたしの脳が望んでいることなのかもしれない。脳にはいろいろなことが記憶されている。でも、当人が死んでしまうと、脳の働きが止まって、それは一切無化されてしてまう。そこで、脳はいろいろなバックアップ装置として言葉とか更に文字とか作り出してきたが、その働きそのものををバックアップするまでには至らなかった。その働きそのものをバックアップするものとして、つまり自分の身代わりとしてコンピュータを作り出したのかも知れない、という気にもなってくるのでした。
お正月は兄の家に行っただけ。
久し振りの雪、期待したほどの積雪ではなかったけど |
久し振りの積雪となった。この二年ほど東京では積雪を見ることがなかったから、夕べから降り始めた雪に、雪景色が見られれると期待したが、それほどの積雪にならなかった。交通機関に関係する人はほっとしていることと思うが、呑気なわたしには、もうちょっと積もって欲しかった。これで七日も過ぎて正月も終わった。
お正月の過ごし方というのがある。子ども頃は待ち遠しくて、楽しかった。お年玉を貰って、映画を見に行って、欲しかったものを買う。映画!!わくわくドキドキしながら見に行った。テアトル東京にボップホープの「ボタンとリボン」を見に行ったのがどういうわけか記憶に残っている。欲しいもの、小学生高学年では32ミリケージの鉄道模型!高校生の頃は神田の古本屋へ行った?何の本を買いに行ったんだろう、堀辰雄の初版本だったか?忘れた。22、3年前、まだNHKに勤めている頃、正月出勤の電話番を買って出て、暇なのをいいことに、当時キネ旬にいた吉田さんと土本典昭さんのドキュメンタリーフィルムを借りてきて、十数時間に渡ってぶっ続けに見たなんてこともあった。今は、見たいと思う映画はない。欲しいものも、直ぐに買いたいと思うものはない。見たい映画がなく、買いたいものもないというのは寂しいなあ。
で、この正月は何をやっていたか。昨年の暮れから自分にとっての詩というものについて考え文章に書いていた。自分にとっての詩ということのなると、どうしても、自分が書いた詩を正当化するということになる。それはちょっと違うという感じ。文章がまっすぐには進まない。ジグザグになる。それで思い切って削除、ってことやったりで、時期が時期だけに、何だか卒論を書いているような気分になった。
というわけで、日に一度か二度、「Urokocity_BBS」 を覗いては書き込むという電脳散歩以外は、3日に亀戸の兄の家に新年の挨拶に行っただけでずっと家にいた。兄のところでは、お互いの家族のことと親戚の人たちの消息がもっぱらの話題だった。叔父さんの納骨式のこととか、何々ちゃんが結婚したとかということ。普段殆ど行き来がないから、遠い話に聞こえる。そして最後にパソコンを始めた兄からの質問に答えるというところで夕食になり、義姉の煮物が美味しくて食べ過ぎた。兄の質問は、「パソコンでファイル、ファイルというけど、ファイルって何なの」ということだった。65歳の弟が72歳の兄にパソコンのファイルの説明をすっていうのが、わたしには新鮮でわくわくすることになった。
「ファイルね。」自分ではよく知っているつもりが、改めて聞かれると、どう答えていいものかちょっと困った。「ファイルって、まあ、パソコンというのはすべてファイルで出来てるともいえるもの。」というところから、実行ファイルとデータファイルの説明をして、「.exe」や「.txt」 の拡張子のことも話した。パソコンで絵を描いてみたい、というので、グラフィックスファイルの形式のことも。うちに帰って本を見ると、長とか日付とかタイプとか属性だけがあって、実は存在しないもので、OSが「あたかも存在するように見せているもの」ということだった。でもこれじゃ、説明にならないよなあ、と思った。そうなんだ、コンピュータは存在しないものを存在するように見せかけている、だから万能機械というわけ、わたしはこれがちょっと分かり掛けてきたところだ。
ところで、今日、最近開いた詩人の辻和人さんのホームページ「POETRY PORT」を見たら、その<錨>の12月のページに、同人誌「感情-22(速度)」No.5に発表したわたしの詩の最近作「球体遊び」の評が載っていた。こういう早い反応は嬉しいですね。世の中の趨勢と合わせて考えてくれているので、「そうだよ」と思わず膝を叩いてしまった。
新年おめでとうございます。
窓から晴れた冬空の新宿方面を望む |
開けて新年の1日が過ぎてもう2日ですね。今年は新世紀の初年度というわけで、1年の計に加えて100年の計も考えなくてはならないということです。自分のことだけに拘るわたしには1年の計はともかく、100年の計は自分の寿命を超えたところまで考えなくてはならないということで、自分だけに拘っていられず、うーん、そうかあ、と目を開かれる感じがないわけではありません。社会とか、国家とか、地球とか、そういうところに短絡しないで、自分を超えた自分の100年と考えるとちょっとわくわくしますね。家には息子が2人いるから、どちらかは結婚するでしょうし、そうすると、100年の計っていうと、わたしが会えない孫の孫あたりまで、ということになるのかも。
家系ということになると、徳川家康みたいに「家訓」を作っていろいろと画策しなければならないのかもしれませんね。去年NHKの大河ドラマが徳川三代をやってたのは、ローンで家を建てたお父さんたちに「あなた達の家系を考えなさいよ」という教育放送だったのかもしれませんね。それは面倒くさい。わたしは、血筋というものが遺伝形質として影響を与えるとは思いますが、「家系」という意識は持っていません。つまり、子どもに家を継がせるなんていう考えないのです。人は個人で終わりです。しかし、そう思っていても、メディアという場で、長嶋一茂というタレントさんが「二世」というブランドを背負って結構活躍しているのを見たりすると、そういうように親と子のつながりが実体化されることもあるのだと思ったりもします。「家」ではなく「名」ですね。
わたしの「鈴木志郎康」という名前はどうでしょうか。1990年に出た「朝日人物辞典」には載っていますが、その頃はまだ新聞や雑誌に原稿を書いたりしていたから載せて貰えたわけで、もうほとんど原稿を書くこともなくなっている現在では、メディアの中で消えかかっていると思います。早晩、「鈴木志郎康」という名は、人々の記憶から消えていくと思います。本人としてはいくらか寂しいですが、でも、100年の計ですから感傷に動かされてはいけません。100年の計を立てるには、無名に徹するという考え方を取りたいです。これは結構難題ですね。「徹する」というわけですから、かなり強い意志が要求されそうです。何処に意志を働かせるかが問題です。今のわたしにできることは、キーを打って、またマウスを使ってパソコンと遣り取りすること、それからカメラのシャッターを押すこと、そんなことぐらいです。つまり、手先のことしかできない。とすれば、そこに徹する以外にはないですね。何のことはない、100年の計といっても、今、自分がやりたいと思っていることやるだけなんです。
今年も、「曲腰徒歩新聞」のご愛読のほどよろしくお願いします。