2000年12月1日から31日まで


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2000年12月31日

 あと1日で21世紀。

あち1日の表示
 21世紀も後残すところあと1日の表示

 20世紀から21世紀に変わるというとき、何があるかなどということは余り考えたことなかったが、こういう日にちのカウンターを自分のホームーページに表示して、新世紀を迎えることになろうとは、思っても見ないことでした。子ども時から、12月31日と1月1日は、昨日と今日で別に変わったところもないのに、それを祝うということに反発を感じながらも、やはり気分が新しくなったような気にもなっていた。この反発と改まった気持ちの両方を感じさせられるところに人間は存在しているのだと思う。身体的には生命は連続しているが、意識とか関係とかはむしろ不連続なもので、人はずっと生きつづけたいと思いながら、意識の持ち方と関係が変わっていくのを望んでいる。「世紀」ということになると、個人の寿命の長さを越えている。その境目に立ち会える人と立ち会えない人がいる。昨年今年と、同年輩の知人を何人か失った。その人たちは「21世紀」という日付を生きないで亡くなったしまったんだなあ、という思いがある。あと1日、わたしは生き抜いて21世紀に到達できるか。スリルがないわけではない。

 そういえば、わたしの詩に「世紀」を題名に入れた「美貌充満の世紀 」という詩があったので、これがわたしの今世紀へメッセージになるかと、アップしてみます。お暇な方は読んでみて下さい。
 「美貌充満の世紀 」
     

2000年12月25日

 今世紀のあと一週間も乱雑のままで終わり。

デスク周辺
 整理がつかないわたしのデスク周辺の乱雑さ

 いよいよ今世紀もあと一週間で終わり。わたしは現在65歳だから、今世紀のおよそ3分の2を生きたことになります。年表を見ると、1900年は明治33年で、「1月社会主義協会発足◇2月足尾銅山被害民、上京途中館林で警官隊と衝突◇3月治安警察法公布◇6月清国の義和団鎮圧のため陸軍派遣を決定」なんて書かれている。藤村が「旅情」を発表し、鏡花が「高野聖」を発表している。フロイトの「夢判断」、ベルグソンの「笑」もこの年。翌年から「ノーベル賞」が始まる。わたしは、戦争の真っ直中に生まれて、戦争に行くことはなかったが、常に戦争のニュースを耳にし、そのイメージの中で、大方は平和に暮らしてきたというわけです。夕べも、NHKテレビで、世界の武器の番組を見ました。アンゴラの地雷で片足を失った5人の子どもを抱える母親の姿。その後、相応の痛ましい気持ちと怒りを抱えて、この雑然としたデスクの前に来て、パソコンに向かい、安心してまどろむ半野良半飼い猫の写真を使って年賀状を作ったのでした。

 この世紀を通じて、戦争とかいろいろな形の競争と闘いが、いろいろなものを発明させ、それを使うことで、人間という存在をどんどん変えてきたのでしょうね。その手段と方法は、これからも人間を変えていくことになるのでしょう。わたしは、余り勝負というものが好きではありません。数字に置き換えられた競争の中で青息吐息でしたもの。わたしは勝ち負けということより、好奇心に動かされて来たようです。それがこのデスク周辺の乱雑混沌を生んだのです。乱雑さは、わたしの生活、わたしの生きてきた姿そのものを表していると思います。片づけるなんてこと余り考えません。次々に興味を引かれるものに手を出して、全うせずに、また次ぎに関心が移ってしまい、その前にやったことを整理しないから、こういうことになるわけ。それを、恥じる風もなく表に出してしまう。ここに居直りも感じられます。「ランザツ」と「ランダム」は全く違いますが、ランダムに自在にランザツを生きられたら、と思うところもありますが。自己中心で気ままに生きてきたわたしの20世紀も終わり、21世紀もこの調子で生きていられることを願いたいものです。



2000年12月19日

 日付とか、時間とか、年齢とか。

水仙の花
 早めに咲いた水仙の花

 「時間が経つのが速いですねえ」というのが、最近のわたしの挨拶が代わりの言葉になっている。日常的に何をやったか、直ぐに忘れてしまう。毎日日録を付けているが、前日にやったことを思い出せない時がしばしばある。一昨日は、昼間、12日の授業で海老塚さんの作品について対談した音声をパソコンに取り込んで、前に作った「海老塚耕一作品ビデオ」に付けるために、パソコンを使って、「DegiOnSound」というソフトで編集した。そして、夜は「イメージフォーラム付属映像研究所」の「卒制プラン」の講評に行った。昨日は、午後から夜まで、イメージフォーラムシアターで、この春卒業した連中の自主上映会「先行逃切」の三つのプログラムを見て、その後、飲み屋で感想を話したりした。実は、今現在、先週の水曜日の13日の昼間、何してた、と聞かれたら、即座には答えられない。あれれ、と思って、日録を開いてみると、その一昨日編集した対談のDVビデオから音声だけDATテープにリレコしていたのだった。そうそう、教室の録音なのでくぐもった音声を、少しでもクリアになればと、簡易グラフィックイコライザーを通してリレコした。それをすっかり忘れていたというわけ。こんな具合に、次から次へと何かしらやってはいるんだけど、すべて忘却の彼方へと去っていく。ただ、買ってきた本とか、作ったパソコンとか、出版した詩集とか、物は残っていくんですね。

 この数日、清水鱗造さんのホームページの「Urokocity_BBS」で元山舞さんの詩集を話題の発端にして、若い人たちの「深い絶望」についていろいろと言葉が交わされている。わたしとしては、毎日いろんな事をして生活しているけど、その時が来たら、このまま、死んでいくのかなあ、という思いが漠然とある。それがわたしの絶望への共感。コンピュータが好きなわたしは、今がラジオ工作に夢中になっていた頃の10代なら、当然パソコンに夢中になり、情報工学の道に進んで行っただろうなと思ってしまう。そして文学的才能を持ち合わせていたら、「コンピュータ文芸」なんていうパラダイムを開いていたかも、なんて。実際、コンピュータ・ネットワークは実体化しつつある。もうすぐに携帯電話の端末はコンピュータ化されるだろう。生身の身体的空間とヴァーチャルなイメージ空間が二重になった現実というものが実現される。そこでの現実社会の姿が全く見えてこない。そういう現実を予感しながら、何ものかが立ちはだかって、それが見えてこないというところで、絶望と向き合っている、とうのが、今の10代ではないだろうか、と老人は空想する。まあ兎に角、20世紀の終わりが近づいてきた。大いに、言葉を浪費して使い尽くしたい思いだ。



2000年12月10日

 元山舞さんに出会えた嬉しい夜。

元山舞詩集
 元山舞詩集「青い空の下で」

 9日の夜、新宿中村屋で「詩の雑誌midnight press」の10号記念と元山舞さんの詩集「青い空の下で」の出版記念を兼ねたパーティがあって、それに出席した。詩人たちの集まりに出るのは、10年振りぐらいのこと。「midnight press」は、岡田幸文さんが編集長、その岡田幸文さんを励まそうと出席した。で、会場に行くと、幸文さんから開会の乾杯の音頭を取って下さいと頼まれて、何かちょっと話して「カンパーイ」と声を掛けた。「midnight press」、頑張ってね。乾杯の音頭を取らされたのは、わたしが出席者の中で最年長だということ、やれやれ、、、。わたしが年少者になるような会合には出たくないし、年下の人たちの集まりに出れば、こういうことになる。嫌ですね。

 わたしは、乾杯の挨拶で「midnight press」のことより、その場で貰った元山舞さんの詩集「青い空の下で」のことばかり言っていたように思う。それは、この会に参加したもの全員に手渡された元山舞さんの詩集の、最初の方の何編かをその場で読んで、すっかり心を奪われてしまったからだった。まず、思いを述べるというより、心の動きを的確な言葉で書いているということに、元山さんが16歳であるということと思い合わせて驚いてしまった。言葉遣いはもうすっかり成熟していて、それでいて書かれている内容は15、6歳でなければ、感じ思い考えられないようなことだった。感じ方、考え方、言葉の運びの新鮮さに打たれた。大局的な言い方をすれば、自分の中で進行していく活発な生命活動と意識を襲うニヒリズムと必死で闘っているという印象を持った。ニヒリズムに負けて感情を抒情する数多くの詩と違うと思った。

 最初から二篇目の、会場で彼女自身が朗読した「変わらない場所」を紹介しよう。  

変わらない場所


一筋の光をたどって
海の彼方に放り出されたような
心が寂しくなる問いに

誰もいない昼下がり
学校をさぼって
この場所で 1人静かに泣く
空をはさんで 宇宙には
私を見ている「人」がいるだろう
悲しみは
置いてけぼりにされたビー玉のような
きらきら光る風みたいに・・・

いつのまにか 私の足首まで
覆い隠すほど 伸びた草々は
何年かの そう 私の知らないうちに
「ここ」も全て変わっていた

私も変わっていた

匂いも変わっていた

目の前には 蟻の巣があって
野良犬が歩いていた
      
最初の「一筋の」から2節目の「この場所で 1人静かに泣く」までを読んで、わたしは心を捉えられたのだった。詩集の折り込みの文章で、清水哲男さんは「コスミックな感覚を自然に響かせている」と元山舞さんの詩を紹介しているが、哲男さんは控えめに「感覚」というところで留めているのであって、わたしからすると、この詩句は身体的な空間と意識空間を重ねて直裁に捉えたものとして驚かされる言葉なんだ。そうだよね、そんな光を辿っていったら、一人で泣くしかないよね。そして次ぎに「空をはさんで 宇宙には/私を見ている『人』がいるだろう」と来る。この「人」は決して超越的な人ではなく、「宇宙船」に乗っている人間だと思う。彼女が抱えたニヒリズムはわたしが思っている以上に深いのだと感じた。月は人間が行ける距離にあるんだよね。自意識が、わたしなどまるで違う、という感じ。それなのに、そういう認識のない彼女たちを取り巻くわたしら年輩者に押しつけられた社会で生きていかなければならないところで、苦悩が始まる。その苦悩から蟻や野良犬を見ている。

 もう一編、「夢」という詩を紹介しよう。元山舞さんの言葉の展開がいかにきちんとしていて、彼女の意識の有り様がよく読みとれる詩だと思う。  
 夢


なんだか蒸し暑い夜、むしょうに疲れて入ったベッドの中で
ひとり考え事をしていたようだった。それとも全て夢だったのか。
いつものように単色の世界の中に拡がる空間。ゆっくり何かを探し
あてようと闇の中、手を伸ばし。カーテンごしに翻るライトの
明かりを見つめていた。窓の向こう側には、空気が熱を持って
大きく揺れているのが分かった。風と木々が同一化しているの
が分かった。網戸を抜けて空気が通り過ぎていった。そおっと
今日までを振り返り、いろいろなことを思い出していた。


 まだまだ、外の、夜は寒く、けれどその代わりたくさんの音を
私にくれた。
 大空に浮かんでいた紅い光が一瞬、揺れたかと思うと、いきなり
恐ろしいほどの勢いで、私の目を焼き始めた。私の目に映っていた光
という光が、棟、空、木、布団、全てに、燃え広がっていくのだ・・・。
いつのまにか、そんな炎の中にいることに気づきもせずに、
ただ傍観者となった。


 蛇口をひねって、水の流れる大きな音がした。眠っていたのだろうか。
ああ、なぜ私は炎の中に居ながらも、今ここで生きているのだろうか。
そんなため息がふと、耳についたように思う。私の生きる場所で、
二重の存在が起こりうるということを、すこし奇妙に感じながらも
認識したせいだろうか。寝返りをうって、瞬きを何度か。時間の
流れの中で、私はおぼれずに、ここまで泳いでこれたのだろうか。
誰しもが、皆同じ時間という鎖、いや、たったひとつの時間という教え。
それに苦しむのか、悩むのか。必要な翼は、考えずとも、持って
いるものだ。しかし鳥と同じ自由な翼を持ったとしても、いつまでも
苦しみ悩むのであろう。
 大地へ根を伸ばし、強い力でのびる木をかこう、柵が必要だった。
そのえじきに、自分の身を投げ出したとしても、きっといっまでも
全てに対して、疑問を抱き続けるのだろう。
 考えることが、大空へ飛ぶためではないとしたら、なんなんだろう・・・。
       


 元山舞さんとの昨夜の出会いには興奮させられた。元山さんは、現在、高校生で、数学と理科が好きだという。ご両親は、理工系に進学させたいと言っておられた。わたしは、賛成だと言った。今のわたしの関心からすれば、情報工学を学んで、抽象的な論理空間をしっかりと身につけて、わたしたちに取って可能な空間のパラダイムを開いて欲しいと思うから。彼女ような少女に出会えて嬉しい夜だった。



2000年12月5日

 来月は、21世紀。

野ぼたんの花
 野ぼたんの花

 時の経つのは速いもので、来月は21世紀だ。わたしも何とか21世紀までは生きていられそう。先ずは詩集を出そうと、先週は、いよいよ新詩集の刊行に着手した。書肆山田から、海老塚耕一さんの装丁で出すことにして、原稿を書肆山田の鈴木一民さんに渡して、海老塚さんとも装丁の基本方針を話し合った。詩集の題名は今のところ「胡桃ポインタ」にしようと思っていいる。刊行の時期は来年の中頃か。

 その詩集には、1996年10月に刊行した「石の風」以降に書いた詩17、8編を収めようと思っている。「石の風」が92年から96年までの4年間に書いた詩、今度の詩集がその後、96年から2000年までの5年間に書いた詩ということになる。5年で18編は自分でも少ないなあ、とため息が出る。1970年代から1980年代の後半まで殆ど毎年のように詩集を刊行していたことを思えば、なんという数の減り方か、というわけ。ちなみに、今度の詩集は22冊目。こういう数の上の話になると、死ぬまでには30冊ぐらい出したなあ、という気になる。その30冊目が2003年で処女詩集から数えて詩人生活40周年記念なんていうのも、格好いいじゃん、あはは、2年間で8冊も出すなんて奇跡を起こすようなもの。

 これまで発表した詩を、詩集の原稿にするために、手を入れて、プリントアウトして整理した。以前だと雑誌などのページをコピーしていたが、1994年以後はパソコンを始めたので、文書ファイルとして保存してあるから、それに手を入れた。5年も経つと書いた当時と今とでは、詩の言葉に対する感じが違っている。どうも気に入らないのがある。そこで、殆ど全編に渡って手を入れた。下手だなあ、とか、気分に溺れているよ、とか、読者に通じないよ、とかいろいろと見えてくる。それを直しているうちに、だんだんと詩を書く意欲が盛り上がってきて、もっともっと書きたいという気分になるから不思議だ。言葉ってそういうものかもしれない。そういう言葉に対する気分の盛り上がりが読む人に伝われば、「詩」っていいじゃないか、という気もする。

 ともかく、海老塚耕一さんが力を入れた装丁で新詩集「胡桃ポインタ」は来年に刊行されますから、ご期待下さい。  

 

 

   















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