2000年10月1日から31日まで


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2000年10月28日

 長尾高弘さんの新詩集『頭の名前』を読んだ。

詩集「頭の名前」
 長尾高弘詩集
「頭の名前」

 長尾さんのから新しく出た詩集『頭の名前』(発行書肆山田1800円)を、贈られてきた十日ほど前に一度読んで、また読み返した。長尾さんのホームページの会議室に「作者としては10分で読める本というのが目標でありました。気楽に読める本なら、1度読んだあともう1度読んでもらえるかもしれない」と書いてあったので、2度目に読んだとき、時間を計ったら20分かかった。気楽に読める本として2度読んだわけではない。引っかかるところがあって、それを見極めたい気がしたから。長尾さんには、メールで「叫び(声)」を感じさせると感想を書き送ったが、そこを見極めたいという気になったわけ。

 「叫び」という感想を持ったのは、詩によって語られているところがいわゆる「人間」というものを逸脱しているところがあって、その関係の論理的な倒錯が生を表明する声になっていると思えたからだ。例えば、その逸脱は次の詩に見られるようなものだ。  

 死後

     どうしても結婚したい人がいるの
     と妻がいうので、
     好きなようにしなさい
     とこたえた。
     男はそれから一週間もたたないうちに引っ越してきて、
     お父さんと呼びたくなければ
     呼ばなくてもいいんだよ
     といった。
     変なことをいうやつだと思ったが、
     結局広永さんと姓で呼ぶことにした。
     連れ合いを失ったのは私なのに、
     おどおどと落ち着きがないのは、
     二人の方だった。
     たしかに、
     親が再婚したときの
     義理の親と子の関係は
     これに似ているのかもしれないな
     と思った。
     男は私の機嫌を取ろうとして、
     へらへら作り笑いをしながら、
     あれこれ話しかけてくる。
     そのくせ、
     私が見ている前で、
     私が目にはいらないような顔をして、
     妻に抱きついたりするのだ。
     夫婦ならそれが当たり前ではある。
     私もあのような顔をして、
     妻に抱きついたものだ。
     しかし、
     妻は男に抱かれながら、
     ときどき私の方に
     ごめんね
     と目で語りかけてくるのだ。
     そのたびに
     胸のなかがカーッと熱くなって、
     あいつのことは
     おまえなんかよりも
     おれのほうが
     よく知っているんだ!
     あいつとの歴史は
     おれのほうがずっと長いんだ!
     と叫びたくなる。
     連れ合いを失うことの
     つらさを感じるのは、
     そういうときだ。
      
「死後」という題が付いているから、自分が死んだ後再婚した妻の様子を見る自分の気持ちを語っていると解釈できるが、言葉の上で死者と生者の境が截然としてない。生者と死者を同列の場にした言葉の空間が現実での矛盾を生むが、それを無視して言葉が展開しているので、ユーモアさえ感じさせるが、言葉で作られた不条理な情況の中に置かれた人間の叫びが発生するように仕組まれている。

 この『頭の名前』という詩集には、こうした現実では「人間との関係」によって区分けされている言葉の範疇が、犬を「外国の人」という言葉で言い表している「共生」という作品に見られるように、統合されたり、また、他人はみな不死の人で自分だけが死ぬ人間と思い込まされているという倒錯した意識を語る「偽装」という作品では、事物の現実での意味合いが覆されたりしている。そういうことで、詩集『頭の名前』が人間のあり方を敢えて問い直すということになっているところだし、面白いところだ。

 詩集の題名になっている「頭の名前」という作品は、顔も後頭部も頭髪もひっくるめて、その全体を指す名称がないということが語られいる。首から上の部分について、正面から見れば「顔」で、「頭」という言葉は正面以外から見たときしか使えないから、従って、その両方を含んで指し示す言葉はない、ということになる、というのだ。わたしはそんなこと考えたことなかったから、これは一つの発見だと思った。まさに、言葉の範疇の問題。作者の長尾さんは、見るという行為と比喩するという言葉と事物の関係の場を設定して、そこでの言葉の範疇で詩を展開している。辞書には、「頭」「かしら」「こうべ」「頭部」の語の意味として、「人や動物の首から上の部分。脳や顔のある部分」と書いてある。「頭を下げる」「こうべを垂れる」という言い方からすれば、首から上の全体を指す意味合いであることははっきりしている。わたしは、作者の言葉の使い方にけちを付けているのではない。この詩は、「頭には名前がもう一つあったと思うのだが、/どうしても思い出せない。」というフレーズで始まっている。そして、これでもない、あれでもない、と否定して行って、最後に「頭のもう一つの名前、/あなたはご存知ですか?」で終わる。ちょっと飛躍した言い方をすると、言葉を連ねるというアクションによって、そこに生まれた言葉の範疇の空隙を示すという仕掛けが作られているというわけ。

 わたしの関心から言うと、長尾さんは言葉を集合論的に扱うという工夫をこの詩集で発明したと思える。詩について、日頃ごちゃごちゃ考えていて、現在、詩の言葉がイメージを喚起するところから、語りを展開するところに変わって行くのを避けられないとき、その詩の展開の上で、言葉に論理性を発揮させるということがあると思う。言葉の論理性は範疇の設定に上に成立する。つまり、言葉を集合として空間的に捉うということになる。そこで、その扱いを単に機械的にやるか、人間存在を踏まえて有機的にやるか、その辺りいろいろあると思う。長尾さんはその有機的に扱うやり方の先鞭を付けたかなあ、という気がする。

 詩を語る者の悪い癖で、ややこしい言い方になってしまったが、とにかく今度の長尾高弘さん詩集『頭の名前』はブラックユーモアが鏤められていて、人間が人間という枠にはまって生きている悲しさを感じさせる読み応えのある詩集ですから、一つ買って読んでみては如何でしょう。



2000年10月22日

 5年前のMS-DOSミニプログラムを「Urokocity_BBS」で配布。

dosmado
 MS-DOSミニプログラム「saretemu.exe」
を実行したデスクトップ

 9月の末から始まった清水鱗造さんが管理する掲示板「Urokocity_BBS」を楽しんでいる。投稿すると「Urokocity」に一軒の家を貰える。初めは小さな家だが、投稿する度に家が大きくなり、資産が増えて行く。一階建てが二階建てになり、木が植えられ、大きな館になっていく。初めは変化が速いから、面白くて、どんどん投稿していた。投稿しないと一週間で廃屋になり更に一週経つと売却されてしまう。わたしが持ち出した話題は、プログラミング言語のこと。「みーさん」という投稿者の人のホームページを訪ねたら、「多面体グラフィックス・変移する多面体」というサイトで、正十二面体や頂点が移動して面の数が変わる多面体のグラフィックスと、詩が掲載されていて、どういうプログラミング言語を使っているかをみーさんに訊ねたところから始まった。それから、鱗造さんがプログラミング言語Perlを話題にして、長尾高弘さんがPerlで作った、HTMLファイル作成プログラム「OLBCK」が話題になり、それをわたしが実行して報告した。片桐怜さんも加わり、しばらく「OLBCK」の話題。そして、鱗造さんがPerlで「回文支援プログラム」や、詩の行をランダムに入れ替える「詩作品の行をシャッフルして表示するプログラム」を作り、それをまた実行報告すると、まるで宿題の回答をするようになってしまった。

 わたしは面白かったけど、プログラミング言語に興味のある人は少ないから、投稿者はガタ減りで、申し訳ないなあと思った。プログラミング言語は開いた話題だが、詩人が管理する掲示板としては閉じられた話題となってしまう。わたしは五年前の「OLBCK」が話題になったので、その頃アセンブリ語で自分が作ったMS-DOS用の「saretemu.exe」という、「サレテ・ムーシ地方紀行」という詩の行を、キーボードを押し続ける限りランダムに表示し続けるプログラムを、鱗造さんに送った。そしたら、鱗造さんが面白がって褒めてくれたので、嬉しくなって、残りの六つプログラムを全部送ってしまった。鱗造さんは、それを「ミニプログラム」として「Urokocity_BBS」で「志郎康さんの作ったミニプログラムのライブラリ、おもしろいですよ。」と紹介してくれた。

 この紹介に応えてくれた人が詩人の須永紀子さんと片桐玲さんだった。最初、須永さんの「見たいです 志郎康さんのミニミニプログラムというのは,わたしたちも見ることができますか?」という 投稿を見たとき、Windowsマシンから始めた人はMS-DOSプロンプトを知らないのかもしれない、という思いが生じた。「Urokocity_BBS」で「Perl」の話をしているとき、MS-DOSのコマンドラインの入力などを表示していたが、皆さんはちんぷんかんぷんだった。そうすると、須永さんにMS-DOS用のプログラムを送るとき、Windows98か95の「MS-DOSプロンプト」に行き着くまでを説明しておかなければならない、と思い、五年前に書いた説明書を書き直した。そして、先ず「saretemu.exe」と説明書を送った。しばらくして、「Urokocity_BBS」を開くと、それを受け取って実行してみたという須永さんの投稿が出ていたので安心した。そして、嬉しくなった。なんか、認められて、受け入れて貰えた、という思い。すっかり気をよくして、次ぎに三つ送って、結果を「Urokocity_BBS」で見て、残りの三つを送った。そんなことをして、楽しい土曜日の午後を過ごした。こういうのって、パソコンの楽しさの一つ。片桐さんは「Perl」もできる人だからと、二回に分けて送った。ともかく、久しぶりに五年前に作った単純なプログラムを受け取って貰えたわけ。詩を読んで貰えたというのとは、また違った嬉しさ。

 「曲腰徒歩新聞」の読者の皆さんへ:「ミニプログラムのライブラリ」は今のところ「七つ」あります。これらはすべてMS-DOS用のプログラムです。Windowsマシンをお持ちの方なら誰でもちょっと楽しめます。ご希望の方がいらっしゃいましたら、メールを下さい。先ず、「saretemu.exe」と説明書ファイルをお送りします。
 メールアドレス:srys@catnet.ne.jp  



 

2000年10月15日

 「線型代数」に迷い込む。

線型代数の本
 いろいろな線型代数の本

 十月に入って、わたしの春口先生のC言語の授業が再開した。春口先生は、七月に「SIGGRAPH 2000」に行って来られて、お土産に「Electronic Art and Animation」のビデオとカタログとポロシャツを貰った。胸に「SIGGRAPH 2000」とプリントされているポロシャツを、大学に着ていったが、多摩美上野毛では誰も着目した者はいなかった。まあいいけど、学生には「SIGRAPH」に目を止めて欲しかった。春口先生が指導した東京造形大の学生の作品が入選していて、研究室で見せて貰った。モノクロの3Dアニメーションで、一年掛かりの作品という。若者の姿を巡って情景が変化して、抒情的な雰囲気を出していた。貰ったビデオを見ると、3Dアニメは実写と見違える程のできでのもがかなりあった。しかし、ストーリーは老人が主人公のものが結構あって、その老人の皺や目玉に特徴が出ていて、全般にペシミスティックな印象を受けた。世の中、「IT革命」などといって煽られているが、それを引き受ける若者のこころは決してバラ色ではないらしい。

 ところで、わたしのC言語の授業は、どうもよく飲み込めない「配列」からということになった。「ザ・C」に載っているカレンダー作成プログラムを解析して詳しく説明して貰う。次ぎに、「配列」を使った「連立1次方程式を解くプログラム」というのが出てきた。それには「ガウスの消去法」というのが使われている。それは、連立方程式を、係数を「行列」として扱って、「拡大係数行列」にして、それぞれの行に掛け算したり割り算したり、また足し算引き算して、行の項を減らして行って一目で解を得る解法。「ザ・C」ではこの「ガウスの消去法」を使って、行列の各項の順番を変数の配列として扱うというものになっている。わたしは連立方程式を解くことなんて高校以来やったことないし、「ガウスの消去法」なんて初めて聞く。そういうわたしに、春口先生は「これは飛ばしましょう」と言う。「でも、コンピュータ・グラフィックスの本を見ると、よく行列式が出て来るじゃないですか。」という会話で、その日は終わった。

 さて家に帰って、ちょっとコンプレックスを持っていた数学の「行列」に挑戦するいい機会だ、と思い直した。そこで書店の数学の棚の前に行った。「行列」と書名に書いてある本は余りない。「線型代数」とついた本の中に「行列」を見つけたが、どれも大学の教科書で、立ち読みしてもよく解らない。でも、森毅という人の「線型代数─生態と意味」という本が、行列の例題にバターケーキとカップケーキの原料と製品の関係が取り入れてあったので、何となく面白そうと思って買ってきて読んでみた。しかし、例題は例題で、肝心な概念の展開まで来るともうわたしの理解を越えていた。20ページも行かないところで挫折。また本屋に行き、今度は岩堀長慶著「数学入門シリーズ 2次行列の世界」という書名に「行列」が入った本を買ってきた。記述が明快で、これなら読みこなせるかな、と思って読んでいくうちに、最初の「座標平面」まではよかったが、第2章の「式が表す図形」で、式の展開のところで、自分が座標というものを理解してないことが解ってきて、この本も30ページあたりで挫折。「座標、座標、座標」とつぶやき、またまた書店の数学書の書棚の前に立つと、「ゲルファント先生の学校に行かずにわかる数学 座標」という本が目に入った。これこれ、と小躍りする気持ちで買って帰った。

 この本は100ページに満たない本だが、今、30ページあたりを読んでいる。世界的に著名なロシアの数学者I.M.ゲルファント教授が、高校生に直接通信教育をするために書いた本ということで、わかりやすい上に厳密な書き方をしている。例題が思っても見ないような飛躍をするのが楽しい。これを読んでから、「2次行列の世界」に戻ろうと思う。しかし、肝心の「ガウスの消去法」は何処へ行った。また書店の書棚の前に行く。探すのは、「ガウスの消去法」。あった。「アントンのやさしい線型代数」というアメリカのH.アントンという数学の教授が書いた本の翻訳書。最初の章で「ガウスの消去法」が「ガウス・ジョルダンの消去法」として6ページに渡って詳しく説明されている。この本に出会えてよかった。読んでいくと、「ガウスの消去法」というのは、連立方程式を「拡大係数行列」にして、先ず1行目の先頭をその係数で割って「1」にする。続いて、必要なら行を置き換えて、2行目の先頭をその係数で割って「1」にする。続いて3行目、というように各行の先頭を「1」にして、「既約ガウス行列」を作って行き、最終的には最後の行の「先頭の1」の次が「=」の後の数になる「ガウス行列」を得て、解を得る、というわけ。これだけのことを頭に置いといて、今度の春口先生の授業で、そのプログラムを解析して貰おうと思う。何だか少し頭よくなった感じがする。




2000年10月8日

 名古屋のGallery NAFでの海老塚耕一展を撮影。

海老塚作品
 Gallery NAFでの海老塚耕一展作品「水と風のノイズ」
海老塚作品部分
 その部分、鋼板の上の陶製の球

 10月5日に名古屋まで出かけて、いまGallery NAFで開かれている「海老塚耕一展」(10月6日〜11月12日)に展示されている作品を撮影した。4月の仙川の Plaza Galleryの作品に加えて、版画の作品と「水と風のノイズ」と題された鉄の板と陶製の球を使った大きな作品が展示されていた。海老塚さんの今年の集成があるというような、「豪勢な」といいたくなる規模を感じさせられる個展会場になっていた。わたしに取っては、新しい「水と風のノイズ」を見ることが出来てよかった。

 4月に 仙川での作品、8月に生口島の作品と沖家室島の作品、更に藤野の作品、そして9月の銀座での版画展、それに加えて今度の名古屋での作品と、今年だけで海老塚耕一さんの作品を沢山見た。これは、海老塚さんを映画に撮ろうと思ったからのことだったが、こういうふうに、いろいろなところに出かけて行って一人の人の作品を見て歩くことは今まで余りなかった。海老塚さんという作家と作品が渾然とした一つのイメージになってくる。それがとてもいい感じだ。

 今回新しい「水と風のノイズ」は1メートル四方ぐらいの穴を開けた19枚鉄板と穴のない1枚が方形に並べられ、その上に11個の陶製大きさの違う球が並べられていた。この穴の開いた鉄板は、沖家室島の井戸の上に置かれた鉄板と穴の大きさが違うようだが似ている。あそこでは、鉄板の下に井戸の水が踏まえられていたが、ここでは上に陶製の球体が乗せられていた。乾いた球体ということで、水玉の反対概念と受け止められなくはないが、それは余計な連想というものであろう。イメージとしては、火星とかの天体写真での姿が浮かんでくる。これも、余計だ。ほぼ均一な平面をなしている鉄板の上に、穴の位置をフィボナッチ級数として、その基尺に従って密度と拡散を感じさせる配置で、陶製の球体が置いてあるので、重みと堅さの鉄板と軽さと脆さの陶製の球体との関係によって、有意的な空間が立ち上がっていた。それにしても、風や水という形をなさないものと、この鮮明な形を持ったものとの間にはかなりの距離がある。その間隙、それが海老塚耕一という作家を受け止めるところで手がかりになるように思えた。

 4月の仙川から始まって、ずっと海老塚さんの作品に触れてきたから、だいぶ慣れてきて、わたしとしては作品に対するある距離の閾を越える振る舞いができるようになった。今回は、仙川にも出品されていた作品の石と木塊が布の上に配置されたところの中に、海老塚さんの許可を得て入って撮影した。沖家室島の井戸でも鉄板を叩いて中の井戸水を揺らして穴から覗いて楽しんだが、今回も作品の中にはいるのには緊張したが楽しかった。つまり、作品に対するアクションが意識の持ち方を自由にさせることになって、版画に対しても、蜜蝋、クリスタルワックス、木炭、布、顔料を使ったドローイングに対しても、やや自由に振る舞えた。ということは、作品の表面に接するくらいにカメラを近づけて撮影することが出来たということだ。作品を全体的に眺めるのではなくその中に入って感じるということになった。平面作品の表面にカメラを近づけて流していくと、版画の銅板を鋭い刃物でえぐり取った痕跡や線、また蜜蝋や顔料の起伏に作者の手の動きの軌跡を追うような感じになる。それが、木塊を一つ一つ手で彫っていく動作のイメージや、また鉄板に電気で穴を開けていく動作のイメージと重なってくる。その想像の空間に、作者の身体の存在を感じる。実はそれが水や風といった形を持たない「自然のもの」と形を持った「作品」とを結んでいるというように考えられたのだった。何故、人は鉄とか石とか木塊とかに身体を働きかけなければいられないのだろうか。多分、人の身体がそれらの事物と同じ物だからなのだろう。意識だけがそういう事物からくびれて浮いているわけ。まあ、一歩海老塚さんの作品に近づけたかな、という感じ。





2000年10月1日

 Windows MEを削除した極私的顛末。

Windows Media Player
 新しいメディアプレーヤー。CD、ラジオ、ムービー、
そのグローバルな検索機能ありのマルチメディア
プレーヤー。
Windows MovieMaker
 「ムービーメーカー」のウインドウ。一本のタイム
ラインで簡易編集。テープへの出力は出来ない。

 先ず、「極私的」という言葉を遣うのは久しぶりだなあ、という思い。今回のわたしのWindowsMEの顛末にはぴったり来る。パソコンに起こることって、いつも個人の特殊な場合でのことになり、「F&Q」が通じない。今回も、わたしのWindowsMEのインストールで起こったことは、わたしだけの特殊な例だと思う。しかし、事実は事実。

 一昨日、アップグレード版のWindowsMEをCeleron450MHz、メモリ98MBでWindows98SEが動いているマシンにインストール。インストールし終わると、自動的に新しい「Windows Media Player」が起動して、ムービーを見せる。その内容は、ビデオカメラで撮った映像をグローバルに発信しているアメリカ人、受け止めている彼の母親らしい老女、幼い子がおもちゃのハンマーでキーボードなど叩いた後、その子の母親が来てすんなり復元してのにっこり顔、少年がパソコンでそれぞれの家から接続してゲームをやっているところ。つまり、WindowsMEはネットワークとムービーとトラブルの自動的解決に特色があるというわけ。新しい「Windows Media Player」はローカルディスクとインターネットの両方からメディアファイルを検索してきて再生できる仕組みになっている。リアルプレイヤーやQuickTimeに負けるものかという魂胆が見え見え。アクセサリに新しく「ムービーメーカー」というムービーファイルの編集ソフトも付いた。これを是非試して見ようと思った。

 わたしのWindowsMEをインストールしたマシンには、アナログのVHSとかHi8とかのビデオをパソコンに取り込む「PowerCapturePCI」というボードが付いている。三年前に買ったやつだ。ハードディスクの転送レートが遅いのと、当時のCPUがPentiumProでこれも遅くて、取り込みも編集もままならず、あまり使ってなかった。でも、CPUをアップグレードして、アナログビデオの取り込みには使っていた。WindowsMEはビデオ編集もできるという。もしかしたら、けっこう重宝するマシンになるかも、という思い。Canopusのサイトに行って、ドライバを取ってきてバージョンアップした。ビデオデッキのテープをスタートさせて、「ムービーメーカー」を起動すると、そのウインドウにテープの画像が表示された。さすが、マイクロソフト!と感嘆して、「録画」をクリックして、録画ウインドウを開き「開始」を始めたら、たちまちハングアップして凍りついてしまった。マウスが動かないので、キーボードを叩いて「ムービーメーカー」を強制終了した。そして、取り込み掛かったファイルはどうなったかと、そのファイルを探そうとして、「マイコンピュータ」のアイコンをクリックすると、「<不明>の原因でExplorerが終了しました」という警告。何度やっても同じ。再起動しても同じ。どのフォルダーも開けない。つまり、Explorerが壊れてしまったというわけ。

 WindowsMEには「システムの復元」というツールが付いたから、それを早速使ってみたが、修復できなかった。仕方がない、再インストールということで、上書きの再インストールしてみたが、Explorerは開けるようにならない。で、一旦削除してインストールし直そうと考えた。「マイコンピュータ」が開けないので、「ファイル名を指定して実行」から辿って行って、「Windows」フォルダーの中の「COMMAND」フォルダーに行き、「Uninstall」を実行して、WindowsMEを削除して、Windows98SEに戻した。そこで、DVカメラからの取り込みをテストしてみたい思い、インストールする前に「IEEE1394」ボードを空いていたPCIスロットに差してからWinowsMEの三度目のインストール。「IEEE1394」のドライバもちゃんとインストールされた。インストールはほぼ1時間掛かった。再インストールの時間は長く感じる。

 三度目のWindowsMEでは、まず「IEEE1394」ボードに接続したDVデッキからビデオを取り込めるかのテスト。「ムービーメーカー」を起動して、DVを再生すると、ウインドウに表示された。いいぞ。「録画」をクリックするとデッキの操作ボタンが出た。このボタンは「PowerCapturePCI」からの取り込みでは出てなかった。その操作ボタンでデッキを操作して再生して、ウインドウ下の「開始」をクリックすると、それが「停止」ボタンに変わった。で、「停止」を押して録画、つまり取り込みは成功したが、途中でコマ跳びが起こった。これは、取り込むハードディスクへの転送レートが遅いからと諦めた。そして、「ムービーメーカー」からメールで送れるらしいと分かったので、それを試みる。圧縮がかかって「.WMV」という拡張子が付いた250KBぐらいのファイルになって、メーラーを選択するとメールソフトが起動した。そして自分宛に送って、Macで受け取って開こうとしたら開けなかった。「QuickTime」は「.WMV」をサポートしてない。もう一度、自分宛に送って、Windows98マシンで受け取り、「メディアプレーヤー」で開いたら、codecのダウンロードが始まり、その後で開けた。WindowsMEをインストールした後のイントロでアメリカ人の老婦人が受け取っていたのはこれだな、と思った。なるほど、「IEEE1394」、つまり「ファイヤーワイヤー」のポートのある、ATA33かATA66のハードディスクで、CPUがPentiumII以上のマシンなら、WindowsMEはWindows98以上に便利なOSといえよう。VAIOがやったことをMicrosoftのOSがようやくやったに過ぎないけど。でも、どのAT互換機にも「IEEE1394」ボードが付いているわけじゃない、というところが問題だ。

 さて、DVはまあまあだから、アナログビデオをもう一度試みて見ようと思った。そして、「ムービーメーカー」で再度Hi8からの取り込み。「録画」ウインドウの「開始」ボタンをクリックでフリーズ、そして強制終了。やっぱり、Explorerが開けなくなっていた。「PowerCapturePCI」はMotionJPGというcodec。「Moviemkのページ違反です。モジュール:KRNL386.EXE アドレス:0003:000019c4」なんて警告が出てたから、どうやら、「ムービーメーカー」はMotionJPGを扱うことはできるが、ファイルに保存しようとすると、暴れてExplorerを壊してしまうのではないかと勝手に推測した。WindowsMEは「PowerCapturePCI」を サポートしてない。古い、(といっても三年前の)アナログビデオがサポートされるようになるとも考えられない。わたしにとっては、このマシンでWindowsMEか、「PowerCapturePCI」かの選択ということになる。とすれば、「PowerCapturePCI」を選ぶ。そうすれば、このマシンをそれなりに活用できる。というわけで、WindowsMEをまたまた削除してしまった。二日間の顛末。WindowsMEは他の条件が揃ったマシンで使えばいいだけのこと。

 感想。もう来年は2001年、21世紀になるというのにWindows98じゃ後れを取ってる感じというので、この名前を消すために「98」の最終版として「Windows2000」への橋渡しの「Millennium Edition」なんて言うものを出したんだろうね。そこで、なんとかマルチメディアの遅れを挽回しようというわけ。パソコンは「携帯端末」なんていうライバルが登場して来て、競争はますます厳しくなっているという感じ。古い機材はどんどんそのあおり喰ってしまう。先月、C言語でやさしいグラフィックプログラミングができる環境を探すの苦労した。古いマシンを大切にしよう。  

 

 

   








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