2000年7月1日から31日まで


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2000年7月27日

「VAIOノート」を衝動買いする。


VAIOノート
 VAIOノート PCG-XR1E/BP

 VAIOノートを衝動買いしてしまった。何だかちょっと恥ずかしいしがする。このところ、7月28日、つまり明日からの多摩美の卒制合宿に行ってパソコンができなくなり、C言語学習が中断するなあとか、来週から始まる個展会場での来客待ちの退屈な時間をどうするか、なんて思っているうちに、にわかに「ノートパソコン」が欲しくなった。そして、Webでパソコン店のサイトを見ると、「8%引き」の記念セールが目に止まり、そう思った日の午後、自転車で渋谷に出かけて、SONYのノートパソコン「VAIO PCG-XRE1R/BP」を、衝動買いで買ってしまった。こういう買い物をする時って、もの凄く頭が速く回転する。VAIOノートはDVビデオの取り込みもできるし、簡易編集もできる、合宿で学生にやって見せられる、ちょっと自慢もできる、それにビデオプロジェクターに接続すれば、後期の授業で使えるかも、なんて、自分に向かって衝動買いの言い訳を作って、ろくに触りもしないで、口の方は店員に向かって「これ下さい」と言っていた。まあ、高価なおもちゃを買ったということ。カードで分割払いができるというのも、わたしの浪費癖を助長させている。きっと将来痛い目に遭うぞ。

 使い心地は間だ分からない。メモリを128MBの増設して、「タッチパッド」に慣れてないからマウスを買って、Ethernet用のPCカードも買った。家に帰って起動ボタンを押すと、チャララランと軽い音がして「SONY」の文字が画面に出た。キーボードの右脇に「ジョグダイヤル」と言うのが付いていて、これを廻すと、デスクトップの片隅に出ているウィンドウと連動していて、いろいろな設定や、アプリケーションの起動ができる。そこから、オンラインマニュアルを開き、そのジョグダイヤルを廻してスクロールすることもできた。ジョグダイヤルって面白い。コマンドラインの文字入力にはキーボード、デスクトップのイヴェント入力にはマウス、そしてディレクトリの階層移動にはジョグダイヤルというわけかあ、なるほどなるほど。なるほどと言えば、このVAIOには「マルチパーパスベイ」というところに、初めからCD-RWドライブが付いて、フロッピードライブは外付けになっている。フロッピーの格下げだ。


ジョグダイヤル
 ジョグダイヤル
ジョグダイヤルのウィンドウ
 ジョグダイヤルの
ウインドウ

 プレインストールされているアプリケーションを一通り見てから、先ずLANに繋いでインターネットに行く。ついでに、ユーザー登録をしようとしたら、登録ソフトがモデムを探しに行って、モデムでしか登録できないことが分かった。で、電話のモジュラーとVAIOを電話線で繋いで登録した。携帯パソコンなんだから、LANじゃなくて電話で繋ぐのが当たり前なのか。と、頭の中を携帯電話に繋げてやってみたいという思いが浮かぶが、わたしはまだ携帯電話なるものを持てない。LAN、電話とやって、最後に肝心のDVビデオカメラとの接続というところまで来た。カメラとの接続が、デスクトップとは違って、接続プラグが両端ともカメラと同じ型の4ピンだった。わたしが持ってるビクターのDV-X7と繋いで、プレインストールされていた出入力ソフトの「DVgate」から操作できた。多摩美で撮った一年生が発行された当日の2000円札を手にしてはしゃいでるところを取り込む。このカメラにはライン入力がないので、DVデッキに繋いだら、取り込んだビデオをDVテープに出力することもできた。それから、プログラミングのための「Visual Studio」をインストールして、更に「Premiere LE」をインストールしていたら、夜になってしまい、VAIOのデスクトップが夕方の風景から夜の風景に変わった。これも、なるほどという感じ。これで合宿に持て行く準備は整ったというわけ。

 27日は、夕方からGallery Moleに出かけて、31日からオープンする「鈴木志郎康写真展」に展示する写真を選んだ。十月に閉鎖するそのMoleと、九月には青山に引っ越しするイメージフォーラムの映写場や事務所を撮った写真、それに四谷三丁目と荒木町の街並み。もう、今までように四谷三丁目に通って行くということがなくなるので、心に留めようと撮ったわけ。ほぼ同じ枚数にしたが、撮るとき、Moleの方は建物の内部に目が行き、イメージフォーラムの方は、そこの人たちに目が行っていた。Moleもお店の方は残るが、画廊は無くなり、イメージフォーラムは不動産会館の6階から全部無くなる。見ることのできなくなる眺めだ。そんな風な思いで地下鉄に乗ると、逆に自分がこの世からいなくなっても、この風景は残って、自分を除いたこれらの見知らぬ人々が地下鉄を乗り降りしているんだろうな、と思い、急に寂しくなった。





2000年7月26日

「CPU知識革命」という本を読了。

CPU知識革命
 編集発行/マクロデザイン
「CPU知識革命」

 5月に自作パソコンを2台作って、 CPUをCeleron、Pentium3、K6-2、Athlonと次々に入れ替えてみて、CPUというものが、変に言い方だが、少し近い存在になり、親しみを感じるようになった。名前のある物として触ったからだ。「これがねえ、この中に1千万個のトランジスタがはいってるのねえ」と手に乗せてしばし感慨にふけったものだった。しかし、それが一秒に10億回もの計算をしているといっても、その実感は掴めない。ベンチマークテストのソフトで、テキストの文字が点滅するのや、球体が飛び跳ねるのを見て、なるほど早いわい、とは思っても、CPUがどんな仕掛けで計算しているかは分からない。そこで、CPUのそのブラックボックスの中身はどうなっているのか、一応は知っておきたいと思って買って来たのが、この「パソコン批評特別編集 自作道の基礎知識 CPU知識革命」(編集・発行/マイクロデザイン1999年10月30日発行)という本だった。自作パソコンを作った後、ぽつりぽつりと読んで、ようやく読み終わったというわけ。

 1971年に最初2300個のトランジスタの集積で、クロック速度108KHzから始まったCPUが、激しい競争によってとはいっても、30年間で1000万個に増えて、スピードも1GHzになってしまったというのは驚きだ。一枚のフロッピーディスクに収まるくらいの小さなMS-DOSというOSが今ではWindowsという数百MBに肥大した。Macintoshにしても同じように肥大した。メモリに読み込まれる量も数十MBだ。それを動かすのに必要な能力というわけであろう。実は、その数百メガバイトというOSは全て言葉で書かれたものだ。その言葉の量は、数十巻の百科事典に匹敵するくらいあるのでないか。CPUは言葉としての命令を数値に直して計算している。それも、全部足し算でやってらしい。そんな言葉の量なんだから、速く読んで実行しなければならないわけだ。速くやらなければならないから、同時に幾つも計算をやったり、スケジュールを立てて順番を振り分けたりするなんてこともやってるらしい。最近では、画像処理が複雑になり、それも速くやらなければならないから、それは別立てにしてやるとかいう工夫もなされているとのことだ。人間の目に見えないくらい小さな物の中で、電流が流れたり切れたりするのを1秒間に10億回繰り返してる。この「小さいこと」と「速い」というに引きつけられる。極小化と肥大化と高速化はまだまだ止まらないという。どうなるのだろうね。この本にはCPUはやがて球の集合体になると書いてあったけど。



2000年7月24日

朝顔が蔓を伸ばして咲き始める。

朝顔の蔓の花
 蔓を伸ばして咲く朝顔の花

 朝顔の蔓が、鉢から物干しの綱に結んだ紐を伝って日毎に伸びて行き、紐の先で宙に舞っている。その蔓の低いところで、毎朝、三つ四つと花を咲かせている。今年の花は紫の大輪で見応えがある。花を数え、次ぎに咲く蕾を捜す毎朝。暑い日が続いている。わたしは、仕事場で扇風機の風の中で、C言語をやっている。

 教科書「ザ・C」の中程の「配列」まで来た。ここで急に難しくなった。「配列」というは、データを入れる箱のようなもので、一列の並んだ「箱」の場合を「一次元配列」、縦横に並んだ箱の場合を「二次元配列」、箱を積み重ねると「三次元配列」ということになって、それぞれの箱に一次、二次、三次の「添字」という番号が付く。つまり、一行目の一番目をa-1とするとか、縦一番目で横一番目をa-1-1とするとか、ということ。この何番目かというところを、どんどん増やすとか、何番目から何番目までどうするとかというのがプログラムを書くということなのだ。頭がごちゃごちゃしてくる。

 でも、これを使うと西暦何年の何月の七曜表、つまりカレンダーはどうなるかというのを立ちどころに出せるプログラムが書ける。「ザ・C」にはそのプログラムのリストが例題で載っていた。そのリストを打ち込んで、コンパイルしてみると、なるほどカレンダーが簡単に出来た。わたしが生まれた1935年5月19日は何曜日だったのか、とやってみたら、  


C:\WINDOWS>calender

 西暦 1935

 月  5

   SUN   MON   TUE   WEN   THU   FRI   SAT

                       1     2     3     4

     5     6     7     8     9    10    11

    12    13    14    15    16    17    18

    19    20    21    22    23    24    25

    26    27    28    29    30    31
と出た。わたしは日曜日に生まれたということを始めて知った。面白いですね。

 ところが、このプログラムの解析には一日以上掛かってしまった。月々の箱を作ってそこに日数を入れて一ヶ月分の日にちを出すようにして、もう一つ、元旦からの日数を入れる箱を用意して、曜日を計算するという仕組になっていた。ところで、このプログラムは、当たり前のことだが、ちゃんと閏年の条件が設定されている。先ずそこで引っかかった。リストには  
 	/* 閏年の補正*/
	if(((y%4==0)&&(y%100!=0))
		||(y%400==0))d[2]=29;
となっているが、この「if」以降の式の意味は「入力した年を4で割って割り切れ、100で割って割り切れない、もしくは400で割って割り切れれば、2月は29日」という意味なのだが、数学に無知なわたしには、閏年を決めるのには4で割ればいいということぐらいしか分からない。いろいろな辞典を調べて、数学小辞典に
閏年[1eap year ]1年を365日とすると,太陽年と5時間48分46秒の差がある.この差を調整するために,次の規則によって,366日を1年とする閏年を設ける.「西暦の年数が4で割り切れる年は閏年とする.ただし,紀元年数が100で割り切れる年のなかで,100で割った下二桁が4で割り切れない年は平年(1年を365日)とする.」
と出ているのを見つけた。こんな規則があるなんて知らなかった。この規則が仕組んであったのだ。プログラムを書くってそういうことなのか、と感心すると同時に、直ぐにはとても出来そうにない、と ため息が出た。

 プログラミング言語を身につけるということは、プログラミング的な考え方を身につけるということだ。初心者にはそこがなかなか出来ない。思えば、今までの挫折はそこに起因していたように思える。プログラミング的な考え方、つまり「アルゴリズム」を身につけるということ。アルゴリズムを歩いていけば、、、、なんて歌でも歌ってやって行こう。



 

2000年7月20日

紫陽花も、もう終わり。

あじさいの花
 終わりに近づいた紫陽花

 紫陽花の花が終わると夏休み。この十日余りは、忙しかった。昼間から出かけて、夜、11時、また午前過ぎの帰宅が続いた。大学というところでは、来年度のカリキュラムやその他のことの準備が今頃から始まる。そのための会議がある。そして、シナリオを読んで助言するという学生の制作指導。東急BEやイメージフォーラム付属映像研究所の授業にも行った。そこに、今月から始めた「C言語」の予習復習に意外に時間を取られた。その上、個展のために四谷3丁目荒木町辺りの写真を撮って歩き、書肆山田発行の「るしおる」に載せる詩を一つ、書いた。

 一通りのことを済ませて、今日から夏休みだ。そこで、早速、遅れていた「曲腰徒歩新聞」に取りかかっているというわけ。夏休み入る前に、多摩美の映像演劇学科の一年生の前期最後の授業で、「人生」っていうことの話をした。授業でそういうことを話したのは、今年が初めて。表現の基礎訓練ということをやってる授業で、造形作家の海老塚耕一さんに事物とどう触れあっていくかということ、詩人の川口晴美さんに文章を書くということ、写真家で作家の島尾伸三さんに発送のパラダイムということなどなどの基礎訓練をしてきての締めくくりとして、「人生」の話をした。

 五月にこの同じ授業で、17歳の少年が起こした二つの殺人事件について、その意味合いを巡って四コマ使って討論をした。議論は、こちらの進め方も拙かったせいもあって、どんどん拡散して終わった。しかし、わたしには、二十歳前後の連中が、スタイル先行ではあっても、物事に正面から向き合おうとしている姿勢があるのが感じられた。そんなこともあって、わたしの「表現至上主義」的な考え方を「人生論」として話したのだった。

 人生は「点」だという考え方。人生はあっという間の点。人間や事物や観念やイメージとの関係の交点としての点。それらが力となって働きかけて、そのバランスの上で動いている点。生きているって、その点の主体として、それらの力と向き合って、バランスを操作するということ。この点を無化する場が表現だ。人生を積極的に無化しようとすることが、表現をするということ。あらまし、そんなことを喋った。そして、そのことを詩に書いた。

 さてさてC言語の方は、7月3日が第一回で、7月10日、17日と三回目で教科書戸川隼人著「ザ・C」(第2版)の132ページまでやった。一回で40ページ余り進むというスピード。9時前のがら空きの下りの東武東上線に揺られて、春口さんの研究室に通うのは気持ちいい。それから、午前中みっちりとC言語だ。「順次処理」「分岐処理」「繰り返し処理」の基本的な文法を終わって、データ配列まで来たところ。「合計計算」とか、「年号変換」とか、「長さ単位の変換」とか、「最大値」とか、そんなプログラムを問題の沿って考えた。「合計計算」で、入力を止めるのにどうしたらいい、なんてことで引っかかってしまったりした。今、配列のカウンターの置き方で頭がごちゃごちゃしている。次の第四回目は夏休み後の10月からということになった。それまでに、「ザ・C」は自習して終えてしまおうと思っている。この夏休みは、「C言語」で過ごそう。



2000年7月9日

薦田愛さんから朝顔市の朝顔が送られてきた。

送られてきた朝顔
 薦田さんから送られてきた朝顔

 知り合いの薦田愛さんから入谷の朝顔市の朝顔の鉢植えが送られてきた。薦田さん、ありがとう。毎年送られてくる朝顔が今では楽しみになっている。着物の好きな薦田さんが、ゆかたを着て買いに行って送ってくれたものと思う。送られてくる朝顔が毎年違う。今年はどんな咲き方をするか。昨年は、八月には余り咲かないで、十月になってどっと咲いた。毎朝、花の数を数える。小学生の時は、夏休み日記を、書くことながないので、そんなことで埋めていた。

 先週の月曜日は、春口さんの研究室に行って「C言語」を始めた。今までにもう何度もやった「printf("Hello,World\n");」と「scanf("%d",&a);」というところ。でも、"Hello,World"とは書かなかった。春口さんのやり方は、VS6.0の新規作成からテキストファイルを開き、そこにプログラムを書き、いきなりコンパイルして実行してしまう。そうするとDOS画面に表示される。今のところ、このやり方でどんどん「C」を書いて行くということ。変数のことなど、プログラムの基本形を2時間弱掛けて学んだ。打ち間違いの指摘やデバッグの仕方など、やはり先生が傍にいると違うのを実感した。

 月曜日は、多忙の日になった。8時15分に家を出て、10時前に春口さんの研究室に着き、それから「C」をやって、2時過ぎに家の戻り、4時前に家を出て多摩美に行き授業。11時近く海老塚さんの壊れたパソコン2台を助手の富田さんの車で家に運んで貰った。それから、夕刊を読んで、リンゴを食べて、このリンゴを食べるというのがわたしには重要なんだ、パソコンの壊れ具合を調べた。人から貰ったパソコンが二台とも壊れているというので、わたしが修理を買って出たというわけ。

 翌日から修理に掛かる。一台はグラフィックカードが無かった。もう一台はハードディスクが外されていた。修理といっても、グラフィックカードを差し、ハードディスクを接続して、OSを入れ替えて完了した。しかし、どうやら手製のパソコンらしく、先ずはハードディスクがベイに固定されてなく、宙づりになっているのにびっくりした。それを固定した。キーボードもATのタイプでPS2タイプとの変換アダプターが必要だった。CD-ROMを認知しないので、OSがインストールできなかった。あれこれ調べて、電源ケーブルの線が一本外れているのを見つけて繋いだら、認知された。その黄色い線って回転を制御する線なのかしら。パソコンの修理って初めてやったけど、明快な故障で、直す者には幸運だったといえよう。それでも、ちょっと自信がついた。



2000年7月3日

Microsoft Visual Studio 6.0をインストール。

VisualStudio6.0の箱
 でえーんと大きな箱に入った
 重いMicrosoft Visual Studio 6.0
VisualStudio6.0のCD-ROM
 全部で12枚のCD-ROM

 今までに何度、コンピュータのプログラミング言語に手を染めて挫折しただろうか。何とか一つでもいいから、使えるようになりたいという思いがずっとあった。今も続いている。コンピュータは言葉で書かれた器械だ。その言葉に通じれば、もっとたのしくなる筈、という思い。その道の一つが開かれるかもしれないという希望が湧いてきた。春口巌さんという専門家に出会えて、「C言語」を教えて貰えることになった。で、先ずその言語の環境として、「Microsoft Visual Studio 6.0」を買ってきて、インストールしたというわけ。

 6月28日の午後、喫茶店で春口さんに会い、話した結果、とにかく「C言語」を一通りやった方がいいでしょうということになり、次の週から春口さんの研究室で個人講義をして貰えるということになった。そして打ち合わせた後、早速、秋葉原に出て教科書に使う本とC言語を使う環境として「Microsoft Visual Studio 6.0」を買った。12枚のCD-ROMとマニュアルが入った箱はずっしりと重い。普通に買うと9万円余りするのが、教員という資格で3万円ほどになる。Microsoftのこのアカデミイパック版は助かる。でも、パソコンが5万円の時代だ、3万円は高価だ。これでこの夏は「C言語」に挑戦しよう。

 わたしのプログラミング言語への挑戦は、6年前にMacを始めた時、HyperCardのHyperTalkに手を染めたのが最初。いくつかスタックを作ったが、カード操作に飽きてしまった。それから、コンピュータの言葉の仕組みをもっと知りたいと、アッセンブリ語をやった。CPUのレジスターに働きかけるという一番下級のプログラミング言語だ。これで、見よう見まねで詩の行のランダム配列のプログラムと、短歌の上の句下の句の入れ替えプログラムと俳句のプログラムを作った。01を並べてグラフィックも作った。しかし、サンプルを真似ることは出来ても、自分でプログラムを作るには至らないで終わった。そして「C言語」に何度か挑戦したが、エラーばかりで出して嫌になった。Cが駄目なら、Web時代は「Java」だと、昨年の秋には「Java言語」に挑戦したが、これも、データの扱いに行く寸前に挫折した。なんか、わたしはコンピュータとやり取りする基本が分かってないらしい、ということに気がついた。つまり、どうもわたしの思考の道筋が飛躍しすぎるらしい。その飛躍しているところが、自分で自覚できない。そこを今度は先生についてしっかりと見極めたい。そして何とかコンピュータと話が出きるようになれればいいのだが。

 

 

 

   








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