2000年6月1日から30日まで


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2000年6月30日

RAIDシステムのハードディスクを増設。

Raidカード
 RAIDカードにファンを付けた2台のハード
ディスクを仮に接続してみたところ
取り付けられたRaidカード
 PC本体内部にRAIDカードと
ハードディスクを取り付ける

 PCの自作の後に、一つ課題が残っていた。それが、RAIDシステムのハードディスクを増設することだった。RAIDは「Redundant Arrays of Inexpensive Disks」の略、直訳すると「安いディスクの重複した配列」ということ、つまり複数の安いディスクを重複させて並べて接続して、アクセスのスピードを上げ、保存したファイルの安全性を高めようというディスクの使い方のことだ。わたしの場合、2台のIDEディスクを用いて、それを1台のディスクとして扱い、両方に交互にデータを分散させて保存すという仕方を取った。ハードディスクのSeagate製 Barracuda UltraATA/66 20.4GBを2台買ってきて、RAIDカードのPROMISE製FastTrak66につないで、41GBの1台のハードディスクとして使うことにしたわけ。

 RAIDシステムをやってみたい思ったのは、ビデオ編集用のハードディスクとしてアクセススピードが速いから最適、と聞いていたからだが、どうもよく分からないところがあって、今までやらなかった。その2台のIDEディスクを1台に見立てるという時の関係がよく分からなかった。IDEディスクにはマスターとスレーブという関係があるが、2台、4台とディスクを接続して、どういう位置づけになるのか、ということが分からなかった。それは、今回やってみて分かったが、IDEのディスクを使うけど、カードをPCIスロットに差し、そこにIDEディスクを接続して、そのカードに接続するときはプライマリー、セカンダリー、そのそれぞれにマスター、スレーブの関係はあるが、接続した後では、ディスクとしてはIDEではなくSCSIインターフェースになるということだった。つまり、マザーボードのIDEコントローラとは関係なくなるということ。ここが分かり難かった。

 いろいろな雑誌や本を読むと、RAIDにはストライピングという分散して保存するケースと、ミラーリングという同時にバックアップを取るケースと、その両方を同時にするケースとがあることは説明されていたが、接続の関係については書かれてなかった。接続の関係は、「FastTrak」の説明書で始めて分かった。コンピュータのハードって、接続だけが問題になる世界なのに、説明されてないことがある。やってしまえば、それが当たり前になるので、書かれてないのかなあ、とも思う。でも、そこから不安が増大していく。そして、電源を入れて画面が真っ暗、となると冷や汗がたらたら出てくる次第。だから、確かめたいと、雑誌を捲り、本を漁り、Webを手繰るということになる。

 今回、先ずRAIDのカード「PROMISE FAST Trak 66」を買った。それから、なるべく同じものがいいというので、IDEハードディスク「Seagate Barracuda UltraATA/66 20.4GB」を2台買った。それに、冷却用のファンを取り付けた。そして、Windows2000Professionalが乗ったAthlon750MHzマシンにカードを装着、ディスクを増設した。フォーマットでは最初FAT32で試みたら出来ないので、NTFSでやったらうまく行った。RAIDシステムの増設に成功したわけ。

 これで、今のところPCのハードウエアに関して、やってみたいことは一応やってみたことになる。後は、ビデオキャプチャーカードやグラフィックカードのグレードアップぐらい。そして、CPUのクロック周波数1GHzマシンを自分の手元で何時実現するかだ。CPUを1GHzにグレードアップするときは、やっぱり興奮するだろうと思う。



2000年6月25日

彫刻家の海老塚耕一さんのアトリエを訪ねた。

atelier
 山北の海老塚さんのアトリエ
Ebizuka
 海老塚さん
smorking atelier-inside
 煙るアトリエ内で仕事中
woodblock
 木塊を削る

 23日に富田さんの車で、山北の大野山登山道口の谷間にある彫刻家の海老塚耕一さんのアトリエを訪ねた。海老塚さんは毎週金曜日に、助手たちを連れて、このアトリエに来て、作品の制作をしていると聞いたので、わたしは今年、展覧会を見てすっかり気に入ってしまった海老塚さんを映画に撮ろうと思っているので、先ずはその仕事場の様子を見ておきたいと思って訪れたのだった。

 アトリエは、画家のアトリエとは違って、小さな工場という感じだった。わたしたちが着いたときは、昼頃だったので皆さん仕事中、アトリエの中は煙で充満していて、人の姿が霞んで見えなかった。それは、助手たちが堅い木材にドリルに付けた円盤を廻して押しつけて、その熱で木材を焼いて 木彫りの作品を作っていたからだった。海老塚さんは木塊を万力で挟んで刃の付いた円盤を廻して、木塊を削り穿って器状の作品を作っていた。また、後で、この夏瀬戸内海の島の古井戸に被せて錆びさせるという鉄板に電気で孔を開けたりして見せてくれた。こういう現場での音と煙は、展示された作品から想像することは出来ない。来て見てよかった。

 しばらくして、海老塚さんはわたしたちや助手を連れて、松田のそば屋で昼食をご馳走してくれた。うまい蕎麦だった。皆さんがもう一仕事している間、わたしはアトリエの2階でソファの上に横になって昼寝した。窓から見上げた梅雨の雨に濡れた木々の緑が心を溶かしていくような感じだった。夕方はわたしたちが行ったので、仕事を早く切り上げて、助手の作った野菜炒めで買って行ったワインを飲み、話をした。それから、帰るとき、下のアトリエに降りて天井を見上げると、吹き抜けの屋根裏が八角形の組木になっているのに気が付いた。その上に明かり取りの窓となっている。これも気に入った。わたしとしては、久しぶりの芸術家のアトリエ訪問なので、いささか興奮した。帰る途中、わたしたちはすし屋やバーに立ち寄って話を続けたが、夜中近くなってようやく「言葉で触れる」ことが少し出来た。それは、わたしには近来にないことだった。「また、おじゃまさせて貰います」ということになった。海老塚さんを映画に撮るのが楽しみになった。



2000年6月23日

「PCアーキテクチャーのすべて」を読み終えた。

PCアーキテクチャー
パソコンの
ハードウエアーの解説書

 5月から自作パソコンに挑戦して、2台のパソコンを作り、それぞれ2台ともアップグレードして、CPU四つとそれぞれ違うスロットとソケットの マザーボード四つを使ってみた。で、確かに組み立てるということの自信はついたが、またそのスピードの違いは実感できたが、まあそんなものという感想。その間、この小泉修著「図解でわかるPCアーキテクチャーのすべて」という本と、「ASCII DOS/V ISSUE」や「WinPC」、更に「PC Parts press」「PC-DIY」なんていう雑誌を買ってきて拾い読みした。パーツというものの特徴も何となくわかった。しかし、パソコンを理解できたかというと心許ない。

 「PCアーキテクチャーのすべて」というような、パソコンの器械の構造を解説した本は、これまでに数冊は読んでいる。でも、イメージとして把握できても、なかなか細かいことが頭に残らなかった。全く大雑把に図解されているか、いきなりCPUのレジスタがどうのこうと書かれていて理解を超えた世界に連れ行かれ、ただ文字を目で追うという羽目になるかだった。それが今回は、実際にパーツを買ってきて手にとって眺めたり組み立てたりしながら、この本を読んだので、それぞれのパーツの働きと関係を体感するという感じで、パソコンの構造の概略を把握できた。

 パーツを買うとなると、同じパーツでもいろいろな製品があるから、その性能の違いを知りたくなる。雑誌にはその製品の性能の善し悪しが書いてある。だいたい一長一短ということだが、その性能のどれを取るかを迫られるので、自分で選んだ責任をとる決意で、勢いその性能ということがいくらか理解できることになる。CPUやメモリや拡張カードを差し込む基盤のマザーボードなら、「チップセット」というものが大切だ。チップセットはCPUとメモリと拡張カードを橋渡しするポイントとなる集積回路で、ノースブリッジなんて言われている。マザーボードなら何でもいいというわけにはいかない。自分が使いたいCPUに適合したチップセットが付いたマザーボードを買わなくてはならないということ。この適合する、しない、それを「相性」と言ったりするけど、これが大切のようだ。何が適合するのか、しないのか、よくわからない。でも、この合う合わないということで、パーツの性能を実感できる。

 実感といっても、昔、子供の頃作ったラジオ工作の実感とは違う。抵抗器やコンデンサーを真空管のソケットにハンダ付けして行って、それをだいたい夜から始めて夜が明ける頃に出来上がって、スイッチを入れると、放送開始のアナウンスが聞こえてくる、スピーカーから音楽と人の声が聞こえてくると感動したものだったけれど、パソコンの組立ではそういう感動はない。パーツが完全に相性が合っているかどうかは、実際に組み立てて見なけれわかない。だからスイッチを入れる瞬間は緊張するけど、まあ、うまく起動できれば安心するというだけのこと。パーツさえ集めれば、慣れてくれば1時間も掛からないで組み上がってしまう。ただ、ラジオと違って、起動したパソコン内部にはとてもじゃないが、手を入れてパーツにさわって見るなんてことはできないように感じる。

 起動したパソコン内で起こっていることは感覚を越えている。そこに畏れを感じてしまうのだ。ラジオやテレビも、中がどうなっているか分からない。パソコンと同じようにブラックボックスだ。でも、電流が流れて、電波を音や画像に変換しているという流れをイメージできる。しかし、パソコンは、人がキーを打ったり、マウスをクリックしたのを命令として受け止め、その命令に従って文字や画像をデータとして、その両方を01の信号に置き換えて、CPUが1秒間に数億回の演算して、命令されたことを実行するという。どの本を読んでもそう書いてある。「PCアーキテクチャーのすべて」には、その演算が基本論理回路を実現するトランジスタで行われ、CPUにはそのトランジスタが2000万個余りも集積されていて、そこのデジタルの流れが比較的詳しく演算の様子として書いてあった。

 CPUの性能として語られる「パイプライン処理」の「スーパースカラ」とか、画像処理の「MMXテクノロジ」や「3DNow!テクノロジ」などについても、また「1次、2次キャッシュ」のことなども、結構詳しく書いてあったから、CPUを選ぶとき、何処に目を付ければいいか分かって面白かった。でも、結局のところ、「図解のイメージ」に終わって、実際のところはわたしにはよく分からなかった。2000万個というトランジスタの数が「演算する」というイメージを越えてしまう。理解するのに困難な代物だ。もっと理解するには専門的な本を読まなければ駄目なのだろう。時間が足りないなあ。

 パソコンは演算するCPUが人間の脳味噌に当たり、キーやマウスなどの入力装置が耳に当たり、ディスプレイが言葉を話す口に当たるように思える。クロックジェネレータが心臓だ。プリンタが手かな。そして、モデムとかルータとかインターネットに繋がっているところが足か。どうも、人間に似せて考えてしまう。パソコンは人の手の代わりをいろいろやってくれるし、歩いて行かなくても遠くの人と交流ができる。個体としての人間の機能を拡張してくれるというわけ。そして、パソコンをインターネットに接続すれば、個体を越えて社会まで拡張してくれる。何だかよく分からないけど、パソコンって、どんどん性能が高められ、どんどん拡張されて行っていることは確かだ。その「どんどん」というところにいつも乗っていたいという気持ちが、わたしから離れなくなった。パソコンは物神崇拝の権化かという気がする。



   

2000年6月19日

自作PCを矢継ぎ早にアップグレード。

Athlon
  AMD製のCPU「Athlon750MHz」

 文字通り、2台の自作パソコンを矢継ぎ早に、CPU差し継ぎでアップグレードした。1台目のパソコンを組み立てたのが5月6日、2台目は5月27日に組立。6月2日にはその2台目をAthlon750MHzマシンにグレードアップ、そして6月15日に1台目もPentium。733MHzマシンにグレードアップした。わたしのところでは、メモリの速度や、グラフィックカードの描画速度のばらつきがあるが、両方ともかなり速く感じる。

 その2台目を作ったときにAMD社のCPU「K6-2・500MHz」を使ったのだったが、いろいろとパソコン雑誌を読んでいるうちに、パソコンの脳髄であるCPUの計算速度をめぐってのIntel対AMDの「CPU性能競争」の様が見えてきて、わたしもその競争を自分の手元で目の当たりしたい、という思いになったというわけ。CPUをグレードアップすると、メモリとかグラフィックカードもアップグレードしたくなって、いまそれらがわたしの頭の中を巡っている。

 3月6日にAMD社が1GHzで作動するCPUのAthlonの量産出荷を発表すると、2日後の8日にIntel社が同様に1GHzCPUのPentium。の限定生産出荷を発表するといったことだった。つまり、1秒間に10億回の計算を出来るCPUの製造を両社が争っている、ということ。IntelがAMDに2日の後れを取った。Windowsのマイクロソフトに分割命令が出され、IntelがAMDに脅かされる。パソコン世界の構造変化が起こりつつある。それを実感できるのが、LinuxというOSとCPUではないだろうか。

 2年前にLinuxをやっていたころ、Linuxに関する本は僅か数冊しかなかったが、今では数十冊は出ている。Windows一辺倒でない兆しは出てきている。それがWindowsに代わるとは思えないが、Macと並ぶ位には行くかもしれない。いや、そんなしち面倒くさいOSを飛び越えて、もっと使いやすく堅牢なOSが発明されることだろう。文章を書くような具合に好きにプログラムが書けるようなOSが欲しいな。

 CPUだって、もっともっと速くなるだろう。スイッチを入れてぽかんと起動画面を眺めているなんてことがなくなって、テレビのように直ぐに見ること出来るようになると思う。同時に小型になり、ディスプレイも薄くなることだろう。携帯電話とパソコンは融合するのではないか。コンピュータはまだまだ変わっていく、という先が思い描ける。社会制度や表現活動はどうだろうか。そういうことの先が見えない、というのはどういうことだろうか。



2000年6月15日

薔薇一輪。

薔薇の花
  今年唯一、庭に咲いた薔薇の花

 昨年、葉が虫に喰われて殆ど枯れてしまったかのようになっていた二鉢の薔薇の株の、その枯れた枝を冬に全部切り落としたら、春には若芽が出てきた。その一株が花を咲かせた。もう一株の白い薔薇は蕾も花もない。枝の切り方が悪かったのだろう。薔薇は、雑草の花とは違った思いで、いいなあ、と思う。そこに舞台が出来て光が当たっているという印象。綺麗だ、と思ってしまう。30年前の数年間、部屋の中に切り花の薔薇を絶やしたことがなかった。散る前にドライフラワーにしてしまい。幾つもの束を部屋の中の一角にぶら下げていた。そこには「西洋」という言葉の雰囲気があった。

 さて、先週の土曜日は「日本映像学会」の第26回大会が、東京の西の八王子の山中にある東京造形大学で開かれて、三日間の期間のうち初日一日だけ行った。基調講演やシンポジウムを聞いた。大会なるものに出席したのは2回目。どうもなじめない。でも、森岡祥倫さんの水の入った器とコンピュータを繋いで、その器に手を入れたり、水を注いだりすると音が出るという仕掛けを作って、身体の不自由な人たちとインタラクティブなアート活動をしているという報告や、加藤幹郎さんの「映像のコミュニケーションから外れる”鈍い意味”」というようなことをとロラン・バルトが言ってるという報告などは面白かった。ISAスロットに光センサーを繋いでインタラクティブに画像を動かすという作品もあった。夜は、高尾の和風レストランで懇親会があり、そこは、夜八時なると部屋の電灯を消して、窓の外の蛍を眺めるという趣向になっていた。数匹の蛍が飛ぶのを見たが、「人工の蛍かしら」なんていう気持ちになった。

 研究発表者が、揃ってみんな壇上でテーブルに携帯パソコンを置いて、ビデオプロジェクターに接続して、薄暗い中でモニター画面を次々に投射して報告するという姿が、わたしには目新しく思えた。あの人たちは大学での講義をこんな風にやっているのだろうか思った。わたしも含めて、ビデオを見せるという講義のやり方は結構多いが、携帯パソコンを使う講義というのはまだやったことない。黒板に板書するよりきれいでわかりやすいかもすれないし、ムービーを入れたりするとアトラクティブに出来るようにも思えるが、薄暗くては、学生が眠るにいいし、先生の「気迫」を見せるには向かないないなあ、とも思った。

 ところで、先週のPowerMac7500のトラブルは、その後、わたしの使っているPowerMac8500+MachSpeedG3にも及ぶことになったのだった。PowerMac7500 の代わりにMacintoshIIVxを使うかも、とわたしの仕事場から取り外したとき、隣にあったPowerMac8500に外付けしてあったハードディスクのSCSI IDに障って動かしてしまっていたのに気がつかなかった。PowerMac7500が一応使えるようになってから三日経った朝、朝食食べながら新聞を読んでいると、 また麻理さんがPowerMac8500でスキャナーを使おうとして、起動したけど、画面が真っ白で何も出てこないと、言ってきた。そんな、馬鹿な、と行ってみると、なるほどディスプレイの画面は真っ白で、矢印ポインターがあるだけ。ディスプレイがいかれたかと、他のディスプレイを繋いでみたが同じ。つまり、ディスプレイの故障ではない。PowerMac8500の蓋を開けてハードディスクの様子を見るが別に変わったことはない。そこで、ADBポートとディスプレイだけ接続して起動してみると、ちゃんと起動した。次々に接続を増やしていって、SCSIがおかしいというところまで突き止めた。このPowerMac8500にSCSIにはハードディスク3台、MOドライブ1台、それにスキャナーと、5台の周辺機器を接続してあるが、電源は二つのタップの切り替えで、古いハードディスク組とスキャナー・新しいハードディスク組とに分けて、使うときだけ電源を入れてマウントすることにしている。
 わたしが前日まで使っていて、何でもなかったのは、SCSI接続周辺機器に電源を入れなかったからだ。ところが、麻理さんがスキャナーを使おうと電源をいたら、画面が真っ白になった。ということは、スキャナー・新しいハードディスク組に異変があったということ。そのSCSI IDを調べると、新しいハードディスクのIDが古いハードディスクのIDと重なっていた。沢山接続しているから、一つ動いただけで重なってしまったというわけ。真っ白な画面は、起動する途中でスカジー機器を探しに行って、二つ重なっているので混乱して、しらばくれていたということらしい。ハードディスクのSCSI IDを元に戻す。

 これでOK!と起動したら、真っ白にはならなかったが、デスクトップ画面の直前で「DragLib-setDragImageが読み込めなかったので、CD-ROMから起動して下さい。再起動」というアラートが出た。つまり、OSを再インストールせよということ。同じOSの「MacOS 8.6」を再インストールした。今度はうまく起動できた。そこで、テストとしてハードディスクとスキャナーをマウントしてみる。これもOK。トラブル解決と再起動したら、再び「DragLib-setDragImageが読み込めなかった。再起動」と出た。これを何度かやる。ついに、インストールして再起動すると「再起動」となり、駄目。再起動のループに落ち込んだ。何かシステムファイル壊れたのだと考えて、いっそのこと「MacOS 9」をインストールしてしまえ、と思って、「MacOS 9」をインストールした。しかし、再起動すると、また同じ「DragLib・・・」だ。仕方ない、前に「MacintoshHD」とは別の内蔵の増設ドライブ「Seagate1」にテストで「MacOS 9」をインストールしてあったので、そこから起動するようにして、その日は勤めに出かけた。

 そして翌日、その別ドライブ「Seagaye1」の「MacOS 9」を起動してプリントしようと、LANに接続しているTCP/IP印刷が出来る「EPSON EM 900C(AT)」をセットしたが、これが出来ない。「i-love-epson」サイトでサポートを調べると「MacOS 9」のマルチユーザーをサポートしてない云々と書いてあった。それをわたしは「MacOS 9」をサポートしてないと読み違えて、印刷が出来ないのでは困るから、前日インストールした「MacintoshHD」から「MacOS 9」を削除して「MacOS 8.6」に戻そうと考えた。ところが、わたしの「MacOS 8.6」のCD-ROMはアップグレード版なので、新規インストールするには「MacOS 8.5」を先ずインストールして、それを8.6にアップグレードするという手順になった。やれやれである。そして、インストールして再起動、インストールして再起動を繰り返して、「MacintoshHD」を元の「MacOS 8.6」の起動ディスクに戻した。ところが、どうしたわけか、「MacOS 8.6」でも印刷が出来ない。「目詰まりテスト」の印刷は出来るが、ワープロからも画像ソフトからも印刷できない。解らない、頭を抱える。

 では、「MacOS 8.5」ならどうかと考えた。そこで、もう一つのドライブ「Seagate2」に「MacOS 8.5」を新規インストールして印刷してみたら、今度はうまくいった。それから、「MacintoshHD」の「MacOS 8.6」のシステムの何かがプリンタードライバを邪魔していると考えて、「MacOS 8.5」と「MacOS 8.6」の機能拡張ファイルを一つ一つ照らし合わせて行って、プリンター関係また入出力関係と思われるもので一致しないファイルを「MacOS 8.6」から除いていった。USB関係、inputsprocket関係のファイルが「MacOS 8.5」にはないファイル、つまり「MacOS 8.6」で増えたファイルだったので、それらを除いた。そして、再起動して、プリンターをリセットしたら、印刷することが出来た。じゃー、「MacOS 9」でも、要らないファイルを捨てれば印刷できるのではと思い、同じようにやってみたら印刷できた。バンザイ!これで全てのトラブルが解決となった。

 この文章を読んで、パソコンをやり始めたばかりの人と相当のベテランの人は、全く同じ感想を持つに違いないと思います。この小父さん、何を嬉しそうにやってるんだろうと。それが、初心者にとっては何をやっているの解らない、ベテランには馬鹿馬鹿しい無駄なことをやっていると見えて。このトラブル解決に丸一日を費やしてしまった。こういう、訳の分からないトラブルは滅多に起きないが、起こることは起こる。パソコンは道具だという人が多いが、こんな訳の分からない道具は、道具としては最悪の道具だと思う。時計を道具だというと、違和感がある。パソコンもそういうもののように思える。時計は、人が本来内部に持っているものを外に出したもののように思える。パソコンも、本来人間が内部に持っていたものを外に出したものではないかしら。壊れた時計と、トラブルに陥ったパソコンって似ていると思えるが、どうでしょう。パソコンって、鼓動で動いているんですよね。トラブルを解決しないではいられない気持ちになるのも無理ないこと。



           

2000年6月8日

自分で、あきれ果てた初歩ミス。

ハルジオン
  ハルジオンの花

 5日の夜から、翌6日の午後まで、うちの麻理さんが使っているPewerMac7500+ BoosterG3のトラブルに取り組み、ようやく解決したが、それがわたし自身の何と呆れるほどの初歩的な設定ミスの結果だったというわけ。SCSI (スカジー)のIDナンバーが重なっていたということ。パソコンが相手では油断は大敵。それにしても、エラーを出すパソコンは心に響いてくるものですね。鉄道事故などが起こると、不眠不休の復旧作業、なんていうこと聞くが、パソコンのせいで、そういうことが家庭でも起こるようなったというわけ。
 5日の夜10時頃帰宅したら、麻理さんが、パソコンがおかしい、何度やっても、起動の途中でエラーになって再起動するとまた再起動、となってとうとう電源を切った、というのだった。彼女はいま論文を書いていて、それに使う資料も溜まっている。クラッシュしたら大変だ、と思わず息を呑む。でも、書きかけの論文も資料もMOにバックアップしてあったから、ひとまず安心した。代わりになる5年前の古いMacがあるけど、それじゃ仕事にならない。

 シャワーを浴びてから、PowerMac7500を起動してみると、「MacOS」の表示が出たところで、文字化けのアラート(警告)が出る。そこで再起動すると、同じところでまた出る。つまり、正常には起動できない。その先に行かれるかと、シフトキーを押して、機能拡張ファイルを読み込まないで起動すると、もう少し先まで行くが、今度は日本語で「システムバスエラー」で再起動となる。でもそれを何回か繰り返すと、どうやら起動できたので、兎に角、必要と思われるファイルをMOにコピーした。しかし、ちょっとしたことでフリーズして、使い物にならない。ちなみに、このMacには外付けのハードディスクとMOドライブが繋いである。

 OSが壊れたのかと、CD-ROMからOSを再インストールしようとしても、エラーになる。そこで、「Norton Disk Doctor」でディスクを診断するが、日付の違いぐらいで壊れたファイルはない。そして、デフラグ(最適化)を掛けようと、システムホルダーをハードディスクにコピーして、そこから起動させようとしたが、起動ディスクが変更できない。つまり、OSのあるディスクのデフラグが出来ないということ。

  それにしても、この「システムバスエラー」という警告が気になるのだった。「システムバス」というのは、データが移動する道路のこと。つまり、データが正常に送れないということらしい。このマシンにはG3のCPUカードが差してある。その取り付けがおかしくなったのか、と推測して、Mac本体の蓋を開けて、カードを取り替えてみたが、全然ダメ。何だか音さえおかしくなる。いよいよ寿命が来たか、買え換えるのかと気が重くなる。その時はもう深夜の2時を廻っていたので、諦めて、明日、古いMacを代わりに使えるようにセットしようと寝た。しかし、眠る前に、そのセットアップを思い描いていると意外に大変なことが解った。古いMacは「MacintoshVx」でそれに「PowerPC601・67MHz」が乗せてあるという代物。CD-ROMドライブがないのだ。それに、MacintoshHDの容量が小さく論文を書くためのWord98などとてもインストールできない、などなど。

 朝は7時半に起きて、朝食。その後直ぐに古いMacのセットアップに取りかかった。先ず、外付けのCD-ROMドライブを付けて、そこから「Word98」を外付けのハードディスクにインストールしようと思ったら、ケーブルのコネクタのピンの形状が違うので直接インストールできない。その630MBのMOドライブも同様のことでダメ。仕方ないから、同じケーブルの古い128MBのMOドライブを繋いで、先ずそこにコピー。そして、CD-ROMドライブと古いMOドライブを外し、別ケーブルで外付けハードディスクと最近のMOドライブを繋いで、MOからハードディスクにコピーしてようやくインストールできた。しかし、今までのG3は306MHz、67MHzではいかにも遅く感じた。しかも、ワード文書の枠組みも崩れていた。これを使って論文を書くなんて大変だなあ、という思いが生まれる。やっぱり、PowerMac7500は何とかならないものか、とテーブルの上の置いてディスプレイを繋いでみると、何かすいすいと起動するじゃないですか。「あれ、直ちゃったの???」と不思議な感じ。

  そう、テーブルの上に置いたPowerMac7500には外付けハードディスクもMOドライブも繋いでないのだ。そこでようやくぴんときた。パソコンでなくてハードディスクドライブとの関係が悪かったのか。MacintoshVxのプロフィールを見ると、繋いだ外付けハードディスクドライブのSCSI(スカジー) IDが「3」だ。PowerMac7500のプロフィールを見ると、内蔵CD-ROMがSCSI IDに「3」を取っている。つまり、起動不能となったPowerMac7500ではSCSIの同じID番号「3」に、CD-ROMドライブとハードディスクドライブが重なっていたのだ。それだけのことだった。つまり、CD-ROMの道と外付けハードディスクの道を両方とも同じ「3号線」としていたので、パソコンとしてはどっちかにしてくれえ、と「エラー」を出していた。だから「システムバスエラー」だったわけ。勿論、外付けのハードディスクの間違ったID番号の設定をしたのはわたし自身だ。しかし、それは1年以上も前のことだった。その長い間、IDを重ねて使っていたために、ハードディスクにその疲労が出てきたというらしい。実際、番号を変えて接続してみたが、やはりエラーになって起動できなかった。外付けハードディスクドライブを一台クラッシュさせてしまったというわけ。情けない。

  何でこんな間違いをしたか、ということを考えてみたが、Windows マシンとMacマシンが、わたしの頭の中でごちゃごちゃになっていたからだ。ハードディスクやCD-ROMをパソコンに繋ぐ仕方は、SCSIに繋ぐ場合と、IDE(アイディイー)に繋ぐ場合がある。多くに場合、Windowsマシンでは内蔵のCD-ROMはIDEに繋ぎ、外付けのハードディスクドライブはSCSIに付ける。Macは内蔵にIDEインターフェースを使っている場合もあるが、殆ど内蔵も外付けもSCSIを使っている。もともとSCSIの方がデータの転送レートが速いということもあるが、IDEにはMasterとSlaveの2台しか繋げないが、SCSIには7台まで繋げる。そいうことでMacはSCSIを採用しているらしい。WinodowsマシンはSCSIに繋げるには、別にSCSIカードを買ってきて増設しなければならない。わたしは、最近、Windowsマシンのハードをいろいろやることが多いので、Macは内蔵でもSCSIだということをすっかり忘れていた。そのために、MacのCD-ROMのSCSIの番号を振ってしまたというわけ。ちょっと手慣れてきたところでの、うっかりミス。初心、忘れるべからずなんだけれどもなあ。パソコンは、人身事故を起こさないだけに助かったけど、ハードディスクを1台壊してしまった。

  庭に咲いたハルジオン。河原とか空き地とかで見かける雑草だ。種が風で運ばれてきて、わたしの家に小さな庭に花を咲かせた。なんかこういう花がわたしは好きだ。子どもだった頃の、焼け跡で遊んだ記憶が無意識のうちに拡がっていくからかも知れない。そこは、荒れ野の広がりだった。空想を拡げると、この家に誰も住まなくなると、このハルジオンが群生して花を咲かせて迎える六月、なんてことも。



   

2000年6月5日

にわかに、CPUのコレクション。

いろいろなCPU
  いろいろなcpu
Pentium
  310万個のトランジスタの集積、
32ビットCPU、Pentium

 先週、秋葉原に行った。地下鉄末広町で降りて、裏道を行く。買う目的のものがあって、というわけでなく、本とか雑誌で読んだマザーボードとCPUを見るためのパソコンパーツショップを梯子する。K6-2がうまくいったから、今度はAthlonに挑戦してみようという思いを抱えて。速い遅いの問題を越えて、2000万個ものトランジスタが集積されているというCPUがどうも気になる。そして、それを載せるマザーボードというものも気になる。

 パソコンのパーツショップでは、たいてい10種類から20種類ぐらいのマザーボードが、ガラスのケースにソケットやスロットの配置が分かるように並べてある。以前は、それを見ても皆同じに見えていたのが、自作してからは、その違いが見えるようになった。と同時に、それぞれ違いがあるというCPUとマザーボードを組み合わせて使ってみたいという気持ちも出てきた。そこで、あのでかいカートリッジに入った、トランジスタ2200万個の、3DNow!のAthlonにも挑戦したい、という気になったわけ。といっても、いきなりオーバークロックをやりたいというのではない。とにかく、Athlonを使ってみたいというだけなのだ。危ないなあ、兎に角経験してみたい、なんて。CPUって中身が分からないブラックボックスだ。そういうのって、何か経験してみたい、という気持ちを掻き立てる。

 で、地下鉄末広町で降りて裏道を歩いていくと、パソコンのジャンク屋があった。なんかあるかな、という気で店に入ると、ガラスケースにIntelの古い型のCPUがずらずらっと並んでいた。値段を見ると、500円とか800円、高くても3000円止まり。この500円、800円に、がらくたを宝に見てしまう気持ちがぐっと働いてしまった。わたしが最初に買った「PC-9821Xa/C4」はPentium90MHzだったけど、その直ぐ前辺りで使われていたi486DXなんて、いろんな本で出会った名前だから、なつかしい気がした。つまり、本で存在を知っていただけのものの実物が、今、目の前にあるというわけで、わくわくしてきたのだった。それも、500円、800円、買わない手はない、ということだった。端から一個ずつ選んで買った来た。  

 

 

   








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