新詩集「胡桃ポインタ」の原稿の改稿。
次々に花を伸ばして開くスパティフィラム |
この一週間、今度出す詩集「胡桃ポインタ」に入れる詩の改稿をしていた。昨年12月の初めに原稿は既に書肆山田に渡してあったが、一つの詩を入れるかどうか迷って、刊行の作業に取りかかるのを待って貰っていた。そのうちに長文のエッセイをつけるかとも思ったが、それは止めにしたものの、その一つの詩は書き直して入れることにした。その書き直しがなかなかできなかった。
詩集を作るとき、一度書いて発表した詩に手を加えるということはいつものことだが、全面的に書き直すとういうことは余りしたことがない。書き直した理由は、自分で駄目な詩だと思って一度は外したのだが、その詩に書かれていることが、この詩集全体の展開に欠かせないと思えたから。それは、『現代詩手帖』1997年11月号で川端隆之さんの求めに応じて、彼の連載「リミックス詩篇」の一つのして書かれた「イギリス史」という詩だ。川端さんの「イギリス史」という出題に、コンピュータの概念の元になった「チューリング・マシン」の考案者のアラン・チューリングで応えた。彼は、ナチスの暗号を解読して連合軍の勝利への道を開いた人物なのに、同性愛者として逮捕され裁判に掛けられ、青酸カリ自殺をしてしまった。詩でコンピュータの歴史とイギリスの歴史を重ねたわけ。「リミックス」というやり取りの上で書かれた詩だから、それだけで読むと読むに耐えないところがある。それで、一度は外そうと思ったのだった。
しかし、今度の詩集の詩がコンピュータに熱中し始めてから書かれているばかりでなく、題名からしてプログラミング用語を使い、詩の中でもコンピュータとのつき合いから出てきた観念的な空間を語ろうと試みているので、やっぱり、コンピュータについて表面から語る詩を欠かせないと考えた。イギリス史といえばそういうこともあるんですよ、という書き方から、わたしにとってコンピュータって何だ、という視点に切り替えて書かなくてはならなくなったわけ。「詩」で「コンピュータ論」をやっちゃったということ。わたしは今月の19日で66歳になった。体力は衰えたけど、代わりに知力をつけなくては、と頑張ってるところを見せた詩集と言えるでしょう。早ければ9月、遅くとも11月には刊行されると思います。
薔薇が咲いた。
庭に咲いた薔薇の花 |
連休明けの慌ただしい一週間が過ぎて、ちょっとひと息をついているところ。息をつくと、詩とコンピュータのことが、わっと頭に戻ってくる。今年は詩集を出そうと思っているが、あと一つ、入れないとしていた詩を入れようと考え始め、書き直そうとして止まっている。コンピュータといえば、連休の後、昨年の12月から休んでいた「OpenGL」の勉強を春口先生のところで再開したが、すっかり忘れていて、最初からの復習ということになった。その「OpenGL」に重なって、「ザウルス」を買ったことで知るところなったオブジェクト指向のプログラミング言語の「Squeak」に対する関心も強くなって、とうとうAmazon.comでMark Guzdialという人の書いた「Squeak Object-Oriented Design with Multimedia Applications」という本を買ってしまった。ハイパー言語の初期の提唱者で有名なAlan C Kayが序文を書いている!「Squeak is an open, highly-portable Smalltalk-80 implementation whose virtual machine is written entirely in Smalltalk, making it easy to debug, analyze, and change.」というわけで、「Smalltalk」って何だ、ということになる。 春口先生には、「余りあっちこっちやらない方がいいですよ」、釘を差されているが。
そうだよね、「C言語」も一通りやったというだけで、自分でプログラムを考えられるところまでは行ってないのだから、と以前買って途中で挫折して投げ出してあった分厚い「C言語入門」を引っ張り出して復習を始めた。単純な足し算のプログラムで、変数を倍精度浮動小数点型のdoubleで宣言して「0.1」を10000回足すと「1000.000000」、100000回足しても「10000.000000 」となるが、わたしのパソコンは10000000回足すと「999999.999839」になってしまう。つまり、わたしのパソコンは12桁以上の計算では誤差が出てしまうということのようですね。そんな計算することないからいいけど、パソコンって、10万回とか100万回の計算を瞬時にやってしまうのだからすごいよね。
「OpenGL」の学習では、先週は基本の基本ともいうべき「座標」について、ようやく分かり掛けたという実感を掴むことができた。CGはすべて座標で描かれるが、この座標が、先ずは抽象的で絶対的な「論理座標」として考えられ、それをディスプレイのスクリーン上にあるウインドウに置き換えることで、画像が実現されるというわけ。頭の中で考えられた座標とディスプレイ上のウインドウの中に見える座標とがあるということなのだ。「論理座標」は原点が0。スクリーン座標の原点はディスプレイの一番左上の角。そこにOpenGLのウインドウを設定して、その中の好きなところに原点を決める。という関係になる。
特に、3Dでは「カメラ」に写ったものと想像するので、そのカメラの傾きとか上下向きとかが入ってくる。つまり、人なら人を、全方位から見えるというのが3Dで、画像として実現するためには、その何処かに視点を定めなくてはならないので、それを論理座標から割り出すということになるらしい。12本の線分で直方体を描いて、視点の座標値を変えていくと、近づき過ぎて手前の4本の線が見えなくなったりして、面白い。逆に、座標の数値を間違えると、見える筈のものが見えないので、慌てるということにもなる。とにかく、この「論理座標」というのが、ディスプレイも紙も関係なく、頭の中に絶対的に描けるものだということが、大きな発見だった。コンピュータって、論理を置き換えて、計算するものなんですよ。今更ながらにそれに気づいたというわけ。
雨も降って、露草が咲いて。
露草の花 |
雨も降って、露草も咲いて、梅雨が近い。今年は入梅が早いということだ。春の浮き立つような感じもなく、襲ってくる暑さという感じもない今の季節が好きだ。自分の誕生月だからだろうか。昼間、仕事の合間に庭の植物を見ていると、安心したような、懐かしいような気分になる。家の庭には露草が一株あって、十五、六年毎年花を咲かせている。七、八年前、早大の文学部にいっていた頃、バスを降りて歩いていく早稲田通りの歩道の花壇に露草が咲いていた。それを見ると、家でも咲いているといつも思うのだった。そして今は、家の庭に露草の花を見て、早稲田通りに今も咲いているかなあ、と思う。先日、春口先生の研究室にOpenGLを習いに、上福岡の駅から歩いて行く途中、住宅の玄関先に家の露草の数倍も咲いていた。なんか、よかった。
「極私的にEBIZUKA」が上映された「イメージフォーラムフェスティバル」も、六日の日曜日で東京と横浜の開催が終わった。来週は京都、来月は九州での開催となる。「極私的にEBIZUKA」は概ね評判がよかった。海老塚さんの作品のおかげだが、この二、三年の作品とは違う盛り上がりがあったのと、ある種の明快さがあったからだと自分では思っている。ただ、制作する海老塚さんの姿には迫れなかった。来年の出品作では海老塚さんの仕事場から広がっていく世界を映像に実現してみたいと思っている。
「フェスティバル」では日本の作家の作品を全部見たが、全体に個人で作ることを旨とした映像作品として、それなりのレベルがあり成熟してきたなあ、という感想を持った。その代わり、停滞感もあった。その辺りで、違うんだよなあ、という思い湧いてくる。わたしも含めて、個々にはぎりぎりのところで作っていると見えた。作品というものの成立が困難な時代だとは思う。しかし、わたしはフェスティバルに参加する作家として、もう少し時代に対して鋭くありたいとも思った。
携帯端末「ZAURUS」からプログラミング言語の「Smalltalk」への道。
満開近いジャスミンの花 |
「ZAURUS」で起動したzxLinux上で 「zpenguin」を実行 |
今年は、庭の花がどんどん咲いていく。二、三日前からジャスミンの花が咲き始めた。三月頃から蕾は出ていたが、なかなか花を開かず、ここに来てようやく咲き始めた。先日、小渕沢に海老塚さんのガラス作品を撮影しに行ったとき、そこの工房の奥さんが、山桜と山吹が一緒に咲いているの見て、「こういうことはないのに」と言っていた。四月は温かい日と寒い日が激しく入れ替わったので、花も戸惑っている、ということだった。
ところで、PDAの「ザウルス」。携帯端末って、手の平コンピュータと言われるけど、それがだんだんと実感されてきた。このザウルスを買ったのには、ムービーが再生できるということと、キーボードが付いているということに引かれたわけだが、先ずそのムービーを入れてみた。ザウルスで使えるムービーはMPEG-4というので、自分で作ったムービーファイルを「Media Cleaner Pro 3.1」でMPEG-4に変換してみたが、それは動かなかった。
そこで、ザウルスのサイトに行っていろいろと見ているうちに、「PixLab MPEG-4コンバータ」という変換ソフトがあるのを見つけて買った。このソフトでムービーファイルを変換すると、6448KBのファイルが何と177KBに、1079KBのファイルも49KBになった。一方は36分の1、もう一方は22分の1に圧縮されたことになる。この高圧縮率には驚いた。画質も小さなザウルスの画面で見る限りではまあまあだ。兎に角、それでムービーはインストールして見られるようになった。マイブリッジの分解写真で作った裸の女性がダンスするムービーを入れて、人に見せて悦に入っている。
本屋に行ったら、「Mobile press」という雑誌が出ていたので買うと、「一歩進んだPDAの使い方」という特集にザウルスでLinuxを動かせるという記事が出ていた。で、早速、記事にあった「フルパワー全開 Zaurus のページ zxLinux 」というサイトに行って、その「zxLinux」をダウンロードして、インストールしようとしたが、三つのファイルの内の「ZLNXKNL.BIN」というファイルが、PCからザウルスへの転送ケーブルでは送れなかった。ということは、ザウルスに差し込んでいる「SDカード」に直接入れなけれればならないわけだ。PCから直接カードにコピーするためには「SDカード」の「Reader/Writer」が必要ということで、それも買ってきた。このカードメディアというのが、いろいろあって、また実に複雑。間違わないように、店員にいろいろと聞いたが、店員も戸惑っていた。さて、zxLinuxのインストールに必要なファイルをコピーして、いよいよ起動してみたが、「create proc err」で起動できない。何度か試しているうちに、起動できるようになった。ディレクトリーをいろいろと渡り歩いてファイルを見て、雑誌の記事にあったように、「zpenguin」と打ち込むと、写真にあるようなLinuxのシンボルマークのペンギンの画像が現れた。「*.zit」という形式の画像を表示できるらしい。しかし、肝心のこの「*.zit」という形式の画像の作り方がわからない。追々調べてみることにしよう。とにかく、このzxLinuxでザウルスのキーボードから日本語のテキストファイルを作ることは出来る。今のところそれだけだが、一歩進んだ使い方が出来るというわけで、嬉しい。
同じ記事の中に「Squeak for Zaurus」とか「Personal Java for Zaurus」とかという別のアプリケーション実行環境もあると出ていたので、先ず、Sueakって何だ、というわけで「Squeak for Zaurus」のサイトへ行ってみた。そしてSqueakの説明を読むと、Smalltalkの流れを汲む開発環境ということだった。何か面白そうだと思い、ダウンロードしてザウルスにインストールして、ゲームをやってみたが、その他のことがさっぱり分からない。画面をクリックすると、コマンドが出てきて、更にいろいろとウインドウが出てくる。Squeakはどうやって使うのか、ということで、本家「Squeak」のサイトへと飛んだ。すると、そこにはSqueakはSmalltalk-80の実行の仮想マシンだと書いてあった。Smalltalkの名前は聞いたことがあるが、どういう言語か知らなかった。説明を読んでみると、JavaやC++と並んだオブジェクト指向のプログラミング言語だという。急に、興味が湧いてきた、というのが、今日までのところ。時代は、パソコンからPDAに移りつつあるということらしい。これらの若い人たちのサイトを巡っているうちに、何となく感じられた。