何年か振りで門松を立てる。
何年か振りの門松 |
12月29日の午後、自転車で宅急便を出しに行ったついでに、門松を買ってきて家の入り口に、ガムテープで留めて立てた。ここ何年かは内の麻理さんが買ってきた輪飾りをドアに飾っていた。彼女は輪飾り方が好き。わたしがどちらでもいいが、自分が買うとなると門松を買ってしまう。暮れになると、近くの商店街に露天の店が出る。そこで土建業の姿のおじさんから買った。正月が来ると、輪飾りを付けたり、門松は立てるが、お供えの餅を飾るということはしなくなった。家には神棚がない。でも、近くの八幡神社には初詣に行ったりする。暮れと正月に、実家の兄の家に挨拶と墓参りには行くが、正月の行事としては、あとは年賀状を出すくらいだ。新年を祝うという気持ちは希薄だ。戦中戦後を子どもから大人になる時期に過ごしたということが自分に大きく影響していると思う。
一年を振り返ってみる。九月に書肆山田から5年振りの詩集『胡桃ポインタ』を出した。22冊目の詩集だ。その前は1996年の『石の風』、その前が1992年の『遠い人の声に振り向く』、そしてその前が1990年の『タセン<躱閃>』。詩を書く機会が少なくなっている。『胡桃ポインタ』の詩の初出を見ると全部紙媒体だ。紙媒体に発表する機会を持たないと詩を書かないという詩の書き方が、ずっと続いたまま来ているということ。機会が少なくなったから詩も少なくなったというわけ。そういう紙媒体に依存した詩の書き方というものを考え直したいという気もするけど、そう思っているうちに自分にとっての詩の意味合いが変わって行く。そのこと。
四月に「イメージフォーラムフェスティバル」で、アーティストの海老塚耕一さんの作品を主題にした映像作品『極私的にEBIZUKA』を上映した。わたしとしてはminiDVで撮影して、16ミリフィルムに仕上げるというやり方を取った初めての作品。昨年、miniDVで撮影するということがとても新鮮だった。今年も引き続きminiDVで海老塚さんの制作過程を撮影して、来年の「イメージフォーラムフェスティバル」で上映しようと、編集に取りかかろうとしているところだ。彫刻を撮影するということから、「今日的な芸術」ということについて、少し考えるようになった。海老塚さんの彫刻はどれも美術館ではなく自然の中に置かれていた。それは「作品」が、「観念」が「自然」の中に歩み入る時の指標の役割を果たしているように感じられた。人間から離れて人間に戻るという道筋なのか。
それから秋に「横浜トリエンナーレ2001」に行って,
、現在の「芸術的表現」に映像が使われているものが多いのに驚いた。そして、そことについて考え始めた。わたしの中で「詩って何だ」という思いと、「映像って何だ」という思いが蠢き始めた感じだ。いずれにしても、今まで思い込んできたものとはだいぶ違うぞ、という感じだ。どういう風に考えていったらいいのだろうか。今のところ分からない。現在、人が何かを伝えようとするときのやり方が極めて抽象的になってきたことだけは確かだ。その「抽象」ということが手がかりなるかも知れないという気がするけど。
四月から尚美大の春口さんから「OpenGL」を教えて貰うことになって、やり始めたら、座標変換で数学の「行列」が出てきた。そこから、数学に手を出したら分からないので、前へ前へと戻っていったいる。九月に佐々木力著「二十世紀の数学思想」を読んで、ノイマンが凄い反共主義者だと知って吃驚した。子ども頃数学者に憧れていた気持ちが甦り、数学の本を何冊か読んだ。数が空間を作って拡がっていくという辺りを魅力的に感じるようになった。
もう一つ、今年のこととして、担当している多摩美の一年生七十数名のほぼ全員の名前を覚えたことは嬉しいことだった。学生たちに「人生を考える本」というのを作らせ、一人一人の人生本を読むことになって、名前を覚えることが出来た。わたしがそれをやってる時が、ニューヨークの貿易センタービルのテロリストによる破壊、それに続くアフガン攻撃とが重なった。人は一人一人名前をもって生きてる。その名前が見えない「距離」。コミュニケーションの「抽象化」とそのこととを考え合わせたい気がする。
MacのiToolsでホームページを作ってみた。
AppleのiToolsで作ったホームページ |
先週、16日の「Urokocity_BBS」を見たら、
2001/12/16(Sun) 15:13:43 Appleのという清水哲男さんの投稿が出ていた。その文字化け現象についての答えを萌木碧水さんが返信していたので、萌木さんもiToolsでホームページを作っているのかと思い、ホームページ「Blue Water」を見に行くと、その「アルバム」などのページがAppleのiToolsを使ったページだった。こんな洒落たページが出来るんだ、と思って、Appleのホームページに行き、好奇心に駆られるままに「iTools」を使ってみることにした。
iToolsを使っている方、おられませんでしょうか。 なかなか面白いとは思いますが、いくつかのテン・プレートでは 日本語表記がうまくいきません。何故でしょうかね。
映像演劇学科1年生の「映像構成」の作品。
「ムスコン」の一場面 ようちゃんは着るものも、食べるものも全て白 |
「くいしんBOY」の一場面 ケンタロウと女神 |
「Je t'aimerais ce soir.」の一場面 男の子がやってきて 残り者にキスする |
多摩美の映像演劇学科の1年生は10月の「演技構成」の後、11月には「空間構成」というビデオカメラを使っての映像表現を試みた。6、7人のグループで十班に分けて、「食べる」というテーマを与え、それぞれ話し合って企画を立て、出来れば10分以内のシナリオを書き撮影しカメラ内編集(デッキやパソコンを使わない)で編集して作品にして発表しなさい、というもの。話し合いの期間を入れて2週間、撮影は1週間でやった。期間が短いから滅茶苦茶になるかな、と心配だったが、発表会ではそれなりに纏まっていたので、驚いた。その後、わたしはそれぞれのテープから静止画を取ってホームページに作ったりして、彼らの映像表現をじっくり見て、考えてみた。
グループ分けもこちらが決めた強制的なメンバーで、内容を話し合う期間も充分に与えてないから、「映像表現」と言ってはいけないかもしれない。わたしの意図としては、映像なり演劇なりの表現を目指す者が、映像を表現手段にするときの手応えを実際に感じてもらいということだった。この演習の後、講義でイメージの意味の生成について話をしようと思っていた。人が生きる過程で脳の中にため込んでいる事物の「内的イメージ」、それと技術によってスクリーンに投射されたり、ディスプレイ上に現れる映像とは違う。表現者としてはその違いをはっきりと自覚して欲しいのだ。思い込みでは伝わらない。映像は光の点滅を基に、点滅する像の差異と、フレーム内の像の関係によって意味を生み出す。何処に差異の力点を置くか、またどう関係づけるか、その作業の流れで頭を働かせ工夫を重ねるというところに映像の表現がある、とわたしは思っている。つまり、わたしにとっては、映像で表現しようとした者が、何を像として選んだか、そこにどういう意味を生まれさせたか、そのためにどんなふうに頭を働かせ工夫をしたかを辿るのが一番面白いことなのだ。学生や若い人たちが作る映像作品が、わたしに堪らなく面白いのは、その映像を前にして彼らがやったことが顕わに見え、思いがけないことに出会えるからなのだ。
今度の「映像構成」はそれなりに纏まってはいたが、表現というよりは遊びに近いものだったといえよう。でも、今の若い人たちの考えることには、思いがけないことが多い。
「ムスコン」という作品、このタイトルの意味はよく分からないが、母親から子どもだからというだけで一切の「赤が禁じられている」女の子の話。作品の流れは、白い部屋で白いコートを着せられ、白いマシュマロを食べさせられ、白い牛乳を飲まされていた女の子が、母親が食べている赤い柘榴、赤いリンゴ、赤いトマトなど置いてある所からリンゴを盗んで咎められて、外へ出て行くと、踏切の赤い信号が点滅している向こうに赤いコートを着た女の子を見つけて、ついて行って公園で仲良くなり、コートを交換して家に戻り、母親からも赤を認めて貰い、二人で桃色のケーキを食べるところで終わるというもの。
「食べる」というテーマから、食べ物を白と赤という色で語ろうとするのは、うなずけるが、それを「禁止事項」に結びつけて母親を絡ませてくるというとことろには驚かされた。赤いリンゴを盗んだのを母親に叱られ、外に出て行ったところで、点滅する踏切の赤信号に切り替わり、向こうの赤いコートの子の前を赤い線の入った車輌が横切るという構成はなかなかなものだと思った。映像をよく知っている。この「禁止事項」を軸に母親と娘の関係を掘り下げれば奥行きのある作品が出来るだろうと思う。しかし、赤と白を積み木ように振り分けて軽く遊んだのもそれでいい。
映像制作を楽しむということに徹したのが「くいしんBOY」だった。くいしんBOYのケンタロウが女神から「一個の鯛焼きをカオリちゃんとたべるのよ」と命令されて、邪魔するマスター・ハングリーと闘い、サンマ王子とどちらがきれいに食べられるかという秋刀魚食い比べに勝って、ついに屋上でカオリちゃんと鯛焼きを食べることが出来たというお話。街の中で喚いたり走ったり、また柵を飛び越えたり、カメラがなければ出来ないようなことを次々とやって行く。テレビマンガで育まれた子どもの心を残して、身体は大人になったから怖いもの知らずに思うがままにやれる。そういうロケを楽しんだ数日間の映像遊びの記録と見ることができる。「表現基礎」と銘打たれた授業にあって、映像は表現なんてものではなく、あくまでもエンターテイメントなんだという主張だ。それにしても自分たちだけで楽しまないで、もっと見る者を楽しませてくれ、と言いたいところだが、彼らの貧しい青春の一時がここにあるんだ、という思いも湧いてくる。
「Je t'aimerais ce soir.」はエスプリの利いた小さな笑劇として出来上がっていた。道化役のマエストロが大仰に指揮棒を振り下ろすところから始まるが、地下階段の踊り場での食べ物を当てるクイズ遊びで、当たった者が実は外れで、外れた者が実は当たりだったというどんでん返しの話。壁に、三人の若い女が黒いテープで貼り付けられている、二人はテープで目を塞がれ、一人は口を塞がれている。道化のマエストロがプリンを載せたお盆を手に階段を下りてきて、「これは何でしょう」と問いながらプリンを匙で目隠しされている女たちの口に入れる。二人は声を揃えて「プリン!」と答える。で、「当たりィ」となる。口を塞がれた女は目で見て分かるが、口を塞がれているので答えられない。次にケーキ、そして次にフランスパンと同様にして、目隠し女たちは次々に答えて、全部当てた褒美に「お寿司をご馳走しましょう」とマエストロがテープを切って二人を連れ去る。二人が貼り付けられていた壁には「はずれ」と書いてある。口を塞がれた女はそのまま残される。しばらくして、廊下に青年が通りかかって、貼り付けられている女を見つけ、降りてくる。女の前に来たところで、字幕で「美しい」「Je t'aimerais ce soir.」と出て、青年は彼女にキスしてテープを切って連れ去る。彼女が貼り付けられていた壁に「あたり」と書かれていて、終わり。小話としてよくできている。小気味いい纏め方だ。遊びとしてもスマートに遊んでいる。わたしとしては、躓いて転んで擦り傷を見せて欲しいところだったが。
「野火」という作品は、自分たちが夜の不忍池付近で野火になって徘徊するという内容。顔に泥を塗って歩き回り、豆腐を地面に並べ、火を点しては消して行くという映像が展開するが、何だかよく分からなかった。「夜」「顔に泥を塗る」「食べ物の豆腐を地面に置く」といったことで、気分を盛り上げて、その盛り上がった気分を映像に表そうとしたのだろうが、光量が足らない上、空間が広すぎて、映像から中身が抜け落ちてしまったのだと思う。分からないと言えば、大学か研究所の古い建物の脇で書き物している男のところに別の男がやって来て、丼ものを食べてその場で吐き出すのをじーっと撮り続けているという「のののののののめ」も分からなかった。「食べて吐く」のをパフォーマンスとしてやって、それを記録するのと、更にそれを抽象化しようという筋立てとが旨く絡み合わなかったということなのだろう。
ここで学生たちが作っている映像は、同じ映像でも、映画館で上映され、テレビで放映される映像とは違うし、また「横浜トリエンナーレ2001」で映写されていた映像とも違う。一番の違いは、これらの作品は発表会の時にテープとは別にMDなりCDなりで音楽や効果音を付けて上映されたのだが、それは教室での発表会の一回限りの上映でしかないということだ。それは一回限りの表現行為、遊びといえば遊びにしか過ぎない。でも、その遊びに彼ら彼女らの生きている心や姿が現れてくる。それに出会うのがスリル。DVカメラが普及している現在、そういう「遊びの映像」がたくさん生まれてくるに違いない。毎年、「イメージフォーラム付属映像研究所」の卒制作品を100本余り見ているが、そこでも思いがけない映像にいつも出会う。探しに行かなければ出会えない。しかし、探しに行けば必ず出会える。そういう映像なんですね。
12月の野ぼたん。
12月の野ぼたんの花 |
これで、野ぼたんの花も終わりかな。12月ももう十日を過ぎた。先週で講義を終わらせ、今週は後期の試験をやってしまう。わたしが教える多摩美映像演劇学科の1年生は、その後、来年の2月まで「冬季集中実習」という期間に入る。班に分かれて映像と演劇と自分たちで企画を立てて制作する。10日には「イメージフォーラム付属映像研究所」で卒業制作の企画講評というのをやった。二十歳前後の若い人たちがどんどん創作に励む。気候は寒さに向かうが熱気に満ちてくる季節だ。
土曜日には、秋葉原に行って、バックアップ用に「DVD-RAM」ドライブを買って来た。「DVD」はいろいろあるが、普通のハードディスク並みにドラッグでファイルを移動したりコピーできる「DVD-RAM」にした。接続 はIEEE1394にしようかと思ったが、カードを新たに差さなくてはならないのが面倒で、SCSI接続にした。秋葉原は9月以来の2ヶ月振り、2ヶ月で店舗や売り場が変わっていた。「LAOX」のコンピュータ館の一階にあったコンピュータ関係の書籍売り場が、以前のMac館に移って、BOOK館となり、Mac館は表通りに移って小さくなっていた。Macintoshの売り場がどんどん縮小されて行く。Macintoshのユーザーが少なくなっていくということなのだろう。パソコンをめぐる変化は激しい。5年前に初めてMacintoshを買ったときは、コンピュータに触るという思いでワクワクした気持ちだったし、売る店員もコンピュータを広めるという意識があって、親しみを持てた。特にMacの売り場はそうだった。Windowsとの競争意識が活きていた。もうMacはグラフィックやビデオ編集をやるためのものになりつつあるというところか。また、2、3年前に秋葉原の電気製品を売る店のワンフロアが全部書籍売り場に変わってしまった時は、目を見張る思いだったが、それも凋落の兆しが見える。そしてパーツ売り場も狭くなり、自作ブームも去りつつある。秋葉原って、そういう世相の変化が際だって見えるところがいい。わたしにとっては、ラジオ工作少年だった子どもの頃に通い、今またパソコン老人で通っている街。わたしはまだまだ通っていくことだろう。そして、LAOXの隣の「志な乃」で手打ち蕎麦を食べる。
ホームページ制作ソフト「Adobe GoLive5.0」を練習。
「Adobe GoLive5.0」のケースカバー |
わたしの「GoLive」練習サイト |
多摩美の映像演劇学科研究室サイトの学生たちのページをもっとにぎやかにしようと思って、「自分のホームページ」を持ちたい者を募って、CGの授業と別の課外授業で、ホームページの作り方を助手の大平君と二人で教えることにした。2年ほど前にも教えたが、その時は稚拙なものが多かったけれど、それぞれ個性が出ていて面白かった。しかし、教えたわたしは自分のCGについての知識の無さを猛反省するところとなった。「Photoshop」や「Illustrator」などを使わせても、学生たちはめちゃくちゃな使い方をするので、エラーの続出となるが、指導者としてそのエラーから復旧させるやり方が分からないで立ち往生することがしばしばあった。基本からやろうと勉強し始めたが、未だに入り口で足踏みしている状態だ。それはそれとして、専門の講師が教えるCGの授業を取ってない者にもホームページを作ってみたいという希望が出てきたので、教えることにしたのだった。わたしとしては、教えながら学ぶ、というわけ。
映像を専攻する学生でも、もうパソコンに触ったことがないという学生は殆どいなくなった。50歳以上の先生の中にまだいるけど。しかし、パソコンが使いこなせる学生は少ない。基本的な知識が欠けている。デジタルビデオのカメラが普及して、パソコンで編集して映像作品を作る学生は増えたが、ハードディスクとかファイルのフォーマットとかの知識が無いために無茶してエラーで泣くことになる。転送レートが遅く画面がノイズだらけになることはしばしば起こる。ひどいときは、自分の家で編集はしたものの、テープに出力できないで、パソコンの画面をカメラで撮影して持ってきたなどいうのに出会ったこともある。わたしも分からないことだらけだから、一緒に勉強していく以外にない。
ホームページの作り方を教えるということは、実はHTML言語のタグの書き方や様々なスクリプトの書き方を教えるというのが本道だろうが、それでは道のりが遠すぎるので、適当なホームページ制作ソフトを使って作り方を教えることにした。映像演劇学科のコンピュータルームのMacのG3マシンに「Adobe GoLive」が入れてあったので、それを使うことにした。ところが、実はわたしは自分のホームページを作るのに、いわゆるホームページ制作ソフトを使ったことがないのだ。5年前にホームページを開設した当時、Macのハイパートークで書かれた制作支援ソフトを使ったことがあるが、煩わしくて、直ぐに止めてしまい、それ以来自分でタグを書いて素朴に作って表示に時間が掛からないように心がけてきた。でも、ブロードバンド時代が来たから、もっと凝ったものにした方がいいのかもしれない、と思う気持ちも出てきた。学生に教えるのを口実に、ソフトの勉強を始めようというわけ。
教える前に一応自分で勉強して置かなくてはと、わたしのMacは殆ど使い物にならないので、ビデオ編集に使っているWindowsマシンを使うことにして、「LiveMotion」とパッケージされた「Adobe GoLive5.0 for Windows」を先月の上旬に買ってきた。ハードディスクの空き容量380MB必要というからかなり重たいソフトだ。実際、起動にも時間が掛かる。起動すると、作業画面が現れ、その中に「ドキュメントウインドウ」「オブジェクトパレット」「インスペクタ」その他のパレットがあって、「ドキュメントウインドウ」に画像などのオブジェクトを貼り付けて、その画像をインスペクタで指定したり、リンクを付けるという仕方でホームページを作っていく。ドラッグとクリックで簡単に出来てしまうというわけ。ソフトが自動的にHTML言語のタグを書いてくれる。タブをクリックすればそれは見えるし、訂正もできる。そして、「サイトウインドウ」を使ってサイトとして組み上げれば、パソコン上にローカルのホームページ・ディレクトリが出来て、そのままHTMLファイルを始めデータフィルをサーバーに送れるという仕掛けになっている。マウスでドラッグするだけで思いのままにレイアウト出来るからとても便利だ。画像のマッピングも、マウスオーバーで画像を変えるというのも、インスペクタで指定すればいい。マウスオーバーがスクリプトを書かなくても出来ちゃうなんて思いもよらなかった。そこで先ずは、「リンク」と「マウスオーバー」と「マッピング」を作って見ることにした。
ところが、「GoLive」のマニュアルは400ページ余りある。手っ取り早く概略を掴みたい。そこで、いつもやり方で、一番薄く一番易しい入門書を選んで買ってきた。絵の方が多い入門書だ。絵を見ながら手順を追って行くと出来てしまう。さて、素材となる画像をどうするか。と、思い付いたのが「Microsoft Office」の中に殆ど使ったことのないが、いっぱいあるクリップ。なかなか気に入ったのが無かったけど、2、3枚持ってきた。これは、特別な画像フォーマットだったので変換しなければならなかった。あと、以前ジャンク屋で買ったCD-ROMから何枚かコピーした。フロントページの画像はオリジナルで行きたいと思って、「Illustrator」で描いてみた。「Shirouyasu」を恰好付けてマウスで描くのって難しい。ここまでで一応クリックして移っていく三つの流れを作った。「ホームページ作り方教室」で、こういうことができるよ、という見本だ。次に、この三つの流れをトップページでリンクする。そのリンクボタンを考えた。リンクボタンは素材として何処にでもあるから別に作るまでもないけど、「デタラメPhotoshop」というサイトに行ったら、「AQUA風?ボタン」の作り方というのが出ていたので、早速それをやってみることにした。ところが、そこに書いてあるやり方通りにやってる積もりなのに、旨くできない。「Photoshop」の「アルファチャンネル」を使うのだが、カラーチャンネルを理解してないわたしには駄目だった。なんか悔しい。
そこで2日の土曜日、「Photoshop6.0パーフェクトマスター」という640ページの大冊を買ってきて、3日日曜日の一日を使って、「Photoshop」のカラーとチャンネルについて勉強してから、「AQUA風?ボタン」に挑戦した。手順としては「18」の手順でできることになっているが、一つの手順の中に三つも四つものクリックや選択があるので、細かく数えると50回くらいの手順になる。これを順番にやっていかないとうまく行かない。一つ一つちゃんとやってる積もりなのに手順を間違えて20回くらい失敗しただろうか。朝から「パーフェクトマスター」に取りかかり、「赤ボタン」一個できたのが夜の10時過ぎだった。まさに、やっと「できたあー」だった。それから「青ボタン」と「緑のボタン」を作って、それをフロントページに置き、それぞれリンクを付けた。それにしても、こういう手順を考えて作る人は一種の「職人芸」といえるのかもしれないと思ったりしたが、素人が一日の手習いで出来てしまうようでは、「職人芸」といってはいけないとも思った。しかし、「AQUA風」というところから、どういう発想を経てこういう手順は思いつくことになるのだろうか。そういう道筋を持ってないわたしのような者が学生に教えるから質が落ちるということになるのか。でも、わたしとしては、幼稚でも発信して楽しむということを重んじたい。
ボタンが出来たので、「Shirouyasu」トップページから、リンクを辿れるようにした。赤ボタンのリンク先に掲示板のUrokocity_BBSで教えて貰ったアメリカのアフガン攻撃を風刺したFlashのサイトを付け、青ボタンの先には伊藤聚さんのイラストと、そのイラストをアニメーションにした春口さんたちが作ったFlashを付けた。Webで楽しむ、そこをこれから考えていきたい。「GoLive」の後は「LiveMotion」、そして「Flash」を勉強しよう。
「Shirouyasu」練習サイト