2002年7月1日から31日まで


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2002年7月29日

 ようやく夏休み。


野ぼたんの初花
 今年始めての野ぼたんの花。

 この野ぼたんの花は先週咲いた。その花に7月の終わりを実感して、金土日の3日間、多摩美の映像演劇学科の「卒制合宿」で、山中湖近くにある大学の「富士山麓セミナーハウス(純林苑)」に行ってきた。学生たちが4月から暖め来た卒業制作の企画の内容を集中的に詰めて、制作に取りかかるステップにする合宿。学生がシナリオとかパフォーマンスの実施内容とかその他諸々の資料を持って、教員と話し合い、制作の手順を決めていく。今年は延べ15,6人の学生と話をした。午前中から夜まで、30分刻みで目一杯に話をしたから結構疲れた。着実に計画を進めている者もいるが、これからシナリオに取りかかるという者もいて、企画意図の核心をはっきりさせるように話を持っていかなければならないので、面白かったけれど疲れた。

 今年の「作品」では、自分探し的な傾向は少なくなった。企画のテーマのベースで、「多数」という概念を共有するものがいくつかあった。それが面白いと思った。多数を意味する「なゆたあ」を探し求める盗賊を主人公にした映画、都内の廃校となった小学校を発表場所にして、その地域の1000人の人をアーティストに仕立てて、キネカリの一齣に傷を付けさせるというやり方で参加して貰うという企画、この8月から近所の小学生に8ミリ映画作らせたり、写真を撮らせたりして、最終的に屋上に家を造り、そこで上映したり、縫いぐるみの「バクチン」が写った無数の写真を壁に貼るという企画、人体の無数の細胞の一つ一つの起源を、「ストロマトライト」のイメージで表すアニメを、見に来た人たちがすっぽりと被ったバルーンに映写するという企画、そして、12人がそれぞれ一つ一つの展示物や身体パフォーマンスを行う会場を、「羊水」が満ちた「プール」と見立て、見に来た人はそこでは多数の「精子」の一つ一つということになって、見終わったときは何らかの受胎が成就するという企画。どれもこれも、わたしには思いも及ばない発想だ。何故、彼女ら彼らは「多数」ということを発想したのだろう。ちょっと身を引いてみると、携帯電話とかインターネットとかヒットタイトルとかW杯のサポーターたちとか、多数がじわっと身体の迫っているという実感があるように思える。「多数」ということを自らが擁立しなければ、その実感に立ち向かえない、ということなのかもしれない。「個人のわたし」から「多数の一人のわたし」へと、若い表現意識の基点がシフトしている、という気がする。

 さて、これで合宿が終って、わたしはようやく夏休み。「入門JavaScript」がまだ後50ページほど残っているので、これを集中して読み終えて、それからPowerMac8500が殆ど使い物にならなくなったので、MacのG4を買う準備をするかな、というところ。ちょっとわくわくした気分ですね。



2002年7月22日

 蔓が伸びて、朝顔の花芽が増える。


朝顔の花芽
 朝顔の葉はぐったり、花芽はしゃっきり。

 20日など、もう梅雨明け予告するようなカラッとした強い日差しだった。昼頃、庭の植物たちは葉を垂らしていた。朝顔の葉もぐったりとしていたが、花芽はしゃんと上を向いていた。二週間前に薦田愛さんから送られてきた入谷の朝顔市の朝顔は、四本の蔓をどんどんと伸ばしている。葉が出ると、そこに花芽が出る。芽がいっぱいで出て、それがみな花になるという楽しみ。21日には梅雨明け宣言になった。その21日は、久し振りに秋葉原を歩いた。1万円ぐらいの安いノートパソコンでも買うか、と思って行ったのだったが、1万円では、Pentium100搭載でHD24MBぐらいで、やはり使い物にならので止めた。HD1GB以上だと4、5万はしてしまう。秋葉原は露天商が増えた。そのノートとかWindows95用の古いソフトかが売っている。まだ、おやっと思うようなものはないが、もう2、3年すると面白くなってくるような気がした。何故か、秋葉原って太った若い男が多いんですよね。

 7月3日の夜帰宅すると、長いファックス用紙がとぐろを巻いて垂れ下がっていた。見ると頭に、「お元気ですか。小沢和史です。お久しぶりです。巷はサッカーが盛り上がってますね。僕も路上で缶蹴りなどしながら、水たまりを飛び越える毎日です」と言う書き出しで、近況が書かれ、最後のところに、「それから、またいくつか詩ができたので、読んでいただきたく送らせてもらいます」とあり、8篇の詩がながながと9ページに渡っていた。小沢和史君は多摩美の卒業生で映像作家。2、3年前、上映会で読む詩というのをファックスで送ってきて、どうですか、というので、「ちょっと、この辺り直した方がいいんじゃないの」とか言ってやったことがあった。そのつづきで「またできたから」と送ってきたわけだろう。  

「ファンタジーの海で行き場を失うと
 事もあろうに
 俺の目玉に受粉した」
なんて悪くない。読んで行くと、「プッシーダイナマイト、虹の彼方へ」という詩があって、わたしは気に入った。  
プッシーダイナマイト、虹の彼方へ


 
土手の泥に滑って 薄ら笑い。
青い合羽の自転車にぶつかって 薄ら笑い。
あら、奥さんご免なさい。
エヘヘ笑いでご免なさい。
当たり前の視線にやられた。
こんな時はおとなしくしてなくっちゃと
靴を履いてしまった。
出て来てしまった。
傘の中から覗く俺の目玉が
小雨の風景にシャッターを下ろす。
「くるくる渦巻きの所」
「野良犬と飼い犬が集う所」
「不吉な臭いのする所」
気がつくと俺は見知らぬ家の庭にいた。
そこには濡れた紫陽花が咲いていたから。
あら、爺さんご免なさい。
エヘヘ笑いでご免なさい。
「しかめっ面の奥で花咲く所」
当たり前の視線にやられた。

やがて、俺の顔は風景に吸い取られてしまった。
顔を失った俺は雑色商店街で、しかみ面の鬼面を購入。
部屋に帰ってさっそく被ってみる。
そのまま階段を昇り降りしていたところ
電話のベルが鳴った。

「もしもし顔無しですが。」
芝居がかった顔無しの台詞が匿名希望の沈黙にしみわたる。
受話器を耳に押し当てて、午後の無言電話。
鬼面の下の顔無しが匿名希望の息づかいとつながった。
行き先を忘れた二人の沈黙のその先からは
雨の音が届いてきます。
あなたと僕の沈黙の愛の証に
光の届かぬ階段に
マイクロフォンを置いておきましょう。
録音ボタンは君が押しなさい。
「そういえば、」
そういえば、
僕には顔が無いが、  
匿名希望には名前が無いのだね。
そんな事を告げると匿名希望の電話は一方的に切れた。
何故一方的に切りやがる。
二人の罪はこの部屋の埃のように
ただ空を漂い罰を受ける事もない。
やがて、僕らは薄ら笑いを沈黙で飾り付け
再び町を歩いて行くのでしょう。
何故一方的に切りやがる!

  
 親愛なるあなたの無言

 僕ら夜釣りに行きました。
 海に投げ出された男根が三本、
 波の音を聞きました。
 釣り具屋の犯罪人のようにたくましい顔面が
 サンドバックのようで、
 オコゼの背びれに刺されたあいつの親指が
 月明かりに照らされて、
 ぽっこりと勃起したのです。
 あいつったらそれを見せびらかせたりして、いやらしい。
 海水に濡れたプッシーダイナマイトに押し当てる気だね、      
   いやらしい。
 そんな親指のまま、コンビニでぬけぬけと缶珈琲を買うな             
   んて、何たるハレンチきわまりない夜だ!

 ねぇ親愛なるあなたの無言
 窓を開けてしまいなさい。
 夜明け前の一番闇が深まる水平線に 
 虹が架かるかもしれません。
 あなたのママが話してくれたお伽話のように
 虹が架かるかもしれないのです。
 防波堤をぶっ壊せ!
 防波堤をぶっ壊せ!
 壁にもたれないままでいた。
 
 追伸。その後、鬼面は被ったままです。その下の薄ら笑いも止まりません。
 世間とか仲間内とか同世代とか、人の関係が結構うまく捉えられている。言葉の運びも、やや饒舌だが、先を読ませる。小沢君も詩が上手になった。これなら、人に読んで貰ってもいいな、と思い、更にわたしのサイトに載せてみようと思い至った。そこで、早速、書いてあったメールアドレスにメールして、発表する場が決まってなくて、インターネットで発表してもいいのなら、わたしのサイトに掲載したいと、こちらから申し入れた。返事はOKだったので、詩のファイルとイラストか写真があったら送ってくれと返したら、CD-ROMに焼き込んで送ってきた。というわけで、小沢君の詩を「小沢和史詩集2002」として掲載した。掲載したことを知らせたら、「果たして小沢和史は詩人になった?の巻」というタイトルで仲間にメールを送ったと言ってきた。うれしがっている様子が目に浮かぶ。わたしも嬉しい気分になった。  




2002年7月16日

 台風と蝸牛。


蝸牛
 台風が去った後に、這い出した蝸牛。

 16日の朝は6時の朝帰りだった。といっても、前の晩遊んでいたわけではない。前夜、映像演劇学科の今年の4年生の「卒制都内合宿」というのがあって、神宮外苑の日本青年館に、学生たちと泊まり込んで、卒業制作作品について話し合っていた。ストーリー作品を作る者、ドキュメンタリーとドラマをまぜこぜにした作品を作る者、写真を撮る者、廃校になった小学校を発表会場にして、そこで地元の小学生や父兄とワークショップ開いて、8ミリ映画を作ったりバルーンを作ったりすることを企画している者たち、などなどと朝の3時まで話をしていた。ちょっと眠って、目が覚めたら、6時前、テレビを点けたら、台風7号が御前崎沖から伊豆半島に向かっているという。窓から見える国立競技場の上空には雲が動いて、薄日が差したりする。ひどい吹き降りにならないうちにと、チェックアウトしてタクシーで家に帰った。

 ウトウトして10時前に起床。トーストと紅茶の朝食を食べながら長野県知事の失職の記事を読んでいると、雨足がひどくなったがそれほどでもなかった。食後、庭を眺めていると、葉の裏に蝸牛がじっとしているに気がついた。まさに、台風を避けているという格好だった。ビデオカメラで撮ろうとしたら、バッテリーが切れてる。で、充電している間に、台風も去った。雨も上がって、気持よい風が吹いてきた。バッテリー満タンとなって、蝸牛を撮ろうとカメラを向けたらもう蝸牛の姿はなかった。カメラを持って庭に出て探す。20センチほど下の枝にいるのを見つけて撮影した。蝸牛を見るのも久し振り、ましてカメラで撮影したのは、カメラマンをしていた時以来で、数十年ぶりといえよう。



2002年7月6日

 夏の定番おやつ。


トウモロコシと巴旦杏
 夏の定番おやつ、トウモロコシと巴旦杏。

 6日、昼前、自転車を走らせたら、家々の屋根の上にくっきりとした入道雲が湧き上がっていた。もう夏だ。先月の中頃から痛み出した腰痛も、治療しに通っているうちにかなりよくなった。自転車を走らせたというのも、実はその腰痛の治療のために近くの「松岡接骨院」へ行くためだった。松岡さんは中年の柔道家で少年たちに柔道を教えている。この土地で育った人だから土地の話題に通じている。井の頭通りの道幅が環七まで広がるのは4年後という。そのときは阿佐ヶ谷行きのバスも通るようになるのでは、という話だった。わたしと一緒に並んで電気を掛けていたお婆さんは、旅行したと言っても、新幹線にも飛行機にも乗ったこともなく、一番遠くに行ったのは富士山かしらね、と言っていた。この夏、彼女は照りつける太陽の下の屋根の下で何をして過ごすのだろう、とふと思った。お婆さんもトウモロコシとスイカは食べるでしょうね。

 帰りに、山手通りから上原まで道幅が広くなった井の頭通りの坂を自転車で登ったが、あと10メートルというところで息が切れて登り切れなかった。スーパーの「パルケ」に行って、スイカやトウモロコシやリンゴなどいろいろ買って帰った。今の季節で好きなのが、トウモロコシと巴旦杏、なるべく切らさないようにして、トウモロコシは午後のおやつにする。巴旦杏は、流しの傍らに置いておいて、一息入れるときに、水で洗って囓る。この前までは夏みかんをよく食べた。酸っぱくて甘いというのがいいですね。

 海老塚さんのHPを作るのJavaScriptを使ってから、急にJavaScriptに傾いて、プログラミング言語としてちゃんと勉強したいという気になった。いろんな言語に入門はするものの、使いこなせるというところまでは行けないでいる。JavaScriptも入門書は一通りやって、出来合いのスクリプトを手直して使うことは出来るが、自分でプログラムして使いこなすことは出来ない。その先に行きたい。本屋に行くと、入門書とサンプル集は結構あるが、プログラミグ言語として書いてある本は少ない。で、大野靖著「入門JavaScript」とDavid Flanagan著「JavaScript第3版」の日本語訳を買ってきた。そして、「入門JavaScript」を読み始めたところだ。JavaScriptって「オブジェクト指向」といわれている。マイクロソフトのIEやNetscapeなどのWebブラウザの、ウインドウとか、掲示板で書き込みするテキストエリアとか、画像とか、そういうものを「物(オブジェクト)」として、それに名前を付けて、それぞれにいろいろな特色を持たせて、コントロールしようということらしい。つまり、ある太さのドライバーでネジを締めるのを、オブジェクト指向的な言い方をすれば、ドライバーと名付けて、十字の先端を持たせてネジに合わせて回す、といった具合に、ドライバーとかネジのようなプログラムの部品を作って組み立てる、ということらしい。既に使っているわたしとしては、なるほどと思う。「それはそういうことだったのか、それなら、そこのところをもっと知りたい」、そして自分でも何か組み立てたい、という気持ちになって来る。授業は来週まで。この夏休みは、7月の末に山中湖へ「卒制合宿」に行った後は、多摩美の9月公演の共同研究「カラザ02」の稽古と、JavaScriptで過ごそう。





 
 








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