2002年6月1日から30日まで


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2002年6月30日

 海老塚耕一さんホームページ完成。


海老塚さんのHP
 海老塚さんのホームページのアルミ作品。
右のアイコンを触ると中央のがぞが変わる。

 今月の初めから作り始めた海老塚さんのホームページ「海老塚耕一の作業場から」がほぼ出来上がって、公開することろまで来た。海老塚さんは、この秋に横浜の神奈川県民ギャラリーで個展をするというので、そのためにホームページが欲しいということだったが、何しろ忙しい人なので自分で作っている時間がない、というわけで、わたしが制作を引き受けることになったのだった。わたしとしては、新しくサイトを組み立てるということに興味があった。わたしは、ソフトを使わないでwebページを作っているが、それで何処まで出来るかという挑戦にしようと思った。最近のホームページを見ると、ウインドウを分割するフレームとか、インタラクティブなFlashとかが多用されている。わたしもやってみたいと思うが、それはそれとして、見る人の気持ちをそそり、楽しめるものが、素手で何処まで出来るかというわけ。

 海老塚さんから渡された資料はかなりあった。手書きの絵や写真やスライドや、MOで渡されたデジタル写真などから、作品の画像を作ったが、数えてみたら223の画像ファイルになった。これを表示するためのHTMLファイルが51で、合わせて274のファイルを作ったことになる。工夫のしどころとしては、連作の平面作品を、次のページ次のページへとリンクをクリックして辿らせるのでは単調になって面白くないから、画像を小さいアイコンで表示して、それに触ると画像が変わるというような仕掛けにした。JavaScriptの本を見たら、「onMouseOver」というイベントハンドラを使うそういうサンプルがあったので、それをちょっと変えて使わせて貰った。JavaScriptを使い始めたら、それにのめり込むようになったということは先週書いた。大きい会社のホームページも、ソースを見ると、たいていJavaScriptとスタイルシートで操作している。JavaScriptを使えこなせれば、一人前のWebデザイナーということになるのかしら。    

 話は変わるが、一昨日、研究室のドアを開けて出たら、一年生の女子学生が「ちょっと聞きたいことがあるんですけど、いいですか」といういうので、気軽に「何でもいいよ」と応じると、「今友だちと話してたんですが、人間の本質って何ですか」という質問、その友だちの男子学生が傍らに立っている。わたしは、「そうだなあ、うーん、難しいなあ、一概に言えないなあ」と答えに窮した。そして、「まあ、言えることは、先ずは人間は存在するっていうことじゃないの」と息を継いで、「生きてるってことだ」とかわしたが、それじゃ、動物も植物も生きてるじゃない、ということになるので、「意識を持っているということか」とあたふたしてしまった。20年ぐらい前なら、「そりゃ、実存だよ」って、即座に答えただろうに、と家に帰ってから思ったのだった。



2002年6月24日

 紫陽花の花が枯れてきた。


枯れた紫陽花
 庭の枯れた紫陽花の花

 咲いている花も好きだが、枯れかけた花といううのも、それなりに風情があって好きだ。紫陽花の花は好きな花の一つ。それが枯れかけたときとの姿には、気持ちが引きつけられるところがある。からっと晴れた6月の日差しは夏に向かって気持ちをひっぱて行く。だが、その日差しの中で、紫陽花の花だけは色の変化を経て、その時間を堆積させて留まっている。曇り日の枯れかけた紫陽花の花は、背後に潜む茂みの暗がりを控えさせて、自らの姿が崩れていくのを耐えているという風情だ。そういう存在感に惹かれる。

 先月は、PerlとCGIで右往左往していたが、今月は彫刻家の海老塚耕一さんのホームページ「海老塚耕一の作業場から」を作ることに熱中していて、ほぼ出来上がった。このURLは仮のもので、海老塚さんから資料を貰ってページを作るたびに見て貰い、意見を交換するためのもの。海老塚さんは作品が多いから、作り甲斐がある。その沢山の作品を情報としてどうやって見せるかというところに工夫することにした。家にあるJavaScriptの本を引っ張り出して、サンプルとして載っているスクリプトにちょっと手を加えて作っている。マウスオーバーで画像が変わるとか、小さい画像をクリックすると大きくなるとか、そんなところだ。でもやってみると、結構面白くて、また、のめり込んでいくことになる。

 JavaScriptは何年か前に一通りやって、遊びのサイトを作ったが、自分で関数を作るというところまでには至らないで、そのまま放り出してある。入門書段階で止まってしまうというのが、わたしの悪い癖。熱中しやすいけれど、冷めやすい。これを何とかしたいと思う。でも、もう時すでに遅しですね。熱中といえば、昨日一昨日と、「多摩美術大学生涯学習センター」の夏期講習サイトのページの出来が面白いので、これに感心して、全ページをダウンロードして分析してみた。いわゆる「Dynamic HTML」といわれるもので、JavaScriptとスタイルシートを合わせてページ全体を構築していた。全体にはページが変わらずにボタン操作で11ある講座の内容が出てくるという仕掛けになっている。このボタン操作がランダムに結果を出すので、引っかかって、分析して見ようと思ったのだった。ダウンロードしてみて分ったが、HTMLファイルが30余り、画像も同じくらいの数が使われていた。それらのファイルと画像をJavaScriptとスタイルシートで操っているというわけ。使われている関数は、JavaScriptから遠ざかっているわたしには解読できなかった。そこで、またまた、JavaScriptももう少しちゃんとやってみたいという気になった。JavaScriptもやりたい、Perl/CGIもやりたい、それから暫く遠のいているOpenGLもやりたい。とても時間が足りませんね。



2002年6月17日

 樋渡麻実子作品『ひき潮』の感想。


「ひき潮」
 「ひき潮」の一場面

 先週の日曜日の9日、イメージフォーラム付属映像研究所の卒業生たちの作品上映会「サロン・ド・サイタマ」に再び出かけて行った。新作で見てない作品がいくつかあったあったので、それを見たいと思ったからだった。成田麻美作品『秘めよ、進化ウイルス』と木村文昭作品『胸いっぱいの愛を』を見て、独自な映像の空間が開けつつあるのを感じ、更に、この前の上映から2週間の間に手直しした樋渡麻実子作品『ひき潮』をもう一度見て、またまた考えさせられた。上映会の後、ビールを飲みながら話をしていたら、その中の一人が、日本のサッカーチームがロシアに勝ったことを携帯で聞いて、グループに歓声が上がった。

 「ひき潮」という作品は力があるが、その内容に引っかかるところがあった。作者がホステスをしていたキャバレーのアルバイト学生と車を借りて旅に出る。それも、彼との関係を撮影して映像作品にするためのドライブ旅行だ。作者には夫がいるから浮気旅行ということになる。旅行は、東京を出て、京都から鳥取砂丘に行き、さらに四国の彼の実家に行き、東京に戻ってくる。その間の旅先でモーテルに泊まり、相手を全裸にして撮影したり、彼に将来の夢を語らせたりする。二人が親密な関係になって行くのが、画面を通じて伝わってくる。二人して帰りたくないと言ったり、また死を口したりしながら、結局は戻ってくる。彼のアパートに行くと、彼は別れたくないと涙顔になる。しかし、作者は、カメラを回し続けたまま、夫が待つ家に帰ってくる。翌日は、夫と結婚一周年記念の旅行に、夫が予約し置いた箱根の旅館に出かける。そこで、夫の全裸を撮影したり、一緒に風呂に入ってるところを撮影したりして、最後は帰る車内の自分の隣の席で眠る夫の顔で終る。映像作品を作ることで、禁じられた線を踏み越えて行くところに力点が置かれている。「愛情関係」にある当事者が、その内側にカメラを持ち込んで、その関係をスクリーンに曝していく。相手の男は作者を好きになる。夫は夫で妻の「映像作品」のために、妻の浮気を黙認しているように見える。作品の力は、作者である女性が作品を作ろうとする我欲をぐいぐいと押し進めて行き、彼女のその欲望に追いつめられて、男たちの羞恥心があらわにされるところから生まれてくる。
 樋渡麻実子の作品を作ろうとする強烈な欲望を、わたしはすさまじいものと感じながら、ついついいいなあ、と思ってしまう反面、男たちの立場に自分の身を置くとちょっと耐え難い気持ちにもなってくる。彼女には、この作品が「我欲」を越えた作品としての普遍性を獲得しなければ、彼らは救われないのではないか、という話をした。表現するということには、それが万人を受け手として対象とするために、その表現に関わるものに犠牲を強いるところがある。その作品としての普遍性が「喜劇」になるのか、また「悲劇」になるのか、今のところ分らないが、とにかく人間を描き出しているというそれを獲得するまでに彼女は作者である自分を追い詰めなくてならないだろう。手軽に手に入るDVカメラの表現というものが、遊びを越えて行きつつあることは確かだ。わたしは、敢えてここに今までとは違った映像表現があると言いたい。

 

2002年6月7日

 真夏のような日が続いている。


あじさいの花
 庭のあじさいの花

 このところ、毎日真夏ような日が続いている。駅から家まで歩いて帰っただけで汗で下着がぐっしょりとなり、帰宅して先ずシャワーを浴びるという日々。サッカー熱も盛り上がっている。わたしはサッカーファンではないけど、もう四つもW杯のテレビ中継を見てしまった。日本対ベルギー戦は、多摩美のコンピュータ室で画像を取り込んで、それを圧縮しながら見ていた。ゴール前の接戦になると、学生たちが大きな声を出す。その度に廊下の椅子で打ち合わせしていた連中までが、ドアを開けてのぞき込みに来る。国対国になると熱中する。出場国にならなければ、この熱中もないのでしょうね。

 今週は久し振りに「現代詩手帖」の原稿を書いた。「映像」を特集するというので、原稿依頼があり、わたしは自分がのめり込んでいる若い人たちの映画について書いた。この「曲腰徒歩新聞」では、機会があれば取り上げて書いているが、若い映像作家の彼ら彼女らの映像作品を見たことない人たちにどう説明すればいいかちょっと迷った。で、先ずは、わたしがのめり込んでいるということ、それは新鮮な体験が出来るからということ、彼ら彼女らの作品がどういうものかということだけを書いた。世の中の多くの人が見てくれれば、彼ら彼女らの励みなると思うが、わたしとしては別に多くの人が見なくてもいいと思う。見たいと思えば、情報誌を探せば上映会が載っているはずだから、積極的に見に行けばいいのだ。個々バラバラに生きている時代なのだから、自分の関心事に向き合っていればいいと思う。ただ、しっかりと自分の関心事に向き合っていないと、一挙に全体の流れに引き込まれて、下手すると溺れることにもなりかねない。メディアが社会全体を統合するような状態で、メディアが社会的な時間を進行させているような錯覚に落されそうだ。それに対して、若い人たちが作る映像作品は、いまのところ身近なところで自分や周囲の人たちのイメージを作っていっているが、そのイメージがだんだんと広がりを持ち始めているように思える。映像について、大人たちには「現実と虚構」という二元論的な考え方がまだはびこっているが、若い人たちはスクリーンの上に「イメージのリアル」を一元的に求めているように思える。






     
 








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